HUKKATS hyoro Roc

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エッシェンバッハ・N響『ブルックナー/交響曲 第7番』を聴く

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第2008回 定期公演 Cプログラム
【日時】2024.4.19.(金)  19:30〜(休憩なし)

【会場】NHKホール

【曲目】ブルックナー/交響曲 第7番 ホ長調

(曲について)

 交響曲第7番ホ長調は、彼の交響曲中、初めて、初演が成功した交響曲として知られている。1884年のこの初演以来、好評を博しており、第4番と並んで彼の交響曲中、最も人気が高い曲の一つである。第4番のような異稿は存在しないが、第2楽章の打楽器のようにハース版とノヴァーク版では差異が生じている箇所がある。

 本作は交響曲第6番の完成後すぐ、1881年9月末から第1楽章の作曲が開始された。スコアは第3楽章スケルツォの完成のほうが1882年10月と少し早く、第1楽章のスコアは同年の暮れに完成する。

 第2楽章の執筆中は最も敬愛してきたリヒャルト・ワーグナーが危篤で、ブルックナーは「ワーグナーの死を予感しながら」書き進め、1883年2月13日にワーグナーが死去すると、その悲しみの中でコーダを付加し、第184小節以下をワーグナーのための「葬送音楽」と呼んだ。こうして第2楽章のスコアは同年4月21日に完成する。そして、1883年9月5日に全4楽章が完成した。

 1884年12月30日、アルトゥル・ニキシュ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によりライプツィヒ歌劇場で初演された[1]。この初演の段階でブルックナーとニキシュは入念な打ち合わせを行い、何度か手紙をやりとりしている。

 この曲の初演が大成功したことにより、ブルックナーは生きている間に交響曲作曲家としての本格的な名声を得ることができた。その後、指揮者ヘルマン・レヴィの推薦より1885年12月、バイエルン国王ルートヴィヒ2世に献呈された。

 楽譜は1885年に出版された。この初版は「グートマン版」、「改訂版」などとも呼ばれる。日本初演は1933年10月21日、クラウス・プリングスハイム指揮の東京音楽学校管弦楽団により、奏楽堂で行われた。 

 

【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮 】クリストフ・エッシェンバッハ


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〈Profile〉

 エッシェンバッハが指揮台に立つと、場の空気がぴりっと引き締まる。深く歌い作品を雄大かつ爽快に描き出すが、そこには常にぴんと張った糸のような緊張感が漂い、彼の音楽に独特なオーラを纏(まと)わせる。
 1960年代前半にミュンヘンのADR国際音楽コンクールやクララ・ハスキル国際コンクールを制覇しピアニストとしてキャリアを華々しくスタートさせたが、1970年代からは徐々に指揮に重心を移した。これまでに北ドイツ放送交響楽団(現NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)、フィラデルフィア管弦楽団、パリ管弦楽団、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団といった世界の数多くの一流オケで要職を担い、2024年9月からはNFMヴロツワフ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任予定。
 N響との初共演は1979年で、ピアニストとしてギュンター・ヴァントの指揮でベートーヴェンの協奏曲を弾いた。30年ぶりとなった2017年の共演では世界最高峰の指揮者のひとりとしてブラームスの交響曲などを聴かせ、その後、2020年、2022年にも密度の濃い演奏を繰り広げている。今回もシューマン、ブルックナーといった得意どころを、鮮やかに鳴らしてくれるはずだ。
1940年ドイツのブレスラウ(現ポーランド・ヴロツワフ)に生まれたが、戦争で父を亡くし母の従姉妹に育てられた。戦争を肌で感じ音楽で自己形成した巨匠も今年84歳。世界が再びきな臭くなってきた今、彼は音楽で何を語るのだろうか?(江藤光紀/音楽評論家)

 

【演奏の模樣】

楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ワグナーチューバ4(テノール2とバス2)、コントラバス・チューバ、ティンパニ、シンバル、トライアングル、弦楽五部。ただし原則シンバル・トライアングルは使われず、アド・リブとして載っています。今回は、ノヴァーク版を使用したらしく、エッシェンバッハは、シンバルとトライアングル奏者を舞台に上げて 第二楽章で鳴らしました。弦楽五部16型(16-14-12-10-8)

 

全四楽章構成

第一楽章 Allegro/Moderato

第ニ楽章 Adagio

第三楽章 Scherzo

第四楽章 Finale: Bewegt, doch nicht schnell

 

 第一楽章の冒頭、弦楽器群の弱音トレモロの上で、チェロとビオラが第1主題を奏し、続いてオーケストラの高音楽器に引き継がれて行きました。  このもやもやとした雰囲気を「原始霧」と呼ぶ人もいます。次いでFl.(2)+Ob.(2)に1Vn.アンサンブルが演奏され、引き続き1Vn.がテーマを奏して、弦と木管の掛け合いはかなりの盛り上がりを見せるのもいい響きです。金管が加わっても、最初からの緩やかで穏やかな流れは変わらず、クラリネットの合いの手がさらに和らかく奏され、ズート同様な流れが続くのは、気持ちが良いものです。時々入る金管群(Trmb.Trmp.Hrn.)がかなりの強奏をしても、テンポは緩やかで穏やか、激しさよりも力強い優しさを感じました。 この楽章20分越えは結構長いのですが、同じ様な流れなので何か眠気を催す気配も有りました。終盤のリズムの変化や弦楽奏に何回も繰り返えされる金管の上行旋律、最終局面で金管群が吠えてもこの楽章の穏やかさを破る程の物では有りません。彼の交響曲の中で第一楽章でTimp.とオケの強奏に頼る剛腕な力強さを取らない第一楽章は珍しいものです。

 

 次楽章の冒頭で鳴らされるのが、ワーグナーテューバでした。Hrn.の類いですが、Hrn.程の華やかさは影を潜め、全く地味なそれでいて存在感を感じる重い響きなのです。続く弦楽アンサンブルの重厚な響きも素晴らしく、2Vn.とVc.に依る調べでした。ここもまたスローな展開です。Hrn.と弦楽アンサンブルが同一旋律を斉奏し、連綿と続くVn.アンサンブルの調べはやや気だるさを感じる程ですが魅力的。木管を経てこれまた美しい高音旋律を奏でるVn.アンサンブル、この長い楽章の最初の輝きだと思いました。第一楽章に優るとも劣らぬ優美な流れでした。エッシェンバッハは、高い技術を有するN響のVn.部門から印象的な濃密なアンサンブルを弾き出すことに成功していました。再度重厚な響きの繰り返し、何回でも聞きたい程の心の安らぎを覚える響きでした。この楽章の前半の最初の盛り上がりを、Trmb. Trmp. Hrn.を交えて強奏され、途中で急に曲相が替わり、元の重厚なテーマ奏が弦楽中心に演奏されるのでした。この重厚さは何なのだろうと考えると、恐らくブルックナーの頭にあった重厚なオルガンの響きが弦楽アンサンブルにより再現されたのかも知れません。何回も出て来るテーマを今度はTrmb.(3)で響かせ、⇒Vn.アンサン⇒Hrn.奏と移送して、駄目押し的に全金管に依る一斉ファンファーレの如く響かせ、暫く強奏すると萎んで儚いFl.に引き継ぎ、再度Hrn.⇒Trmp.+Trmb.の強音、そしてFl.へと、すると弦楽がこれまた天国かと思われるような素晴らしく美しいメロディを奏でました。エッシェンバッハも気持ち良さそうな様子で振っています。次第にこの楽章最大のクライマックスに向けて各楽器群の手慣らし的弱奏が続くとその空気をワーグナーテューバに引き渡しやがてHrn.が暫し鳴らされると弦楽⇒Fl.⇒弦楽高音アンサン⇒Fl.そしてワ-グナーテューバへ渡してすぐに楽章を終えるのでした。そのクライマックスでTimp.が力一杯乱打されると同時にシンバルがジャーンと打ち鳴らされ、トライアングルも連打されました。この楽章作曲の時期にはブルックナーはワーグナーの病状悪化そして死亡の報に接し、非常に悲しんでいたといわれます。哀悼と鎮魂の意を込めて、使用楽器や旋律をそれに相応しいものへと導き、この何とも言えず厳粛な音の連なりが出来上がったのでしょうか。この楽章、自分の私的メモを見るとあちらこちらに💮が一杯付いてました。自分の好みに合っているという事かな?

 第三楽章は一、二楽章から少し砕けたスケルツオ。剽軽で軽快なリズムが受理出され、冒頭のTrmp演奏が有名なので、注意して聞いていましたが、プープープップップッププーと何か剽軽なリズミカルな旋律、そのリズムの主題が様々に変奏されまた様々な楽器に移行され、その後には下行音階を下り降りる旋律も続くことが特徴的楽章でした。この楽章で初めて曲全体の中で変化に富んだ調べに接した感がしました。最後は同テンポのテーマをTrmp.+Trmb.の力強い演奏で終えました。

最終楽章は、❛活発にしかし急がないで❜と指示されている通り、冒頭コンマスの調べが1Vn.アンサンブルの活発だが静かで軽快な調べを誘起し、全弦に広がりました。するとFl.の合いの手が入り、⇒2Vn.のトレモロ⇒Cl.のソロ、⇒1Vn.旋律奏と同時に他の弦はpizzicatoと変化が激しく何か纏まりが足りない楽章の様な気がしました。そうした状態が暫く続いたため、ちょっとつまらなさを感じ始めたところで、ブルックナーさん曲相を転換して来ました。即ち全金管による目の覚める様な大きな音の斉奏の響きでガツーンとされたのでした。さらに演奏は金管主流の強奏が続き、弦楽もおもい切り弓を擦っていました。ここで初めてと思われるG.P.です。次いでに申せば、この7番では最初からG.P.らしき長い全休止が見当たらず、従ってG.P.が多い時の様な途切れ感を殆ど感じることなく楽章が進んで行きました。最終楽章は荘重なブルックナーの分厚い響きに満ち満ちていなくて、取って付けた様な調べと楽器変化の不自然さが、何かスケルツォ楽章の様な諧謔性をも感じる軽さがあったため、この楽章には???でした。

しかしこうして全楽章を聴いて振り返ってみると、この曲をレパートリーに持つ(度々演奏する)エッシェンバッハをもってしても100%曲の持ち味を観客に若し伝えられないとしたら、もうそれは作曲者の責任ではないかと邪推されるのです。でもこの曲が初演された時には非常な人気となり、その後のブルックナーの立ち位置を良いものにした曲であるという事を聞くと、それは第一から第二楽章の流麗な素晴らしい響きを持つ調べが聴く者をそこだけでも大いに感動させる力があった曲だと立証している様なものでしょう。そう思うと完全に作曲家と指揮者と演奏したN響の奏者に敬意を払わなくてはならないと思ったのでした。

全演奏が終わり暫しの沈黙の後、エッシェンバッハがタクトの腕を降ろすと、待ち構えていた様に会場からは大きな拍手と歓声が沸き興りました。エッシェンバッハはゆっくりと袖に戻りまた現れて各パートの奏者達を起立・礼をさせると、会場からは奏者を労う拍手等がその度起こりました。カーテンコルまで何回もそれが繰り返されたのです。エッシェンバッハは今年で御年84歳、当初若手の気鋭のピアニストとして名を馳せ、70年台から指揮活動を中心とした方向に向かった様です。近年、来日する海外指揮者でも、80歳代中頃以上の演奏家は数える程しかおらず、それだけの経験者は貴重な存在だと言えるでしょう。

 

尚、今回は演奏会開始45分前にプレコンサートが同ステージであり、三名の若い奏者により以下の曲が演奏されました。


〇開演前の室内楽
曲目:ベートーヴェン/2本のオーボエとイングリッシュ・ホルンのための三重奏曲 ハ長調 作品87―第1楽章

 

出演者
オーボエけ:𠮷村結実 オーボエ:坪池泉美
イングリッシュ・ホルン:和久井 仁

ベートーヴェンにこの様な三重奏曲があったとは知りませんでした。なかなか表情豊かに演奏した三人、演奏後、マイクを片手にしたオーボエ奏者は、あと少し時間が残ったので、アンコールとして、第三楽章を演奏します。プレコンのアンコールは多分初めてだと思います、と剽軽に話して笑いを誘っていました。