HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

2023ウィーンフィル東京演奏会初日鑑賞 

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【日時】2023.11.12.16:00~
【会場】サントリーホール
【管弦楽】ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
【指揮】トゥガン・ソヒエフ

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〈Profile〉

1977年、北オセチアのウラジカフカスにて、技師と教師を両親として生まれる。7歳でピアノを始める。1996年にゲルギエフ記念ウラジカフカス芸術学校を卒業し、サンクトペテルブルク音楽院1999年までイリヤ・ムーシン、その後2001年に卒業するまでユーリ・テミルカーノフに師事する。

2001年12月にマリインスキー劇場アカデミーの若手歌手との共同作業による『ランスへの旅』を指揮して、マリインスキー劇場にデビューし、以降も同劇場とは密接な関係を保つ。

2001年2月にアイスランド・オペラで『ラ・ボエーム』の新演出を指揮したのに続いて、9月にウェールズ・ナショナル・オペラでも同作品を演奏し、12月には2003年から同劇場の音楽監督に就任することが発表された。ただし、このポストは2004年に任期途中で突然辞任している。

2005年のシーズンからトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の首席客演指揮者並びに音楽アドヴァイザーに就任し、2008年からは同楽団の音楽監督に就任した。

客演実績としては、フィルハーモニア管弦楽団スウェーデン放送交響楽団フランクフルト放送交響楽団フランス国立管弦楽団ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団など。2009年ズービン・メータの代役としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期にデビューし、2010年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期に登場した。

日本では、2008年10月11日(土)に、サントリーホールでNHK交響楽団を指揮し、ヴァイオリン独奏に神尾真由子を迎えて、リャードフの交響詩「魔法をかけられた湖」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番、ショスタコーヴィチ交響曲第5番を演奏した。また、2016年10月に、サントリーホールで行われたNHK交響楽団第1846回定期公演に登場し、同公演のプログラム中ではベートーヴェンピアノ協奏曲第3番ハ短調 作品37エリザーベト・レオンスカヤと共演した。

2022年のロシアのウクライナ侵攻を受け、「ヨーロッパでロシア音楽・芸術家が "キャンセル文化" の犠牲になっていること」「愛するロシアの音楽家たちと愛するフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶという不可能な選択を迫られたこと」を理由として、ボリショイ劇場とトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督を辞任した。


【曲目】
①R.シュトラウス『ツァラストライクかく語りき』


(曲について)
    全体は9部からなり、切れ目なしに演奏される。基本的には自由な形式をとるが、主題の対立や展開、再現などの図式を含むことからソナタ形式の名残を見ることもできる。演奏時間は約33分である。

1 inleitung(導入部)

2 Von den Hinterweltlern(世界の背後を説く者について)

3 Von der großen Sehnsucht(大いなる憧れについて)

4 Von den Freuden Leidenschaften(喜びと情熱について)

5 Das Grablied(墓場の歌)

6 Von der Wissenschaft(学問について)

7 Der Genesende(病より癒え行く者)

8 Das Tanzlied(舞踏の歌)

9 Nachtwandlerlied(夜の流離い人の歌)

 


②ブラームス『交響曲第1番』
(曲について)

 ヨハネス・ブラームスが作曲した4つの交響曲のうちの最初の1曲。1876年に完成した。ハンス・フォン・ビューローに「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれ高く評価された。「暗から明へ」という聴衆に分かりやすい構成ゆえに、第2番以降の内省的な作品よりも演奏される機会は多く、最もよく演奏されるブラームスの交響曲となっているブラームスは、ベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の作曲、発表に関して非常に慎重であった。通常は数か月から数年とされる作曲期間であるが、最初のこの交響曲は特に厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに21年という歳月を要した。ブラームスもこの後の交響曲第2番は短い期間で完成させている。
この作品は、ベートーヴェンからの交響曲の系譜を正統的に受け継いだ名作として聴衆に受け入れられ、指揮者のビューローには「ベートーヴェンの第10交響曲」と絶賛された

 着想から完成まで21年を費やしたが、決して遅筆ではないブラームスがこれほどの時間をかけたのは、ベートーヴェンの交響曲の存在が大きかったためである。

ブラームスが、自らも交響曲を書こうと思い立ったのは、22歳の時にロベルト・シューマンの『マンフレッド序曲』を聴いてからであるが、何よりも自らが交響曲を書く限りはベートーヴェンのそれに比肩しうるものでなければならないと考えていた。ビューローへの手紙には「ベートーヴェンという巨人が背後から行進して来るのを聞くと、とても交響曲を書く気にはならない」と書かれている。また、当時の聴衆にもベートーヴェンの交響曲を正統的に継ぐ作品を待ち望む者が少なからずいた。当時はワーグナーやリストといった新ドイツ楽派の作曲家は交響曲を古臭い形式と考え、それぞれが楽劇や交響詩といった新たなジャンルを開拓していた。一方で、交響曲はメンデルスゾーン、シューマン、ラフなどにより発表され、またブラームスと同時代に活動するブルックナーやドレーゼケ、ブルッフ、ドヴォジャークもすでに交響曲を発表していたが、それらは「ベートーヴェンの交響曲を正統的に継ぐ作品」という聴衆の期待には必ずしも十分に応えるものではなかった。

このため、ブラームスは最初の交響曲の作曲に際し、慎重を期し、集中して取り組んだ最後の5年間も、推敲に推敲を重ねた。(この過程で破棄された旋律は、ピアノ協奏曲第1番の第2楽章や『ドイツ・レクイエム』に転用されたという)1862年に第1楽章の原型と見られるものが現れており、具体的な形をとりだしたのはこの時期と考えられている。最終的に交響曲が一通りの完成を見たのはその14年後の1876年、ブラームス43歳のときであった。

初演は、1876年11月4日、フェリックス・オットー・デッソフ指揮、カールスルーエ宮廷劇場管弦楽団。初演後も改訂が続けられ、決定稿が出版されたのは翌年1877年。ジムロック社より出版された。初演稿と決定稿では第2楽章の構成がかなり違うが、近年は初演稿が演奏されることもある。

 


【演奏の模様】

①R.シュトラウス『ツァラストライクかく語りき』

  この曲は、R.シュトラウスが、哲学者で思想家でもあるニーチェの同名の作品に触発されて作曲したと言われます。ニーチェはワーグナーとも親交があり、ワーグナーの音楽も聴いています。シュトラウスは一世代前のニーチェに惹かれてその作品も読んでいたそうです。この曲もシュトラウスの「アルプス交響曲」がそうであるように、曲に関して標題音楽的側面を持ち、上記した様に1部から9部までの副題を有するパーツから成り立っています。「アルプス交響曲」の標題は音楽に密接に関係しており、音楽を聴けば、標題の意味するところが如実に明らかになります。ところがこの曲「ツアラ・・・」は標題から曲をイメージするのは仲々大変、困難と言っても過言ではないでしょう。R.シュトラウスは文学作品としての「ツアラ・・・」を良く理解してから作曲に取り掛かったかも知れません。従って我々聴衆もある程度ニーチェのこの文学作品を理解して音楽を聴けばオペラの時の様に、より一層理解が深まる筈なのですが、処が問題が一つ大きく立ちはだかっていました。それはニーチェのこの作品が、難解極まりないものだったのです。自分も一度岩波だったかどこかの文庫本で読み始めたのですが、用語も聞き慣れない単語を多用しているし、抽象的な例示的表現が次から次へと出て来て、哲学的文節の意味すら不明、思考停止、立往生する箇所が多々あり、結局途中で積読状態になってしまっていて、未だかって再読していないのです。ですから例えばこの作品の第3部の箇所を聴いて、何 故この旋律が、「3部大いなる憧れについて」に関しているのだろうか?即ちそれは「どの様な情景を思い浮べたら良いのか」不明なのです。従ってその感想も的外れもいい所になるかも知れないので(参考)としてその部で演奏される音楽模様を一般論として引用して置きます。  

 

《器楽編成》

 オルガンを含む4管編成。100名必要。弦パートは細かく分割され、プルト毎に分かれている箇所が多いのが特徴。

編成表
木管 金管
Fl. 3 (kl.Fl.1), kl.Fl.1 Hr. 6 Timp. Vn.1 16
Ob. 3, e-H.1 Trp. 4 gr.Tr.Beck.Tgl.Glsp.Glck.(低E音) Vn.2 16
Cl. 2, Es-Kl.1, Bkl. Trb. 3 Va. 12
Fg. 3, Kfg.1 Tub. 2 Vc. 12
    Cb. 8
その他 Org.Hf.

 本来四管編成なのですが、ウィーンフィルの今回の日本ツアー奏者は、Fl部門などでは、一人はPicc.担当なので、大部分は三管編成的です。Trmp,は4人でしたが。Trmb.は3人でした。

冒頭のTrmp.(4)+Trmb.(3)のファンファーレは相当大きい音、二回席(舞台右翼の側)の奏者の近い席で聴いたせいなのかも知れない、)一番最初から僅かに鳴らされる不気味な唸りの様な背景音(多分大太鼓か??)は気になる程ではないのですが何故か印象に残った。続くTimp.の連打はかっこいいですね。これから戦いが始まるぞ!みたいな音。

 全体を振り返るとやはり、8の箇所で、コンマスが弾くソロの切れ味の良いVn.の音が相当強い印象を与えました。この部の中でかなりの長時間弾いていた。冒頭の重音混じりの弾き始め、キラリと光る刀の切っ先を大上段から振り下ろしたような鋭さが有りました。逆の見方、聴き方からは、優雅な潤いのあるワルツの対極にある音質だとも言えます。

その後ソロVn.はFl.(top)やCl.(top)との掛け合いやその他の楽器やアンサンブルとの組合せで、合の手を入れていたので、随分一人芝居の様な奮闘振りでした。Vn.アンサンブルとの掛け合いも、Vn.奏者が、少人数の多くのグループに手分けられていて複雑に管との掛け合いやコンマスのソロ演奏との掛け合いをおこなっていました。

 又他のシュトラウスの曲と同じ様に彼方此方にシュトラウスらしい独特の響き(これがシュトラウスの特徴だと言える節回し、これを個人的にはシュトラウス節と名付けています)が多く出て来て、中には不協的響きも有りますが、違和感を感じるどころか、その前後の旋律に挟まれて独特のスパイスが効く結果となっているのは、流石シュトラウスだともいますし、ソヒエフ・ウィーンフィルはそれをある時は重厚にある時は軽妙に手品師の様な自由自在の身軽さで表現していたのにも流石と驚嘆しました。一曲で演奏会前半を担う大曲でした。

 

(参考)

1Einleitung(導入部)
"Sonnenaufgang"(日の出)とも。C音の保持音の上に、トランペットによって “自然の動機” が奏される。非常に有名な場面である。
2Von den Hinterweltlern(世界の背後を説く者について)
「自然」を象徴する導入部のハ長調に対し、「人間」を象徴するロ長調に転じ、低弦のピッツィカートに上行分散和音を基本とした “憧憬の動機” が提示される。ホルンによってグレゴリオ聖歌「クレド」の断片が提示され、キリスト教

者が暗示されると、ハ長調とロ長調のどちらからも遠い変イ長調によって、20以上の声部に分かれた弦楽を中心に陶酔的なコラールが奏される。
3Von der großen Sehnsucht(大いなる憧れについて)
既出の動機や聖歌「マニフィカト」の断片が並列される短い経過句に続き、「世界の背後を説く者」のコラールと、“憧憬の動機” から派生した低弦の激しい動機が拮抗しながら高まっていく。
4Von den Freuden und Leidenschaften(喜びと情熱について)
2つの新しい動機、比較的狭い音域を動くものと十度音程の跳躍を含むものが提示され、活発に展開されていく。展開の頂点においてトロンボーンに減五度音程が印象的な “懈怠の動機” が提示されると、徐々に音楽は静まっていく。
5Das Grablied(墓場の歌)
「喜びと情熱について」と共通の動機を扱うが、そちらとは異なりしめやかな雰囲気を持つ。弦楽パートの各首席奏者がソロで扱われる書法が試みられている。
6Von der Wissenschaft(学問について)
“自然の動機” をもとにした12音全てを含む主題による、低音でうごめくようなフーガ。それが次第に盛り上がると、高音を中心とした響きになり “舞踏の動機” が提示される。“自然の動機” と “懈怠の動機” による経過句が高まり、次の部分に移行する。
7Der Genesende(病より癒え行く者)
「学問について」と共通の主題によるフーガがエネルギッシュに展開される。徐々に “懈怠の動機” が支配的になると、“自然の動機” が総奏で屹立し、ゲネラルパウゼとなる。
“懈怠の動機” “憧憬の動機” による経過句を経て、トランペットによる哄笑や、小クラリネットによる “懈怠の動機” などが交錯する諧謔的な部分に入る。“舞踏の動機” や “憧憬の動機” を中心にクライマックスが形成されると、フルート・クラリネットによる鈴の音が残り、次の部分に移行する。
8Das Tanzlied(舞踏の歌)
全曲の約3分の1を占める部分であり、ワルツのリズムを基調に、全曲における再現部の役割も果たす。独奏ヴァイオリンが非常に活躍する場面でもある。弦楽(ここでも執拗に分割される)を中心にしたワルツに始まり、“自然の動機”、「世界の背後を説く者」のコラール、“舞踏の動機”、「喜びと情熱について」の諸動機が次々と再現される。その後は、既出の動機が複雑に交錯する展開部となり、壮麗なクライマックスを築く。
9Nachtwandlerlied(夜の流離い人の歌)
真夜中(12時)を告げる鐘が鳴り響くなか、「舞踏の歌」のクライマックスが “懈怠の動機” を中心に解体されていく。音楽がロ長調に落ち着くと、「大いなる憧れについて」や「学問について」で提示された旋律が極めて遅いテンポで再現される。終結では、高音のロ長調の和音(「人間」)と低音のハ音(「自然」)が対置され、両者が決して交わらないことを象徴する。

 

《20分間の休憩》

 

後半も一曲のみです。従ってこれも間違いなく大曲です。

②ブラームス『交響曲第1番』

《楽器編成》二管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8 一部良く見えず)
木管フルート: 2 オーボエ: 2 クラリネット: 2(楽章順に、B管、A管、B管、B管)
ファゴット: 2、コントラファゴット(第3楽章以外): 1 金管ホルン: 4(C管Es管各2、E管2、Es管H管各2、C管Es管各2)
トランペット: 2(C管、E管、H管、C管)
トロンボーン: 3(アルト、テノール、バス各1)(第4楽章のみ) 打楽器ティンパニ
弦五部第1ヴァイオリン 第2ヴァイオリン  ヴィオラ チェロ コントラバス(4弦)

全四楽章構成

第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro

第2楽章 Andante sostenuto

第3楽章 Un poco allegretto e grazios

第4楽章 Adagio - Più andante - Allegro non troppo, ma con brio - Più allegro

 この曲との付き合いはもう何十年になるのでしょうか。あれは高校生か大学に入りたてか?それでも漫然と聞く時が多くて、未だその詳細は頭に入っていない処が多い。聴けば、❝あーそれそれ❞と脳細胞はすぐ反応するのですけれど。

 ウィーンフィルの演奏は、最初は少しテンポを遅めにソヒエフが誘導したのでしょうか?最初に印象が強かったのは第2楽章の、コンマスとOb.(top)とFl.(top)との掛け合い演奏でした。コンマスの音は前半の時と同じく鋭いいい音を立て、Ob.は何処の管弦楽団でも名手ぞろいですが、ウィーンフィルも流石と思わせるOb.奏者、又Fl.奏者も良く鳴る管を安定的に響かせていました。パユの様な華やかさは感じませんでしたが。ウィーンフィルのコンマスは以前はキュッヒルさんでしたが、今日のコンマスは何と言う方なのでしょう?演奏後もソヒエフは真っ先に駆け寄り讃えていました。日本の最近のコンマスは、指揮者と同じ様に楽団員に少し遅れて登壇するのが通例となっていますが、今回のウィーンフィルのコンマスは、Vn.団員を引き連れて真っ先に登場しました。そして音合わせ、この方式の方が自分としては好感が持てます。

 各楽章共いい処ずくめのブラ1番ですが、時間の関係上、一つだけ強調するとしたら、やはり4楽章のpizzicato奏の後のHrn.を初めとする管と次第に盛り上がる弦楽奏の後、Hrn.のソロテーマ奏に引き続くFl.のこの曲の中で唯一のソロ旋律奏、Trmb.とHrn.の後追い奏、そして続くはガラッと曲風が変わり、弦楽アンサンブルの滔々とした流れに至るこの辺りが小気味がいいし、清々した気が晴れる様な気分となれる大好きな箇所です。ウィーンフィルの弦楽の流れは、ブラームス時代のウィーン川の様に(水量)豊かに(現在で言えばドナウベント辺の豊富な流れの様に)雄大に速度をやや速めに演奏するのでした。

曲終盤の最後の大詰めの大炎上は素晴らしい迫力の一言、言わずもがなですけれど。

 ①R.シュトラウスの場合と違って、演奏終了してすぐにタクトを降ろしたソヒエフとウィーンフイルに対してすかさず大観衆(ほとんど満席)から大きな拍手と歓声が飛び交いました。その後奏者の労い挨拶、何回かの袖との往復の後ソヒエフは、指揮台に飛び乗るなりアンコール演奏を指揮し始めました。それも二曲もです。

《アンコール演奏》

①j.シュトラウスII世:ワルツ『春の声』作品410

 

②j.シュトラウスII世:『トリッチ・トラッチ・ポルカ』作品214

 

これには待ってましたと心の中で叫びました。ウィーンフィルと言ったら何と言っても、ウィンナーワルツですね。彼らの専売特許でしょう。この独特の三拍子、ウィーン三拍子、

ウン ジャッチャ ウン ジャッチャ ・・・・

そうそう、これこれ。


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(参考)

1.ティンパニを中心に、コントラファゴット、コントラバスという低音楽器がC音を8分音符で連打する力強いオスティナートの上に、ヴァイオリン、チェロの上向する半音階的な旋律と木管とホルン、ヴィオラの副旋律が交錯する序奏で始まる。(この序奏は主部よりあとに追加されたものである) 主旋律に含まれる半音階進行は、楽章の至る所に姿を現す。序奏冒頭部はティンパニ・ロールに載ってもう一度現われ、寂しげな木管の調べを経てアレグロの主部に入る。提示部には繰り返し記号があり、かつては繰り返して演奏されることはあまりなかったが、近年は繰り返しが行われる例も増えている。ソナタ形式の型通りに進行した後、終結部でも、「運命」のモットーの動機がティンパニと低音のホルンによるC音の連打に支えられ、ハ長調で静かに終結する。

 

2.緩徐楽章。オーボエ、第1ヴァイオリン、ホルンによる印象的なソロ演奏がある。構成は基本A-B-Aの三部で、Aはさらにa-b-cに分けられるので複合三部形式である。aは主に弦で奏でられる落ち着いた中に翳りのあるもの。bはaの主題を引き継いだものでオーボエのソロによって歌われる。cは冒頭に上昇の動機を持った動きのあるもので短調の色彩を加え、これがやはりオーボエのソロによる物寂しい嬰ハ短調のトリオBを導く。Bの中で低弦とフルートに第3楽章主題の断片が現れる。Aの再現部は単なるリピートではなく、ソナタ形式の再現部のように変奏され、よりドラマチックに、また長大化している。bはここでは第1ヴァイオリンのソロをメインに、オーボエのソロとホルンのソロにより奏される。続いてホルンのソロが主旋律を、第1ヴァイオリンのソロが装飾的に彩る。cはほとんどコーダで、冒頭の上昇の動機こそ控えめに現れるもののその先は歌われることはなく、曲は第1ヴァイオリンのソロが澄み切った嬰トの高音を伸ばす中、静かに結ばれる。

この楽章にはカールスルーエで初演されたときの初稿版があり、かなり曲の構成が異なる。これにはギュンター・ノイホルトやチャールズ・マッケラスらの指揮による録音があり、楽譜はヘンレ社の付録として見ることができる。

3変イ長調、複合三部形式、2/4拍子。

間奏曲ふうの短い楽章。古典的な交響曲の形式にのっとれば、ここにはメヌエット日スケルツォが置かれるべきだが、ブラームスは4つの交響曲のすべてにおいて典型的な三拍子舞曲の第3楽章を置かなかった(第4番においてようやく本格的なスケルツォが登場するが、やはり二拍子である)。とはいえ「グラツィオーソ(優雅に)」という楽想指示には、メヌエット的な性格の楽章であるという作曲者の意図が現れている。A-B-A’という三部形式のA'部分で、ベートーヴェンの「歓喜の歌」にも似た最終楽章の旋律が暗示されるが、A主題自体が最終楽章の旋律を予告しているに近いものである。

4.ハ短調(後にハ長調)、序奏付きのソナタ形式、4/4拍子。

第1楽章の序奏の気配が回帰したかのような重い序奏でゆっくりと始まる。序奏は2部構成。重い気配が弦楽器のピッチカート交代しながら駆け上がっていくと、頂点でティンパニ・ロールによってさえぎられ、ハ長調のアルペンホルン風の朗々とした主題がホルンによって歌われ、序奏の第2部に入る。この主題はクララ・シューマンへの愛を表しているとされ、クララへ宛てた誕生日を祝う手紙の中で"Hoch auf’m Berg, tief im Tal, grüß ich dich viel tausendmal!"(「高い山から、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう」)という歌詞が付けられている。フルートがこれをリピートしたあと、トロンボーン・ファゴットがこの主題の先をさらにコラール風に続けて歌う。

以上の緩徐部分(序奏)が静かに終了すると、弦楽合奏が歌曲風の、16小節からなる二部形式の明確な楽節構造をとった第1主題をハ長調、アレグロ・ノン・トロッポで演奏し始める。この歌唱的主題はしばしばベートーヴェンの第九における歓喜の歌との類似性が指摘される。第2主題はアルペンホルンの動機「EDCG」のCをFisにおきかえたもので、これも弦楽合奏で演奏される。小結尾はホ短調となり高揚的な新しい句が登場し、提示部のクライマックスを形成していく。展開部は第1主題が原型で再現する。この第1主題は再現部で再現されないので、ここを再現部とし、本楽章には展開部がない、あるいは再現部内に展開部があるという見方もできる。またアルペンホルンの主題が第1主題なのであり、この歌唱的主題はアルペンホルンの主題から導かれた第1主題の派生的主題と見ることもできる。展開部では第1主題が展開され、そこからさらに楽想は広がってクライマックスを作っていくが、やはりティンパニ・ロールの強奏を迎えると、それを合図にアルペンホルンの主題が悠然と再現され、再現部に入る。歌唱的な第1主題は再現されないが、第2主題、小結尾は型通りに続く。コーダは、第1主題の冒頭の形を低弦楽器がオスティナートで繰り返しながら混沌の緊張を高めていくと、ピウ・アレグロ 2/2拍子の行進曲調に抜け出る。その行進の足が止まったところで、序奏部でトロンボーンとファゴットによって歌われていたコラール風主題がファンファーレとして高らかに奏でられる。最後に今までの動機が華やかな姿で次々と現れ、主和音の四連打を経て、壮麗に全曲を閉じる。