HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

クラウス・マケラ+辻井伸行/ 『オスロ・フィル演奏会』を聴く

 

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【日時】2023.10.23.(月) 19:00~

【会場】サントリーホール大ホール

【管弦楽】オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

【指揮】クラウス・マケラ

【独奏】辻井伸行(Pf.)

【曲目】

①ショスタコーヴィチ:祝典序曲

(曲について)

 簡潔で明晰な楽曲構成と叙情的な旋律ゆえに親しみやすく、ショスタコーヴィチの作品の中でも人気の高いオーケストラ作品の一つである。

1947年8月末に十月革命30周年を記念して作曲されたが、当時は発表されずに終わった。その7年後の1954年、ロシア革命37周年記念演奏会のためにボリショイ劇場管弦楽団からの(もしくはソビエト共産党中央委員会からの)委嘱作品として改作された(ドン=ヴォルガ運河の開通のため、ともいわれている)。指揮者のワシリー・ネボルシンは、演奏会の幕開けに相応しい新作がないことに気付き、演奏会当日のわずか数日前になって、ショスタコーヴィ

チに大至急で序曲を書き上げてくれるように打診したのである。ショスタコーヴィチはわずか3日間でその要望に応じ、同年11月6日に初演された。

スターリンの死の翌年に完成されたことから、スターリン体制からの解放を密かに祝って作曲されたのではないかと訝る向きもある。1980年モスクワオリンピックにおいても使用された。

西側諸国では、ボストン・ポップス・オーケストラやロンドン交響楽団によって取り上げられており、ソビエト連邦の崩壊後はオーケストラの定番の曲目になりつつある。


②ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番

(曲について)

 2曲あるショスコのピアノ協奏曲は、ヴァイオリン協奏曲やチェロ協奏曲とは異なり、軽快でくつろいだ内容の作品である。第2番は1957年、当時モスクワ音楽院在学中だった息子のマクシム・ショスタコーヴィチのために書かれ、彼に献呈された。初演は同年5月10日、マクシムのピアノ、ニコライ・アノーソフ指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団によって行なわれたが、作曲者自身もしばしば演奏した。

 第3楽章に有名なハノン練習曲が借用されたほか、全曲の随所に既存曲のパロディを思わせる節を持つ。


③R. シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』

(曲について)

 副題に “Tondichtung für großes Orchester” (大管弦楽のための交響詩)とあるように、演奏するには105名から成る4管編成のオーケストラが必要となる。またオーケストレーションが頂点に達している曲とも言われ、技術的にもオーケストラにとって演奏困難な曲の一つに数えられており、オーケストラの実力が試される曲としても知られている。

 この曲の「英雄」とはリヒャルト・シュトラウス自身を指すと言われているが、作曲者本人は「それを知る必要はない」としており、この曲にプログラムがあることを言明していない。

 この曲はベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』(エロイカ)と同じ変ホ長調を主調としている。シュトラウスは日記に作曲の進捗を記しているが、そこでは最終的なタイトルを "Ein Heldenleben" と決めるまで、この曲のことを "Eroica" と呼んでいた。友人に宛てた手紙でも「近頃ベートーヴェンの英雄交響曲は人気がなく、演奏されることも少ない」と冗談を言い、「そこで今、代わりとなる交響詩を作曲している」と述べている。またこの曲では、シュトラウスの他の作品からの引用とともに、ベートーヴェンの『英雄』のフレーズも断片的に引用されている。1898年の8月2日から12月27日にわたって作曲された。ウィレム・メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に献呈されている。1899年3月3日作曲者自身の指揮、フランクフルト・ムゼウム管弦楽団により初演された。

 

 

【演奏の模様】

①ショスタコーヴィチ:祝典序曲

[楽器編成]

木管(ピッコロ1、フルート2、オーボエ3、クラリネット3、ファゴット2、コントラファゴット1)

金管(ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1)

バンダ(ファンファーレの再現部において金管楽器に追加される ホルン4、トランペット3、トロンボーン3)

打楽器(ティンパニー、トライアングル、シンバル、大太鼓、小太鼓)

三管編成弦楽五部15型

 

 冒頭、トランペットの晴れやかで爽快なファンファーレで幕を開けました。

晴れやかなファンファーレに続き、クラリネットから弦楽器へと受け継がれ、第1主題が、圧倒的分厚いアンサンブルで、颯爽と響きます。祝典用らしく、軽快な一定リズムが続き、中間部に現れるホルンとチェロによる第2主題はとても流麗で抒情的です。ここでもその旋律はスピード感を失うことなく演奏され、終始よくコントロールされた調べを失わず、クライマックスへと向かうのでした。

 最後は再び冒頭のファンファーレが、「バンダ」の金管別動隊を加えて華やかに響き渡り、クライマックスを迎えた。

 演奏時間は10分にも満たない短い作品ですが、終始スピード感と制御感を失わない颯爽とした魅力を感じます。初めて聴いた時には、ショスタコーヴィチは、この様な模範的な古典的とも言える旋律と、オーケストレーションが使えることと、更にはショスタコーヴィチ独自の様式も打ち出していることにいたく感心しました。 この曲では、Hrn.が合いの手やソロ的旋律を奏でるのですが、マケラ・オスロフィルのホルン部隊は、初日もそうでしたが、安定したよく響く演奏をしており、これは、今日の ③R.シュトラウスも、期待出来そうだと思いました。

 

②ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番

[楽器編成] 二管編成弦楽五部12 型

全三楽章構成

第1楽章 アレグロ

第2楽章 アンダンテ

第3楽章 (アレグロ)

 

Fg. などの調べが鳴るとすぐに、辻󠄀井さんは、ピアノを鳴らし始め、しだいにそのテンポを速めました。

 

 この曲は今年8月の『ミューザ夏祭り』の沼尻・神奈フィルを背景に辻井さんが弾いたのを聴きました。その時の記録を参考まで文末に抜粋再掲して置きます。

 

 盛大な拍手に応えて辻󠄀井さんは、ソロアンコール曲を二曲弾きました。

①カプースチン:8つの演奏会用練習曲より プレリュード
②グリーグ:「小人の行進」(『叙情小曲集』より)

 辻󠄀井さんは当然ながら、いつも暗譜ですが、モーツァルトの様に一度聴いた曲は、すべて頭に残っているのでしょうか?音が記憶されていてそれを出音するのか、それとも、(点字の)楽譜として記憶されているのでしょうか?天才の頭の構造は、凡人には想像も付かない。深遠なものに違いありません。


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《20分の休憩》


③R. シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』

 休憩から戻ってみると、ステージには、溢れんばかりの椅子と譜面台が並び、様々な打楽器群も置いてありました。四管編成弦楽五部16型の大型編成です。

 この曲は、11月に来日演奏予定のキリレンコ指揮ベルリンフィルも演奏の予定があります。カラヤン時代からの得意曲みたいですね。これをオスロフィルはどう弾くのか興味津々でした。

楽器編成は、四管編成 弦楽五部16型の大型編成。特に金色に耀く金管群が、目につきます。

 曲は6つの部分から成りますが、これ等は、交響曲の様に楽章ではないので、切れ目なく演奏されました。通常下記のように分けられていますが、楽譜には分類及び副題は記されていません。演奏時間は約45分。

  1. Der Held (英雄)
  2. Des Helden Widersacher (英雄の敵)
  3. Des Helden Gefährtin (英雄の伴侶)
  4. Des Helden Walstatt (英雄の戦場)
  5. Des Helden Friedenswerke (英雄の業績)
  6. Des Helden Weltflucht und Vollendung der Wissenschaft (英雄の隠遁と完成)

 曲の最後の部分は、ヴァイオリンとホルンのソロが静かに消え入るように終わる第1稿と、一度金管群の和音で雄大に盛り上がってから終わる第2稿があり、第1稿による演奏は珍しく、ほとんどが第2稿によって演奏されるます。サヴァリッシュ、ハイダー、ルイージは第1稿による録音を残しています。今回は後者に基づき演奏が終了しました。 

 

[楽器編成]

木管

金管

Fl.

3, ピッコロ 1

Hr.

8

Timp.

1人

Vn.1

16

Ob.

4 (イングリッシュホルン持ち替え 1)

Trp.

5 (Es管 2, B管 3)

バスドラムシンバルスネアドラムテナードラムタムタム

Vn.2

16

Cl.

B管 2, Es cl 1, バスクラリネット 1

Trb.

3

Va.

12

Fg.

3, コントラファゴット 1

Tub.

テノールチューバ 1, バスチューバ 1

Vc.

12

 

 

Cb.

8

その他

ハープ2台

《参考》

1英雄(以下、練習番号はロイカルト社のスコアによる。)

前奏はなく、いきなり低弦とホルンの強奏で雄渾な英雄のテーマが提示される。これは英雄の情熱・行動力を表す重要なテーマである。英雄のテーマは力を増していき、その頂点で突如休止する。

 

2英雄の敵(練習番号13 - 9小節目)

スケルツオに相当する。木管群により嘲笑するような動機が提示される。これは作曲者シュトラウスに対する先輩・同輩・後輩、さらには評論家や無理解な聴衆からの非難を表している。敵の非難は勢いを増し、英雄は一時落胆するが、やがて力強く再起する。

3英雄の伴侶(練習番号22 - 2小節目)

緩徐楽章に相当する。独奏ヴァイオリンが伴侶のテーマを提示する。愛する女性の出現にもかかわらず英雄は行動を続けようとするが、次第に彼女に心惹かれていく。伴侶のテーマも英雄に惹かれたり、英雄を拒否するようなそぶりを見せたりする。やがて2人の心は一つになり、壮大な愛の情景が描かれる。敵のテーマが回帰し英雄を嘲笑するが、愛を得た英雄は動じない。

4英雄の戦場(練習番号42)

展開部に相当する。突如舞台裏からトランペットが鳴り響き、敵との戦いが始まる。敵を表す強力無比な金管群・木管群が舌鋒鋭く英雄を非難するが、英雄(低弦とホルン)は雄々しく戦う。伴侶(ヴァイオリン)も英雄を支えている。これまでのテーマ、動機が存分に扱われ、展開される。ティンパニ、バスドラム、テナードラムの乱打も加わり、すさまじい戦いのシーンが繰り広げられる。英雄の自信に満ちた行動に敵は圧倒され、英雄の一撃で敵は総崩れになる。英雄の華々しい勝利が歌い上げられ、英雄と伴侶は手を携えて登場する。

5英雄の業績(練習番号80)

再現部とコーダの前半部分に相当する。ホルンにより交響詩『ドン・ファン』のテーマが、弦により交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』のテーマが奏され、引き続いて『死と変容』『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』『マクベス』『ドン・キホーテ』など、それまでのシュトラウスの作品が次々と回想される。次第にテンポがゆっくりになり、英雄は自己の内部を見つめるようになる。

6英雄の隠遁と完成(練習番号98)

イングリッシュホルン による牧童の笛が鳴り響き、田園の情景が描かれる。『ドン・キホーテ』終曲のテーマが引用され、年老いた英雄の諦念が表される。英雄は田舎に隠棲し、自らの来し方を振り返っている。過去の戦いを苦々しく振り返ったりもする。英雄はさらに自己の内部に沈潜していく。やがて英雄は年老いた伴侶に看取られながら、静かに世を去る。 

 

こうして様々な情報を頭に詰め込んでから、演奏を聴くと、そこかしこに、シュトラウス節が出て来て、特に5 英雄の業績では、それまでの過去の曲のパッセージをふんだんに使って、パロディ化していることもあり、独特のシュトラウス節(旋律)が、頻繁に味わえるのは、シュトラウスのまさに集大成の曲の醍醐味でした。

 その他、この曲を聴いて、やはり特記しなければならないことは、「3英雄の伴侶」の箇所におけるコンミスのVn.ソロ演奏についてです。今日の演奏は、世界でも注目される管弦楽団の主席奏者と、世界中から注目度と人気度抜群の指揮者の牽引により紡ぎ出された、うっとりする様な素晴らしい調べでした。音色も、音程運びも間のとり方も、重音演奏他の様々な技術的レベルも、高度な技を感じました。リヒャルトシュトラウスは、想像するに、この部分は、自分を支えてくれた夫人に捧げるオマージュとして、この上ない音楽を作ったとも考えられます。いったいどの様な奥さまだったのでしょう?

 ところで、今回は時間があったので、事前にラトル指揮ベルリンフィルの『英雄の生涯』を事前に聴いてみました。そしたら、「3英雄の伴侶」の箇所のヴァイオリンソロを、日本人コンマスが弾いていました。それを聴いて録音であり、生の音でないのですが、最高レベルの音質だということが伝わってきました。今日のコンサートミストレスの独奏演奏も大変素晴らしいものでしたが、映像のコンマスは音質だけでなく、音楽性も何とも申し分ない高みに達している感じ。調べたら安永徹さんでした。現在の日本人コンマスは、樫本大進さんですから、その前任のコンマスでしょうか?ラトル時代の人ですから。安永さんはまだご存命の筈、演奏会があったら是非聴いて見たいと思って、ネット検索したら、関西での過去の演奏会は出て来ましたが、関東地方では見当たりませんでした。機会が有れば、聴いて見たい人です。

 

 尚この曲も上記②と同じ様に『ミューザ夏祭り』の沼尻・神奈フィルが演奏しましたので、その時の記録も②の(抜粋再掲)の中に同時に再掲して置きました。

 

 

 

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////(2023-08-11HUKKATS Roc.抜粋再掲)


ミューザ夏祭り/『沼尻・神奈フィル+辻井ショスタコ』を聴く

 

【日時】2023.8.10(木) 19:00~
(18:00開場/18:20-18:40プレトーク)

【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール
【管弦楽】神奈川フィルハーモニー管弦楽団
【指揮】沼尻竜典(神奈川フィル 音楽監督)
【独奏】辻井伸行 (ビアノ)
【曲目】
①オネゲル『交響詩《夏の牧歌》』

《割愛》

②ショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 Op.102』


③R.シュトラウス『交響詩・英雄の生涯Op.40』(ヴァイオリン独奏 石田泰尚)

 

【演奏の模様】

 18:30頃ホールに入って、もうプレトークは終わったかな?と思ったら、館内放送がこれから行うとのこと、すぐに黒ずくめの男が舞台に登場、よく見たら指揮者の沼尻さんでした。いろんな話をしていましたが、頭に残っているのは、次の事です。

 ・人気者の辻井さんのスケジュールはびっしり埋まっていて、昨年たまたま地方公演の時、サマーミューザの話しになって、いろいろ話す中で、ショスタコーヴィチの話になり、今日(2023.8/10)ならショスタコのコンチェルトを弾いてもいいと辻井さんとの合意に至り実現したとのこと、

 ・辻井さんは、目が見えないのに、新しい曲でも、完璧に覚えて弾ける様になり、しかもいつも超一流の演奏を披露してしまうので、一体どうやってそこまで出来る様になるのか?不思議。といったことや、

 ・演奏プログラムのオネゲルや英雄の生涯の曲の特徴について、また楽団員に関して

さだまさしの歌に絡めて、面白ろ、おかしくトークするので、館内は大爆笑、自分をお笑い芸人(確か綾小路きみまろの名もあげて)まがいの話で、聴衆を楽しませていました。マエストロ酔っているのでは?と思った程でした。

 さて演奏の方は、

①オネゲル『交響詩《夏の牧歌》』

 

《割愛》

 

②ショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲第2番 』

全三楽章構成

第1楽章Allegro

第2楽章Andante

第3楽章(Allegro)

辻井さんの演奏を聴いて、トークで話していた沼尻さんの感触と同じ様な感じを抱きました。ホントに天才はいるのだというか、僕はキリスト教徒ではないですが、神の与えたもう奇蹟は有るのだなとつくづく思います。若い頃ヘレンケラーの文を読んだ時以来かな?そうした感慨は。しかもオーケストラとのマッチングに寸毫の違いも有りませんでした。辻井さんにはタクトが見えない筈ですから、恐らく耳に入って来る直前のオーケストラの楽器の音から、瞬時に自分のピアノ音の発音を判断で来て、それら楽器と一緒になってパッセッジを弾くに違いありません。その時間差は測定したとしてもコンマ何千分の一秒の遅れかも知れません。普通の人間の耳にはオーケストラと一緒に、楽譜通り音を出しているとしか聞こえないのでしょう。特に第二楽章のゆったりとした低音部旋律は美しい、ショスタコ固有の旋律美でしょう。(実際には過去のパロディもある様ですが)バッハだってパロディをうまく使って素晴らしい独自の曲体系を組み立てていますから、自分の物に同化してしまえば何ら問題ないのです。

この曲をショスタコは自分の息子のため用に作曲した様でして、第3楽章は息子用にとハノンのメロディも入れていて将に親ばかすぎる位の子供思いが伝わって来る速い生き生きとした若さ溢れる疾走で弾き抜けた曲の感がしました。思ったよりも短い曲でした。同じロシア物でも先日聴いた辻井さんのラフマニノフの3番等の演奏と比べると随分短い。

 

③R.シュトラウス『交響詩・英雄の生涯』

これは、R.シュトラウスが今は亡きワーグナーの寡婦となっていたコジマから贈呈されたハインリッヒ・フォン・シュタイン著「英雄たちと世界」に感銘を受けて、いつかこの❝英雄❞というテーマで作曲しようと頭に残っていた構想を、1890年代の世紀末に作曲したもので、その後のシュトラウスの数々の名曲、大作の先駆けとなった曲と謂われています。確かに各処に弦楽の分厚いアンサンブルに対峙、交錯するように管楽器群の叫びを用意し。激しく躍動するリズムとテンポを誘導し激しく煽る打楽器の慟哭、又急激に静かな清流の如き素晴らしい流れに身を委ねる奏者の恍惚たる風景、何れをとっても後のシュトラウスの名曲(サロメ、エレクトラ、ばらの騎士)を形成する基盤はこの曲にその萌芽が見られると思いました。所謂(自称「シュトラウス節」の原初とも思える旋律のかけらがあちこちに散在しています。惜しむらくは、それらが未だ洗練された整理済みの状態にはなっていなくて、雑然感を感じる箇所も多くある曲であることです。時間もやや冗長な感じを受ける処もあるかな?

今回の沼尻・神奈フィルはそうした箇所も含め、かなり真面目に誠実に指揮者の求めを表現していたと強く感じました。今後の発展が期待されます。