【日時】2023.11.16.(木)19:00~
【会場】サントリーホール
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】ユッカ・ペッカ・サラステ
【独奏】ペッカ・クーシスト(Vn.)
【曲目】
①シベリウス:交響詩『タピオラ』 Op. 112
(曲について)
『タピオラ』作品112は、ジャン・シベリウスが1925年に完成した交響詩である。作曲は、交響曲第6番・交響曲第7番とほぼ同時期に進められた。初演は 1926年12月26日、ニューヨーク交響楽協会コンサートで、ウォルター・ダムロッシュの指揮による。 緻密な構成と完成度から、シベリウスの交響詩の最高傑作とされる。
②ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
(曲について)
1930年、ストラヴィンスキーが48歳の時に、ポーランド系アメリカ人のヴァイオリニスト、サミュエル・ドゥシュキンと出会った。当時ドゥシュキンはまだ有名な存在ではなかったが、彼はストラヴィンスキーにヴァイオリン協奏曲の作曲を依頼し、報酬も支払うと申し出て、さらにストラヴィンスキーへの協力を買って出たという。ストラヴィンスキーも彼を生得の才能を持ったヴァイオリニストとして賞賛しているが、彼の依頼に関しては当初、ヴァイオリンのための協奏曲を書くには楽器に関する広範な知識が必要であることを考慮したのか、あまり乗り気ではなかったという。
作曲は1931年の早春にニースにて着手され、全体は9月に完成した。なお第1楽章は3月末に完成し、第3楽章はグルノーブル近郊のイゼール県ヴォレップ(Voreppe)において、初演直前の9月に完了したという。作曲に当たってストラヴィンスキーはドゥシュキンやヒンデミットにも意見を求めており、ドゥシュキンは細部にいたるまで技巧上の注意点などを助言した。またヒンデミットからは常套的な指使いにとらわれず、それらに左右されない楽想を生み出せるのではないか、という助言を受け、作曲者の抱えていた疑問が解決し、元気づけられたという。
初演は1931年10月23日に、ベルリンの放送局でドゥシュキンとストラヴィンスキーの指揮、ベルリン放送交響楽団の演奏により世界初演(形式としては放送初演)が行なわれた。初演後、批評家からの反応は賛否相半ばだったが(「曲芸的である」等といった批判を受けている)、芸術家の間では高い評価を得た。
出版は1931年にショット社から。また協奏曲の手稿譜にはドゥシュキンに対する献辞が添えられ、彼に献呈されている。
③シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 Op. 39
(曲について)
シベリウスはこの第1番と番号が付けられた交響曲を作曲する前に、民族叙事詩『カレワラ』に基づき、独唱と合唱を伴うカンタータ風の『クレルヴォ交響曲』(1891〜92年)を作曲していた。『クレルヴォ交響曲』から本作が作曲されるまでの間に声楽を伴わない標題付きの交響曲が計画されたが放棄されている。すでに交響詩の分野では『フィンランディア』を初め、『エン・サガ』、『トゥオネラの白鳥』を含む『4つの伝説曲』など代表作となる傑作を創作していたシベリウスが、連作交響詩という枠組みを超え、純粋器楽による標題つき交響曲を計画したが、それを放棄したという点は興味深い。さらに、本作に着手する(1898年4月)直前の1898年3月にシベリウスはベルリンでベルリオーズの幻想交響曲を聴き、大きな感銘を受けたことを記している。そしてシベリウスは滞在先のベルリンで早速交響曲の作曲に着手したのだった。
この頃のシベリウスは酒におぼれ浪費癖をおぼえ、自堕落な生活を送っていたのだが、この作品の作曲当初は酒も葉巻も控え作曲に集中した。しかしそれも長続きはせず、酒に酔ったあげく乱闘騒ぎまで起こしている。5月にはフィンランドへ帰り、国内各地を移動しながら作曲を進め、1899年の初めに完成させた。この年の初演の後、1900年に作品は改訂されている。
初演は1899年4月26日にヘルシンキにて作曲者指揮により行われ、1902年にブライトコプフ・ウント・ヘルテルから出版された。
【演奏の模様】
①シベリウス:交響詩『タピオラ』Op.112
楽器編成二管編成弦楽五部14型(14-14-12-10-8)
フルート3(1はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、イングリッシュホルン1、クラリネット2、バスクラリネット1、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ1、
最初、比較的低音領域での弦楽アンサンブルが、各弦部門の掛け合いで暫く続き、管の合いの手が時々入りました。何れも斉奏部分が長い。サラテス・N響はVn.部門主導で続くのですが、時々低音弦部門の斉奏が効果的にずっしりと響き、全体を引き立てていました。管の中ではイングリッシュホルンの低いソロ音もまたこの曲の印象を弾き締め、対する対照的高音で応ずるFl.奏は半音階づつの下行音で非日常性を感じさせこれ等全体の響きは、何か特別な雰囲気の場面、例えば親に森の中に置き去りにされたヘンゼルとグレーテルが泣いていると突然お菓子の家が見えた様な、何かメルヘンチックな幻想を抱かせるような響きがあります。中盤においても低音弦アンサンブルとVn.アンサンブルの対比が幻想性を盛り上げます。全体としても特に耳触りの良い心地良い旋律奏は少なく、特に終盤では弦楽奏や管楽奏の唸りや叫びが満ちみち、ただ管と弦のバランスを非常に良く保って導いていたサラテスの全体像造りには流石と思いました。
②ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
楽器編成二管編成弦楽五部10型(10-6-6-4-4)
フルート2、ピッコロ1、オーボエ2、イングリッシュホルン1、クラリネット2、Esクラリネット1、ファゴット3、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ1,ティンパニ1、大太鼓
全三楽章構成
第一楽章 toccata
第二楽章 AriaI/AriaⅡ
第三楽章capriccio
ソロヴァイオリンのクーシストは最初から最後まで、オケに対する対抗心が全然無いのか、随分と力の入らない弱々しい音を立てて演奏していました。ストラビンスキーのこの曲を演ずるには、けた違いの力強さが求められます。オーケストラとの協奏は勿論の事、ソロ部、カデンツアの演奏でも何か食事前の空腹状態の様。従って全然つまらない音楽に聞こえてしまいました。この曲は後にバレエ化され、その曲の動き、リズムがストラビンスキーの本来性、バレエ音楽性を帯びているが故に、結構激しく踊りを舞うが如き躍動的な演奏が必要だったのにもかかわらず、オケ全奏、強奏の時など音が埋もれて全然聴こえない程弱かった。彼は余りこの曲を弾きこなして来なかったのでしょうか?いやそんなことは無いでしょう。そもそもこの演奏会は、コロナ禍で中止になったプログラムのリベンジ演奏会なのだから、相当張り切っていた筈です。そもそも、シベリウスを得意とする指揮者が選曲したのであれば、シベリウスのコンチェルトにしなかったのはなぜなのでしょうか? それであれば、今回のヴァイオリニストはシベリウスコンクールの覇者だったそうですから、もっと力が入った演奏をしてくれたでしょう。相当期待外れの演奏でした。
会場の歓呼に応えて、ソリストアンコールが有りました。
《アンコール曲》イロ・ハールラ(ペッカ・クーシスト編)『バルカローレ(舟歌)』
この演奏が素晴らしくて大変気に入りました。全体的に弱音主導の微妙なニュアンスの曲で、クーシストは、非常に変わった奏法により、音階枠を離れた連続変化音やハーモニックス音、変わった組合せ音の重音等難しい技術を駆使し、まるで能の幽玄の世界に誘われるような気分でした。クーシストの現在は、こうした弱音の世界の方が肌に合っているのかも知れません。
《20分の休憩》
今日の演奏会も売り切れ満席、トイレは長蛇の列でした。休み時間中にオーケストラは弦楽器、管楽器、打楽器などが補充された模様。
③シベリウス:交響曲第1番
楽器編成 三管編成 弦楽五部16型(16-14-12-10-8)
フルート2(1はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、ハープ
全三楽章構成
第1楽章Andante, ma non troppo - Allegro energico
第2楽章(前半)Andante (ma non troppo lento) - Un poco meno andante - Molto tranquillo
第2楽章(後半)Scherzo. Allegro - Trio. Lento (ma non troppo)
第3楽章Finale(Quasi una Fantasia). Andante - Allegro molto - Andante assai - Allegro molto come prima - Andante (ma non troppo)
結果的にサラステ・N響は第2楽章の前半を2楽章、同じ後半を3楽章に分けて最終楽章を4楽章として演奏しました。
この曲は間違いなくシベリウスの交響曲の中で、もっとも人気のある曲の一つでしょう。先ず旋律が非常に耳に心地良いものが多い。弦楽奏の厚み、幅を感じるところが大。Pizzicato奏の巧みな配置、などなど。先だって来日公演したマケラ・オスロフィルの演奏でも聞いてみたかった(その時は2番と5番でした)
第一楽章の冒頭からCl.の結構長いソロ音が奏でられると、次いでVn.アンサンブルのトレモロが激しく鳴らされました。それを合図に弦楽奏の一斉斉奏が、力強くテーマ奏を高々と強奏させるのです。先ずこの初っ端が恰好よく思います。Hrn.の合いの手も木管の合いの手も次第にせり上がる弦楽奏Timp.の強い誘導音も素晴らしい。Pizzicato奏の合いの手具合、木管のせり上がる箇処も金管の一斉ファンファーレも、この楽章全体が良く考え抜かれて配置された設計図を見る思いがします。終盤のテーマの再現や盛り上がりの誘導等、サラステの本領発揮といった処、N響もそれによく答えていました。最後のクレッシンドするオケ、すべて見事な曲を見事に表現されていました。
次楽章以降も特にVn,アンサンブルを中心とした進行具合は、ドラマティックなダイナミックさと繊細な心遣いとが共存する小気味良いバランスが伝わって来て、今日の演奏会はこの曲を持って良しとする結論が自分の気持ちの中で醸成されるのを感じながら聴いていました。
N響の演奏会は2000回記念定演まで年内にもう一回、演奏会のチケットが有りました。フェドセーエフ予定だったものです。病気で来日出来なくなったことは残念至極ですが、若い代役の指揮者に期待を持って聴きに行きましょう。
(1番参考)
1ティンパニのトレモロの上でクラリネットが寂しげな序奏主題を奏でる。突然第2ヴァイオリンが刻みを始め、Allegro energicoの主部に入ると、残りの弦楽器が第1主題を提示する。この主題はシベリウス特有の雄大な広がりを感じさせる。第1主題がおさまったところで、ハープの特徴的な伴奏を伴ったフルートの副主題の後、オーボエが第2主題を提示する。展開部は幻想的で交響曲と言うよりは交響詩を連想させる。型どおりの再現部の後、終結部は金管楽器の重々しい響きに続いてピツィカートで締めくくられる。
2変ホ長調、三部形式。第1主題は第1ヴァイオリンとチェロで演奏される穏やかなもの、第2主題はUn poco meno andante(幾分遅さを減じて)となり、ファゴットから木管楽器がフガート風に受け渡す。さらに副主題で盛り上がった後、中間部に入る。Molto tranquillo(とりわけ穏やかに)となり、ここではホルンが穏やかな主題を奏でる。この後副主題を巧みに使いながら盛り上がり最初の主題が回帰する
3ハ長調、ソナタ形式。スケルツォ主題はティンパニに導かれ、弦楽器、木管、ホルンが掛け合いながら提示する荒々しいものである。トリオ部分ではホルンが主体となり、伸びやかな牧歌を歌う。スケルツォが回帰すると、最初とは楽器の組み合わせや手順を変えて発展す
4ホ短調、序奏付きソナタ形式。「幻想風に」という指示通り、幻想曲や交響詩のような楽章である。Andanteの序奏では、第1楽章冒頭の序奏主題が弦楽器によりユニゾンで演奏される。Allegro moltoの主部ではクラリネットとファゴット、オーボエが不安げな第1主題を提示する。この主題が強さを増し、シンバルや大太鼓がアクセントをつけたところでヴァイオリンが下降音型で崩れ落ち、Andante assaiの第2主題がヴァイオリンのユニゾンで切々と歌われる。やがてAllegro moltoに戻って第1主題による展開部に入る。そのまま再現部に入り、第1主題を再現した後、再びAndanteとなり第2主題の再現が行われるが、曲はそのまま拡大を続けクライマックスを築き上げる。その後第1主題によるコーダとなり、急速に減衰し最後はピツィカートで曲を閉じる。