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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

オスモ・ヴァンスカ/都響『シベリウス5,6,7番連続演奏会』を聴く

 フィンランドの名匠、オスモ・ヴァンスカが東京都交響楽団の定期演奏会に登場する。これまでにもくりかえし来日して名演を披露してくれたヴァンスカだが、両者の共演は今回が初めて。コロナ禍により二度にわたって公演がキャンセルになってしまったため、これが三度目の正直ということになる。 ヴァンスカの名が日本で広く知れわたったのはラハティ交響楽団との大躍進がきっかけだろう。フィンランドの地方オーケストラを国際的な水準へと引き上げると同時に、楽団のローカル色を生かしたシベリウスの演奏で一世を風靡した。以後、ヴァンスカは国際的に活躍の場を広げ、とりわけ2000年代よりミネソタ管弦楽団音楽監督に就任すると、このアメリカのオーケストラの一時代を築いた。同楽団で19年にもわたって音楽監督を務めたことは、いかにオーケストラからヴァンスカへの信頼が厚いかを物語っている。  今回、都響との初共演にあたって組まれたのは、シベリウスの交響曲第5番、同第6番、同第7番というプログラム。やはりヴァンスカといえば、なんといってもシベリウスだ。これぞファンがもっとも聴きたいプログラムではないだろうか。シベリウスの到達点ともいうべき後期交響曲集であり、また各曲それぞれに異なる性格を持った名曲でもある。ヒロイックで輝かしい第5番、清澄で詩情豊かな第6番、荘厳で内省的な第7番。そのすべてにおいて、ヴァンスカは都響とともにシベリウスの核心へと迫る。
文:飯尾洋一(ぶらあぼ2023年9月号より)

【日時】2023.10.30.(月)19:00~

【会場】東京文化会館大ホール

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】オスモ・ヴァンカス

       

   〈Profile〉

1953年2月生まれ、70歳。ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団クラリネット奏者であった。その後シベリウス・アカデミーヨルマ・パヌラに師事して指揮を学び、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、指揮者に転身した。シベリウス・アカデミーの指揮科の同級生にユッカ=ペッカ・サラステエサ=ペッカ・サロネンがいる。1985年にラハティ交響楽団の首席客演指揮者に就任、さらに1988年に同楽団の音楽監督に就任して以来、フィンランドの一地方オーケストラに過ぎなかった同楽団を世界的なオーケストラに育て上げた。ヴァンスカ&ラハティ響のコンビによる北欧音楽、特にシベリウスの演奏は、その独特の透明感溢れる響きから「フィンランドの風景を思い起こさせる」「北欧の空気そのまま」などと絶賛を博した。

ヴァンスカは、19年間ミネソタ響の音楽監督を務め、現在は桂冠指揮者。また、2020年~2022年、ソウル・フィルの音楽監督を歴任。すべての時代を網羅するレパートリーの魅力的な演奏、指揮台でのエネルギッシュな存在感、作品の民衆的で包括的な海外の様式は様々なオーケストラと長期間の関係を樹立させたカギとなっている。

今シーズンはバンベルク響、シカゴ響、ロサンゼルス・フィルヘルシンキ・フィル、イスラエル・フィル、ヒューストン響、モントリオール響、ピッツバーグ響等に再登壇。これまでに、クリーヴランド管、フィラデルフィア管、サンフランシスコ響、オランダ放送フィル、パリ管、アイスランド響、ベルリン・ドイツ響、ベルリン放送響、ロンドン・フィル等を客演指揮。都響、上海響、中国フィル、杭州フィル、香港フィル、台湾フィル等、アジアにも定期的に招聘されている。

 BISレーベルの著名なレコーディングアーティストであり、現在ミネソタ響とマーラー交響曲全集の録音が進行中。交響曲第5番の録音は2017年、グラミー賞にノミネートされた。ミネソタ響とは、ベートーヴェンとシベリウスの交響曲全集も録音、2014年に最優秀パフォーマンス賞オーケストラ部門でグラミー賞を受賞、その他、多数の賞にノミネートされた。2021年、ヴァンスカとミネソタ響はグラモフォンの「オーケストラ・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

 

【曲目】(曲について)は都響H.P.より引用

①シベリウス『交響曲第5番』

(曲について)

20世紀初頭に勃発した第1次世界大戦(1914~18)が、西洋音楽の歴史に与えた影響は計り知れない。多くの命が無残に失われたこの大戦は人類史上未曽有の悲劇であり、作曲家の創作活動に困難をもたらしただけでなく、精神的にも大きな打撃を与えたのである。すでに大戦前夜にはシェーンベルクやストラヴィンスキーが衝撃的な作品を発表してスキャンダルを巻き起こしていたが、非人道的な大戦の影響だろうか、戦後は従来の伝統を全面的に否定するような音楽、すなわち無調や実験主義的な音楽が時代の趨勢となっていく。
 フィンランドの作曲家ジャン・シベリウス(1865~1957)が交響曲第5番(1915/1916、1919改訂)に取り組んだのは、ちょうどその頃である。大戦中、シベリウスは海外への遠征ができなくなり、フィンランド国内に留まらざるを得なかった。経済的な問題を解決するため、心ならずもピアノやヴァイオリンの小品を数多く手掛けてもいる。大戦の影響でシベリウスは心身をすり減らし、第5番の創作にも様々な支障をきたしてしまう。
 シベリウスの生誕50年を祝して1915年に発表された第5番の初稿は、一応成功を収めている。しかし、ここからシベリウスのさらなる苦難の道程が始まる。初稿に不満足だったシベリウスは1年かけて作品に大幅な修正を加え、翌1916年に再演。ところがこの修正稿でも満足できずさらに手を加え、最終稿(現行版)が完成したのは大戦後の1919年であった。これら一連の作業で第5番のデザインは大きく変化していくが、特に注目されるのは初稿の4楽章構成が中間稿で3楽章へと修正されたこと、そして最終稿で曲全体がコンパクトに圧縮され、響きも力強く引き締まったことである。
 ヴァイタリティ溢れる第5番は、いわば生命の賛歌である。大戦で心を痛めたシベリウスは、苦難と悲嘆を自らの創作エネルギーへと転換させたのだろう。そこには音楽の伝統的な枠組みや、調性システムを否定するシニカルな姿勢など一切見られない。困難な時代を真正面から見つめつつ、朗然たる響きで聴き手の心に「大切な何か」を語り掛けようとする気概に満ちている。

 第1楽章 テンポ・モルト・モデラート~アレグロ・モデラート 初稿では分離していた冒頭楽章とスケルツォを一つに融合させた独自の構成を取る。冒頭ホルンの印象的な楽想が様々に変化しながら楽章全体の骨格を形成し、曲全体に統一感を与えている。中庸なテンポの楽章前半はソナタ形式の様相を呈しているが、ホルンの楽想の力強い再現を境に、後半はスケルツォ風の曲調へと変わる。
 第2楽章 アンダンテ・モッソ、クアジ・アレグレット 管楽器の柔らかい伴奏を背景に、弦楽器のピッツィカートとフルートがト長調の静穏な主題を奏でる。この主題が少しずつ姿を変えてゆき、牧歌的な雰囲気を形成していく愛らしい変奏曲。
 第3楽章 アレグロ・モルト A-B-A’-B’の構成の力強いフィナーレ。A部分は弦楽器による無窮動風の動き、B部分は振り子を思わせるホルンの音型に木管とチェロが伸びやかな旋律を重ねる形を取る。最後はエネルギッシュに高揚し、強烈な6つの和音の連打で決然と終結する。
(神部 智)

 

②シベリウス『交響曲第6番』

(曲について)

シベリウスが交響曲第6番(1923)の楽想を最初にスケッチしたのは、1914年秋である。1914年といえば、ノーフォーク音楽祭に招かれたシベリウスが生涯唯一のアメリカ公演を成功させた年であり、第1次世界大戦(1914~18)の勃発で経済的困窮に陥りながら、第5番の作曲を精力的に始めた時期でもあった。創作意欲に溢れていた当時のシベリウスのスケッチ帳には、数多くの楽想が雑然と書き綴られている。
 興味深いことに、その中には後期創作期の大作、すなわち交響曲第5番から第7番、交響詩《タピオラ》(1926)までの楽想を全て見出すことができる。50歳を迎えようとしていた円熟期のシベリウスを大いに悩ませたのは、インスピレーションに満ちたそれらの楽想を大規模な作品にどのように配分するか、という問題であった。
 交響曲第5番の度重なる改訂からもうかがえるように、その最初の試みは大変な難産であった。第5番の複雑な形式構成(特に冒頭楽章とスケルツォ楽章の融合)には、シベリウスの苦難の足跡が明確に刻まれている。しかしその壮大で英雄的な音楽は、当時の作曲者の確固とした信念、自信の表れともいえるだろう。そして第5番(最終稿)の完成から4年後、一つの大きなハードルを越えたシベリウスが新たに発表したのは、前作と全く異なる性格の交響曲であった。それが第6番である。
 シベリウスの交響曲第6番はきわめて清澄な音楽であり、北欧フィンランドの涼風のようにさわやかで透明な響きに満ちている。作曲者自身、「他の多くの現代作曲家が色鮮やかなカクテルの制作に夢中な一方、私は聴き手に一杯の清らかな水を提供するのだ」と皮肉交じりに述べたという。シベリウスが作品の完成度に強い自信をにじませ、その歴史的意義さえ冷静に認識していたことをうかがわせる興味深い言葉である。確かにコンパクトな第6番は、モーツァルト張りの軽やかな印象とは対照的に、数々の斬新な工夫が施されている。とりわけ交響曲全体にアルカイック(古風)なドリア旋法(教会旋法の一つ)のシステムを取り入れたことで、これまでの調性音楽の枠組みを大胆に乗り越えようとしている点は特筆に値する。
 交響曲第6番は伝統的な4楽章制が採られている。しかしシベリウスによると、「(第6番の各楽章は)形式的にまったく自由である。それらは、いずれも慣習的なソナタ形式の図式にしたがっていない」という。ソナタ形式やロンド形式に代表される従来の構成では、いくつかの対照的な調域の配置(たとえばハ長調とト長調、ニ短調とヘ長調など)とそのコントラストを主軸に、メリハリある展開を行うのが一般的であった。しかし第6番の発想は上記と根本的に異なり、ドリア旋法が大胆に応用されたことで、明確な調的コントラストの形成と慣習的な形式デザインの踏襲が退けられている。その結果、交響曲全体が光と影の織りなす幻想的な風景画のような趣きをたたえることになったのである。初期創作期の大作《クレルヴォ》(1892)以降、シベリウスはさまざまな旋法を巧みに用いて、時空を超えた「遥かな響き」を生み出そうとしてきたが、第6番はその集大成といってよい。

 第1楽章 アレグロ・モルト・モデラート 清々しいポリフォニック(多声的)な書法が特徴で、曲の冒頭に現れる弦楽器の下降音型、それに続く木管楽器の断片的な楽想にもとづいて自由に展開していく。冒頭の素材は全楽章を有機的に統一する役割を担い、曲の節々で「かすがい」のように姿を現す。
 第2楽章 アレグレット・モデラート 簡素な室内楽のように淡い、緩徐楽章風の音楽。楽章の後半(ポーコ・コン・モート)は弦楽器による木々のざわめきのような伴奏形に変わり、木管楽器が鳥のさえずりを思わせる短いフレーズを印象的に奏でる。
 第3楽章 ポーコ・ヴィヴァーチェ 付点リズムによる勇壮な曲調に彩られたスケルツォ風の楽章。「タッタ、タッタ」という付点リズムが途絶える合間に奏でられるヴァイオリンと木管楽器の流麗な旋律が、曲にしなやかなアクセントを与えている。
 第4楽章 アレグロ・モルト これまで登場した楽想がさまざまに姿を変えて結び付き、緻密に進行してゆく。やがて大きな盛り上がりを見せるが、曲の結尾(ドッピオ・ピュ・レント=2倍の遅さで)ではあらゆる現実的な想念を超越し、遥かなる世界を憧憬するかのように暖かく、そして静かに幕が下ろされる。
(神部 智)

 

③シベリウス『交響曲第7番』

(曲について)

シベリウスの交響曲第7番(1924)は、彼の番号付き交響曲の最後を飾る傑作である。この孤高の交響曲には、シベリウスがこれまでシンフォニストとして追求してきたあらゆる表現手法や作曲技法、交響的形式に対する考え方が鮮明に表れている。その意味で、第7番はシベリウスの音楽創作の総決算、あるいは究極の到達点といってよいだろう。
 シベリウスが交響曲第7番の構想に初めて触れたのは、1917年12月18日の日記である。日記によると第7番は当初、3楽章構成の長大な交響曲となるはずであった。ところがその後の作品のスケッチを見ると、興味深いことに1920年代初頭の段階で第7番は3楽章制ではなく、より大規模な4楽章制でデザインされた痕跡が認められる。
 さらに試行錯誤は続き、1923年2月の交響曲第6番の初演後、シベリウスは熟考の末に第7番のデザインを再び見直すことにする。そして4楽章構成の中の緩徐な第2楽章を全体から切り離し、同作品(同楽章)単独の内に第1および第4楽章の素材の一部を導入することで、アダージョを下地とした単一楽章形式ではあるが、他楽章の要素も精妙に取り入れた音楽へと交響曲全体の構成を変えてしまうのである。このように計画を何度も練り直したシベリウスが、単一楽章による第7番の創作に専念したのは、1923年夏から24年初頭までのおよそ10ヵ月間であった。
 作品のタイトルに関する逡巡も特筆に値する。交響曲第7番は初演時、交響曲ではなく《交響的幻想曲》という名称が与えられた。長期にわたり交響曲として筆を進めてきたにもかかわらず、創作の最終局面で作品が《交響的幻想曲》に変更された理由については不明である。おそらくシベリウスは、独自の構成を持つ単一楽章の作品が従来の交響曲というジャンルの伝統を超越してしまった、と考えたのだろう。シベリウスが《交響的幻想曲》を番号付き交響曲の系列に取り入れる決心をしたのは、ようやく1925年2月の作品出版時であった。

 交響曲第7番は構成が独特であり、従来の交響曲にその類例を見出すことができない。演奏時間20分あまりの単一楽章形式が採られているが、シューマンの第4番のように交響曲の各楽章を順次つなげたデザインではなく、それぞれの部分が緻密に融合して明確な切れ目のない一つの全体を形成している。先述のように、シベリウスは最初から単一楽章形式を目指して第7番に取り組んだわけではない。また一連の創作プロセスに鑑みると、複数の楽章を合体して全体を構成しようとした痕跡も認められない。それでもなお、多くの聴き手が作品の内に交響曲の特徴を見出したとするならば、それは第7番が伝統的な交響曲の各楽章の要素や性格、たとえば緩徐楽章、スケルツォ、ロンド、フィナーレなどを巧みに内包しているからだろう。アダージョやアレグロ・モデラートからプレスト、ヴィヴァーチッシモに至るまで、自在に変化するテンポがその構成を支えている。しかも各部分の楽想同士がきわめて緊密に連関して堅固な構造体を形作っているため、幻想的な様相を呈しているものの、聴き手にまったく散漫な印象を与えない。
 一方、広々としたハ長調を土台にした全体の調設計も異例であり、調号の変化を伴う構造的転調はハ短調と変ホ長調のわずか2回に留まる。拍子に関しても、2分の3と4分の6の間を数回にわたり行き来するに過ぎない。作品が悠然たる大地にしっかりと根差した佇まいを見せているのはそのためだろう。ただし局所的な転調や和声の大胆な変化は随所に織り込まれており、その響きは雄大なハ長調の大地の上で神秘的にきらめくオーロラのようである。
(神部 智)

 

【演奏の模様】

 今日の連続演奏会は、ごく常識的な考え、作品完成・発表の順、即ち曲番号順に演奏されました。

①シベリウス『交響曲第5番』

<楽器編成>二管編成弦楽5部 16型(16-14-12-10-8)

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、

全三楽章構成。

第1楽章 Tempo molto moderato - Allegro moderato (ma poco a poco stretto) - Vivace molto - Presto - Più Presto

第2楽章 Andante mosso, quasi allegretto - Poco a poco stretto - Tranquillo - Poco a poco stretto - Ritenuto al tempo I 

第3楽章 Allegro molto - Misterioso - Un pochettino largamente - Largamente assai - Un pochettino stretto 

 

 全体的には、のびのびした雰囲気が漂う交響曲でした。第4番の作曲時期は、重い病いの恐怖に心も凍てつく樣な心理を奮い立たせていたものが、その後、手術が成功したシベリウスは元氣を取り戻しました。そうした中作曲された5番の交響曲は、喜びを反映していて、生誕50年をこの交響曲第5番を自ら指揮して心から祝うことができたのでした。

 第1楽章の冒頭、Timp.がかすかにテンポをとる中、Hrn.が響き、続いてFl.とOb.がしきりに鳥の鳴き声の様にさえずり、Vn.アンサンブルはざわめきの如き弱いトレモロを響かせ、途中から入った低音弦もトレモロ伴奏に徹し、森の木の葉や木々が風に騒めく様な調べを発出していました。この楽章最後の金管の軽妙な響きも良かった。

 第2楽章では木管楽器のテーマの調べに合わせて同リズムでVn.のpizzicato奏がスタート、Vc.及びVa.のpizzicato奏もそれに続きました。極普通の他の作曲家の曲の場合はpizzicatoは伴奏的ケースが多いのですが、シベリウスは、交響曲2番でもこの5番でも弦楽器に積極的なpizzicato奏をさせています。それが通常の古典的調やロマン派の雰囲気とは一種異なった北欧的空気を醸し出すのに寄与している要素の一つかと思いました。最後は短いOb.他木管の調べで終了、アッタカ的にすぐに次楽章のTimp.に移りました。

 2楽章の弦楽アンサンブルの滔々とした流れ、しかもpizzi.奏と弓法を交互に交えたVn.アンサンブルの流れは美しく、最後のシックなセンティメンタルな調べもとても美しいものでした。

 最終楽章は全般的に速いテンポの全楽全強奏が中心でしたが、やや平易に過ぎた感が有りました。メリハリをもっと付ければさらに聴きごたえがあったと思う。そこに割り入るHrn.の滔々とした旋律に加うるに木管奏さらにはTrmb.ほかの金管の調べが響きます。続くは管楽器に依る弦楽奏に倣った速い小刻みな旋律奏、いつの間にか弦楽アンサンブルが小刻みな動きをして寄り添っていました。この5番の終焉は、ジャン、空白 ジャン、空白 ジャン、空白 ジャン、空白 ジャン、ジャン と如何にも終焉らしいまずまずの終わり方でした。少し空白が長過ぎ、ジャンが短すぎの感は有りましたが。 演奏時間は30分強だったでしょうか。

 

 ここで早くも《20分の休憩》です。

 

 今日のホールはほぼ満杯かと思われる程の入りでした。当日券もほとんどが売れたみたい。休憩のホワイエもごった返していました。飲食物提供では長い行列、CD売り場の前も人だかり。どうして?と思う程の人気振りです。

 

②シベリウス『交響曲第6番』

<楽器編成>

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、ハープ、弦楽5部 型

全四楽章構成

第1楽章 Allegro molto moderato

第2楽章 Allegretto moderato - Poco con moto

第3楽章 Poco vivace

第4楽章 Allegro molto - Doppio piu lento

第一楽章の冒頭、Vn.アンサンブルの緩やかな流れが会場をすっぽり包み、夜はめっきり冷え込む上野の森のヒヤリとする空気を感じます(勿論会館内は適度な暖かさで観客たちを守ってはいるのですが)。Va.アンサンブルが低音部をしっかり支えていて、Vc.も出動、清澄な上部の流れを支えている。例えれば、夏山登山の山小屋で朝外に出て、日の出直前の冷気を吸いながら素晴らしい眺望を眺めるあの心地良い感覚が戻るかのような気持ち。山あいでの経験がないと決して分からない感覚でしょう。Fl.他の木管楽器(Ob.)の調べからも、まだ朝靄が少し残っている谷間の森林からのフィトンチッドを全身に浴びるイメージに駆り立てられます。

 Hrn.のひと声に森は動き始め、曲相は速いリズムの弦楽奏へと変わります。pizzicato奏、木管(Fl. Fg.)同志の掛け合いVn.アンサンとVa.アンサンの掛け合い、Vn.アンサンとVc.アンサンの掛け合い等が、速いテンポで進みました。森の全体像からスポットに視野は移され、妄想逞しくすると、小鳥たちが飛び交い、木の葉が騒めき、小川が流れ、生き生きと「森は生きている!」のでした。ヴァンカス・都響はこの辺りは見事に表現出来ていたと思う。

 Hrn.の調べと共に曲相は再度変化、高音弦はざわめきのアンサンブルを刻みVc.はpizzicato奏に、そして急激に高揚するとTimp.が強打四撃で押さえ、再度弦楽の流れが生き返るも少しアンサンブルが弱すぎたか、何かしり切れとんぼの様な終焉でした。カラヤンの録音なんか聞くと、最後の弦楽アンサンブルは相当なffで演奏されていました。

第二楽章は、Timp.のかすかな合図とともにFl.が静かにゆったりと吹き始め、Fg.やOb.も合わせています。そこにVn.アンサンが合の手を入れ、Va.アンサン、Vc.アンサンも入りフガート変遷やHrn.の合いの手等が続くのですが、何故かそのアンサンブルの和声的響きには、バッハのそれを想起する様なものを感じました。シベリウスはバッハの影響というかバッハの勉強・研究もしたのかな?後半のFl.の調べは将に小鳥の鳴き声でしょう、何の鳥かな?終盤は再度木々の騒めき奏、木管(Ob.1 Fl.)の合いの手も鳴き声でしょうか?この楽章も突然終了。この楽章の印象はVa.が相当な活躍の場を得ていたことでした。さらに印象的なのは、終盤のVn.アンサンが非常にかすかな音を立てて、他弦もpppかと思えるような弱音のアンサンブルで応じた箇所。各弦がフガートで次々と弱音演奏、ヴァンスカは体を折り曲げて、各弦楽部門毎の方を向き盛んに抑える仕草で、弱音アンサンブルの美しい調べを弾き出していました。

次楽章は、プログラムノートにある様な付点リズムの元気一杯といった感の弦楽アンサンで開始、管の合いの手もキレッキレの響きで思い切りよく鳴らして、勢いよくすぐに終了。非常に短い楽章でした。

ゲネラル・パウゼかと思えるくらい短い休止の後(アッタカではないという意味で)、すぐに次楽章がスタート、終楽章です。いきなりVn.アンサンが分厚いテーマソングを奏でて、Va.アンサンとVc.アンサンが下支えをしています(Cb.は休んでいる)。高・低アンサンブルの対比がかなりの効果を上げていたと思います。Fl.とVn.アンサン、低音弦アンサとンの掛け合いもゆったりとしたいい雰囲気、今日のFl.(2)は二人共良く息が合っていたし、トップの響きは特に良く管が鳴っている時の音でした。弦楽はかなり速いテンポに変わり、ここからの独特のリズムを繰返す弦楽奏は金管の応援も有り、何か現代のポップスで聴いた事のあるリズムです。Timp.の後追いの〆打音も非常に良い、ここだけでもシベリウスの独創性(多分、模倣ではないと思います)が分かるというものです。ジャジャージャ、ジャジャージャ、ジャンジャンジャンを上下行、楽器を替えて何回か強奏で繰り返すのは大変面白いくて愉快な気分になりました。特にアンサンの最後のキレがスカッとする位でした。このテーマは暫く続き、最終部の弦楽アンサンブル、特に高音Vn.アンサンの滔々とした流れが再現されて(このアンサンブルを嫌やに感じる人はいないと思います)、この楽章の終焉に至りますが、ヴァンスカ・都響は最後の終焉の調べが何かぶっきら棒というか唐突過ぎる終わり方でした。最後の弦楽旋律をもっと長引かせて尾を引く様にして終わらせたら良かったのにと思いました。

 演奏終了直後、指揮者が各パートを起立させて挨拶させ労った後(いや前だったかな?うろ覚え)、舞台左翼からオケの一人の奏者が大きな木管楽器、(チラッと見えた形だと多分バスクラリネット)を抱えて一人退席する姿が見えました。それがどの辺りで使われたかは不明です。

 

③シベリウス『交響曲第7番』

<楽器編成>

フルート2(第1&第2はピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽5部 

 交響曲としては珍しい単一楽章の構成を取っています。これは、最初から意図して交響曲として作曲されなかったことに依るらしいのですが、交響詩のような明確な標題を持たないため、交響曲に分類するのが妥当だとシベリウス自身も考えた様です。

単一楽章のため、以下に記す様に速度記号により分けて把握することが出来ます。

1.Adagio(序奏)・Vivacissimo – 2.Adagio –

3.Allegro molto moderato -

4. Allegro moderato –

5.Presto Adagio -7.Largamente molto 8.Affettuoso

 

 かすかなTimp.のリズムの上に堂々と冒頭からVa.アンサンが低音部上行旋律をAdajioで奏で始め、次いでVn.アンサンも参加、管群(Hrn.Fl.)の合いの手を包み込むように、弦楽奏は静かに落ち着いた旋律を広げます。ヴァンスカはやや速目の誘導か?けだるさまで感じる調べはシベリウスが冬の情景を頭に描いていたからではと想像してしまいます。Vn.が一息つく間、Va.アンサンにVc.アンサンが寄り添いシックな旋律を繰り返し展開していく箇所は、この曲の最初に耳目を集めるところでしょう。自分としてもこうしたアンサンブルの流れは好きですね。(自分の好みを記して申し訳ないですが。でも音楽を聴いてあれこれ感じるのは、突き詰めれば、大抵の場合自分の好みでしかない場合がほとんどでは?それでいいのだと思いますよ。)結構長い流れ、半分近くの演奏時間が費やされました。Hrn.の合いの手もしっくり弦楽に無理なく溶け込みました。そう言えば、今日のHrn.群は4本(5本の場面も)ですが、皆安定したしっかりした揃い踏みをみせていました。特にトップに依るソロ演奏は立派なものでした。木管楽器と弦楽アンサンの掛け合いも見事、遅いテンポの長大な旋律に管が入る時、ややもするとタイミング的に違和感を覚えることが有りますが、今日のヴァンスカ・都響はそうしたことは毫も無かった。矢張り最終曲の演奏で、初めての指揮者とのコンビが、ぴったりと板について息が合う様になって来たと思われます。

 Vivacissimoの速いテンポ前後になると、曲相はせわしない弦楽奏にpizzicato.奏も混じり、それらと管楽器(Fl.、Fg.、Cl.)の入れ代わり立ち代わりの掛け合いが目まぐるしく変わました。それらは落ち付きない不安感を煽りますが、すぐに止んで、再び金管群によりadagioの旋律が再現されたのです。特にTrmb.のファンファーレは、強さも荘厳さもHrn.群、Trmp.群より迫力が有り説得力も有りました。その後短い速いパッセッジが続き、旋律としては耳に親和性の高い響きが多く、Allegro moderato –でのVn.アンサンブルが高音の一音だけ出し続けるのも全体の流れのアクセントとなり、こうした様々なシベリウスの技巧的試みが詰まった短くとも内容豊富な7番の交響曲でした。指揮も演奏も仲々BRAVO!昔は終焉となると結構ブラボーと叫んだものですが、コロナ禍以降、文字で表現した紙や布のBRAVO(中にはうちわを高く掲示する物も有りましたっけ)が何年も続く間にそうした週間というか癖は無くなりました。ただ大きく強く両手で叩くだけです。拍手と言えば、今回は、最初の5番の演奏後が一番大きな拍手で歓声も随分飛んでいました。6番と7番の時は演奏の出来不出来よりも、曲の終焉の様子により大分影響されたのではないでしょうか?即ち5番はそれなりに盛り上がった後の全楽全奏で形的にも如何にもオケを閉じる形だったのに対し、6番も7番も静かな旋律で、しかもややぶっきら棒な終焉(終演)だったことで観衆も盛り上がりに欠けたのではなかろうかと思います。自分としては5番も6番も7番もその良かったこと素晴らしかった点だけ頭に残っていて、どれがどうのこうの言うつもりは全くありません。自分の好みを言っても仕方ないので。滅多にない三曲連続演奏を聴けていい経験思い出となりました Merci beaucoup!!


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