<ミラノ十月二十七日>
ここでスタンダールは、主にイタリア建築、就中ミラノのパラッツォ(邸宅)について論じています。サン・パオロの集会所で催された舞踏会の切符を、マリーニ夫人が手に入れてくれたと述べている。マリーニ夫人は18世紀末ミラノでもっとも美しいといわれた女性で、スタンダールの有名な『パルムの僧院』第1巻に “伯爵夫人は二十七、八歳で、あれ以上きれいなすばらしい女などいるものじゃない。美人を多産するこのイタリアでも。彼女は他のすべてを圧倒している。マリーニ、ゲラルティ、ルーガ、アレージ、ピエトラグルーア(すべて1800年前後にミラノで嬌名を謳われた実在の美女)、彼女はこういった女たちのすべてに優っている。” とマリーニを引用した記載があります。ここの脚注によれば、集会所がサン・パオロに移転したのは1818年なので、スタンダールの体験した1816年には別の場所にあったとしていますが、この記事は1827年に補足して書いて挿入されたものと考えれば、当然の事です。マリーニ夫人云々は仮想の記述みたい。
ここに出て来る集会所は、金持ちの商人たち400人が結束して購入したものだそうで、この古い黒ずんだ石造りのパラッツォはパリの上院議事堂に似ているが、後者は建築物の表面の古い石を削ってリニューアルしたが、前者はそういうことはしないと言い、さらに400人の共同所有者が湯水の様に金を使ったのは、表面にでなく内部の内装などにで、“すっかり新しくなった見事な舞踏室は、ルーブル美術館のいちばんの室よりも広大に見えた。”と書いています。あの幅広い天井も高々としたルーブルの遥か彼方まで広がった大きな展示室より“広大”とは如何程のものだったのであろうか。
同様な建築の特徴を、スカラ座についても当てはめて書いています。
スカラ座が(劇場の)模範の様に謂われるのは、その内装のよさについてであり、“ピエールマリーニがスカラ座を立てた1778年頃、建築はみじめだったことを知らなければならない” と説明、スタンダールはさらに、外観に手を加えない要素の一つとしてミラノの『オルナート(装飾)委員会』の存在を挙げています。 この委員会は一種の景観保護のための組織で、美術愛好家として知られている四、五人の市民と二人の建築家から構成されていたそうです。“(委員は)無料奉仕で活動し、家主が自分の家の正面の壁に手を入れる時にはいつも市役所に計画を出すよう定められ、市役所はその計画をオルナート委員会に伝達する。委員会は意見をまとめる。もし家主が何かあまりに醜悪なことを実行しようとすると、みんなから重んじられているオルナート委員会のメンバーたちは話の中で彼を嘲ることになる”というのです。まさに我が国のどこかの市役所にある「環境委員会」と同じ働きをしているのですね。ナポレオンや王政時代の封建的な色彩が残る時に、かなり民主的なやり方であるのには驚きです。スタンダールも “ミラノの精神的習慣は完全に共和主義的である” と言い切っています。
ところで、話は変わりますが、ここのところの暖かくいい陽気に誘われて、(外出は自粛しているので)通販で買って送って貰った植物の苗を二三、プランタに植えました。
何れも家内がハーブのいきの良いものを料理に使いたいらしいのです。取り敢えず、バジルとタイムとステビアです。今植えるとドンドン伸びるらしい。さて何の料理に使われるのでしょうか?楽しみです。