HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)27

<ミラノ十一月十九日>

 前回<ミラノ十一月十八日>について書いたのは、一ヶ月以上も前だったので、若干の復習をしますと、スタンダールはスカラ座の桟敷席(特殊な意味でのサロン)で聴いた多くの噂話や逸話について言及したり、ブレラ美術館の彫刻についてやミラノ市の歴史で印象深い事件について記述しています。

 この日の記述では、ファスカリーニ夫人の桟敷で聞いたカーニヴァルの逸話を紹介しています。ある若妻が8年もの間夢中になっていたフランス人士官との関係が、カーニヴァルのを境にして破綻してしまったというのです。イタリアの仮面舞踏会はヴェネチアのサン・マルコ広場のもの(2月)が有名ですが、ミラノでも大聖堂前広場を中心とした仮装行列が行われています(2月下旬)。スタンダールの時代は、スカラ座の平土間で仮面舞踏会が開かれていたのですね。1810年頃には仮面ごとに八十ツェッキーニの費用がかかったと言っています。イタリアの貨幣単位について調べたら、1806年のヴェネツィアでは1Zecchino が金3.5 g だったそうで、現在だとg当り7000円ぐらいですから、24500円といったところでしょうか。その他に帽子や衣装代などがかかるでしょうから、結構な支出だったと思います。スタンダール曰く “上流社会はみんなが金持ちであり、みんなが貴族であり、仮面舞踏会を必ず開く” “仮面舞踏会がある時は、芝居の為に九時頃に(スカラ座へ)やってくる。午前零時に、男たちが平土間にいる別の男に抱えられた高さ70ピエのはしごに昇り、各桟敷の前に置かれた六本の蝋燭に火を点す。零時半、舞踏会が始まる。夜の二時頃になって照明された桟敷で夜食を取る。それは常軌を逸した夜である。”

   現在の仮面を被ったフェスティバルでも同じことかも知れませんが、当時もかなりの無礼講が許容されていたのでしょう。スタンダールはさらに続けます。

“テオドリンダ(上記の若妻)は、最後から二番目の仮面舞踏会で、マルクレルタ大佐(上記のフランス人士官)が彼女に不実なのに気づく(要するに別の女性に乗り換えたのでしょう…hukkats注)。午前五時頃、この士官は家に帰るや否や、下手なフランス語の手紙を受け取る。” “友人を連れ(立会人の意)、ピストル持参でカッシーナ・ディ・ポム(仏のブローニュの森の様なもの)に直ちに赴くように求められる。” 要するに決闘を申し込まれたのでしょう。しかし女性は決闘する権利が無かったので、彼女は男装して甲斐添人を連れて、森に行って決闘に臨みました。“ピストルに弾を込め、十二歩測る。撃つ時に近づかなければならない。マルクレルクは、その男を見、それが自分の恋人のテオドリンダであることを認める” “彼が間合いを詰めようとすると、彼女は言う、近づかないで、さもないと発砲するわ。彼女の甲斐添人は彼女にその権利は無いと苦労して説得する”。結局どちらも死なずに済んだのですが、後日談として次の様な記述があります。“彼女は、あの事件がすさまじい勢いで伝播したが、事件で少しも体面を汚されなかった。あれは常軌を逸した女だと言われたが。” “ミラノでは世論は恋愛に関して女性を云々するが、それはパリで政治的良心に関して男性を云々するのと同じだ。どっちがより不道徳だろうか。(既婚の)女性が恋人を持つことと、男性が悪法を通させたり、票を売ることと。”

 こうした記述から分かることは、当時は女性が決闘する権利は認められていなかったことや、それでもそうした不平等に果敢に挑む女性がいたということや、浮気は(あくまでミラノの上流階級の)女性に許容されていたということや、カーニヴァルでは男女関係のもつれが生ずること等々。

 明日10/31は「ハロウィンの日」ですね。カボチャにせよ何にせよ仮面を被ると、人間は自分でなくなって羽目を外してしまうことは、時代と場所が違っても同じことだと思われます。しかし今はコロナ禍が収まらず、むしろ感染の拡大が懸念されている時期ですから、異性に若しくは同性に愛されるどころか、新型コロナにまで愛されることの無い様に、自制を持って行動する必要がありますね。


《速報ニュース》

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

来日公演催行決定!!

  関係者の方々のご努力に敬意を表し感謝致します。