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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

今日は横浜開港記念日です

 今日6月2日(金)は横浜開港記念日です。1859年に横浜が開港して164年。
港に感謝し、賑わいのある様々な催しを実施し、市民と共に横浜の開港記念日を祝う、横浜開港祭ではステージやイベント、花火など見どごろが盛りだくさん!地元のグルメを楽しむフェアなどもありますよ。

「横浜開港月間」、新たな横浜の魅力を発見してみてください。

(横浜市社団)みなとみらい21実行委陰会

 

(歴史)1858年7月29日(安政5年6月19日)、日本アメリカ合衆国日米修好通商条約を締結した。当初はアメリカの独立記念日にあわせ7月4日を開港の期日としていたが、ロシアはきりのいい7月1日に変更。最終的にアメリカ、オランダ、ロシア、イギリスフランスの各国と締結した安政五カ国条約に基づき1859年安政6年)6月2日(新暦7月1日)に横浜港は開港した。この時、日本側は式典等は行われなかったが、アメリカ側は7月4日に祝賀行事を開いた。これは開港を祝したものか独立記念日を祝うものかははっきりしていない。1年後の1860年万延元年)6月1日から2日にかけ、洲干弁財天(関内弁天橋付近にあった神社)で、開港1周年を祝して着飾った男女が山車と手踊りで練り歩いた。これが開港記念日の始まり。

 この日は市内のほとんどの公立小・中学校等が休みとなり、多くの子供たちが市内の行事を見たり参加したり繰り出します。でも今年はコロナ禍がかなり収まって来て(現在感染者数はじわじわ増加しているのでまだまだ油断できませんが)これまで中止や延期で出来なかった行事もOKとなったにもかかわらず、天気が良く有りません。今朝からの横浜は風雨が強く線状降雨帯の出現も心配されています。皆期待していた「花火大会」は中止となり、記念パレードやあちこちの広場での展示、販売、イヴェントも出来ないでしょう。でも建物内の音楽会等の催しは予定通りで、14:00(終了予定16:00)からは、横浜みなとみらいホール で <記念式典>や<May J. の記念コンサート>がある模様です(希望者抽選当選者のみ入場可。外れでした。)。

 それにしてもこのところの曇りや雨模様の天気はどうしたことでしょう?将に梅雨の様相ですね。でも関東地方ではまだ梅雨入り宣言はなされていません。平年の「梅雨入り」は6月7日ころらしいのですが、暦の上の「二十四節気」に準ずる「雑節」のひとつである『入梅』は、歴書によれば❝夏至を中心として30~40日間を「梅雨」といいます❞とあり、今年の夏至が6月21日(水)なので、最長でその40÷2=20日前として6月1日(木、即ち昨日)には梅雨入りしたと考えても無理はないですね。平年と比べても早い梅雨入りです(気象庁には独自の梅雨入り基準があるのでしょうけれど)。5月6日の記事に、その日は24節気の「立夏」だということを記しましたが、その後、24節気の「小満=5月21日」については記す時間が取れませんでした。歴書では ❝小満は新暦5月21日頃で、陽気盛ん、山野の植物は花を散らして実を結び、他に苗を植える準備を始めるなど、万物がほぼ満足する季節と言えるでしょう❞と有ります。田植えの準備ですか。稲の苗床で苗を育て、田に水を張ったり、植え付け機械等の用意をするのでしょう、きっと。農業に携わったことが無いので詳細は分かりませんが。また暦には小満の日は「一粒万倍日」と書いてあります。「一粒万倍日」や「不成就日」「三隣亡」なども良く見かける言葉で、凡その意味は知っている人が多いと思います。❞宝くじ売り場では「今日は一粒万倍日です」等と、張り紙がしてありますが、あれはその日に100円くじを買うと、100万円になるのではなく、ほとんどの人が外れて、損害金額が将来に渡り100万円もにもなってしまう日だと言って、その日にはくじを絶対買わない人もいる様です。歴上これらの日は『選日』と言った括りに分類され、歴書によれば  ❝選日とは、古来からその日の吉凶を判断するための日柄で、例えば、この日は婚礼には吉の日だとか、この日に移転するのは凶であるとか、およそ人事百般にわたって、あらゆる角度からその日の吉凶を吟味したものといえる❞ とあります。これも以前書かなかったことですが、「小満」から五日目の5月26日(先週の金曜日)には「十方ぐれ入り」との記載が有りました。この『十方暮』も選日の一つで、余り聞きませんでしょうけれど、❝十方暮は、干支相克する日をいい、この日は五行思想からは凶日とされる。甲申(きのえさる)の日(=5月26日)から癸巳(みずのとみ)の日(=6月4日)までの10日間です。この期間中は曇りがちで、空一面に暗雲が立ち込め十方の気が塞がっていて何の相談箏もうまくいかない。この期間は労して功少なしの日、事起こして失敗損失を招く日❞として忌み嫌う風があります。ここで出て来る甲申(きのえさる)とか癸巳(みずのとみ)は日にちに五行、陰陽説を当て嵌めたもので、「きのえ」とは木の兄(え)の意味、また癸巳(みずのとみ)の「みずのと」とは水の弟(と)の意味で、五行思想の水金火木土の気に陰陽説の陰(と=弟)と陽(え=兄)を掛け合わせています。したがって5(行)×2(陰・陽)=10種類の分類が、そしてさらにそれに十二支(子丑寅卯辰巳馬羊申酉戌亥)を掛け合わせ、10×12=120の分類がそれぞれの日に割り振られているのです。これ等の陰陽十干の分類は十二支と掛け合わせ、日にちだけでなく年の分類にも古くから使われ、古代から中国王朝や朝鮮王朝(日本の古代でも)の歴史書では(西暦は当然無いですから、その代わりに)例えば、16 世紀、日本が朝鮮半島を侵略した文禄・慶長の役を中国歴史書には「壬辰丁酉」倭乱 の様な表現、またこれも超有名な事件で孫文らが清王朝に反旗を翻した「辛亥」革命など、李氏朝鮮の例では、幼い国王・端宗の叔父・首陽大君がニ大臣を殺害しクーデターで政権を 奪った事件を「癸酉(きゆう)」靖難(せいなん)と呼び、日本の例だと「壬申(じんしん)の乱」など。これ等が分かれば西暦とも紐づけが出来るのです。120年も区別付けられれば、大体最長寿命でも120歳がホモ・サピエンスの遺伝子に組み込まれ記載されている限界寿命だと謂われますから、「漢字二字〇△」で年を区別表現し、あッあの年だと分かるのです(当時の人は)。

 今年は癸卯(みずのと・う)の年です。120年前は一体どんな年だったのでしょう?(歴史年表によれば、ロシア軍が極東で南下、奉天等を占領下に於き、翌年には日露戦争が勃発したとありました。)

 

 

 

 

 

 

<参考>十干(じっかん)は以下の通り。

甲(こう:きのえ)、乙(おつ:きのと)、丙(へい:ひのえ)、丁(てい:ひのと)、戊(ぼ:つちのえ)、己(き:つちのと)、庚(こう:かのえ)、辛(しん:かのと)、壬(じん:みずのえ)、癸(き:みずのと)