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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)24

<ミラノ十一月十三日><ミラノ十一月十四日>

  前回の精読(遅読)23の最後の部分のもう一つの逸話です。ヴィテレスキに関する別の逸話で、彼が恋人の信義を確かめるため煙突に登ってその中から部屋の様子を伺っているうちに暖炉に落下してしまい、案の定彼女に会いに来ていた間男に、ヴィテレスキは笑いながら“君は危うく難を逃れたぜ。でも紳士を相手にしたからこうなのさ。他のやつがわしの立場だったら、ことを確かめずに君を殺してたろう。”冗談好きでいつも陽気な彼、ヴィテレスキ伯爵の逸話でした。

 さらに最後に彼は次の様に述べています。“昨日、一時頃、公園で結構な器楽曲の演奏があった。ドイツの某大隊には八十人の音楽家がいる。百人のきれいな女性がこの崇高な音楽を聞いていた。これらのドイツ人はモーツァルトとロッシーニという名の青年のもっともきれいな作品を僕たちに演奏してくれた。完全な百五十の管楽器が、これらの抒情的旋律に、独特な憂愁の色合いを与えていた。我が国の軍隊の音楽に対するこれの関係は、魚屋の女将の大きな靴に対する、諸君が今晩見るはずの小さな白い繻子の靴の関係に等しい。”

 モーツァルト死後35、6年経って、ミラノでもモーツァルトが演奏されていたことが分かりますが、ここで“青年”と呼んでいることは、モーツァルトが若くして亡くなり、青年の時に作曲した曲が、今でも“青年の作品”ということで流布していたのでしょうね。

 それにしても、“百五十の管楽器”の演奏とは、現在のオーケストラでもそんな大編成は、滅多に無いでしょう。スタンダールが例えた、フランスの軍楽隊は魚屋の女将の長靴、ドイツの大隊の音楽隊の演奏は繻子の靴とは、笑ってしまいます。

『繻子の靴』と言えば、フランスの劇作家ポール・クローデル(1868~1955)の同名の作品を思い出します。日本駐在大使として滞日中に完成させたそうです。我が国ではめったに舞台で演ずることは無い様ですが。

 次の<ミラノ十一月十四日>の記事は非常に短いもので、デッラ・ビアンカという友人がスカラ座の平土間の最前列に陣取っていつも観劇しているのは、彼の愛人であったD***公爵夫人の夫の嫉妬から、夫人の桟敷から平土間に追放されたからだそうで、スタンダールはぶしつけに、彼に”桟敷から彼を見ている彼女をどう思うか”と訊いたところ、訳の分からない例えの答えではぐかされたそうです。