HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

N響第1983回 定期公演を聴く

【日 時】2023.5.14.(日)14:00~

【会場】NHKホール

【管弦楽】NHK交響楽団

【指 揮】下野竜也

【独奏】バイバ・スクリデ(Vn)

<Profile>

 ラトヴィアの音楽一家の生まれ。リガの音楽学校とロストックの音楽院で学ぶ。2001年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで第1位を獲得。ソリストとして、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団などのオーケストラと共演。2019年のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日公演でのショスタコーヴィチ《ヴァイオリン協奏曲第1番》の情感豊かな演奏が記憶に新しい。また、モーツァルト、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、ストラヴィンスキー、ヤナーチェク、シマノフスキ、シベリウス、ニールセン、バルトーク、コルンゴルトなど、数多くの協奏曲の録音を残す。近年はグバイドゥーリナの作品に取り組み、2021年9月、ゲヴァントハウス管弦楽団のシーズン開幕演奏会で《三重協奏曲》の独奏を務め、同年11月、グバイドゥーリナの90歳を祝して同団と《オッフェルトリウム》を共演。同年12月にはhr交響楽団とヴァイオリン協奏曲《対話:私とあなた》を演奏している。NHK交響楽団とは2012年、2018年に共演。定期公演へは今回が初登場となる。

 

【曲目】

①ラフマニノフ/歌曲集 作品34 ―「ラザロのよみがえり(hukkats注)」(下野竜也編)、「ヴォカリーズ」

「ラザロの蘇り(hukkats注)」

 ラザロ(Lázaros ギリシア語Lazarus 英語)は、新約聖書上の人物(姉妹)で、ベタニアのマルタとマリア姉妹のことであった。病死したのちイエスによって甦(よみがえ)らされた。その後、イエスが刑死したのちに復活した予兆と見なされる。

 

(曲について)

 セルゲイ・ラフマニノフといえば、誰もが華麗なピアノ作品の数々を思い浮かべるはず。しかし同時に、彼は生涯に80曲以上の歌曲を残した「歌曲作曲家」でもあった。数々の合唱曲やオペラの存在を鑑みるならば、むしろ彼の本質は「歌」にあり、この歌がピアノや管弦楽に投影されて、あのうねるような響きの作品群が書かれたのだともいえよう。
 14曲からなる《歌曲集 作品34》のうち、本日はここから2曲がオーケストラ編曲で奏される。まず、歌曲集の第6曲〈ラザロのよみがえり〉。原曲はごく素朴な旋律だが(ピアノも簡単な和音を淡々と鳴らすのみ)、その民謡のような手触りが、ラザロの復活という奇跡を目の当たりにした民衆の思いを伝える。指揮者の下野竜也によるオーケストラ編曲版は、管楽器を生かした荘厳な雰囲気が特徴。原曲はヘ短調だが、次曲にあわせホ短調に変えられている。一方、花形歌手ネジダノワのために書かれた、終曲〈ヴォカリーズ〉は、誰もが知る人気曲。母音唱法が旋律そのものの美しさを際立たせる音楽であるから、オーケストラでも美点はまったく減じないだろう。こちらは作曲者ラフマニノフ自身のオーケストラ編曲版である。

 

②グバイドゥーリ/オッフェルトリウム

(曲について)

 ソ連を代表するヴァイオリニストとして活躍していたギドン・クレーメルは、1980年に西ドイツに居を移す。その後彼は同時代のソ連作曲家たちを次々に紹介していった。自由を得たからこそ、祖国の音楽を「西側」に紹介せねばならないという義務感を感じていたにちがいない。
折しも前衛音楽がひとつの曲がり角を迎え、疲弊していたなか、クレーメルが紹介する「新しいソ連音楽」は、一挙に注目を集めることになった。1931年生まれのソフィア・グバイドゥーリナも、こうしてわれわれの前に姿をあらわした作曲家である。
ソ連内のタタール共和国で育った彼女は、当時支配的だった社会主義リアリズムの理念にはどうしても馴染(なじ)めなかったという。「私たちはアイヴスやケージを、こっそりと勉強していました」と述べる彼女は、必然として多くの軋轢(あつれき)を生むことになった。
 しかし、1981年にクレーメルによってウィーンで初演された《オッフェルトリウム》によって、彼女の名は一気に世界に知られることになる。時として支離滅裂といいたくなるほど奔放であるにもかかわらず、前衛のさまざまな技法とはまるで異なった「言語」に貫かれた音楽に、誰もが驚愕(きょうがく)したのだった。
まず、最初に響いてくるのは、バッハ《音楽のささげもの》の主題。この主題は全曲を統一する原理として提示されているが、そこから次々に異なった音の風景があらわれる。やがて音楽はゴツゴツとした突起を残しながら進んでゆき、戦後の音楽を輪郭づけていた抽象性に、いたるところで反発する。なにより印象的なのは、最後突如として音楽が調性的に響きだし、独奏ヴァイオリンが祈りの音調を奏で始める部分。この敬虔(けいけん)で無垢(むく)な響きは、それまでの現代音楽ではけっして聴くことのできなかったものだ。

 

③ドヴォルザーク/交響曲 第7番 ニ短調 作品70

(曲について)

 ドヴォルザークの後期交響曲のうち、《第9番》には「新世界から」というタイトルがつけられており、《第8番》には(内容とは全然関係ないのだが)「イギリス」というあだ名がある。では、もしもこの《第7番》に愛称をつけるとしたら?
筆者の頭に浮かぶのは「ブラームス」という語。もちろん、曲には濃厚なチェコの香りがあるし、時にワーグナー風の部分も散見される。それでもこの楽曲の堅固な構成感は、なによりブラームスを思わせるのだ。
考えてみればドヴォルザークの創作は、ブラームスとワーグナー、そしてスメタナという3人の巨人を眼前にして紡がれたものではなかったか。19世紀のドイツ音楽はワーグナーとブラームスの両端で揺れていたが、ドヴォルザークは若い頃からどちらにも惹かれており、結果としてその音楽には標題音楽・絶対音楽という枠組みを越えた柔軟性がもたらされることになった。ここにスメタナ仕込みの民族色が加わったときに、「ドヴォルザーク」という稀有(けう)な多面体が完成したといってよい。
《第7番》の作曲時期は1884年から翌年にかけて。重要なのは、彼が前年の1883年にブラームス《交響曲第3番》の初演を聴いていること。実際、この2曲はさまざまな共通点がある。例えばブラームス作品ではヘ長調とヘ短調の間を旋律がさまようが、ドヴォルザーク作品も、ニ短調にはじまり、最後にはニ長調へと到達して幕を閉じる。

 

【演奏の模様】

①ラフマニノフ/歌曲集 作品34 ―「ラザロのよみがえり」

《歌曲集 作品34》のうちから2曲がオーケストラ編曲で奏されました。今日演奏されたのは、第6曲〈ラザロのよみがえり〉下野編曲版と終曲〈ヴォカリーズ〉ラフマニノフ編曲版でした。

①-1第6曲〈ラザロのよみがえり〉

この曲では、下野さんの編曲は、金管重視の傾向が見られます。冒頭Trmb.の低音が響き、すぐにTrmb.からTrmp.へリレーされます。続いてTimp.にリズムを合わせたTrmb.とTrmp.が鳴らされると、それは弦楽アンサンブルの流れに飲み込まれのでした。もとが、ラフマの旋律ですから、心地よくスムーズに耳に入って来る曲でした。

①-2終曲〈ヴォカリーズ〉

これは、将にラフマらしい美曲の一つでしょう。流麗なVn.アンサンブルが、Cl.さらにはOb.に引き継がれ、さらにはOb.+Fl.が鳴り響く中、Vn.群がCb.のpizzicatoを下に従えそれこそ極上の美声を立てるのでした。

 

②グバイドゥーリ『オッフェルトリウム』

 この作曲家の曲は初めてお目にかかりました。上記(曲について)に記載のある通り、ソ連(タタール共和国)出身で、前衛だがその枠にとどまらず、何んとか脱皮・飛翔を図ろうとする幼虫が見事に成長したかの様に、所謂現代音楽の大半の曲の如く、大音響や奇をてらった耳障りな音は全く立てず、むしろ心地良さに身を委ねて聞ける幻想的とも言えるまた不思議な音を立てているVnコンチェルトでした。ギドンクレーメルがこの曲を発掘して作曲家の名も世に広めた位ですから、曲自体はある種単純な構造(冒頭の短い尻上がりの旋律テーマ)のそれこそ幾百とも知れぬ変奏や組合せからなるにせよ、彼方此方に重音(時には多重音)やら ハーモニックス音やら連続変化音やら、様々なテクニックを要する相当の達人でないと弾きこなせないハイテクニックの場面が散りばめられていて、それをこと無げに弾き切ったバイバ・スクリデの演奏技りょうには脱帽でした。40分を超える長時間のこの曲を弾き終えると、会場(各階ともかなり空席が目立ちましたが)からは大きな拍手が沸き起こり、彼女は、鳴り止まぬ拍手に何回もカーテンコールで舞台⇔そでを往来していました。思っていた以上に人気者の様子でした。


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ここで《20分の休憩》です。

 

後半は

③ドヴォルザーク/交響曲 第7番

第1楽章(アレグロ・マエストーソ)

第2楽章(ポーコ・アダージョ)

第3楽章(ヴィヴァーチェ)

第4楽章(アレグロ)

 この曲は好きですね。先ず全体的に我々が聴いて理解しやすい旋律とオーケストレーション。①及び②の演奏よりもこの交響曲で下野N響は本領を発揮し出しました。

低音の調べを管楽器が吹き始め、続いてVa.やVc.が低音を響かせ、それにVn.アンサンブルが合の手を入れます。こうした流れは各処に手の込んだ旋律を散りばめられた、美しくもあり親しみ易い聞き手に親和性の高い音楽です。 

 これは二楽章の冒頭でも同じことで、Vn.群の小刻みではあるが親しみ易い調べでスタート、経過過程は相当複雑に菅と弦が斑模様に絡み合っても、中間部での誰の耳にもわかり易い切れ味の良い旋律(この響きはドヴォル節とでも呼びましょうか)はこの楽章をとてもバランスの良い物に仕立てていました。

 特に三楽章の後半から終了部にかけては、勢いとリズム感のある調べで、つい口笛や口ずさみたくなる様な魅力的な旋律で良かった。此の章最後の盛り上がりぶりも最高。

 最終楽章はVc.の演奏でスタート⇒全弦の強奏に至り、弦楽アンサンブルは総じてVn.アンサンが優勢、管のTrmb.⇒Fl.⇒Ob.へとカノン的推移も面白く、Vn.アンサンブルの切れ味がここでも冴えます。次第にオケはテンポを上げ、上行して頂点に達した全奏音は突然違和感のある音(恐らく調が急変した音でしょう)を立ててオヤッと思わせて終了となったのでした。

 この曲は期待していただけあって、しかも指揮者の意図を十分に発揮したN響の立派な演奏が光っていて、非常に満足のいく聴きごたえのある演奏でした。

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 花束を受ける指揮者下野さん