「ふるさとは遠きにありて思ふもの」。室生犀星(さいせい)のうたうように、故郷は、いつもどこか想像力によって補われ、色付けられている。本日取り上げる3人の作曲家はいずれもハンガリーの出身。どの曲も彼らの故郷にかかわるものだが、それらがたんなる異国情緒をこえて、「なつかしさ」の印象を与えるとすれば、それは作り手の「色付け」が、ある種の普遍性に到達していることの証(あかし)だろう。今日はどの曲の、どの部分に「なつかしさ」をおぼえるのか。さまざまな場所に思いをはせつつ、楽しみたいプログラムである。(主催者)
【日時】2023年11月10日 (金) 開演 19:30:(休憩なし)
【会場】NHKホール
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】ゲルゲイ・マダラシュ
〈Profile〉
ゲルゲイ・マダラシュは1984年、ブダペスト出身の指揮者。2019年9月よりベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督を務めている。これまでにフランスのディジョン・ブルゴーニュ管弦楽団音楽監督、ハンガリーのサヴァリア交響楽団首席指揮者を歴任。また、BBC交響楽団、BBCフィルハーモニック、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団、リヨン国立管弦楽団、ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団他の著名オーケストラに客演している。
5歳よりハンガリー・ロマ民族の正統的な楽師や農民音楽家に学び、その後、クラシックのフルート、ヴァイオリン、作曲を学んでいる。ブダペストのリスト音楽院フルート科およびウィーン国立音楽大学指揮科を卒業。11歳でゲオルク・ショルティが指揮するブダペスト祝祭管弦楽団のリハーサルに立ち会い、指揮の魔術に触れたことをきっかけに、将来は指揮者になると決心したという。
古典派からロマン派の作品をレパートリーの中心とする一方、ジョージ・ベンジャミンやペーテル・エトヴェシュらの現代の作曲家とも協働する。また、オランダ国立オペラやジュネーヴ大劇場でオペラ指揮者としても実績を積んでいる。
今回は母国ハンガリーの音楽をとりあげる。幼少時より土地に根差した音楽に触れてきたマダラシュの本領が発揮されることだろう。N響とは今回が初共演。
【独奏】阪田知樹*(Pf.)
〈Profile 〉
2016年フランツ・リスト国際ピアノ・コンクールで第1位、2021年エリーザベト王妃国際音楽コンクールで第4位を獲得するなど、輝かしいコンクール歴を誇るピアニスト。日本の若い世代を代表するひとりとして意欲的な活動を続けている。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校および同大学を経て、ハノーファー音楽演劇大学にて学士、修士を首席で修了し、現在同大学院ソリスト課程に在籍。世界的ピアニストを輩出するコモ湖国際ピアノアカデミーの最年少生徒として認められて以来、イタリアでも研鑽を積んでいる。パウル・バドゥラ・スコダに10年にわたり師事。また、作曲を永冨正之、松本日之春に師事した。2017年横浜文化賞文化・芸術奨励賞、2023年第32回出光音楽賞を受賞。
リスト、ショパンらのロマン派のレパートリーを軸に置き、知られざる作品の発掘にも力を注ぐなど、知性派のヴィルトゥオーゾとして定評がある。得意のリストで鮮やかな技巧を披露してくれることだろう。
N響とは2021年4月公演で初共演し、今回が2度目の共演となる。
【曲目】
①バルトーク/ハンガリーの風景
(曲について)
1930年代初頭、世界大恐慌はヨーロッパに波及し、人々の生活を圧迫しつつあった。民謡研究の著書を出版する計画が頓挫するなど、ベーラ・バルトーク(1881〜1945)もさまざまなかたちで、この不況の影響を受けることとなる。この時期の彼がピアノのために作曲した旧作をつぎつぎに管弦楽用に編曲していることの背景にも、おそらくこうした経済的な事情があったと考えられる。思うように民謡研究や創作活動を進めていくためにも、少しでも多くの金銭的余裕が、彼には必要だったのだ。
その点、《ハンガリーの風景》は「時宜を得た仕事」だった。収録された曲のなかにはピアニストとしてバルトークがたびたび演奏してきたものが多く、原曲の人気からも、最初から彼はある程度の成功を見込めただろう。もちろん、原曲を移調したり、新しい声部を付け足したりするなど、そこにはさまざまな工夫も見られる。民謡編曲とオリジナル曲とを区別せず、さまざまな曲集から素材を集め、ひとつながりの組曲にしたことも大きい。語法には多様性があり、楽器の扱いも職人芸的。結果的にこの作品は、親しみやすい、バルトークの音楽の入門編とも言ってよい内容に仕上がっている。
②リスト/ハンガリー幻想曲*
(曲について)
フランツ・リスト(1811〜1886)は少年時代の1822年、ウィーンで音楽を学ぶためにハンガリーを離れた。ヴィルトゥオーソ(名人)として名をなした彼が故郷に凱旋(がいせん)したのは1839年12月のこと。このとき彼は2か月にわたる大演奏旅行を行い、ペスト(現在のブダペスト)やジェールなど、ハンガリーの諸都市で演奏した。当時の演奏会で即興演奏が好まれたことはよく知られる通り。旋律の素材としては、旅行先の民謡がよく使われたというが、リストもこの演奏旅行をきっかけに、自国の旋律を演奏会でよく取り上げるようになったようだ。「ジプシー音楽」を研究し始めた彼は、その後も折にふれてロマの楽師達の演奏を聴き、その演奏スタイルを注意深く学んだ。研究の成果はやがてピアノ曲集《ハンガリー狂詩曲集》(S244、1851~1886年)において実を結ぶこととなるだろう。
ピアノ独奏と管弦楽のための《ハンガリー幻想曲》はピアノ曲《ハンガリー狂詩曲第14番》(S244/14、1853年)の姉妹作である。両者はともにピアノ曲《ハンガリーの歌、ハンガリー狂詩曲第21番》(S242/21、1839~1847年)を下敷きにしているが、ジャンルの違いを反映して、互いに異なる方向性を示している。端的に言えば、ピアノの長いカデンツァ(即興的な独奏)があちこちに挿入される《ハンガリー幻想曲》の方が構成が込み入っており、その分だけ、より華やかで祝祭的な音楽になっている。
曲は大きく緩・急の2部からなる。冒頭は当時の流行歌《クロヅルは高く翔(と)ぶ》からの自由な引用。葬送行進曲風にはじまり、ピアノが華麗な独奏を披露したのち、同じ主題が本来の長調であらためて提示される。ピアノの独奏をはさみつつモデラートで第2主題、アレグレットで第3主題が続き、やがて冒頭主題が戻ってくる。独奏ピアノの長いカデンツァをはさんで後半はヴィヴァーチェ・アッサイの舞曲風の音楽。管弦楽とピアノでもう一度《クロヅルは高く翔ぶ》の主題を歌い上げたあと、曲は華やかに閉じられる。
③コダーイ/組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
(曲について)
「民族の独自性を消し去った上での相互理解か、保った上での相互理解か。《ハーリ組曲》はどこでも理解してもらえる、純粋にハンガリー的なのにもかかわらず」。
ゾルターン・コダーイ(1882~1967)の晩年の言葉だ。民族の文化アイデンティティを守り通すことで、はじめて国際的に通用する普遍性を獲得できる。まさにそのような確信があったからこそ、彼は一生をかけて音楽のハンガリー性を追い求めたのだろう。
そんな彼にとっての会心作が《組曲「ハーリ・ヤーノシュ」》である。原曲の歌芝居(1926年初演)は、主人公ハーリがナポレオン率いるフランス軍を打ち破り、オーストリアのマリー・ルイーズ王女に求愛されるものの、最後は恋人エルジェとともにハンガリーの故郷に帰る……という内容。いわば、民衆のさまざまな願望をよせ集めた「ありえない」夢物語、法螺(ほら)話である。音楽の素材は古い様式の民謡から、ロマの楽師の奏でる「ヴェルブンコシュ」まで、ハンガリーの民衆音楽のさまざまな種類から取られている。伝統的な打弦楽器ツィンバロンも効果的に用いられており、ハンガリー育ちであれば、階層を問わず、どこかになじみのある旋律やリズムを見つけられる内容だ。その一方でラヴェルやバルトークを連想させるモダンな和声も盛り込まれているのだから、原曲が初演後、たちまち高い評価を得たのもうなずけよう。組曲は原曲の聴きどころをコンパクトにまとめた内容で、ハンガリー国外ではむしろこちらのバージョンが広く演奏される。
【演奏の模様】
今日は普段オーケストラ演奏では余り聞かないバルトークとコダーイの曲を演奏すると言うので、雨の寒空の中聴きに行きました。
10分間くらい前に会場に入ったら、ステージで、二人して何か演奏しています。そばに立っていた係の女性に訊いたら「プレ演奏」の模様、30分以上演奏しているそうです。一曲目は既に演奏終了し、二曲目のコダーイの曲だとか。『ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲』でした。コダーイの曲風に新鮮味を感じる。
①バルトーク/ハンガリーの風景
配布されたプログラムノートに依れば、この曲はバルトークが、管弦楽用に、これまでのオリジナル曲や民謡編曲などから選りすぐり、一つの繋がりの組曲にしたもので5曲から成ります。
○第1曲〈セーケイ人のところでの夕べ〉
原曲は《10のやさしい小品(1908年)》第5曲。レント部分(A)とアレグレット部分(B)の交代からなる(ABABA)。2つの主題は自作のものだが、いずれもハンガリー民謡の様式をふまえている。
Cl.∔Fl.⇒Ob.⇒Picc.とテーマを繰り返す木管楽器主導の素朴な響きの将に地産地消の曲の感が有りました。弦楽は伴奏に徹していた。
○第2曲〈熊踊り〉
原曲は《10のやさしい小品》第10曲。熊使いの見せ物から着想を得た音楽。
Vc.の激しいトレモロ上管が音を出し、弦楽はVn.やVa.の同様な出音で管が寄り添った音を出していました。曲と謂うより状況音で熊踊りを表現したのでしょう。それにしても熊踊りとはどのような物?
○第3曲〈旋律〉
原曲は《4つの挽歌》(1909〜1910年頃)第2曲。主題は自作のもの。終盤ではフランス近代音楽を連想させる、色彩的な響きを聴くことができる。
弦楽の緩やかな旋律、各弦は音階を違えて斉奏。するとCl.がやおら一吹きしそれをOb.が受け取りVn.は細やかにトレモロ伴奏していました。「旋律」は管楽器によるものでした。最後は旋律は弦にも波及し静かに終わるのでした。
○第4曲〈ほろよい気分〉
原曲は《3つのブルレスク》(1908〜1911年頃)第2曲。ユーモラスかつグロテスクな響きはバレエ《木彫りの王子》を思い起こさせる。
管楽器にpizzicatoが合わせて斉奏、Va.の撥奏pizzi.も入り、Fg.も参加、ブルレスクの諧謔的要素を発揮しました。
○第5曲〈豚飼いの踊り〉
原曲は《子供のために》(1908〜1910年)第1部第40曲(初版第2巻第42曲)。彼自身が実際に採集した笛の旋律をもとにしている。
Cl.⇒Fl.の高音⇒Picc.そして繰り返し管楽器による舞曲風の演奏でした。豚飼いが踊る様子ってイメージが湧かない!
全体として、こだわりの少ないさらっとした民族調のバルトークらしさが良く出ていた演奏でした。指揮者はハンガリーや農民舞踊に良く精通しているのでしょう。
②リスト/ハンガリー幻想曲*
《ハンガリー幻想曲》は、もともとはピアノ独奏曲《ハンガリー狂詩曲第14番》を協奏曲風に仕立てた作品の模様。一般的なピアノ協奏曲よりも、ショーピース的な要素の強い作品でした。カデンツァ部分の占める割合が大きく、如何にも大ピアニスト、リストの曲だと思いました。
スタートは低音弦の唸りがジャ-ンチャチャンと三回太い音で繰り返されそれをHrn.が受け止め、阪田さんが左手で低い音を打ち鳴らして上行するとすぐに速いキラキラした旋律を繰返しました。阪田さんの演奏を聞いてみると確かに即興的に挿入されたり、オーケストラのトゥッティにピアノ独奏を差し込んでみたり、自由な表現をいろいろと行っていたかも知れません。原曲も《幻想曲》もハンス・フォン・ビューロー(ピアニスト ・指揮者)に献呈されており、どちらもピアニストの技術的・音楽的な魅力が効果的に発揮されています。リストは欧州各地を演奏旅行等で回り、パリではショパンとも初めて会っています。ハンガリー語はうまく話せなかったともいわれていますが、故郷とも言えるハンガリーに対する思いは強かったのでしょう。後に「リスト音楽院」に名を刻むことにもなります。彼がハンガリーにまつわる一連の作品群を多く残したことでも母国への思いは強かったと言えるでしょう。
確かにこの曲はPf.独奏のカデンツァがしょっちゅう出てくるように彼方此方に散りばめられていて、阪田さんの演奏がオケ無しの空間にくっきりと浮かび上がる仕組みは、リストが自分の演奏旅行を考えて聴衆受けを優先して作曲したのだろうとさえ思いたくなりました。
阪田さんは落ち着いて強弱こもごもに旋律を繰り出し、力強さと繊細さを兼ね備えた力を発揮するのに良い曲だったのでしょう、全体として阪田さんの好演が目立ちました。マダラシュ・N響はピアノソロとの掛け合いも控えめなアンサンブルに徹し、ソリストをよく支えていました。ソリストも指揮者もハンガリ音楽には深い造詣を有している模様で、二人の呼吸もよく合うことこの上ないという感じを受けました。かなり以前に阪田さんを聴いた時(いつだったか俄かには出て来ません)よりも随分とピアノの表現力が増して技巧的にも二回り位大きくなったように思いました。また機会があったら聴いてみたい気がするピアニストになっていました。
大きな拍手に応えてアンコール演奏が有りました。
《ソロアンコール曲》バルトーク『3つのチーク県の民謡BB459b』sz35a
静かな少し民族味の混じる美しい旋律を阪田さんは丹念に静かに心を込めて弾いている様子、後半はテンポアップした演奏でした。ここでもバルトーク調を感じまた。
③コダーイ/組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
・第1曲〈前奏曲:おとぎ話は始まる〉は歌芝居冒頭の音楽。短い序奏の後、民謡風の主題がさまざまな調で、多声的に絡みあいながら展開していく。
・第2曲〈ウィーンの音楽時計〉は華やかな帝都の情景を描いた音楽。
・第3曲〈歌〉はハーリとエルジェが歌う民謡《ティサ川の向こう、ドナウ川を越えて》をもとにしている。ツィンバロンの響きとともに、大平原の暮らしが描かれる。
第4曲〈戦争とナポレオンの敗北〉はハーリの活躍を描いたもの。冒頭にトロンボーンが奏でる勇壮な主題が後半では、アルト・サクソフォーンによってグロテスクに、すすり泣くように変奏される。ナポレオンの敗北を描いているのだろう。
・第5曲〈間奏曲〉は付点リズムを多用した、ヴェルブンコシュ風の音楽である。
・第6曲〈皇帝と廷臣たちの入場〉では戦勝に沸くオーストリア宮廷の様子が描かれる。
第1曲でも2曲でもスネアが拍子を取っていました。2曲では時計の音の表現かな?いやトライアングルが2曲では時計のチクタクの表現かな?
また特筆すべきは、この曲の演奏は指揮者のすぐ左前にツィンバロンが置いてあり、男性奏者が、イラン風の多弦をスプーンの様な撥ちで繊細に叩き不思議な音を出してオケの響きに異国風味を加えていました。
この曲といい、プレコンサイトの二重奏曲といい、コダーイ風とはこんな感触の曲風かという事を少しでもつかめた様に思える演奏会でした。
今回の演奏会は1995回でした。2000回まであと4回ありますが、N響の定期会員ではないので、それまでもう一回演奏を聴き、12月下旬のN響第九は都合がつかないので、パスしようと思っています。従って2000回がN響最後となるでしょう。期待は大きく膨らみます。