<ミラノ十一月十五日>
6月下旬から再開された音楽ホールのコンサートや英国絵画展などを見に行っていて、その記録を書いたりするのに忙しく、スタンダールの本は暫く開けませんでした。しかし最近コロナ感染がまたまた拡大し出して、自宅に自粛・謹慎せざるを得なくなったので再び読んでみました。
前回は、7月13日に<ミラノ十一月十三日>と<ミラノ十一月十四日>の記述について書きましたが、この日<ミラノ十一月十五日>の記事では、スタンダールはブレラ美術館で、主に彫像を鑑賞したことに関して述べています。ミケランジェロとカノーヴァの石膏作品を較べている。
アントニオ・カノーヴァ(1757-1822)は、ポッサーノ生まれで、主にヴェネツィアで活躍した彫刻家です。
ミケランジェロ(1475-1564)は、知らない人はいない位のイタリア・ルネッサンスの有名彫刻家でかつ画家です。二人の生きた時代は260年以上も異なっています。
スタンダールが見たのは二人の作品の石膏模型でしょう。
ブレラ美術館は現在でこそ絵画の展示で有名ですが、18世紀後半当時ミラノを支配下に置いていたマリア・テレジアにより神学校内に美術学院が造られ、学生用の教材としての版画、デッサン、石膏像、鋳型が集められたのでした。最初は絵画が少なかったのです。1809年に絵画館がオープンした背景には、1800年のナポレオンの共和国誕生以来彼の美術保護の政策により、イタリア各地からブレラに美術絵画の集積がなされことが大きい。それで今でもその貢献を讃え、ブレラ美術館を入るとすぐの広場に、大きいナポレオン像が屹立されているのです。
スタンダールは二人を評して次の様に述べています。“僕は日中はブレラ美術館でミケランジェロとカノーヴァの像の石膏作品を検分して過ごす。ミケランジェロはつねに地獄を見、カンーヴァは甘やかな逸楽を見ていた。” “(カノーヴァの)その(=教皇クレメンス13世の)巨大な頭像は自然さの傑作である。” “カノーヴァはギリシャ人を真似しない。ギリシャ人が作り出したような美を創造するだけの勇気があった。(中略)この偉人は、二十歳のときには、綴字法も知らなかったが、百もの像を作り、そのうち三十は傑作である。ミケランジェロにはその天才にふさわしい像がたった一つしかない。ローマにあるモーゼ像である。”と。
カノーヴァは写真の墓所を制作するために教皇の頭像を作ったのでした。
スタンダールの時代には、有名彫刻の石膏像がブレラで見ることが出来たのでしょう。現在では恐らくそうした石膏像は展示されていないと思います、あるのはほとんど絵画の展示室ですから。ブレラには、展示されている作品の他に展示されずに保管されている作品が多くあります。展示場所が狭い関係で、絵画のみならず彫刻、花瓶、容器他の作品が所蔵されているのです。
でもそれらの中には上記のスタンダールの見た石膏像は無いでしょう。
スタンダールはミケランジェロを余り評価していない記述ですが、彼はご案内の様に、素晴らしい多くの絵画、レリーフ、彫刻を製作して残しています。中でもヴァチカンのピエタ像やフィレンツェのダヴィデ像は一大傑作の呼び声が高いです。そうしたことをスタンダールは知っていたとは思うので、あくまでギリシャ美術のルネッサンスとしての位置づけでミケランジェロを見て、独創性の高い個性的なカノーヴァと比較して言っているのかも知れません。いや意外と、ミケランジェロの作品はあまり見たことが無かったのかも知れませんね。