<ミラノ十一月十三日>
この日の記事は、スタンダールが桟敷で耳にした逸話の一つ、18世紀末にミラノの東方80kmにある街、ブレシアにいたヴィテレスキ伯爵という人物にまつわるものです。彼は変わった人物で、浪費で財産を消散した挙句情婦を殺害し、最後には恋敵を殺すのが精一杯であったという話。 金持ちの貴族だったら微罪ですんだものの、彼は今落ち潰れ、しかも殺した彼女がヴェネツィアの名家のまたいとこだったため、捕えられてヴェネツィアの「嘆きの橋」の脇にある牢獄に投げ込まれてしまったというのです。
“ヴィテレスキは美男子だったし、とても雄弁だった。~(略)~ 独房の鉄鎖に繋がれたなかで、金銭無しに牢番の心を捉えた。「わしを苦しめているのは、それはわしが君と同じであり、名誉があるということだ。ここで鉄鎖のなかでくすぶっている間に、わしの敵はブレシアを気取って歩いているのだ。ああ、やつを殺してから死ぬことだけでもできればなぁ」と牢番に言った。この立派な気持ちは牢番を感動させ、「百時間だけ自由をあげましょう」と牢番は言った。”“彼は金曜日の夕方に牢獄から出る。ゴンドラが彼をメストレ(牢獄のある本島から離れた本土にある街)に渡してくれる。セディオラが宿駅ごとに待っていた。彼は日曜日の午後三時にブレシアに到着し、教会の入り口に陣取る。彼の敵が晩課を終えて出てくると、彼は群衆のまっただなかで、カービン銃にて射ってこれを殺す。”踵を返して牢獄に急ぎ戻ったヴィテレスキは、新たな殺人罪で判事に呼び出されて罪状報告書が読まれたが、次の様に言ったそうです。
“「何人の証人がこの新たな(自分に対する)中傷に署名したのでしょうか?」判事は答えます「二百人以上のものだ」。
「しかしながら、その日曜日には、わしはこの呪われた牢獄にいたことを、閣下たちはご存知です。わしにどんなに敵が多いかお分かりですね。」と弁明。”
こうしたことからヴィテレスキは牢獄から放免され、自由の身となったという話です。
最後に、1年後牢番のもとに司祭から十八万ヴェネツィア・リラ(九万フラン)が渡されたという落ちです。ヴィテレスキが最後の土地を処分して工面したお金だそうです。
現代の我々が聴いても大した逸話でなく、少々の小話という程度のエピソードだと思うのですが、スタンダールはこのヴィテレスキに関して、もう一つの逸話を書き記しました。