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NNTTオペラ『サロメ』第3日目鑑賞

サロメ|公演記録|新国立劇場

【日時】2023.6.1.(水)19:00 ~

【会場】NNTTオペラパレス

【上演演目】R.シュトラウス『サロメ』全1幕(独語上演、日本語字幕)1時間40分(休憩なし)

【上演日】

5月27日、30日、6月1日、4日、

 

<演目について>

サロメ』(ドイツ語Salome)作品54は、リヒャルト・シュトラウス1903年から1905年にかけて作曲した1幕のオペラ(元々の記述はオペラではなく、「1幕の劇 Drama in einem Aufzuge」であるが、ドイツオペラはむしろオペラと明記してある作品の方が少数でもあり、通常は一括してオペラと呼ばれる)。台本はオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」をもとに、ヘートヴィヒ・ラハマン英語版が独訳したもの。サロメの物語はもともと『新約聖書』の挿話であるが、オスカー・ワイルドの戯曲になる頃には預言者の生首に少女が接吻するという世紀末芸術に変容している。シュトラウスが交響詩の作曲を通じて培った極彩色の管弦楽法により、濃厚な官能的表現が繰り広げられる。

シュトラウスは最初、アントン・リントナーの台本による作曲を考えていたが、原文をそのまま用いる方が良い

と判断し、原作の独訳を台本としている(原文の台詞を削除している箇所もある)。

前奏なしの4場構成となっていて、第4場の「サロメの踊り(7つのヴェールの踊り)」が著名で単独の演奏や録音も存在する。ただし、劇の流れからするとこの部分はやや浮いており、前後の緊張感あふれる音楽・歌唱を弛緩させているという評価(例えばアルマ・マーラーによる批判など)も少なからず存在する。この「欠陥」は次作の『エレクトラ』でほぼ克服されている。

さほど長い作品ではないが、表題役サロメは他の出演者に比べて比重がかなり大きく、ほとんど舞台上に居続けで歌うこととなる。また少女らしい初々しさと狂気じみた淫蕩さ、可憐なか細い声と強靭で大きな声といった、両立困難な演技表現が求められる。さらに前述した第4場の「サロメの踊り」の場面では、長いソロダンスを踊らなければならない(ただし、この踊りには代理のダンサーが立てられることもある)。これらのことから、サロメの表題役はドイツ・オペラきっての難役とも言われる。

 

【役柄】

〇サロメ:(ソプラノ) 〇ヘロディアス:(ソプラノ) 〇ヘロデ王:(テノール)

〇ヨハナーン:(バスバリトン)〇ナラボート(テノール 〇ディアの小姓(メゾソプラノ)

〇兵士1(バリトン)〇兵士2(バス)〇ナザレ人1(バリトン)〇ナザレ人2(テノール)

〇カッパドキア人(バリトン)〇ユダヤ人1(テノール)〇ユダヤ人2(テノール)


〇ユダヤ人3(テノール)〇ユダヤ人4(テノール)〇ユダヤ人5(バスバリトン)

 

〇奴隷(ソプラノ)

 

【美術・衣裳】ヨルク・ツィンマーマン

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【指揮】コンスタンティン・トリンクス

 

【演出】アウグスト・エファーディング

 

 

【キャスト】

【サロメ】アレックス・ペンダ

【ヘロデ】イアン・ストーレイ

【ヘロディアス】ジェニファー・ラーモア

【ヨハナーン】トマス・トマソン

【ナラボート】鈴木 准

【ヘロディアスの小姓】加納悦子

【5人のユダヤ人1】与儀 巧

【5人のユダヤ人2】青地英幸

【5人のユダヤ人3】加茂下 稔

【5人のユダヤ人4】糸賀修平

【5人のユダヤ人5】畠山 茂

【2人のナザレ人1】北川辰彦

【2人のナザレ人2】秋谷直之

【2人の兵士1】金子慧一

【2人の兵士2】大塚博章

【カッパドキア人】大久保光哉

【奴隷】花房英里子

 

サロメ アレックス・ベンダ

 

ヘロデ イアン・ストーレイ


ヘロディアス ジェニファー・ラーモア


ヨハナーン トマス・トマソン

 

【粗筋】

紀元30年ごろ、ガリラヤ湖に面したヘロデの宮殿の大テラス。シリア人の衛兵隊長ナラボートは、宮殿で開かれている宴を覗き見し、サロメの美しさに心を奪われるものの、ナラボートをひそかに慕うヘロディアス小姓にたしなめられる。そこへ救世主の到来を告げる重々しい声。兵士たちによればそれは地下の空の古井戸に幽閉されている預言者ヨカナーンの声だとのこと。

そこへサロメが現れる。彼女は義父であるヘロデが自分に投げかける、情欲むき出しの視線に耐えかね、宴席を抜け出してきたのだったが、聞こえてくる声に興味を示し、ナラボートが自分に好意を抱いていることにつけこんで、ヨカナーンをここへ連れて来いという。兵士たちはヨカナーンに接触することを禁じられていたため、はじめはそれに応じないが、サロメはナラボートに媚を売り、古井戸から連れ出させる。現れたヨカナーンに圧倒されるサロメ。ヨカナーンは彼女には見向きもせず、サロメの母ヘロディアスの淫行を非難するが、サロメはなおも彼に近付こうとする。憧れのサロメの、あまりに軽薄な態度に落胆したナラボートは自決を遂げてしまう。ヨカナーンはサロメをたしなめつつ自ら古井戸に戻る。

やがてサロメを探してヘロデがヘロディアスや家臣たちとともに姿を現す。彼らはナラボートの死体から流れ出た血で足を滑らせたため、ヘロデはナラボートが自決したことを知る。不気味な前兆におびえながらも、ヘロデはサロメを自分の側に呼び寄せ、関心を惹くべく酒や果物を勧めるが、サロメはまったく興味を示さず、ヘロディアスも娘を王に近づけまいとする。

そこへヘロデ夫妻の行状を非難するヨカナーンの声。ヘロディアスは激怒し、彼を黙らせるか、ユダヤ人たちに引き渡してしまえ、と叫び、ユダヤ人とナザレ人たちは言い争いを始める。ヨカナーンの声はなおも響いてくるので、心を乱されたヘロデは気分直しにサロメに舞を所望する。サロメははじめはそれに応じようとしないが、ヘロデが褒美は何でもほしいものを与える、と持ちかけたため、サロメは裸身に7枚の薄いヴェールを身につけて踊り始める。官能的な舞が進むにつれ、ヴェールを一枚ずつ脱ぎ捨ててゆくサロメ。ヘロデは強く興奮し、やがて舞を終えたサロメに何が欲しいかと尋ねる。

サロメの答えは銀の大皿に載せたヨカナーンの生首。さすがに狼狽したヘロデは代わりのものとして宝石や白いクジャク、果ては自分の所領の半分ではどうか、と提案するものの、サロメは頑として合意しない。ヘロデはとうとう根負けし、ヘロディアスが彼の指から死の指輪を抜き取って首切り役人に渡す。役人は古井戸の中へ入ってゆき、サロメはその近くで耳を澄ましている。不気味な静寂だけが続き、サロメが苛立ちを募らせていると、騒々しい大音響が響き、首切り役人が銀の大皿に乗せたヨカナーンの生首を持って現れる。サロメは狂喜してそれを掴むと、お前は私にくちづけさせてはくれなかった、だから今こうして私が、と長いモノローグを歌った後、恍惚としてヨカナーンの生首にくちづけする。そのさまに慄然としたヘロデはサロメを殺せと兵士たちに命じ、サロメは彼らの楯に押しつぶされて死ぬ。

 

【上演の模様】

今回のサロメ役はアレクサンドリーナ・ベンダチャンスカ。かなりの舞台経験のある歌手の模様。確かに細身ですが、歌唱力の実力は相当あるとみました。しかしどうしても昨年ミューザでサロメを歌ったグレゴリアンのことを思い出してしまいます。ベンダチャンスカは初めから中盤にかけては、声量と迫力が物足りなく素晴らしいという程のものではなかった。サロメは、ヨナハーンに一目惚れしたのか性倒錯したのか、配下のナラボートに、預言者ヨハナーンを井戸牢から出してほしいとしつこく迫るのです。

SALOME Wie abgezehrt er ist!Er ist wie ein Bildnis aus   Elfenbein.Gewiss ist er keusch wie der Mond.Sein Fleisch muss sehr kühl sein,
kühl wie Elfenbein.Ich möchte ihn näher beseh'n「サロメ まあ、何とあの人の痩せている事。丁度象牙細工の細かい人形のようだ。あの男の清い事は、まるで空にある月のよう。あの男の肌はさぞ冷たかろう。象牙のように冷たかろう。わたしはあの男をもっと傍に寄って見てやりたい。」❞

そして、ヨナハーンがお前は誰だ?と質問すると「私はサロメ。妃ヘロディアスの娘、ユダヤの王女」と答えるのです。❝ヘロデ王の娘❞とは答えないのですね。あくまで王は母の再婚相手、自分は連れ子だからでしょうか?母にそっくりかそれ以上の異常な性格のサロメですから。母に似たのでしょう。この辺りに来るとベンダチャンスカは喉が大分滑らかになって来たのか、サロメの歌はかなり迫真に迫ってきました。声も出て来た。ヨナハーンに拒絶されても、サロメはうっとりしながらヨナハーンの『声』が音楽のように聞こえる、ヨハナーンの『肌の白さ』に触れたい。ヨハナーンの『黒い髪』に触りたい。ヨハナーンの『赤い口』にキスしたい、と何回拒絶されても、魅力を並べ立ててヨハナーンに迫るのでした。最後は「SALOME Lass mich deinen Mund küssen, Jochanaan!!」の一点張り、この点一つに妄執するサロメでした。この妄執がその後のサロメの行動の原動力になるのです。
 この場面は前半の大きな山場、見どころでした。

 もう一か所見どころを上げれば、

最後近くなってから(4場)、ヨナハーンの首を所望して手に入れ、

「Ah! Du wolltest mich nicht deinen Mund küssen lassen (私に口づけさせようとはしなかった!」

と叫ぶように歌う狂気のサロメの歌唱は、通常絶叫調になるのですが、ここではベンダチャンスカは相当に強いソプラノでオケにも負けない声で会場に歌声を響かせました。これが歌えればまずまずでしょう。

 以上の二か所以外では、第3場でヘロディ王がサロメに気を持たせ誘う台詞で歌う場面、続くサロメが王の歓心を得るため、エロティックなダンスを踊る場面があります。しかしヘロデ王役のイアン・ストーレは、サロメが褒美として「ヨナハーンの首が欲しい」と言うのに驚きたじろぎ、褒美として首でなく「瑠璃をやる」「白い孔雀をやる」「真珠、黄玉、赤い石、緑の石、蛋白石、衰微投石、緑柱石、緑玉髄、玉髄、水晶、トルコ石、等全部呉れる」と言って歌う箇所はもっともっと切実に困った風をにじみ出る歌唱が欲しかったと思います。テノールの声に張りが足りないのでは?

 一方サロメが首欲しさにヘロデ王の求める踊りを承諾して踊る場面は全然良くなかった。それも仕方ないですね、ダンサーでもないソプラノ歌手に場面に合致した踊りを求めるのは酷くです。伴奏にも合ってないし、先ず踊り事態に色気が出ていません。むしろ妃で母親のヘロディアス役のジェニファー・ラーモアがサロメが「首が欲しい」一本やりの答えに乗じて「よしよしその通り」サロメは良い子とばかりヘロデ王に突っ込みを入れる場面が、ラーモアのソプラノが歌う場面は少ない中よく検討していい声を印象付けていたと思いました。

 遂には王は

 ❝Man soll ihr geben, was sie verlangt! Sie ist in Wahrheit ihrer Mutter Kind(王女が欲しいというものを、為方がない、渡してやれ。 母が母なら子も子だ)❞

と、自暴自棄になって許してしまうのでした。

生首を前にして陶酔して歌うサロメ、その中の歌は旋律がとても綺麗な箇所もあれば、不気味な感じを受ける箇所も多かった。

 最後に記すべきは、今日一番の注目すべき、素晴らしかった歌手は、矢張りヨハナーン役のトマス・トマソンでした。昨年のミューザでの演奏が(グレゴリアンの演奏と共に)今でも強く印象に残っています。今日は一人突き抜けていました。

❝Siehe, der Herr ist gekommen,des Menschen Sohn ist nahe(見よ。主がお出ましになられたのを。人の子の近くまで来られたのを。)と第一声をはりあげ、さらに

❝Jauchze nicht, du Land Palästina, weil der Stab dessen, der dich schlug, gebrochen ist. Denn aus dem Samen der Schlange wird ein Basilisk kommen, und seine Brut wird die Vögel verschlinge.(こりゃ。パレスチナの国。お前を打った笞が折れたといって、喜ぶなよ。なぜかというに、蛇の種からは、一睨みで殺すバシリスコスの龍が出て、その子が飛ぶ鳥を皆呑んでしまうからだ)❞ 

と、堂々としてホール全体に広がるバリトンの歌声を響かせ、これを聴いただけでこの歌手は本物だと思うでしょう。予想に違わず最初から最後まで、トマソンのヨハナーンは他の歌手を圧倒した歌唱を披露していました。特に見もの(聞きもの)だったのは、サロメが盛んに彼に好きだから触れらせよ、キスをさせよと迫るのを、決然と「不浄の輩、近寄るべからず」とオケの轟音にも負けず、圧倒的な歌声でサロメをたしなめる歌声を張り上げていたのは、見事でした。

 轟音と言えば、東フイルは、12型(多分三管編成でなく)二管編成だと思うのですが(ピット内はよく見えません)、サロメの狂気性を中心に、力強い表現が出来た箇所は良かったと思いました。R.シュトラウスの音楽としてはこれまでの他の作品では、余り出てこない混沌と不協の調ベが出て来るのですが、時々シュトラウスらしい旋律(=シュトラウス節と個人的には呼んでいます)も聞こえるとやはりいい曲だなと思ってしまいます。

 このオペラはほとんどサロメの高い出現率とその狂気性で特徴づけられているオペラですが、決して観て、聴いて、心地良いものではありません。感動する中身でも有りません。恐らくサロメは母親ヘロディアスの病的遺伝子を受け継いでいるとしか思えません。性的倒錯、現代医学なら即入院の治療対象でしょう。その異常さに、怖さ見たさに、人は惹きつけられるのかも知れない。勿論オペラですからストーリーの他に歌声がありますから、素晴らしい歌声であれば聴衆を惹きつけられるでしょう。又舞台芸術としては、特に出演者の演技を表現するやり取りは非常に少ないオペラであり、ただサロメの踊りの場面が目立つだけですから、演奏会形式が最も適した上演方式かも知れません。舞台に少しのスペースを取り、バレリーナー一人にでも踊って貰えば済むことですから。

 いずれにせよ、又どこかで別な形式で別な歌手で、この演目を上演することがあれば観に行きたいとは思います。