HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

上岡/ 読響『シベリウス、ニールセン』+ヴィルサラーゼ(Pf.)


【日時】2023.5.31.(水)19:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】読売日本交響楽団

【指揮】上岡敏之
【独奏】エリソ・ヴィルサラーゼ(Pf.)

  

<Profile>

1942年9月ジョージア生まれの80歳。著名な音楽教師であった祖母アナスターシヤ・ヴィルサラーゼよりピアノの指導を受けた後、トビリシ音楽院を卒業すると、さらにモスクワ音楽院に進みゲンリフ・ネイガウス他に学んだ。1966年にはロベルト・シューマン・コンクールで優勝、スヴャトスラフ・リヒテルと親交を結び、大きな影響を受けた。世界の主要なオーケストラと共演して演奏活動を続けている

 

【曲目】

①シベリウス:交響詩「エン・サガ」 作品9

(曲について)

 ジャン・シベリウスの最初の交響詩伝説』『ある伝説』とも訳される。1892年に作曲され、1902年に改訂されている。初版は作曲者自身の指揮のもと1893年2月16日ヘルシンキで初演され、改訂版は1902年11月3日ロベルト・カヤヌスの指揮でヘルシンキで初演された。

 クレルヴォ交響曲の成功を見たカヤヌスが新作の管弦楽曲を依頼したことが、作曲のきっかけとなった。もっとも、カヤヌスはフィンランドの民族情緒が盛り込まれたアンコール・ピースのつもりで依頼したのであるが、シベリウスが書き上げたものは演奏時間18~19分に及ぶ長大な交響詩となった(シベリウスの一連の交響詩のうちでもとりわけ長い)。

題名は、シベリウスの母語であったスウェーデン語で「ある伝説」の意味であり、北欧神話サーガのことを指すという説と、古い伝説全般を漠然と指すという説があるが、シベリウスは具体的にどのような物語に基づいたかは特定していない。またシベリウスの最初の成功作の一つでもあり、改訂版はヘンリー・ウッドトスカニーニ、らの得意のレパートリーとなった。

 

②シューマン『ピアノ協奏曲 イ短調 作品54』

(曲について)

1845年に完成された、シューマンの遺した唯一の完成されたピアノ協奏曲。これに先立つ 1841年、シューマンは後にピアノ協奏曲の第1楽章となる『ピアノと管弦楽のための幻想曲』を作曲した(初稿)。1845年にそれを改作し、間奏曲とフィナーレの2楽章を加えて曲として完成させた。この曲はシューマンの作曲した唯一のピアノ協奏曲となった。 曲は3楽章からなり、第2楽章と第3楽章の間は休みなしに演奏される。

1846年1月1日ライプツィヒ・ゲヴァントハウスシューマンの妻クララの独奏、献呈者フェルディナント・ヒラーの指揮で初演された。 ピアノ協奏曲 イ短調 作品54はシューマンが遺した唯一の完成したピアノ協奏曲となりましたが、妻クララの存在なくしては生まれなかった、まさにシューマンとクララの愛の結晶として誕生したものなのかも知れません。

 

③ニールセン『交響曲第5番 作品50』

(曲について)

ニールセンの作曲した6つの交響曲の5番目のものである。この作品は1922年1月15日に完成し、1922年1月24日にニールセン自身の指揮により初演された。ニールセンの6つの交響曲の中で副題のないのはこの作品を含めて2つだけであり、通常の4楽章の代わりに2つの楽章しかないのはこの作品だけである。

この作品は、第4番に比べて全く無駄がなく高い独創性と質量感を持ち、これはこの作品を古典派ロマン派の交響曲とは異なったものにしている。

 

【演奏の模様】

①シベリウス:交響詩「エン・サガ」

楽器構成では、弦楽五部をディヴィジで分奏させる手法や、多彩なテクスチュアの変化、弦楽の低音域への好みなど、後年の彼の手法が早くも垣間見えている。

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1、バスドラムトライアングルシンバル弦楽五部16型(16-14-10-8-8)

この曲はフルトベングラーが好んで演奏した曲と謂われます。自作のオペラに北欧の神話を取り入れたからという。弱いVn.アンサンブルのうねるトレモロ的音を背景に、管楽器(Hr.⇒Ob.⇒Fl.)が低音で鳴り響きます。重々しい響き。繰り返されると共にその音量は上がって行き、シャンシャンシャンとあたかも粉雪吹きすさぶ雪原を、トナカイ率いるソリの列が進んで行く様な幻想を抱かせる旋律です。暫くテーマが低音弦と管の図太い低音で繰り返されて、後半に入って少し経つと曲相が変わりました。ゆっくりとしたVn.(4)によるソロ音の後、Ob.ソロとFl.が旋律を重ね急激にテンポを上げて音量も上がって行きました。全オケの強奏に変わり金管(Hrn.他)でテーマの変奏が鳴り響きます。矢張り低音の響きがメイン。弦楽アンサンブルも強奏でテーマの変奏を繰り返し、pizzicato になると、Cb.は弓で弦を叩く様に荒々しくはじき、Vn群は非常に激しく弦をはじいていました。弦楽の低音背景音が僅かに聞こえる音量で続く中、続いてOb.のソロ音が鳴りそれが止むと今度はCl.が静かにテーマの変奏を独奏、これが仲々曲全体の〆となるのか高音に上り上がってもしみじみ感が漂いました。それを受けて最後に弦楽が極微音を立てて終了となりました。上岡さんは、時として背を丸め急に演奏楽器群に向かって表情険しく迫り、またある箇所では背を伸ばしてゆったりとタクトを奮っていました。昨年聴いた時より体調が随分回復している様です。

 この曲を初めて聴いた感想は、東ヨーロッパの作曲家とは言え、シベリウスの若かりし日の曲は、西洋音楽とは一風違った何か異国風(東洋風でなく北欧風なのでしょうか?)の異質な響きを持った曲であることが分かり、これはこれでユニークで希少価値の有る作風だと思いました。

 

②シューマン『ピアノ協奏曲 イ短調 作品54』

楽器編成はコンチェルトシフトされ、二管編成弦楽五部12型(12-10-8-6-6)

三楽章構成

1楽章Allegro affettuoso

2楽章間奏曲 (Intermezzo):Andantino grazioso

3楽章フィナーレ (Finale): Allegro vivace

 結論を先に記すしますと、これはもうピアノ演奏として最高の部類に入るものでした。言うことない巨匠その物の演奏。彼女はリヒテルか?ソロコフか?? このところ幾人かの有名ピアニストの演奏を続けて聴いていますが、若手ですと素晴らしく勢いのある瑞々しい覇気を感じるピアニストもいれば、中堅ですと手練れた熟練者の素晴らしい指使いの表現にも接しました。しかし今日のヴィルサラーゼは、何も考えず無心の境地から音を紡ぎ出している様です。今日はいつもの様にピアノ鍵盤が良く見える席だったので、指使いの一挙一動を観察出来ました。

 弾くときの手は比較的鍵盤の近くに平らかにして載せ、指を立てないで弾いていました。謂わば優しくその細くはない指で、鍵盤を撫でる様にして。それでいて不思議なことに、フィナーレの強奏部は、特段の力を入れていましたが、それ以外の箇所では、撫で指で十分な強い音が出ていたのです。 

 冒頭、オーケストラが力強い一音を奏でると、即ちイ短調属音のホ音の強奏に、ピアノが力強く叩きつけるように、付点のリズムを伴って、ドラマティックな下降和音を奏でました。第1主題はその後の木管の素朴な響きが印象的です。この切なく憂いを帯びた主題は、困難を乗り越えて結婚出来た、愛する妻クララの名前に因んだもので、シューマンのクララに対する深い愛情が伺い知れます。主題の根幹をなす「ド・シ・ラ・ラ」は、ドイツ語での音名が「C・H・A・A」、愛するクララのイタリア風の愛称『Chiarina(キアリーナ)』の文字から取ったものと考えられています。短い序奏を経て、オーボエが奏でる切なく憂いを帯びた第1主題は、一度聴いたら忘れることができないロマンティシズムに溢れ、この主題をため息を付くように独奏ピアノが静かになぞります。ヴィルサラーゼはそれを淡々と弾いていました。

 第1楽章はソナタ形式で書かれてはいるものの、元が単一楽章の『幻想曲』として作曲されたこともあり、比較的自由な書法で書かれていて、第2主題も第1主題の発展した形になっています。 

展開部では「Andante」となり、テンポを落とし、先ほどの主題が優しく幻想的に紡ぎ出されます。

静かにアルペジオ(分散和音)を奏でるピアノに、美しく絡むクラリネットの音色に安らぎが感じられました。

曲は一転して激しさを取り戻し、冒頭の序奏部が再び現れ、ピアノとオーケストラが掛け合いながら徐々に高揚していきます。

曲は再現部に入り、再び第1主題をオーボエとピアノがメランコリックに歌い上げます。再現部がひとしきり高揚すると、最後はピアノのカデンツァをはさんでコーダに突入、主題のモチーフとなる「C・H・A(ド・シ・ラ)」の音を木管楽器が軽快なリズムで反復する中、力強く第1楽章を終えました。

 ヴィルサラーゼはここまで随分と落ち着いた様子で、低音の強い音も高音の美しい響きも、体を微塵も揺らがすことなく、泰然自若として淡々と弾いていました。大物感に溢れている!!

第二楽章は短い間奏曲です。落ち着いた楽章。冒頭ではピアノによるA-B-C-Dのつぶやくような軽快な響きに木管が合の手を入れ、それが繰り返されました。前楽章主題のC-H-Aの音型は管楽器によって最後に短調と長調で現れ、循環形式によって表現されます。中間部のチェロの歌うようなアンサンブルにPf.がその後何回もゆったりと対話し、最後は音達は消え入るのでした。

 すかさず、アタッカ的に三楽章に入り、管の調べを合図にピアニストは静かに鍵盤をなぞり始めました。すぐにオケもPf.も強奏に入り付点リズムの軽快な旋律でその後何回もテーマを繰り返し、テンポも速くなり最後はヴィルサラーゼは、それ以前には無い位かなり指に力を入れている様子で、左手の打鍵の後は左手を上に上げる仕草も何回か見せ、終盤の最後の上行旋律を両手で一気に昇り詰めるとオケ共々、ジャン・ジャーンと終焉の音を立てたのでした。

 この演奏の間、指揮者は時々目くばせか何か合図をしたのか?拍子を取っていたのか?ピアニストの方を向き、またヴィルサラーゼも時々指揮者の方に目をやっていましたが、特に三楽章の終盤に入る直前では、彼女は上岡さんの方を見詰めながら暫く鍵盤を見ずに、両手で完璧な音を出していました。先日聴いた辻井さんもそうでしたが、ピアニストもその域に達すれば、鍵盤を見なくとも心の鍵盤で弾き続けることが出来るのですね。大したものです。   ヴィルサラーゼさんは御年80歳とは言え、衰えるどころか完璧に軽々とシューマンを弾きこなし、しかもこれだけ枯れた昇華させた音を発散させるには何千回、何万回と曲を弾きこなして初めて到達できる巨匠にのみ可能な演奏なのでしょう。モスクワ音楽院では、あのブーニンの祖父のネイガウス教授に師事し、リヒテル達とならんで学んだと言いますから、伝統的なラッシャンピアニズムを受け継いでいる将に生き字引の様なピアニストなのでしょう。素晴らしかった。

 

③ニールセン『交響曲第5番 作品50』

 配布されたプログラムノートによれば、ニールセンはたたき上げの素人音楽家からスタートし、努力でデンマーク音楽界を駆け上った、生真面目な作曲家の様です。先のシベリウスが、幼い頃から音楽教育を受け、ヘルシンキ音楽院に進みブゾーニの薫陶を受ける幸運も有り、ヴァイオリン演奏と共に作曲活動も開始し始めたのはいいのですが、またその後、ベルリンやウィーンで研鑽をしたのはとも角として、暴飲暴食や荒い金銭消費等や喉の癌などにより命を危険にさらした生き方とは大違いです。(ついでながらニールセンは67歳、シベリウスは91歳という違いは何なのでしょう?)

 交響曲5番はニールセン57歳の時の作品、彼にとっては晩年の曲と言って良いでしょう。又その曲の内容については賛否両論様々な論議がなされて来たようです。「闇と光、静と動、善と悪、夢と行動」と言った対立構図で語られることも多かった。ただ本人はこの曲の主題は「戦争交響曲」であると言ったらしい。

こうした予備知識と以前聴いたブロム翁の同じ5番の演奏を頭に浮かべながら聴くと、確かに彼のそれまでの人生のかなりの経験が詰まっているのでは、そうした深い響きが感じられると思いながら聴きました。

 楽器構成は増強され、三管編成弦楽五部16型、演奏時間は、約40分弱。

フルート3(うち1本はピッコロと持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、小太鼓、シンバル、タンブリン、トライアングル、チェレスタ、弦楽5部

二楽章構成です。

 第1楽章
 第2楽章

詳細は割愛しますが、実際に曲を聴いてみると、曲の纏まりはⅠ~Ⅳのブロックに分けられると思いました。その中で印象深かったところを一つ上げるとしたら、

 特に第Ⅱブロックの中の中盤以降、Cb.がボンボンととても効く箇所で、Vn.アンサンブルが中心として響き、Fl.も鳴らされ、Timp.(2)が区切りをつけて高鳴り、ゆっくり上行する場面と、それに続く全楽強奏に変わり、Hrn.が高鳴り響き、全楽器が全身全霊を傾けて演奏する姿、またそれを必死の形相で引っ張って行く上岡コンダクター、そこでOb.の上行伴奏音がアンサンブル底部をしっかり支える箇所、またその後Cl.のソロ音が、ゆっくりと哀愁を帯びて響き、バンダの小太鼓が遠隔音で迫り、最後Cl.のソロ音がVn.アンサンブルのユニゾーン上でついには消え入る様にかすかになって終わるまでの演奏は愁眉を開く演奏でした。

 演奏が終わって指揮者がタクトを降ろすまで数秒、このところ待ちきれずの観衆はいなくてフライング歓声は有りません。指揮者の手が動きだすと大きな拍手と歓声が沸き起こりました。上岡さんの人気の程が分かります。昨年の今頃は体調が絶不調だという事は観客席からも見て取れましたが、今は随分回復した様に見受けられました。そのせいもあってか今日の演奏は、将に鬼気迫るものが有りました。それが北欧の自然豊かな曲ののどかな穏やかさに強いインパクトを与える演奏でした。

 

 

 尚この曲は、2021年10月に、ブロム翁指揮N響の演奏で聴いているので、以下にその時の記録を参考まで、抜粋再掲しました。

 

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

2021.10.    HUKKATS Roc.『N響第1939回定期演奏会』(抜粋再掲)

 

①  《割愛》

②ニールセン『交響曲第5番 作品50』

③  《割愛》

 

 

 この曲を指揮するブロムシュテットのN響演奏は、初めて聴きました。ニールセンという作曲家の名前くらいは知っていましたが、これまで一度もその作品を聴く機会はなかった。作曲家とその作品に関するNET情報を調べたら概要は以下の通りでした。

カール・ニールセン(またはニ ル セ ン、ニルスン 、 Carl August Nielsen (1865年6月9日~1931年10月3日)は、デンマークの作曲家。デンマークでは最も有名な作曲家であり、同国を代表するに留まらず北欧の重要作曲家として知られている。                                                                              ニールセンは幅広い分野の曲を作曲しており、力強いリズム、旋律の豊かさと和声の活力、惜しみない管弦楽法には彼の個性が強く反映している。歌曲や聖歌、オペラやカンタータ、各種楽器の協奏曲、管弦楽曲、四重奏曲や五重奏曲をはじめとした室内楽、そして交響曲と多岐に渡って作曲した。                           交響曲は6つ作曲しており、それらには多くの共通点がある。全て演奏時間が30分強、オーケストレーションの要は金管楽器が握り 、どの作品も珍しい調性変化をみせ、それが劇的な緊張感を高めている。その中でも頻繁に演奏機会のある交響曲第5番(作品50 1921年-1922年)は二楽章構成で、秩序と混乱の間のもう一つの戦いが提示された。小太鼓奏者は拍子を無視してアドリブにより音楽を破壊するかの如く管弦楽に割り込む役割を課される。

②-1 

タラタラタラタラと弱い音で、VnのトレモロにFgの低い音が続き、時折音がクレセンドするもののすぐに戻り、あたかもすがすがしい夜明けの様な雰囲気を醸し出します。すると小太鼓とシンバルが鳴り出し小太鼓のリズムが何か行進を思わせるリズムで続きます。ブロム翁は小刻みだけれど、力のこもった振りで指揮しており、次第に手振りが大きくなっていきました。チェレスターの音が個性を出し、シンバルは効果的に合いの手を入れ、Fgが靄に包まれた北欧の森を連想させるような音を立て、タンバリンは小太鼓と相まって、Hrが混じる低音弦のアンサンブルがいつしか響く様になりました。雄大な山々の自然を見るが如き滔々とした流れです。映画音楽にでも使えそうな箇所です。次第にHrやFtが弦楽アンサンブルに攪乱要因の様に入り込み、断続的に小太鼓が警鐘を発するが如く鳴っています。一旦弦楽は静まり、Fgがかすかに音を立てた後、管弦がかなりの音量で速いテンポのアンサンブルを鳴り響かせ始めました。弦楽には不協的な響きはなく良く調和のとれた和声で進み、管アンサンブルは時折不協の響きを入れるが、多くは調和のとれたもので管に寄り添っています。列車がスピードを上げて走る様子を連想させる様な速い行進リズム、。再度弦アンサンブルは静かなメロディーを演奏、アンサンブルは次第に大きな音を立て管弦のフル演奏で大轟音アンサンブルに発展、最後Krと小太鼓が静かに引き取って一楽章終了です。大体30分の曲の半分15分位、ブロム翁はその間立ち尽くして、①のブラームスの時よりも、手振り、指使い、演奏番の奏者への向き合いを活発化して指揮していました。とても卒寿を超えているとは見えない若々しさです。

  尚、この演奏の中頃~後半にかけてふっと気が付いたことは、それまで、行進曲的リズムを打ち鳴らして、存在感を示していた小太鼓奏者が消えていたことです。暫くすると、会場の外から小太鼓の音が、遠くに響き、やはりバンダ演奏があったのだ、と思いました。この意味合いが何かは、定かではないですが、小太鼓の音の役割が終わったことを示しているのだと思います。

 

 ②-2 Timp.とHr.の契機から弦楽が大きな音を立ててスタート。Obが鳴る中、ブなロム翁を見ると、一層気合いが入っている様子で指揮しています。

低音弦と高音弦が綺麗な調べで掛け合い、テーマは、Vcへと引き継がれて、再度全弦⇒管⇒Hr.+Fg.+ Ft.と遁走して、繰り返され、最後、全弦の高音アンサンブルが、大きく響くと、これに全管が力一杯の吹奏で加わり、Timpがダッダッダッと打ち下ろされと、あの広い大ホールは、獅子奮迅のブロム翁の飼い虎が吠えに吠えまわり、聴衆を追い回すのでした。演奏が終わり静まり返ると、一瞬人々は息を止め、続いて怒濤の拍手の嵐が鳴り響きました。皆感激しているのか、立ち上がって、激しく手を叩いています。ブロム翁も楽団員も、全力を尽くした満足の表情をして挨拶している。ブロム翁は、活躍の多かった打、管、弦の順に挨拶させ、それぞれにも

大きな拍手が届けられていました。楽団員が退場した後も翁は最後まで残り、袖に消えた後も何回か再び現れ、聴衆のアプローズを受けていました。

 

 これは、滅多に聴けない演奏会でした。貴重な日本の歴史に残る名演奏だったと思います。ブラームスは勿論、ニールセンの5番は、ブロムシュテットさんがたっての希望だったという位あって、自信に満ちた素晴らしい演奏でした。