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コンセルトヘボウ管弦楽団来日演奏会初日を聴く

トップ|ミューザ川崎シンフォニーホール

【日時】2023.11.3(金・祝) 17:00〜

【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール

【管弦楽】コンセルトヘボウ管弦楽団

【指揮】ファビオ・ルイージ
【曲⽬】
①ビゼー: 交響曲第1番 ハ長調

(曲について)

 ビゼー(1838年〜1875年)が1855年に作曲した初期の習作であり、シャルル・グノーの交響曲の影響を強く受けている。当時はオペラ以外の音楽がフランスの音楽界では認められていなかったこともあり、作曲家の生前には一度も演奏されなかった。カミーユ・サン=サーンスらの努力により交響曲などの純音楽がフランスでも認められるようになったのはビゼーの死後のことである。

初演は1935年2月26日、作品完成の80年後、バーゼルにて初演。フェリックス・ワインガルトナーの指揮で行われた。


②ドヴォルザーク: 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」 Op.95

(曲について)

 この作品は『弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調《アメリカ》』(作品96, B. 179)、『チェロ協奏曲 ロ短調』(作品104, B. 191)と並んで、ドヴォルザークのアメリカ時代を代表する作品である。ドヴォルザークのほかの作品と比べても際立って親しみやすさにあふれるこの作品は、旋律が歌に編曲されたり、BGMとしてよく用いられたりと、クラシック音楽有数の人気曲となっている。オーケストラの演奏会で最も頻繁に演奏されるレパートリーのひとつでもあり、日本においてはベートーヴェンの『交響曲第5番 ハ短調《運命》』、シューベルトの『交響曲第7番(旧第8番)ロ短調《未完成》』と並んで「3大交響曲」と呼ばれることもある。 

この曲は、ドヴォルザークのアメリカ滞在中(1892年~1895年)に作曲された。アメリカの黒人の音楽が故郷ボヘミアの音楽に似ていることに刺激を受け、「新世界から」故郷ボヘミアへ向けて作られた作品だと言われている。こうしたことから「アメリカの黒人やインディアンの民族音楽の旋律を多く主題に借りている」と解説されることがしばしばあり、後述するように既存のアメリカ民族音楽とこの曲の主題との間に類似性がみられるという指摘もある。しかし、ドヴォルザークは友人の指揮者オスカル・ネドバル宛ての書簡に「私がインディアンやアメリカの主題を使ったというのはナンセンスです。嘘です。私はただ、これらの国民的なアメリカの旋律の精神をもって書こうとしたのです」と記しており、既存の素材からの直接的な引用については明確に否定している。

初演は1893年12月16日、ニューヨークのカーネギー・ホールにて、アントン・ザイドル指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック協会管弦楽団による。初演は大成功だったと伝えられている。

楽譜は、初演前日の1893年12月15日に[要出典][2]ドイツのジムロック社から出版された。出版に際し、アメリカにいるドヴォルザークが校正を行うことは地理的距離のゆえに困難であったため、ブラームスをはじめとする在欧の校正者が代役を務めた。このことはすなわちドヴォルザーク本人のチェックを経ずに出版されたことを意味しており、結果として内容に多くの疑問点が残るものとなっている。このときにアメリカからドイツに送られ出版原稿として用いられた総譜の写しが行方不明のため参照できないことも相俟って、それらの疑問点をめぐるさまざまな論考や解釈が存在し、ドヴォルザークの真意がどのようなものであったかについては議論が絶えない[3]。2022年現在、自筆総譜や初版楽譜など現存する各種の資料を比較検討し、解釈に反映した楽譜が複数出版されている。

 

【演奏の模様】


①ビゼー: 交響曲第1番 ハ長調

 これはビゼー17歳の作品とはとても思えない位完成度の高い作品でした。先ず耳当たりの良いメロディばかりで構成されています。管弦楽法もしっかりと構築されており、聞いていて如何程のふらつきも感じなません。安定構造物が、一楽章から四楽章まで逐次構築されていく様子はさながら、ローマ大賞を取ったビゼーがローマ滞在中に心に刻んだ、石造りのしっかりとしたローマ建築を再構築して行く様な感じを受けました。尤もこの曲は大賞受賞二年前に完成したものですが。

全四楽章構成。楽器編成 :二管編成弦楽五部12型(12-10-10-6-4)、思っていたほど大きな編成でなく小じんまりしていました。

第一楽章Allegro vivo

第二楽章Adagio

第三楽章Scherzo.Allegro vivace

第四楽章Allegro vivace 

 第一楽章冒頭、Fl.とコンマスの先導音でVn.アンサンブルが、瀟洒な旋律を奏で、Hrn.の合いの手と共に速い小刻みな調べを展開しました。早くもOb.旋律(注第2楽章で大活躍)が動き出し、Vn.アンサンブルは基本的に同様な旋律の変奏をPizzicatoを交えながら続けました。 Hrn.が響くと曲相が変わり、Vn.アンサンブルはPizzicatoを、奏するとルイージはVc.群に向き合い、盛んにVc.群を煽る様子、Vc.は四管編成の中で一番小さい6艇ですが、当初の責任は十分果たしていました。Cb.の低音ソロの響きが中々良かった。

 第二楽章では、何と言ってもOb.ソロが衆目の注意を浴びる番で、Ob.は綺麗な調べをゆっくりと立ち上がらせていました、特に弦のpizzi.にFl.の調べ、再度Hrn.とOb.の掛け合いでのOb.ソロ音は秀悦でした。後半で繰り返されるOb.ソロ旋律は、Ob.topとseond(=女性奏者、次曲ではEn-Hrn.を見事に演奏)が分け合って弦楽アンサンブルのpizzi.を包んでいくのが見事でした。何回も繰り返された分一番長い楽章となりました。

 三楽章では、弦楽アンサンブルと木管との掛け合いがきびきびと進み、続くVn.の高音域アンサンブルはとても美しい旋律でした。すぐにVn.アンサンは金管との掛け合いを経由して再度木管が合の手を入れ、Vc.の低音域での数音が何回か繰り返されると木管・金管がこれに応じて返答し、最後まで小刻みな旋律と流麗な旋律とが交互に演奏されたのですが、最後は、演奏中にぶっきら棒に曲が止められた様に終了しました。

 最終楽章は、とても速い旋律で、チョコチョコチョコチョコとVn.アンサンブルが急ぎ足で駆け抜け、何か運動系の映像のバック音楽としても使えるな等と考えながら聴いていました。最後の箇所なぞ何故かモーツァルトが頭に浮かんで来て、どこかルイージの響き、いや違います類似の響きを感じたからなのでしょうかね?

 聴き終わって、全体的に曲の稚拙さを感じる箇所も無いことはなかったのですが、曲全体の完成度に比べれば微々たるもの、初々しさも有り真直ぐというか純真な響きが感じられて、ビゼーの早熟性・天才性をかいま見た気がした曲でした。それをルイージ・ヘボウ管弦楽団は、生き生きと表現し、プログラムノートにある様にルイージの指揮は颯爽として最後まで振り抜かれました。

今日のプログラムは二曲だけです。一曲30分程で終わった処で20分の休憩となりました。

 

   《20分休憩》

 

後半は

②ドヴォルザーク: 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」です。

この曲は①よりもっと世間に知られた曲で、中には人口に膾炙した旋律も多々含まれています。

全四楽章構成。楽器編成の補充がありました、二管編成(Trmb.3 En.Hrn.1(Cl.持ち替え)、弦楽五部16型(16-14-14-8-10)その他若干の打楽器。

第一楽章 Adagio Allegro molt

第二楽章  Largo

第三楽章 Scherzo Molt・Vivache 

第四楽章 Allegro con fuoco

 この曲は作曲者が初めて米国に渡って、各地を見分する中で非常に新鮮に感じた経験、新感覚を覚えて感興を得たこと等を元手にして書かれた曲ですから、これまでのドヴォルザークに無い新たな側面が多く詰まっているのです。

第一楽章冒頭はVc.旋律でスタート、⇒Hrn.⇒Fl. Ob.へと穏やかに推移する中、突如、低音弦の調べがffでジャージャジャンとぶちかまし、Timp.がダダダーンと打ち下ろされました。数回繰り返された後⇒Vc.+Cb.のpp音⇒Fl.∔Ob.の合いの手が入り、続くも弓を弦に強く当て振り切る様な強いボウイング、管と弦の不穏な駆け引きの後は冒頭の低音弦の強奏が繰り返され、異国の雰囲気をこの様な強い表現にしたドヴォルザークの受けたカルチャーショックは強いものがあったのでしょう。全体を主導したのはリズミカルな激しい内容の雰囲気を有した曲達でした。Fl.のテーマソングにも異国情緒を感じます。

 次の二楽章はプログラムノートに依れば、この楽章の曲は、ロングフェローという人の叙事詩「ハイアワサの歌」の葬式の場面にインスピレーションを受けて書かれたそうなのですが、ロングフェローとは?ハイアワサの歌とは?その葬式とは?など、皆分からない事ばかりなので、そこからアウトプットされたドヴォルザークの曲、即ちこれは日本でもかなり有名な旋律、この旋律=新世界と理解されている曲から判断すると、現地(米国)の原住民の雰囲気は、葬式からもって、静かだけれど底明るい雰囲気の、人々のおおらかさが、伝わって来る様な気がしました。又これを演奏したOb.部門のセカンドの女性が、これまたEn-Hrn.の名手でした(Topの男性Ob,奏者もOb.の名手でした)心に伝わって来るしみじみしたそれでいて何か救われるような暖かさを感じる演奏でした。

 第三楽章は古典的な交響曲のスケルツオ様式を取っています。Fl.冒頭の強奏弦楽アンサンブルとTimp.の短い掛け合い、これはルイージの指揮も力が籠っていた。木管の音に寄り添うトライアングルの音が新鮮でした。

 終楽章は、突然低音旋律で弦楽がクレシンドするのは弩運中部で、その後のHrn.アンサンブルの調べはこれまた良く知られた旋律です。カッコいいですね。コンセルトヘボウのHrn.部門の四者とも、音は揃って溶け合い、十分な勇壮感を感ずる調べであり、Timp.が寄り添うことにより、一層その感が強まっていた。その旋律を引き継ぎ弦楽の強い斉奏も迫力充分でした。オケが一旦静まり、再度テーマがHrn.で流され、嵐の前の静かさをFl.奏が弦楽を牽引し急速に盛り上がる弦楽アンサンブルと全オケの全開強奏、この弱⇒強⇒弱⇒強の変化を何回か旋律を替えて経過後何回も各テーマソングが流され、全オケは一気に絶頂に上り詰め、堂々と終焉の咆哮をジャンジャラジャンジャラジャンジャラジャジャと叫び終えるのでした。

 割とすぐにタクトを降ろしたルイージ、会場からは万雷の拍手と歓声が上がりました。ルイージは歩く姿も指揮する姿もタクトを降ろすのもきびきびしていて清々しさを感じます。以前から仲々いい感じですよ。コンセルトヘボウを振れる位ですから、

メストの代わりにウィーンフィルだって振れる実力はあるかも知れない。ソヒエフになりましたけれど。暫くはN響を引っ張って、世界のN響に育てて欲しい気がします。

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今日の座席は、二階右サイドのかぶりつき、舞台上の奏者一人一人が良く見える席でした。ルイージは、気が利く指揮者ですね、全員を逆向きに整列させて、挨拶していました。それはそうでしょう、後方のチケットでも通常の国内オーケストラの3倍近くもする価格の座席ですから。

 客席からの大きな拍手と歓声に応えて、ルイージは指揮台に跳び乗り、すかさず。アンコールを指揮し出しました。

アンコール曲:チャイコフスキー歌劇『エフゲニー・オネーギン』よりポロネーズ

このオペラは来年1月下旬からオペラパレスで上演されるので楽しみです。 

 演奏が終わるとまたまた大きな拍手が沸き起こり、立ちあがりスタンディングオーベーションする人も多くいました。

 今日は文化の日に相応しい音楽会でした。