HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

関高・N響『ニルセン+シベリウス』を聴く

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【日時】2023.10.21. (土)14:00〜(休憩なし)

【会場】NHKホール

【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮】高関健

※当初予定のブロムシュテットが、来日出来なくなったため代わりに指揮します。

【曲目】
①ニールセン『アラジン組曲 作品34 』より「祝祭行進曲」「ヒンドゥーの踊り」「イスファハンの市場」「黒人の踊り」

 

(曲について)

『アラジン - 5幕のおとぎ話劇』(Aladdin - Dramatisk eventyr i fem akter, 作品番号34, FS 89, CNW 17)は、カール・ニールセンが作曲した劇付随音楽、および7曲の抜粋から成る管弦楽組曲。アダム・エーレンシュレーアー (Adam Gottlob Oehlenschläger) の同名戯曲の上演のため、コペンハーゲン王立劇場が委嘱した作品。

〈管弦楽組曲〉

 第1曲 祝祭行進曲
 第2曲 アラディンの夢と朝霧の踊り
 第3曲 ヒンズーの踊り
 第4曲 中国の踊り
 第5曲 イスファハンの市場
 第6曲 囚人の踊り
 第7曲 黒人の踊り

今回は抜粋して、第1曲、第3曲、第5曲、第7曲を演奏。

 

②シベリウス『交響曲 第2番 ニ長調 作品43』

(曲について)

 シベリウスはパトロンであるカルペラン男爵からの勧めにより、1901年に家族と共にイタリアのラパッロに旅に出ます。
そこでシベリウスは音楽的にも多くのことを学びます。極寒なフィンランドで生活していたシベリウスにとって、イタリア(ラパッロ)は南国のとても過ごしやすい場所でした。
 シベリウスはラパッロを「魔法がかった国」と表現し、彼の筆は快調に進んだと言われています。
その後ローマにも訪れ作曲を続け、イタリアの地で「交響曲第2番」の大部分は作曲されました。これらをフィンランドに帰り完成させたのですが、年末には再び改訂を行なっています。
 初期のシベリウスにはブルックナーのような改訂癖があり、改訂がおこなわれることは珍しくはありませんでした。

 

【演奏の模様】

 今日は天気にも恵まれ、ブロム翁に代わる関高さんへの期待も大きいのか、会場はほぼ満席に近い入りでした。団員が入場し、最後はコンマスの入場で一段と大きな拍手。マロさんの登場でした。先日テレビで放送していましたが、マロさんは学校訪問活動をしていて、生徒のリクエストにも気軽に応じて重奏していました。その他色んな活動をされていて、人気も抜群なのですね。最後に指揮者の関高さんが登壇し、すぐタクトを振り始めました。

 

①ニールセン『アラジン組曲 作品34 』

<楽器編成>
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、その他タンブリン、トライアングル、タムタム、小太鼓。シンバル、シロフォン、大太鼓、カスタネット、二管編成弦楽五部16型

 全7曲の組曲の内、奇数番号の4曲が演奏されました。リムスキー・コルサコフの『シエラザード』とはまた一風異なった、アラビアの雰囲気を醸し出すのに成功した曲だと思いました。

 第1曲から大太鼓、シンバル他の打楽器の音と共に、賑々しく曲は始まり、変化が少ない中間部を経て再び賑々しく、これを繰返す、「祝典行進曲」でした。通常の西洋音楽の行進曲とはテンポも趣きもかなり異なっていました。アラビアの雰囲気は余り感じなかった。

 次の『ヒンドゥーの踊り』は半音階の弦楽奏でゆったりと演奏され、確かに異国風味の香り紛々でしたがこれがインド風の曲かというとやや穏やか過ぎるかな?Belly Danceか nato dance ならばインド風味十分、相当動きが速い踊りです。

 『イスファハンの市場』はOb.とE.Hrn.のゆっくりした調べに、Hrn.が合いの手を入れる中、Tri.がかすかにバックを張り、日だまりの広場で店が賑わう人々の様を急激な弦楽奏と木管、金管でこれまた賑々しく表現、異国風(アラビア風)を醸し出していたと思いました。異なったグループ分けの競奏的演奏は明確には分かりませんでした。

『黒人の踊り』はいきなりTimp.の囃しに乗って弦楽及び管の速くて激しいリズミカルな旋律が流れ、Picc.がかん高く鳴らされていました。これはアフリカからの男奴隷がイスラムの広場で踊る故国の激しく回転する踊りなのでしょうか(そもそも付随音楽劇を見ないと分かりませんが)

 

②シベリウス『交響曲 第2番 ニ長調 作品43』

楽器編成は、打楽器はTimp.を残して減。Picc.持替え無し、Trmp.増。

全四楽章構成。  

第一楽章Allegretto 

第二楽章Tempo Andante,ma rubato-Andante Sostenuto

第三楽章Vivacissmo -Lento e suave-Attacca

第四楽章Finale.Allegaro Moderato-Moderato assai -Molto

 

 この曲は、今週18日(水)にマケラ指揮オスロフィルの演奏で聴いたばかりで、その時の様子が頭に浮かび、どうしても比較してしまいます。結論的に言えば、N響チームは、オスロチームに健闘するも、最終回逆転には及ばず惜敗、昨日の試合(演奏会)は見ていないので、一勝一敗なのか二敗なのかは、分かりません。 でも、今日の様子を見ると、ほんとに惜しかった、立上りのエンジンがかかるのが、やや遅かったか?冒頭のOb.ソロ音は良しとして、Hr.アンサンブルの厚みが感じられません。Ob.が健闘するもFl.の合いの手がやや弱かった。終盤の次第にtempoを速めるPizzicato奏の緊迫感は出ていました。

第2楽章のVc.のPizzicato奏もFg.の哀切が籠ったソロ音も、臨場感が十分強く心に伝わって来ました。Trmb.とTrmp.の咆哮は冴え渡り、Vn.アンサンブル、Va.アンサン.は高音は綺麗な調べを、低音箇所の力奏アンサンブルでも相当な音圧をもった調べを響かせているのですが、オスロフィルの時との大きな違いを考えると、弦奏者が曲を咀嚼・理解して表現する熱意の違いというか、情熱の差異、熱き魂の差異が感じられたのです。これは突き詰めて考えれば、生活環境・習慣の違い、換言すると人種の違いから生起する熱気が違うのでしょうか?演奏する情熱の差が感じられた。日本の冬も寒いですが、それに比較出来ない位の極寒の中に生活する北欧の人々の心の底に煮え滾る熱き血潮(ヴァイキングの血も騒ぐのかな?)が、まるで厚く氷に閉ざされた世界の深味から吹き上げるマグマの様にほとばしり出た、その音魂(おとだま)に圧倒された記憶が蘇るのです。

 それでもN響弦楽部門は三楽章、四楽章では大健闘したと思います。三楽章の冒頭の速いテンポのアンサンブルでも鋭さの有る切れの良さを見せましたし、間奏的なOb.のソロテーマ演奏(+Fl.奏)が誘導するテーマを繰返すアンサンブルは力強く堂々とし、さらに速くて急激な小刻みな弦楽アンサンブルになると飛ぶ鳥を射落とす勢いでした。

 そして再三Ob.のソロ演奏、これが又絶品ですね。どなたかは知りませんが、部門トップの女性奏者なのでしょう。ここばかりでなく、一楽章、二楽章でも音の良さのみならず、素晴らしい雰囲気を醸し出す演奏をしていました。相当な域に達したベテランと見ました。この辺りになるとうっとりとして聞いていた。

 引き続きアッタカで次楽章に繋いだ弦アンサンブルも素晴らしく盛り上がっていましたし、四楽章の最終場面のオケの全奏、強奏もこの辺りでは、大和魂の熱血漢の様相を帯びていて、肉食人種に迫る草食人種の感が有りました。

 最後に特記すべきは、Fg.群の地味ながら場面を弾き締めた好演、Vc.群のアンサンブルがいい響きを立て、弦楽奏の重しとして光っていたし、またこれは、マケラの記録にも書いたかも知れませんが、Timp.の大活躍、やはり本来第二(コンマスもいるから第三かな?)の指揮者とも言えるこの楽器のオーケストラのリズムを牽引する役割は、見ているだけでも気持ちよく、あれだけダンダンダン・・とバチを力一杯叩けば、将に音魂の発揮その物だと思いました。


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なお、今回の演奏会では本演奏の1時間弱前に、プレコンサートが行われ、N響メンバー4人(1Vn.青木調さん、2Vn.俣野賢仁さん、Va.坂口源太郎さん、Vc.山内俊輔さん)に依るカルテット曲の演奏が有りました。N響の中堅クラスの模様。曲目は、ニールセンの『弦楽四重奏曲4番』から第一楽章が演奏されました。初めて聴きました。ニールセンのこれまで聴いた事のある曲調・曲風ともやや異なる、それでもやはり北欧的な感じのする曲でした。

 

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(参考)マケラ演奏会(2023.10.18.)

  何回聴いてもこの曲の出来具合は上等だと思います。弦楽アンサンブルのややメランコリックな旋律は、決して暗くはなく、むしろお洒落な感じを受ける心地良い、格好いいもの。どの切り口で見てもいい旋律で出来ています。それを都響の優れた弦楽集団は如何無く発揮していたと思います。又弦に合の手を入れる管楽器の使い方もシベリウスの初期の作品では見事なもの、むしろ弦より管を主としているかの様です。二楽章前半の弦楽器のPizzicato 奏に Fg.(2)が随分長い時間、ソロ音で合いの手を鳴らし、続くOb.∔Cl.∔Hrn.の調べが、1Vn.アンサンブルに橋渡しをする箇所、或いは同楽章の最終部で、Timp.が連打すると、金管楽器がそれに応じて両者の応戦となり、(Vc.∔Va.)アンサンにVn.アンサンが加わり、Ob.とFl.の調べの合いの手が響く辺り、さらに続くVn.アンサンの切ない旋律に金管とFg.が合の手、そして金菅とTimp.と弦楽アンサンへと推移する箇所など、弦の響きをPizzicato奏で押さえ、管楽器の見せ場を作ったとしか思えません。大野都響はこの辺りのやり取りの呼吸は流石だと思いました。ただ願わくば最終楽章の最後の盛り上がりで、あの北欧の緑に囲まれたフィトンチッド溢れる澄んだ空気の渦巻きが、もっと体に滲み込んで来るような感覚を味わいたかった気もします。

第1楽章

 この最初の調べを何回聴いても連想するのは、やはり針葉樹林に囲まれた森ですね。針葉樹林帯といっても、下木には、背の低い広葉樹も生い茂っています。Vn.アンサンブルが木の葉のざわめきの様な背景音を立てて、木管楽器の調べにホルンが応じます。Hr.はかなり地味に鳴っています。5台でした。

 木管の不協的とも思える不思議な調べは、幻想的何かを暗示するかの様。

 終盤のVn.終盤部の弦楽斉奏の何と力強いことよ。

Fl.中心の木管の合の手旋律では、やはり小鳥たちの飛び回る森林風景を想起します。pizzicato奏では小鳥ばかりでなく、小動物たちの動きも感じます。最終部ではpizzicatoのテンポと出音をクレッシンドし、⇒オケ全奏強奏へと発展⇒テーマの再演で急速に終焉するのでした。

 マケラは昨年、日本での演奏を各地で行ったためなのか、はたまた特に東京藝術劇場では昨年パリ管弦楽団の指揮を経験しているためなのか、今日は大変会場慣れしたパフォーマンスの良さを発揮していた。

 

第2楽章

 冒頭Timp.連打音に触発された様にCb.のpizzicato奏。聞こえない位の弱音で。

一楽章が森の目覚めの全体風景だとしたら、2楽章は森のスポット的描写でしょう?何かが起きる予兆を感じます。旋律表現などのpizzicatoは続き、その上にFg.の低音奏があたかも何物かの登場を告げる様に重畳。そう、例えば深い森の泉のほとりにうずくまる「メリザンドか」?それとも春の祭典的な「乙女達の神秘な集い」か?pizzi.奏はVc.奏に拡散、相変わらずFg.は旋律を並べ、次第に音量を上げてクレッシエンドするとpizzi.奏も急激にテンポを速めHrn.の唸り等で何らかのエヴェント(事件)が発生した表現かの様。例えば前者であれば、利己的で強いゴローの登場とか、後者では生け贄連行・供与儀式とか?

 それが止む前半の終盤では、オケは穏やかな曲相に代わり、その調べを聴いていると、森に逃げ込んだペリザンドの厳しい身の上話を聞いたゴローが宥めて安心させる場面や、儀式を行った祭司たちの祭典の祈りを捧げる場面を妄想してしまいました。

 

第3楽章&4楽章

 のどかでしみじみとした牧歌的雰囲気にオーボエが印象的な演奏をした三楽章、その終盤でのオーボエによる再現される処はとても美しいものが有りました。そしてアッタカ的に入った四楽章では、弦楽器の力強い誘導にトランペットがいさましくに応じるテーマの演奏で開始、これがアンサンブルが上行する一部不協的響きも交えながら盛り上がった後、木管による経過的響きが次第に静かになり、低弦がうごめくような音型で伴奏する中、木管楽器が第2主題を互いに呼び交わして行き再度盛り上がりを見せ全管弦の強奏へと、そしてこれが発展して、金管が鳴り響き絶頂感を演出、終結部ではオーボエ、トランペットやトロンボーンが華やかに主題を応歌して全曲の幕を閉じました。

 この2番の交響曲は、シベリウスの会心の作ではないかと思います。アンサンブルの和声的な動きにも素朴な旋律が何と多く散りばめられているのでしょう。そうしたアンサンブルから抜き出して声楽曲への編曲も可能なのではないでしょうか。