HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

第1986回N響定期演奏会


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【日時】2023.6.11.(日)14:00~

【会場】NHKホール

【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮】ジャナンドレア・ノセダ

【独奏】ベフソド・アブドゥライモフ*

*当初予定のアレクサンドル・トラーゼ氏の死去により変更

<Profile>

1990年、ウズベキスタン共和国タシケント生まれ。5歳でピアノを弾き始め、8歳の頃、ウズベキスタン国立交響楽団との共演でデビュー。タシケントのウスペンスキー国立中央学院でタマーラ・ポポヴィチのもとで学んだのち、ウズベキスタン人で2001年ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール優勝者のスタニスラフ・ユデニチのもと、アメリカのパーク大学・国際音楽センターで研鑽(けんさん)を積んだ。
2009年のロンドン国際ピアノ・コンクール優勝を機に国際的なキャリアをスタート。2012年にプロコフィエフの《ピアノ・ソナタ第6番》ほかを収録したアルバムを、2014年には同《ピアノ協奏曲第3番》ほかを収録したアルバムをリリースした。これまでに、フィルハーモニア管弦楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニック、サンフランシスコ交響楽団、パリ管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団などと共演。N響との共演は、アシュケナージの指揮でラフマニノフを演奏した2014年以来9年ぶり.

【主催者言】
18世紀ヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴッツィ(1720~1806)は、イタリアの伝統的な喜劇「コメディア・デラルテ」を下敷きに、民話やオリエントの物語を題材とした10編の寓話劇を書いた。『トゥーランドット』をはじめとする奇想天外な物語は、時代や国を超えて多くの作曲家を魅了し、本公演の作曲家も、その魅力に惹きつけられた2人だ。セルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953)のモダニズム、アルフレード・カゼッラ(1883~1947)のファンタジー。オーケストラの機能を最大限に生かした彼らの作品に、カゼッラ再発見も含め、情熱の指揮者ノセダは、どのようにアプローチするのだろうか。

【曲目】 Aプログラム(約2時間公演、休憩20分)


①プロコフィエフ『交響組曲〈3つのオレンジへの恋〉Op.33bis』

(曲について)

1918年、プロコフィエフはロシア革命の混乱を逃れて日本経由でアメリカに渡った。ニューヨークに落ち着くと新天地での成功に野心を燃やし、ピアニスト、作曲家として自身を売り込んでいく。《歌劇「3つのオレンジへの恋」》は、シカゴ・オペラの総監督カンパニーニの依頼で作曲された。ゴッツィの同名の寓話劇(1761)を演出家メイエルホリドがロシア語に翻案した戯曲をもとに、台本もプロコフィエフ自身が手がけた。物語は劇中劇のかたちをとり、憂鬱症の笑わない王子が偶然転んだ魔女を笑って呪いをかけられ、3つのオレンジを探す旅に出かけ、3番目のオレンジの中から出てきた王女と結ばれる、というもの。オペラは、上演延期を経て、1921年12月に初演された。
プロコフィエフはオペラ初演後、6曲から成る交響組曲を編んだ。第1曲〈おどけもの〉物語を舞台上で観劇しながら王子に加勢する、おどけものたちの素材をつないでいく。ドタバタした雰囲気は、このオペラの性格をよく表している。第2曲〈地獄の場面〉2人の魔術師がカルタ遊びをする(第1幕第2場より)。第3曲〈行進曲〉プロコフィエフらしい諧謔(かいぎゃく)的な音楽。ピアノ編曲版で有名。第4曲〈スケルツォ〉王子一行は翻弄される(第3幕第2場より)。第5曲〈王子と王女〉東洋風の旋律で愛を語り合う(第3幕第3場より)。第6曲〈逃亡〉悪者一味は策略に失敗して逃げ出し、疾走するトッカータで結ばれる(第4幕第2場より)。
(柴辻純子)
 ②プロコフィエフ『ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 Op.16』

(曲について)

プロコフィエフはサンクトペテルブルク音楽院在学中からモダニズムの旗手として注目を集めていた。《ピアノ協奏曲第2番》は学生時代の1912年に着手され、翌年4月に完成。4楽章構成の協奏曲は全楽章が短調で書かれ、プロコフィエフ自身の演奏を前提にしていた。「信じがたいほど難しく、無慈悲なまでに人を疲れさせる作品」と自ら評したように、初演は賛否両論が巻き起こり、「異常な音」と拒否する批評家もいれば、「10年も経てばヨーロッパ中の聴衆が作曲家を褒めそやすだろう」と評価する者もいた。鋭い不協和音、大胆な跳躍音程、野性的なリズム、鋭角的な表現など、モダニズムの語法とともに帝政末期のロシアを思わせる妖しさも漂う。ロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフも終楽章の民謡風の主題を気に入り、バレエ化を真剣に考えるほどだった。
だが、この初演版の楽譜はロシア革命の混乱で消失してしまう。現行版は1923年に作曲家自身によって復元され、その際にピアノと管弦楽どちらにも手が入れられ、対位法的な書法を「いくらか複雑に」、形式ばらず「優美なもの」へと改訂された。
第1楽章(アンダンティーノ、ト短調)。夢見るような第1主題とリズミカルな第2主題が示され、ピアニスティックで華やかな長大なカデンツァの後、第1主題が静かに回想される。
第2楽章(スケルツォ:ヴィヴァーチェ、ニ短調)。プロコフィエフの音楽を特徴づける要素のひとつであるトッカータ風の軽快な音楽。独奏ピアノは常にオクターヴのユニゾンで演奏する。
第3楽章(間奏曲:アレグロ・モデラート、ト短調)。ファゴットやテューバ、低弦を響かせたオーケストラと独奏ピアノが絡みながら濃厚な表情を作り上げる。
第4楽章(終曲:アレグロ・テンペストーソ、ト短調)。目まぐるしく動く主題はピアノを打楽器的に扱い、ゆるやかな民謡風の主題はロシア民謡の牧歌的な性格が表れている。
(柴辻純子)

 

③カゼッラ『歌劇〈蛇女〉からの交響的断章』(日本初演)

(作曲家について)

 1883イタリア、トリノ生まれ作曲家ピアニスト指揮者・音楽指導者1896年パリ音楽院に入学し、ピアノルイ・ディエメに、作曲ガブリエル・フォーレに師事する。作曲、ピアノ演奏、指揮と全方位に視野を広げて活動した。第一次世界大戦中にイタリアへ帰国し、ローマサンタ・チェチーリア音楽院にてピアノを指導する。1923年ガブリエーレ・ダヌンツィオヴェネツィアジャン・フランチェスコ・マリピエロとともに、近代イタリア音楽を普及させるための音楽団体「イタリア新音楽協会」を結成する。ピアニストとしては独奏のほか、アルベルト・ポルトロニエリらとの室内楽でも活躍した。

(曲について)

今年生誕140年のカゼッラは、レスピーギやマリピエロとともにイタリアの「80年世代」と呼ばれる作曲家である。代々チェリストの家系に生まれ、1896年に渡仏。パリ音楽院でフォーレに師事し、20世紀初頭の百花繚乱(ひゃっかりょうらん)のパリの音楽界から多くの刺激を受けた。ドビュッシーの音楽に憧れ、ストラヴィンスキーやファリャとも交流をもち、第1次世界大戦勃発で帰国したあとには、イタリア現代音楽協会を発足させ、同時代の音楽の普及に努めた。その作風は、1920年代に新古典主義に到達し、晩年はファシズムに傾倒していった。
《歌劇「蛇女」》は、ゴッツィの同名の寓話劇(1762)を題材に、イタリアの劇作家チェーザレ・ヴィコ・ロドヴィチ(1885~1968)の台本により、1928年から1931年にかけて作曲された。ワーグナーの最初期の《歌劇「妖」》も同じ寓話劇から着想を得ているが、カゼッラは、妖精ミランダが蛇に変身するエピソードをそのまま残した。全体はプロローグと3幕から成る。テフリス国の王アルティドールは、素性を尋ねないことを条件に妖精ミランダと結婚した。しかし結婚8年目の終わりに王が素性を尋ねてしまったことで、ミランダは2人の子供とともに姿を消してしまう。アルティドールは、彼女を探し出したが、大臣の裏切りを知り、ミランダは愕然(がくぜん)とする王の前で蛇に姿を変える。アルティドールが魔法の試練を乗り越えると、蛇を閉じ込めた墓が崩れ落ち、人間の姿となったミランダと再会する。1932年にローマで初演されたのち、カゼッラは2つの組曲を編んだ。前半(第1組曲)はハンガリーの指揮者フリッツ・ライナーに、後半(第2組曲)はイタリアの指揮者ベルナルディーノ・モリナーリに献呈された。前半(第1組曲)の3曲は切れ目なく演奏される。
[第1組曲]〈アルティドール王の夢の音楽〉(アンダンテ)。チェロに支えられ、オーボエが神秘的なまどろみの旋律を奏でる。やがて、フルートとトランペットのコラール風の旋律へと移る。〈間奏曲〉(アンダンテ・モデラート)。トランペットとトロンボーンの弱音のファンファーレが3回登場し、徐々に高まる低音弦楽器と交替する。〈戦士の行進〉(テンポ・ディ・マルチャ)。行進曲の力強いリズムにのせて音楽はモノクロからカラーへと転じ、冒頭のモティーフは出現するたびにクリアになっていく。ニ長調となった後半は、ハリウッド映画風の壮大な音楽が広がる。
[第2組曲]〈シンフォニア〉(アレグロ・ヴィヴァチッシモ)。華やかな導入に続いて、リズミカルな主題が示され、オーボエが新しい主題を歌い出し、木管楽器による第3主題が加わる。管楽器が豊かな音色で活躍し、カゼッラのオーケストレーションの手腕が発揮される。〈前奏曲〉(レント・マ・ノン・トロッポ)。ホルンで反復される4音モティーフはミランダの嘆きを表す。嘆きが高まり頂点に達すると、再び音楽は静まる。〈戦いとフィナーレ〉(アレグロ・ヴィヴァチッシモ)。妻を取り戻すために王は試練に挑む。第1組曲の〈戦士の行進〉のモティーフも現れ、最後は勝利の行進曲で堂々と結ばれる。
(柴辻純子)

 

【演奏の模様】

①プロコフィエフ『交響組曲〈3つのオレンジへの恋〉』

第1曲〈おどけもの〉

第2曲〈地獄の場面〉

第3曲〈行進曲〉

第4曲〈スケルツォ〉

第5曲〈王子と王女〉

第6曲〈逃亡〉

 

 プロコフィエフらしいどこか憎めない剽軽さを有した音楽で、特に<行進曲>はピアノ曲や吹奏楽版に直されて演奏されることが多いですね。

 冒頭からのVn.の調べに乗った金管群に打も入り、ジャジャジャジャン、ジャジャジャジャン、ジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャンを何回か繰り返しピシャリと鳴る打、低音の調べが収まり1Vn.の弱音アンサンブルが伴うとFl.とOb.が穏やかに斉奏音を立て、この間Cb.はボンボンとpizzicatoで下抑えしています。突然シンバルが鳴り響き、Vn.が激高すると大太鼓+Timp.が激しく速いリズムをとり、それに答えたかのようなFl.のかん高い叫び、ジャジャジャジャジャジャジャーンジャンで第1曲「The Ridicules」が終了です。かくの如く以下同様に、寓話劇に沿った場面の曲を切り取って組曲にしています。『ピーターと狼』然り、この曲も子供でも楽しめる音楽になっていて、ノセダN響は、きっと得意の分野なのでしょう、纏まりの良い演奏を作り上げていました。

 

②プロコフィエフ『ピアノ協奏曲第2番』

第1楽章アンダンティーノ

第2楽章スケルツォ:ヴィヴァーチェ、

第3楽章(間奏曲:アレグロ・モデラート、

第4楽章(終曲:アレグロ・テンペストーソ、

 この曲はかなり難しく、高度の演奏テクニックを要しますが、直木賞受賞作品『蜜蜂と遠雷』の中で、主人公の永伝亜夜が、コンクール本選で弾いた曲と言った方が、すぐ分かるかと思います(映画化されましたね。演奏は河村尚子さん。彼女も世界的ピアニストと言って良いでしょう)。

 先月5月末に都響第976回定期演奏会に客演したビアニスト、アンナ・ヴィニツカヤが、2019年にフィッシャー指揮ベルリンフィルと共演していて、このプロコフィエフの2番を弾くのを、ベルリンフィル・デジタルコンサートホールで見ました。やはり一打一打の打鍵がしっかりしていてとても強く、指の動きも軽やか、男性顔負けの豪快な演奏をしていました。


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プロコフィエフ協奏曲2番を弾く

 一方、2020-11-08に来日公演したウィーンフィルの演奏の中で、マツーエフも、同じピアノ協奏曲第2番を弾きました。強烈な印象の演奏でした。その時の記録を、以下に抜粋再掲しておきます。

 

2020-11-08 HUKKATS Roc.(抜粋再掲)

《速報1》『ウィーンフィルハーモニー管弦楽団来日公演(2020.11.8.atミューザ川崎』を聴きました。

 待ちに待ったウィーンフィルの公演が、サントリーホールに先駆けて、ミューザ川崎で行なわれました。指揮のゲルギエフは、今や世界的な伝説的大指揮者とも言えるでしょう。15年振りの来日です。この指揮者とウィーンフィルの組み合わせで生演奏を聴けることは、、コロナ禍の世界状況にあって夢の様な大事件です。音楽を愛する人々だけでなく、コロナに苦しめられているすべての人々に夢と希望を与えることでしょう。世界的な大ニュースです。

演奏会の概要は以下の通りです。

 

【日 時 】

2020年11月8日(日) 17:00開演

 【会 場 】

ミューザ川崎シンフォニーホール

 【演 奏】

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

 【指 揮】

   ワレリー・ゲルギエフ

〈Profile〉

 

≪割愛≫

 

②『ピアノ協奏曲第2番』

 この曲は、かなり難しく高度のテクニックを要します。

 マツーエフは初めて聴きますが、がっしりした体躯の中年(失礼)のピアニストでした。その演奏するコンチェルトは一言で言えば「素晴らしい」かった。テクニックも音楽性も特に弱音演奏が綺麗に響いていました。

②ー1

立ち上がりは思ったより静かにおとなしい演奏。オケのパワフルなアンサンブルに対抗するには、控え目すぎではなかろうかと思われる程でした。後で気が付くのですがそれがマツーエフの持ち味なのですね。最初の主題とその後の第2主題が出て来て、その後のカデンツァはやはり心持ち抑えて演奏していると思いきや、次第に力が入り指を比較的平らにして(鍵盤が見える座席でした)鍵盤上を左から右へ、右から左へ縦横無尽に力演、最後は腰を浮かせて演奏、オケに渡していました。

②ー2

  速いテンポでの演奏。管弦楽のアンサンブルとピアノの音とが混然と一つの音のコズミックを形成し、マツーエフの力量をほうふつとさせた演奏でした。マツーエフは体を揺らすわけでもなく極端に腕を上げ下げするわけでもなく、姿勢はあまり変えず見た目淡々と弾いていました。これは余程腕と指の力が強いからなのでしょうか?ゲルギエフはピアニストと管弦の融合を少し匙加減を変えて調整役に徹している感じの指揮でした。

②ー3

 間奏曲の後重厚な調べの後ピアノは奏で始め次第に速度も速くなり、左右の手は時としてクロスし離れた位置に飛び跳ね、また激しく勢いよくピアノをたたく。見ていても確かに大変なテクニックを要する曲ですね。マツーエフはそれらを難なく弾きこなし貫禄を見せたのです。ドラマティックな終了の調べ。

 

②ー4

  最終楽章でウィーンフィルの演奏に触発されたのか予定していた通りなのか分かりませんが、マツーエフはこの時とばかり強い打鍵でピアノをたたき、素朴な感じの調べが迸り出た後、マツーエフは最終局面では猛スピードでけたたましいオケのアンサンブルに対抗して駆け抜け強烈な派手な演奏をして急終しました。

 こうした曲は、聴衆を興奮させますが、聴いている者より演奏しているピアニストのほうが、面白くて夢中になるのでしょうね、きっと。

 尚、マツーエフによるソロのアンコールがあり、チャイコフスキー『四季』から「10月秋の歌」が演奏されました。ピアノのゆったりとした穏やかな調べに、ハープのポロンポロンという音が気持ち良く、うっとりとしたいい感じの曲でした。

 

 今回のアブドゥライモフも、申し分ないテクニックと迫力で、各楽章を力強く弾ききりました。素晴らしかった。世界には、こうしたビアニストが何と多くいるのでしょう。日本のピアニストも是非どんどん世界に羽ばたいて貰いたいものです。

尚、今回はソロアンコールがあり、曲目は、チャイコフスキー『 こどものアルバム 作品39 ―第18曲「ナポリの歌」変ホ長調』でした。
いい曲なのですが、(多分時間の関係でしょうか?)短い演奏で、もう少し弾いて欲しい気もしました。

 

③カゼッラ『歌劇〈蛇女〉からの交響的断章』(日本初演)

[第1組曲]a〈アルティドール王の夢の音楽〉b〈間奏曲〉c〈戦士の行進〉

[第2組曲]d〈シンフォニア〉e〈前奏曲〉   f〈戦いとフィナーレ〉

 

 今回の演奏は、「マイストロ・ノセダの意向で、演奏順を逆にする」と言った趣旨のことが書いてある紙を1枚配布していました。要するに、d⇒e⇒f⇒a⇒ b⇒c の順で演奏するということです。

思い付きで急に変更したのでしょうか?それともリハーサルのN響の出来具合の加減で決めたのでしょうか? いずれにせよ、十分な情報が開示されていない。指揮者が勝手に演奏順を替えることは、曲によっては、長年の先例が多くて既成事実化している場合には、たまに有りますが、それでも全体の中の一部分にしか過ぎない変更です。「日本初演」だからと言って、曲の全体イメージが変わる恐れのある演奏順の大幅(この曲では50-50パーですから)な変更などやはり問題有りだと思う。

 我々音楽を聴く者は、この曲はこういった流れでこうした全体像があるのだと、その曲のイメージを頭に形勢して行ってその後何回もきくのですから。第九を3楽章、4楽章を先に演奏してその後1楽章、2楽章に戻ったら一体どういったことになるのでしょう?全体がぶち壊しでは?(でも世の中は広いから、それも一興と感じる人がいるかも知れないけれど)自分としては順番通り演奏して欲しかったですね。