HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

2020-01-01から1年間の記事一覧

『梅雨の合間』

関東地方の梅雨入りは6月11日(例年より3~4日遅れ)もう二十日以上経ちます。雨が降るときはシトシトでなくザーとミニ台風の如く強い風を伴い窓に吹きかける。 今日7/2は朝から爽やかないい天気でした。梅雨の合間(晴れ間)には夏かと思う程の強い日差し…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)22-5

<ミラノ十一月十二日>の続き④ スタンダールは、あるご婦人が紹介してくれたヴェネツアの名家出身のコルネール大佐が、愛想の良い青年だけれども既にあらゆる(戦功のあった者に付与される)十字勲章を得ていること、彼を見て、ニーナ夫人がヴェネツアに関…

東京文化会館でのテノールコンサートを聴いて来ました

今日(6月28日)15時から、5月に文化会館で予定され延期となっていたテノールコンサートが、コロナ対策を施して行われるというので聴きに行きました。東京文化会館が自粛で閉館し、自粛解除後の初めての演奏会だそうです。 公演名は、『テノールの饗宴』 東…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)22-4

<ミラノ十一月十二日>の続き③ 前々回も書いた通り、この日(ミラノ十一月十二日)の記事は、6ページ以上に渡っているので分けて見ていますが、その続きです。前回、スタンダールは、多くの桟敷の中で最も好ましいと考えるニーナ・ヴィガノ夫人の桟敷に出入…

久しぶりにコンサート(サントリーホール)に行ってきました

ひと月前の先月25日に、東京では緊急事態宣言が解除され、今月12日には、東京アラートも解除、このところ、人々の活動は急速に活発化しています。音楽関係でも、無観客演奏会のネット配信が盛んに行われる様になり、コンサートに行けない我々の慰みになって…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)22-3

<ミラノ十一月十二日>の続き② スタンダールが好んで出入りしているディ・ブレーメ氏の桟敷で会った人として、愛国者コンファロニエーリ氏、グリソストモ・ベルケティ氏、トレキ氏などの名を挙げ、“パリでは、この桟敷に匹敵できるようなものを僕は少しも知…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)22-2

<ミラノ十一月十二日>の続き① 次にスタンダールはイタリアで一、二の哲学者と考えている、エルメス・ヴィスコンティ公爵に、前述のディ・ブレーメ氏の桟敷で出会ったことを述べ、哲学者についての話題に転じます。 “ナポリには~(略)~独特の哲学の一派…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)22-1

<ミラノ十一月十二日> この日の記事は、日記の中でも長大級の6ページ以上に渡って、スカラ座の桟敷席で見聞きした様々な事柄について記述しているので、数回に分けて見てみます。 先ず “僕は毎日スカラ座のディ・ブレーメ氏の桟敷に行っている。それはまっ…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)21

<ミラノ十一月十一日> この記事でもロッシーニに関する風評を記述しています。“今晩、親切なビアンカ・ミレージのところで、ある阿呆が音楽に口を出して、ロッシーニが一種の人殺しであることを僕たちに納得させようとした。この羨望の激しさは僕に強い喜…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑳

<ミラノ十一月十日> 前回の<ミラノ十一月六日>の記事の次は<ミラノ十一月七日>、その次は<ミラノ十一月八日>と続くのですが、その内容が建造物見学と案内人について、借りた本の内容について、ミラノの城壁の散歩道や競技場での古代戦車競走について…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑲

<ミラノ十一月六日> この日の記事は、スカラ座の近傍の通りに面した主だった建物の見どころ、及び近かくの広場に纏わる惨殺の悲劇について記しています。 “スカラ座の方からやってくると気付くサン・フェーデレ教会の側面はとても美しいが、ギリシャ的美の…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑱

<ミラノ十一月五日> スタンダールは前回<十一月二日>の記述に続き、ドゥオモを毎晩午前一時頃に見に行っていると述べています。“美しい月に照らされて、この教会はこの世でもめずらしい心を魅了する光景を呈している”。“ドゥオモの半ゴティック様式の正…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑰

⑰<ミラノ十一月二日><ミラノ十一月五日> 前後するのですが、前回の<ミラノ十一月三日>の記事の一つ前に<ミラノ十一月二日>の記事があったのです。これはドゥオモに関する内容で、<ミラノ十一月五日>もまたドゥオモについて書いているので、両日の…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑯

<ミラノ十一月三日> スタンダールは翌日が「聖カルロ」の祝祭日だと書き始めています。この「カルロ・ボッロメオ」は1538伊北部の貴族の家に生まれ、22歳の若さで叔父の教皇ピウス4世により枢機卿に任命、27歳でミラノ大司教に昇格しました。その10年後に…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑮

<ミラノ十月三十日> ここでは冒頭、スタンダールは自分が見聞きしたことから知っている(と思っていた)イタリアの精神的習慣や幸福を求める方法は、当てにならないかも知れない、即ち正確ではないかも知れないと言訳けじみたことを述べています。その後の…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑭

<ミラノ十月二十八日> この日の小見出しには“午前五時、舞踏会から出て”とあり、スタンダールは夜通しサンパオロ通りのカジノ(集会所)で催された舞踏会に参加していたのでしょう。この日は “僕は四時間後にデジオに向けて出発する” と書いています。この…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑬

<ミラノ十月二十七日> ここでスタンダールは、主にイタリア建築、就中ミラノのパラッツォ(邸宅)について論じています。サン・パオロの集会所で催された舞踏会の切符を、マリーニ夫人が手に入れてくれたと述べている。マリーニ夫人は18世紀末ミラノでもっ…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑫

<ミラノ十月二十五日> この日の記事は「タロッコ(タロット)」に関して、及びばったり出会ったフランス人に関して、自分の心情を吐露しています。 先ず、“今晩ビビン・カテナ夫人がタロッコを教えてくれた”と言っています。タロッコはミケランジェロが発…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑪

<ミラノ十月二十日> この日の冒頭でスタンダールは、“三日のちに当地を出立しなければ、僕はイタリア旅行ができまい。色恋沙汰のせいで引き留められているのでなく、十年来の知己でもあるかのように、僕をむかえてくれる四つ五つの桟敷ができはじめている…

スタンダール『イタリア紀行(1817年版)』精読(遅読)Ⅹ

<パルマ12月1日 > この日の記事は、その一つ前の<ミラノ11月23日>の記事から一週間ほど経っていますが、その一週間の事は何も書かずに、突然“わたしはミラノをやっとの思いで離れる。パルマには、コッレッジョの崇高なフレスコ画を見るために、一時間だ…

スタンダール『イタリア紀行(1817年)』精読(遅読)Ⅸ

<ミラノ11月23日 > この一つ前の記事(前回<ミラノ11月20日>の記事参照)は、2ページ半50行に及ぶ(同じ記事の1827年版<10月4日>だと、サロンノやガレニャーノで見た絵画や庭園、彫像などの感想を追加して5ページ以上に及ぶ)紀行の中でも長大な記録を…

スタンダール『イタリア紀行(1817年)』精読(遅読)Ⅷ

<ミラノ11月20日> この日の記事は“ガッリが風邪をひいた”から始まりますが、1827年版『イタリア旅日記』ではかなりの増補・改変が為された記事を書いています。即ちこのガッリの前にサロンノで見た絵画、庭園、屋敷、彫像などについての記載が2ページに渡…

スタンダール『イタリア紀行』精読(遅読)

読書のスピードは年齢と共にというか、自分の生活の段階に応じて変わってくるものです。学生の頃は知識欲も体力も旺盛で、分野に限らず興味のある本、紹介された本は、一般書、教養書、専門書に限らず、時間の経つのも忘れて手当たり次第にスピーディに読ん…

スタンダール『イタリア紀行(1817年)』散読Ⅵ

<ミラノ11月18日> 1827年版「イタリア旅日記」では、十月二日の日付が付いています。しかしこのスタンダールの旅行記は、日時や年はもう気にしないで読んだ方が良いのかも知れません。そもそも、1817年版はその年に旅行したのではなく、1811年に旅行した記…

スタンダール『イタリア紀行(1817年)』散読Ⅴ

<ミラノ11月17日> この日の記事は『イタリア旅日記(1827年)』では、10月1日の日付となっています。 スタンダールは、ミラノでは文学も絵も彫刻も死んだのも同然で、唯一音楽のみがかろうじて生命力を保っている、但しそこでもハーモニーが侵食して歌唱が…

『ミラノ・ドゥオモ内での復活祭希望の歌』ライヴ配信

夕方、家の上さんが言うことには、親戚の音楽好きからスマホのLINEでメールが入り、添付されていたのが、復活祭の日にミラノのドゥオモで無観客で歌われた演奏のライヴ配信(2020.4.13.)のU-tubeだったそうです。 ミラノ・ドゥオモ スマホで再生した歌を脇…

スタンダール『イタリア紀行(1817年)』散読Ⅳ

<ミラノ11月15日> この日の記事は『イタリア旅日記(1827)』では、9月28日(ミラノ到着後5日目)の日付を付けています。スタンダールが1827年版でミラノ到着後毎日記事を書いた様に装おったのは、恐らくそのタイトルに拘束されたのではなかろうかと思われます…

スタンダール『イタリア紀行』散読Ⅲ

<ミラノ11月12日> この日付の記事は『イタリア旅日記』では9月27日(ミラノ到着後4日目)となっており、あたかも前日の記事(11月10日)の記事と連続する翌日の様に装って書いていますが、実際は到着後9日目の記事なのです。何故この様な小細工をしたのか…

スタンダール『イタリア旅日記』散読(続き)

スタンダールはイタリア旅行をするにあたり、先ずミラノを訪れ、疲れているにもかかわらず到着日(9/24)に真っ先にスカラ座に足を運びました。続く翌日(9/25)もまたスカラ座に行き、オペラを鑑賞したのです。その次の日(9/26)も翌々日も、その後もズート暫…

スタンダールの見たミラノ『イタリア旅日記』散読

4月8日の記事に『ミラノスカラ座』来日公演のチケット販売延期のメールが入ったと書きましたが、今日10日に同じ主催者から郵送で、来日公演を宣伝する資料が届きました。それを見ると販売延期などどこにも書いていません。メールを知らない人は、印刷物記載…