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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

[ノセダN響+庄司早矢香]in サントリーホール

N響第1988回定期演奏会

 

 

【日時】2023.6.22.(木)19:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】NHK交楽団

【指揮】ジャナンドレア・ノセダ

<Profile>

1964年、イタリア・ミラノ生まれ。現在、“大統領のオーケストラ”と呼ばれるワシントンD. C. のナショナル交響楽団の音楽監督と、ルイージの後任としてチューリヒ歌劇場の音楽総監督を兼任し、コンサートとオペラの両分野で活躍しているマエストロである。マリインスキー歌劇場の首席客演指揮者、スペインのカダケス管弦楽団とBBCフィルハーモニックの首席指揮者、トリノ王立歌劇場の音楽監督などを歴任。BBCフィルを指揮したレスピーギ、カゼッラ、ダルラピッコラなど、注目すべきCDを数多くリリースし、首席客演指揮者を務めているロンドン交響楽団を指揮したロシアの作曲家のディスクも高く評価されている。レアなレパートリーも積極的に取り上げ、スコアに込められた機微を鮮やかに掘り起こしたうえで、しなやかな歌心とドラマを存分に引き出す手腕には脱帽するほかない。
ノセダは、2005年に初めてN響に客演して以来、たびたび共演を重ねてきた間柄である。今回のプログラムも、カゼッラの《歌劇「蛇女」からの交響的断章》の日本初演があるかと思えば、生誕150年の記念年を迎えたラフマニノフの意欲作《交響曲第1番》、そしてショスタコーヴィチの《交響曲第8番》など、いかにもノセダらしい多彩な演目が並んでいるのが魅力的だ。ノセダとN響の意欲的な取り組みに大いに期待したい。(満津信育)

 

【独奏】庄司早矢香(Vn.)

<Profile>

昨秋もラハフ・シャニ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演でシベリウスの《協奏曲》を弾くなど、トップステージで音楽的な存在感を際立たせているヴァイオリニストだ。レスピーギの《グレゴリオ風協奏曲》も2021年夏、ロンドンのBBCプロムスで弾いている。
イタリア・シエナのキジアーナ音楽院でウート・ウーギ、リッカルド・ブレンゴーラに、イスラエルでシュロモ・ミンツに、ドイツ・ケルン音楽大学でザハール・ブロンに学び、1999年、ジェノヴァで開催された第46回パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで史上最年少優勝を果たした。これまでにズービン・メータ、ユーリ・テミルカーノフの指揮で数多く協奏曲を披露。ジャナンドレア・ノセダともローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団などで共演している。CDも枚挙にいとまがなく、イタリアのピアニスト、ジャンルカ・カシオーリとはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ集を制作。2022年にはカシオーリのフォルテピアノを交え、古典派時代の演奏法にならい、ガット弦、クラシック弓でモーツァルトのソナタを録音した。
N響定期公演への出演は2018年6月(アシュケナージの指揮、オラフソンのピアノとの共演によるメンデルスゾーン《ヴァイオリンとピアノのための協奏曲》)以来となる。(奥田佳道)

 

【曲目】

①バッハ(レスピーギ編)『3つのコラール』

(曲について)

オットリーノ・レスピーギ(1879~1936)の名は、その名作「ローマ三部作」の作曲家として知られているのではないだろうか。壮麗で高度な管弦楽の名手としての顔に加えて、レスピーギは過去の音楽に独自の視点を加えて編曲、翻案したことでも知られている。イタリア音楽の豊かな伝統の上で、いかなる創作ができるかとレスピーギ自身が自問した結果ともいえよう。彼はローマのサンタチェチーリア音楽院の作曲科教授、院長を歴任したが、当地の図書館で膨大な過去の音楽資料に向き合う機会を得たのも功を奏した。
レスピーギが手掛けた編曲作品は未完や試作も含めて数多く存在し、モンテヴェルディやパイジェッロ、チマローザらのオペラからバッハ、ヴィヴァルディ、タルティーニ、ラモーといった作曲家の諸作品にまで及ぶ。その中には、本日の定期公演後半で取り上げられるラフマニノフ作品の編曲もある。《3つのコラール》はバッハのコラール前奏曲にもとづく編曲作品で、1930年に完成され、同年11月13日にトスカニーニ指揮のニューヨーク・フィルハーモニー交響楽協会で初演された。コラール前奏曲とは、プロテスタント教会でコラールを歌う前に演奏される短いオルガン作品をさし、バッハは数十曲書いている。レスピーギの編曲は、荘厳な第1曲〈きたれ、異教徒の救い主よ〉(BWV659)では弦とファゴットによるシンプルなものになっており、第2曲〈私の魂は主をあがめ〉(BWV648)では、木管の対話を浮かび上がらせている。第3曲〈目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ〉(BWV645)の原曲は、バッハが自身の《カンタータ第140番》から編曲した作品。よく知られた明朗な旋律が登場するので、聞き覚えのある方もいるのではないだろうか。レスピーギは金管を巧みに使い、華やかなオーケストラの響きを作り出している。
(伊藤制子)

 

②レスピーギ『グレゴリオ風協奏曲』

1921年グレゴリオ聖歌を引用して完成させた作品で、同年2月5日ローマアウグステオ楽堂にて、マリオ・コルティのヴァイオリン独奏、モリナーリの指揮により初演された。この曲ではヴァイオリンと管弦楽が合唱長と合唱団の役割を果たしている。

レスピーギは、ヴァイオリン、ヴィオラ奏者としての顔をもち、一時サンクトペテルブルクで弦楽器奏者として活動していたこともあった。当地でリムスキー・コルサコフに管弦楽法を学んだことが、レスピーギが以後作曲するオーケストラ書法に少なからぬ影響をもたらしたと思われる。《グレゴリオ風協奏曲》はレスピーギのヴァイオリン協奏曲の中で、演奏機会に比較的恵まれている一曲である。イタリアでの協奏曲の系譜は、タルティーニ、パガニーニ、ヴィオッティらいわゆるヴィルトゥオーゾ系が少なくないが、レスピーギはそうした技巧面を強調するようなスタイルを指向していなかった。彼の協奏曲はソロの妙技を引き立たせるというよりも、ソロとオーケストラとが一体となった響きの織物のような様相を呈している。
1921年に書かれた《グレゴリオ協奏曲》は、レスピーギの過去の音楽への傾倒をうかがい知ることのできる1曲でもある。初演は1922年、旧知のヴァイオリン奏者マリオ・コルティのソロ、ベルナルディーノ・モリナーリの指揮によりローマで行われた。初演に反響はさほどなかったものの、同年出版され、ピアノ伴奏版も作成された。全体は3楽章からなり、ソロは宗教的感触に満ちており、全体は厳かで物憂い色調が濃厚である。第1楽章では教会旋法を用いたオーボエによる主題が提示され、中間部でもこの主題が展開される。再現部ののち、ソロによるカデンツァが入り、切れ目なく次の楽章に入る。第2楽章では敬虔(けいけん)な雰囲気もあるヴァイオリン・ソロ主題が軸になっており、大伽藍(だいがらん)のオルガンのような響きにも注目したい。「アレルヤ」の副題のついた第3楽章はロンド形式による。金管、そしてティンパニの活躍も目立ち、独奏とティンパニが巧みな掛け合いを繰り広げる部分も登場する。
(伊藤制子)

 

③ラフマニノフ『交響曲 第1番 ニ短調 作品13』

(曲について)

ロシアの作曲家、セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)が最初に完成させた交響曲である。1895年8月30日に完成され、2年後の1897年3月15日ペテルブルクアレクサンドル・グラズノフ指揮ロシア交響楽協会によって初演された。

 この作品よりも前に1楽章だけ書かれた交響曲があり、ユース・シンフォニーと呼ばれる(作品番号なし)。セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)の家系は15世紀にまでさかのぼることのできる名門で、曾祖父や祖父、そして両親も音楽をたしなんでいた裕福な家柄だったものの、セルゲイの父の時代には没落していった。生地は鐘で有名なノヴゴロドの近郊セミョーノヴォ。ラフマニノフは幼い頃からロシアの文化的象徴である鐘の響きの中で育った。息子の才能を見抜いた母によって早くから充実した教育を受けたラフマニノフは、モスクワ音楽院を1892年に卒業。すでに《オペラ「アレコ」》や《幻想小曲集》で若き作曲家として注目されていた彼が、《交響曲第1番》に着手したのは、1895年1月のことであった。初演は1897年3月15日にサンクトペテルブルクで行われたが、作曲家キュイによる厳しい評が出るなど、大失敗となった。その真相について、指揮を担当したグラズノフの失態に起因する説があるが、音楽学者の一柳富美子氏は自著で、サンクトペテルブルク音楽界がラフマニノフに冷淡だったことが原因ではないかという説を紹介している。当時のサンクトペテルブルクでは、裕福な材木商で楽譜出版や演奏企画のスポンサーとして名を馳(は)せていたベリャーエフを中心とした派閥が楽界を牛耳っており、すでに海外でも注目されていたラフマニノフが疎まれ、初演失敗は既定路線だったのではないかという説だ。作曲者のショックは大きかったものの、この交響曲への深い愛着があったようで、ピアノ四手版もみずから用意していた。その後総譜が失われ、作曲者の死後、パート譜から復刻された版による再演が行われたのは、1945年10月17日のことだった。
初演の失敗はともかく、ラフマニノフらしい叙情味に、ロシア正教の旋法や民謡などを思わせる民族的な色彩が加わったこの交響曲は、復活再演後、広く知られるようになった。
全体は4つの楽章からなる。グラーヴェ─アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ニ短調、4/4拍子の第1楽章は、荘重な短い序奏に、ソナタ形式の主部が続くが、第1主題にはグレゴリオ聖歌《怒りの日》風のモティーフが見られる。展開部の対位法的書法にも注目である。第1楽章序奏部のモティーフが、以後の楽章冒頭でも回想のように姿を見せる。ロンド形式による第2楽章は、アレグロ・アニマート、ヘ長調、3/4拍子。第3楽章ラルゲットは変ロ長調、3/4拍子の3部形式で、ラフマニノフらしい息の長い甘美な旋律を織り込みながら、時折感情のたかぶりを表すかのように、展開する。第4楽章は、アレグロ・コン・フオーコ、ニ長調、4/4拍子で、3部形式。冒頭のファンファーレに象徴されるように、若きラフマニノフの情熱がみなぎるフィナーレである。
(伊藤制子)

 

【演奏の模様】

    前回(6月10日1986回定演)のノセダ指揮N響では、本邦初演というガゼッラ『蛇女・・・』の曲順を、前半と後半を入れ替えて演奏したので、この指揮者に共感を覚えられなかったのですが、今回は庄司さんのVn.ソロ演奏曲と他の二つの曲も、世間的に広く知られた曲なので、そうしたハプニングは生じないと踏んで聴きに行きました。

 今回の演奏曲の二つは、前回のガゼッラと同世代のイタリアの作曲家、レスピーギの曲です。イタリア人ノセダはこの時代にかなり興味を有している様です。

 

①バッハ(レスピーギ編)『3つのコラール』

コラール前奏曲とは、プロテスタント教会でコラールを歌う前に演奏される短いオルガン作品をさし、バッハは数十曲書いています。

 

第1曲 Lentoassai

第2曲 Andante con moto e scherzando

第3曲 Andante 

①-1弦と管演奏によるシンプルで荘厳なものになっています。 重々しい低音弦Cb.のうねりから全弦のテーマ奏に移行、次第に高音域に推移し、Vn.の高音アンサンブルが響きました。全体として一定範囲の変化に留まる同一テンポの緩やかな曲でした。

①-2では、軽快なバッハらしい特徴のあるリズムで低音弦のフーガ的推移に木管が合の手を入れ、両者が対話的に進行する短い曲でした。

①-3になり始めてバッハそのものの堂々とした弦楽Vn.アンサンブルでスタート、何度も聞いたことのある親しみ深いメロディが流れました。管がフーガ的に合いの手を入れ、金管が入ると、それが弦楽に負けない大きな音を出し、最終場面はバッハのオルガン曲より、華やかなオーケストラの響きが鳴り響きました

 

②レスピーギ『グレゴリオ風協奏曲』

 楽器編成は,Vn.2減などコンチェルトシフトが有りましたが、それ程編成が小さくはなりませんでした。

 庄司さんの演奏を聴くのは久し振りです。あれはコロナ禍に入ったか直前だったかの時にミューーザで行われたリサイタルでした。庄司さんは怪我でもしたのか足を引きずって登壇し、椅子に座って演奏しました。その時の記録を参考まで文末に再掲して置きます。今回の席は一階の前方の席でしたが、右に寄り過ぎていて、独奏者は指揮者や弦奏者の影に隠れて、姿が余り良く見えませんでした。

第1楽章 Andante tranquillo

第2楽章 Andante espressivo e sostenuto

第3楽章 Allegro energico  

②-1

 ノセダがタクトを上げ動かし始めると、弦楽アンサンブルの厳かな調べがスタート、それに呼応したOb.のソロ音がゆったりと流れ、暫し木管たちの響きが続きました。再度Vn.アンサンブル中心の弦楽奏がテーマを暫し弱く鳴らすと、庄司さんのソロ音がやおらそれに加わります。かなり高音で細い音色、美しくはありますが、神経質な音と言ってもいいかも知れない。ハーモニックス音に近い処まで、せり上がるソロ音、暫くするとソリストは低音演奏に移り、重音も交えて、オケのかなりの楽器群の音達にも負けない明瞭な音を出しています。暫しのソロの休止後、再度庄司さんのソロ音はくねくねと続き、最終部ではカデンツア演奏が重音も交えて、低音、高音域をゆっくりと自在に動き回り、時々入る管や弦の合いの手は短く、ソロ音が鳴り響きます。仲々力強い庄司さんの発音、管弦の演奏が伴っても音はクリアに聞え、この楽章最後の重音演奏等迫力満点なカデンツアでした。

 アッタカ的に次楽章にオケをバックに低音旋律で移入。

②-2

 管弦の弱い伴奏に乗って、ソロVn.が低音旋律を滔々と流し出します。

 このスタート演奏旋律に関して、少し調べると「2楽章は11世紀のセクエンツィアの1つ、ヴィクティマエ・パスカリ・ラウデス (Victimae Paschali Laudes) 『復活のいけにえに』を元にした独奏ヴァイオリンの響きで開始」という解説が有りました。どういう意味か分からない。時間がとれたら、さらに調べてみたいと思います。

 この楽章でも庄司さんのソロVn.音はオケの合間を縫って明確に主張され、前楽章も含め高音の繊細なソロVn.音が主流旋律を形成していた。指揮者もオケも一旦演奏が止み、庄司さんも一息つくと、会場からは拍手がパラパラ、舞台上のまだ終わっていない、これから演奏が続く雰囲気を悟って、拍手はすぐ止みました。

1楽章と2楽章が切れ間なく演奏され、合わせて20分位かかっていたので、終わりかと思うのも無理ないでしょう。初めて聴く人も多かったと思います。

③-3

金管も交えオケの少し勇ましい調べでスタート、打楽器の音も入っています。ソロVn.も力強いボーイングでリズミカルな強奏をし、ノセダは大振りの仕草をさらに大きくしてタクトを振り、金管の音が他を圧倒(Trmb.の音は、Hrn. Trmp.を凌駕して大きく聞こえます)この楽章ではオケもソロVn.も相当な盛り上がりぶりを見せましたが、演奏全体の流れはやや緩慢というか曲自体に変化に富んだ色彩が余り無い、極端に言うとやや退屈な曲と謂った印象を抱きました。総じて庄司さんの技術は高度なもので、音色も綺麗、迫力はある程度感じましたが、やはり女性的かな?

演奏が終了しノセダはソリストの手取って高々と挙げました。

画像

その後、ソロアンコール演奏があったのです。

バルトーク『 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ BB124/Sz.117』から第3楽章 メロディア

 非常に繊細な音・旋律ばかりで、しかも無調的な箇所も有り、それを僅かな指の動きの匙加減で、難しそうな重音演奏も交え、之ここに技輛の極み有りの感がしました。ヴァイオリニストなら誰でも表現出来るものではないでしょう。

 

 

③ラフマニノフ『交響曲 第1番 ニ短調 作品13』

第1楽章 Grave - Allegro ma non troppo

第2楽章 Allegro animato

第3楽章 Larghetto

 

 この交響曲はよく有るラフマニノフの耳を欹てる程の高度な技術の演奏の箇所も、あの素晴らしく美しい旋律の流れもほとんど感じられず、印象としては、大きな音の迫力は感じても自分の好みからはかなり遠い存在だと思いました。

 尚その特徴については上記(曲について)と次の《参考》に詳細は書いてあるので記しました。

《参考》

1楽章では、重々しいGraveの短い序奏で開始される。冒頭の管によるモティーフは全楽章通して重要な役割を果たす。すぐにAllegro ma non troppoの主部となり、弦の軽妙なリズムに乗って第1主題がクラリネットで提示される。いくつかの動機をだして発展して落ち着くと、Moderatoに減速してヴァイオリンに経過句が出てからオーボエが第2主題を提示する。これがいきなり序奏の動機で打ち破られると展開部となる。ここでは主に第1主題を扱って発展してゆく。そのまま再現部となり第1主題が自由な形で再現される。第2主題も続くが、やはり序奏の動機で打ち破られるとコーダに入ったことになる。第1主題の断片が次々と奏されて盛り上がって力強く曲を閉じる。

2楽章。ヘ長調 3/4拍子、ロンド形式(A-B-A-C-A-B-A-Coda)。

第1楽章に基づく短い導入の後、弱音器をつけた第1ヴァイオリンで主要主題が提示される。第2副主題も第1楽章の序奏に基づく動機が現れている。

3楽章、変ロ長調 3/4拍子、三部形式

やはり第1楽章の序奏に基づく導入の後、クラリネットにより主要主題が提示される。オーボエ、フルート、第1ヴァイオリンの順に受け継がれてゆく。中間部ではホルンの和音の刻みと弦楽器が絡んで発展する。

第4楽章では、序奏付き複合三部形式

やはり第1楽章の序奏に基づく導入で、これまでのそれと比べて長めである。導入に基づく主要主題が現れ、これまでの楽章で出た要素を用いて多彩な発展が行われる。中間部は第2、第3楽章に基づくものである。やがて再現部となり主要主題が回帰し盛り上がる。休符を挟んでコーダとなり、第1楽章を想起しながら力強く曲が結ばれる。

四つの楽章全ての開始が上行形の三連符であることや、後続楽章において先行楽章の動機が素材として扱われること、そして第1楽章の序奏が終楽章コーダに帰結することによって楽曲全体の統一を図っている。また第1楽章のフガートをはじめ全曲にわたり対位法の技巧が駆使されており、拡大された打楽器群を活用した管弦楽法も含め、作品に対しての若きラフマニノフの野心がうかがえる。作品にはズナメニ聖歌と呼ばれる正教会聖歌の巧みな利用や、ロマ音楽からの影響が指摘できる。ラフマニノフの初期作品には作品12のジプシー奇想曲やモスクワ音楽院の卒業制作の『アレコ』のように、ロマ音楽の影響を色濃く留めたものがこの曲のほかにも見られる。全曲の中心的なモチーフの一つがグレゴリオ聖歌怒りの日」の冒頭四音と共通しており、このあともラフマニノフは類似の音型をくりかえし取り上げているが、正教会の音楽しか勉強していないラフマニノフが「怒りの日」そのものを詳しく知ったのは合衆国へ移住後の晩年になってからである。

 

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10人、クラリネット、バイオリン、チェロとコンサートの画像のようです

楽団員が退場した後もいつまでも続くソロカーテンコールに答えて登壇したノセダ、今日の演奏と観客反応に満足そうな様子でした。

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庄司紗矢香(Vn)&ヴィッキングル・オラフソン(Pf)デュオ・リサイタル

 

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 庄司さんは様々なオーケストラから引っ張りだこの、超人気ヴァイオリニストなので説明するまでも無いですが、以前は録画で聴くと何かか細さというか、やや弱い感じがしていました。生演奏で聴くとどうかと思って聴きに行ったのでした。

 一方、ピアノのヴィキングル・オラフソンの名は初めて聞きます。ネット情報で調べると以下の様なピアニストでした。

1984年アイスランド生まれ。2008年にジュリアード音楽院でロバート・マクドナルドのクラスを卒業。ジュリアード・オーケストラ、アイスランド交響楽団などと共演。オックスフォード大学とレイキャヴィーク大学で音楽のマスタークラスの指導者として迎えられるだけでなく、クラシック音楽に新しい扉を開くことを目的とした学生のためのアウトリーチ・リサイタルも開いている。5つのピアノ協奏曲を初演。彼はまた、音楽を広めるためにメディアに出演し、アイスランド放送のための約10本のテレビシリーズ「音楽エピソード」の制作も行った。2012年にはレイキャヴィク・ミッドサマー音楽祭を創設して芸術監督を務める。また、2015年からはスウェーデンのヴィンターフェスト音楽祭の芸術監督に就任した。アイスランド音楽賞、アメリカン・スカンジナビア社会文化賞、ジュリアード・バルトーク・コンクール賞、ロータリー財団文化賞など、多くの賞を受賞。庄司紗矢香やビョークらとも共演し、アイスランドに新風を吹き込む若き音楽家。彼は伝統的なコンサート・ピアニストであると同時に、ビョークやオーラヴル・アルナルズ等コンテンポラリー・コンポーザーたちともコラボレーションを行い新たな世界を切り拓いている。

【日時】2020.12.13.(日)14:00~

【会場】みなとみらいホール

【出演】庄司早矢香(Vn)

         ヴィッキングル・オラフソン(Pf) 

【曲目】

①J.S.バッハ『ヴァイオリン・ソナタ第5番』


②バルトーク『ヴァイオリン・ソナタ第1番』

 

③プロコフィエフ『5つのメロディOp.35』


④ブラームス『ヴァイオリン・ソナタ第2番』

 

【演奏の模様】

 登壇した庄司さんは、足を少し引きずって歩いていて、ピアノの前の譜面台の処には、椅子が置いてあり、坐って演奏しました。きっと足(多分右足だと思います)を痛めたのでしょう。 

さて演奏の方は、

①バッハのヴァイオリンソナタは、6つありますが、何れもケーテン時代のもので、如何にもバッハらしい曲ばかりです。逆な言い方をすれば、皆感触が似ているということ。その中でこの5番のソナタは、一番長い曲です。短調で通しているのが大きな特徴。

1-1 まるでVcの様に低い音でしめやかなしっとりしたメロディを庄司さんは奏で始め、オラフソンは淡々とピアノでその伴奏的調べを合わせています。

1-2 バッハらしい速いメロディでフーガ調、前楽章もこの楽章も、Pfが主導している感有り。デュオの割には庄司さんが見えて来ません。

1-3 重音演奏も低く小さな音だったので、はっきりとその特徴が掴めず、一瞬、庄司さん不調かな?と頭をよぎった考え、これは後で間違いだったと分かりましたが。

1-4 この楽章もPfの演奏がデュオの域をはみ出て活躍、音が卓越していました。

  バッハでは、庄司さん目立った演奏ではなかったと感じました。これは座っていたせいもあるのでしょうか?体を横に頻繁に揺すりながら弾くのですが、立って足に力を入れて支えた時の様に弓が強く弾けないのかも知れません。

 

②足の調子が歩くとかなり悪いのでしょう。舞台袖に戻らずすぐに次のバルトーク開始です。この曲は初めて聴きますが、30分以上の大曲で、曲の響きは全体的に良いものを持っています。

1楽章ではまだVn演奏は冴え冴えとした音は高音にとどまり、Pfが力演、第2楽章になるとかなり良い響きを拡散していました。3楽章では冒頭からVnが良い音を出し、中間部でもかなり力が入って来ました。ハーモニクス奏法による非常に高い音を出して演奏する箇所は流石だと思った。終盤はPfが主導権を発揮していました。

4楽章では民族調の調べが続き、Vnの独奏的部分、不協和音的重音ピッティカートのカスネットに聴きまごう響き等々、随分高度なテクニックを有する難曲部分も庄司さんは益々演奏に没頭して弾いていました。いったん終わりかと思わせぶりに又音が響きそれを何回か繰り返してやっと真の終わりに頭+する曲でした。ピアののオラフソンは時々庄司さんの方を見て確認しながら、隙間なく、手落ちなく、ピッタリと寄り添って演奏していて見事でした。

 

③プロコフィエフのこの曲は初めて聴きます。こうしてみると初めての曲が多いですね。世の中には何と沢山の作曲家そして膨大な曲があるのでしょう。プロコフィフの曲は最近ですと、11月にウィーンフィルの『ロメオトジュリエット』『ピアノ協奏曲第2番』を聴きましたが、いつものイメージの曲とはかなり異なる印象の曲でした。アメリカ亡命時代懇意にしていた音楽家一家の夫人の為に書いたソプラノ用の歌を後にヴァイオリン用に編曲したものと言われます。

  第1曲Andanteの最初から美しいメロディが流麗に響き、特にピアノの抑えた音が美しい。まるで仏蘭西印象派の絵みたい。この曲をヴァイオリン用に編曲したのはプロコフィエフがフランス滞在時代だというのですから納得です。

 第2曲Lent,ma non troppoも朗々と、しかし静かに歌う様に旋律を追っています。その後やや早いステップで小走りに進みますが、すぐに元の歩みに戻る感じ、1曲も2曲もPfは伴奏に徹していました。

 第3曲Animato,ma non allegroでは最初からVnは激しい曲調で弾き始めすぐに穏やかな旋律に収まります。庄司さんは①、②の時よりは、調子が上昇基調に乗ったみたい。

 第4曲Allegretto leggero e scherzandoでは、軽快な舞曲風の調べを軽々と演奏、最後非常に高い音域の音を駆け上って終了です。

 最終第5曲での穏やかなメロディを聴き、あたかも日向でまどろんでいたら、顔に一陣の風が吹き、あたり空を見上げると急速に黒い雲が太陽の光を遮り、次第に雲が薄くなって雲間から一条の光が差し込む情景を夢想してしまいました。最後のハーモニックの音を庄司さんは綺麗に出していました。ピアノのオラフソンは3曲以降も伴奏に徹していました。誰作曲の曲か分からないで聴いていたら、プロコフィエフの名は出てこないでしょう、きっと。それ位プロコフィエフの他の曲とはイメージが異なっていました。                   

 最後の曲は④ブラームスのソナタです。『ヴァイオリン・ソナタ2番』ですがこれも①のバッハの曲の様に、「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」と言った方が良い程、ピアノの活躍が目覚ましい曲なのです。これはブラームスの事を考えればさも有りなんと理解できます。ブラームス自信ヴァイオリニストでなくピアニストだったのですから。しかもピアニストのクララを一生、敬愛していたのですから。ピアノ伴奏をおろそかにする筈が無いのです。                          

 ブラームスのソナタ1番は、昨年10月に竹澤恭子さんが演奏するのを聴いたことがあります。その時の印象は、全力を挙げてブラームスの体躯からメロディを引き出すため、苦労に苦労を重ねて素晴らしい音を捻出し紡いでいる感じがしたものでした。ところが今日の庄司さんは、前半の①、②の曲から後半の③の曲に至るまで、次第にピッチを上げてスピード競技を走っているランナーの様に上昇傾向の中にあって④のブラームを弾いた訳です。何か難しいテクニックも軽々と駆使して、た易くブラームスの素晴らしい曲を引き出していた感がしました。これは庄司さんの天才性に依るのでしょうか。 

 ①、②辺りまでは、聴きながら冒頭に書いた疑念がまだ晴れませんでしたが、次第におやこれは、さすがだなと思う箇所が増えて、やはりか細く見える体躯の中には強いエネルギーを秘めていて、今回はそれを発揮するのに若干時間がかかったのだと、認識を新たにしました。一楽章から三楽章の細部については感じたことがいろいろありますが割愛します。

 今日の演奏は庄司さんの天才性を示したばかりでなく、ブラームスの天才性も分かるものでした。兎に角お洒落で大人の響きを有するかっこいい曲ばかりですね。

 なお万雷の拍手を受けて、アンコールがありました。              バルトーク作曲『ルーマニア民族舞曲』、弾むようなリズミカルな調べ、弓で弦を叩く様な奏法やハーモニックス奏法を駆使し、非常に速いパッセージなど民族的雰囲気に満ちた演奏でした。

 足を引きずりながら何回か舞台と袖をゆっくり往復し、拍手に応じる庄司さんを見ると、やはり痛々しくも有り可哀そうな気もして、アンコール演奏までしたサービス精神には感心しましたが、ところが再度出てきた庄司さんは二曲目までアンコール演奏したのです。これには驚くと同時に感激しました。

パラディス作曲『シチリアーノ』。しっとりとした仲々いい曲でした。庄司さんは心から音を出している感じ、オラフソンも息がぴったり合っていました。

補記:マリア・テレジア・フォン・パラディス(1759~1824)はオーストリアの作曲家(&声楽家&ピアニスト)。モーツァルトの生涯とクロス点もあった様です。