HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)29

≪ミラノ十一月二十七日≫

 この日、スタンダールはある夜会に出席した時に笑いを抑えきれなかったことについて次の様に述べています。

“笑いで死ぬことは無い、さもなければテノール歌手のロンコーニが喜歌劇の詠唱を歌うのを聞いて、僕は今晩死んでしまっただろう。ファスカリーニ夫人の夜会のことだが、そこへは、このうえなく変わっていて、このうえなく知的な人物である参事官ピンが僕を連れて行ってくれた。ロンコーニはパイジェッロの『テオドーロ王』のあの有名な詠唱、「陛下は仰々しく」を僕たちに歌ってくれた。神よ!何という音楽!単純なもののなかで何という天分!若い作曲家パチーニはピアノを演奏した。ロンコーニのように、彼は熱によってよりも上品さと活気で輝いている。”

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ロンコーニ

ここで出てくる“ロンコーニ”という歌手は1810年ミラノ生まれ、1830年20歳でベルリーニ『異国の女』でデビューしました。ということは、スタンダールが聴いた時には、まだデビュー直前ですが、貴族の夜会に招かれて歌う程の実力と名が知られていたことを意味します。さらにこのバリトン歌手(スタンダールは「テノール」と書いていますがこの時は高い音域で歌ったのでしょうね、きっと。)は後にヴェルディーの後妻となるソプラノ歌手、ジュゼッピーナ・ストレッポーニ(1815~1897)が若い時に浮名を流した相手だったのです。

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ジュゼピーナ・ストレッポーニ

 確かに彼女は魅力的で、ロンコーニはオペラを共演するうちに深い関係になったのでしょう。でも彼女は他の歌手達やスカラ座関係者との関係もうわさされ、“高級娼婦”との蔭口もたたかれた様です。

一方、パイジェッロ(1740~1816)はナポリのオペラ作曲家、ここに出て来る『(ヴェネツィア)のテオドール王』は代表作の一つの様です。しかし、ロンコーニが歌ったという「陛下は仰々しく」という歌がどの様な物か全く分からないので、何がスタンダールの感情を揺さぶったかは不明です。

また次の様なことも書いています。

“ロ???氏は僕たちの切なる願いに負けて、病気のヴェネツィアの元老院議員の味のある場面を演じる。ついで、かれは死ぬほど疲れていたけれど、観客が笑いのために目に涙を浮かべて懇願したので、かれは、あいかわらず衝立ての背後で、『サン・ラファエルの娘』を演じた。”きっとこの時の演技と歌う様子が爆笑ものだったのでしょう。そして舞踏会が(いつもより遅く)真夜中にはじまり1時頃に終わって皆サロンを去ったこと、スタンダールは八~十人と一緒に、カフェに「クリーム入りコーヒー」を飲みに行ったこと、そこで又 ロ???氏がソネットを詠唱し、カフェのボーイたち共々大笑いしたことなどを付け足して書いています。この日スタンダールは夜9時から14時まで笑い通しで、(息が)苦しくなった程だった様です。こんなに楽しい時間を過ごせるなんてうらやましい限りです。笑いが止まらなくてお腹が吊りそうになることは最近は無いですね。数年に一度あるかどうか?