- 【日時】2923.9.25.(月)19:00~
- 【会場】サントリホール大ホール
- 【出演】
- ○庄司紗矢香(ヴァイオリン)
- ○モディリアーニ弦楽四重奏団
〈Profile〉
2003年にパリで結成されたフランスの弦楽四重奏団である。パリ国立高等音楽・舞踊学校に在校していた4人の学生により2003年に結成された。
4人は同コンセルヴァトワールでイザイエ弦楽四重奏団に師事した。結成当初のメンバーから異動があったが、現在のメンバーは次の通りであった、19世紀のヴァイオリン製作者、ジャン=バティスト・ヴュイヨーム が製作した4挺の「エヴァンジェリスト」(Évangélistes)を用いて演奏を行った。これは la Swiss Global Artistic Foundation が用意したものである。現在は、ジョヴァンニ・バティスタ・グアダニーニ、アレサンドロ・ガリアーノ、アントニオ・マリアーニ、マテオ・ゴフリラーを使用している。
2014年、モディリアーニ弦楽四重奏団はエヴィアン音楽祭(フランス語版)の芸術監督に就任することが決まった。同音楽祭は1976年にアントワーヌ・リブー(フランス語版)により創設され、長らくロストロポーヴィッチ が芸術監督をしていたが2001年ごろに中止になった。
2006年にはニューヨークのヤング・コンサート・アーティスツ・オーディションズで優勝。13年の中断を経てエヴィアン・リゾート(フランス語版)とモディリアーニ弦楽四重奏団との共同指揮の下、新しい時代を刻むこととなった。
○ベンジャミン・グローヴナー(ピアノ)
-
<Profile>
1992年生まれ。2004年11歳の時、BBC青少年音楽コンクールピアノ部門の傑出した優勝者として一躍脚光を浴びる。2011年、19歳でBBCプロムス第一夜にてBBC交響楽団と共演し、同年デッカ・クラシックスと契約。翌年の英国王立音楽アカデミー卒業時には女王から特に表彰を受け、再びBBCプロムスで、C.デュトワ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演した。これまでにC.エルトン、L. O.アンスネス、S. ハフ、A.コーエン等に師事。
- 【曲目】
- ①武満徹『妖精の距離』
- ②ドヴュッシー『ヴァイオリン・ソナタト短調』
- ③ラヴェル『弦楽四重奏曲 ヘ長調』
- ④ショーソン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲 ニ長調 Op. 21』
【演奏の模様】
庄司さんの演奏はかなり以前から注目していたものの、録音を聴いているとやや弱さを感じたこともあって、生で聴いた時のその疑念を払拭する力演には感心したものでした。 しかし今回の演奏会のタイトルを見ると「フランス風」とあり、これは如何なるものなのか?分からないまでも、選曲も出演者も「フランス」関係で占められていたので、庄司さんとフランスの関わりとの意図は分らないまま、聴いてみようと思ってサントリーまで足を運びました。
そしたら配布プログラムに紙一枚がはさんであり、こう記してあったのです。
❝本公演では<武満徹:要請の距離>の演奏前に武満がこの曲の作曲にあたって着想を得た瀧口修造の詩「要請の距離」の朗読をお聞きいただきます❞(朗読:大竹直)
開演の鐘が鳴ってホールの照明が弱にされると、一人の俳優が舞台に現れ、低音の力強い演劇俳優の声で、詩をゆっくりと読み上げました。でも内容はクリアに聞えない(一階の右翼中央列前方の席でしたが)ので意味不明でした。(後日調べると下記に引用した様な詩でした。)曲を聴いた後に感じたのですが、もう少し高音の女性ナレーターが読み上げた方が、曲との一体感が出て、雰囲気も合致したでしょうに。
「妖精の距離」(瀧口修造)
うつくしい歯は樹がくれに歌った 形のいい耳は雲間にあった 玉虫色の爪は水にまじった 脱ぎすてた小石 すべてが足跡のように そよ風さえ 傾いた椅子の中に失われた
麦畑の中の扉の発狂 空気のラビリンス そこには一枚のカードもない そこには一つのコップもない 慾望の楽器のように ひとすじの奇妙な線で貫かれていた それは辛うじて小鳥の表情に似ていた それは死の浮標のように 春の風に棲まるだろう それは辛うじて小鳥の均衡に似ていた
この詩をよみ、庄司さんのふわふわと浮遊する様な優しい軽ろめの旋律が、堅いけれどしっかりした発音のグローヴナーのピアノの土台上を自由に行き来する演奏から受けた印象は「これは将に幻想藝術の一端だ」という事でした。
武満のこの曲は1951年21歳の若かりし時の作品で、初作から二番目に公表されたヴァイオリンとピアノのための作品です。この当時の武満の作風はメシアン等の強い影響を受けているので、ここで納得、唯一「フランス」作品でない武満の作品が、何故プログラムの初っ端に持って来て演奏されたか。こうした「幻想音楽の系譜」という目で見ると、二番目に演奏されたドビツュシーのソナタもラヴェルのカルテットも、ショーソンの珍しい「協奏曲」も、何か針で通した一本の糸で繋がっている様な響きと雰囲気を有していることに気が付きました。
確かに①に続く②のドビュッシーも、彼の激しい『海』的側面でなく『月のひかり』的側面が、不思議な雰囲気を醸し出していたし、ラヴェルもあの力一杯の男臭さの芬々とする『ボレロ』的なものでなく、『亡き王女のためのハヴァーヌ』的静かな雰囲気も味わえる演奏だったし、最後のショーソンの、「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」とも「弦楽伴奏のヴァイオリン協奏曲」とも、ヴィヴァルディ的「合奏協奏曲」とも見方・聴き方によっては多重に捉えられる珍しい曲でも、美しい風景を夢想する様な場面(特に第二楽章など)も多く有り、ベルリオーズの幻想交響曲(就中第Ⅱ楽章)にも連なる様な、シュールな印象を強く受けた演奏会でした。でもやはりそこでは庄司さんが主役、テクニックも迫力も音色の美しさもある、益々冴えた申し分ない演奏を堪能出来ました。機会があればまた聴きに行きたいと思います。
尚、庄司さんの演奏はこの6月にノセダ・N響の演奏で聴いていますので、その時の記録を文末に《抜粋再掲》して置きます。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////《2023.6.23.HUKKATS Roc.抜粋再掲》
N響第1988回定期演奏会
【日時】2023.6.22.(木)19:00~
【会場】サントリーホール
【管弦楽】NHK交楽団
【指揮】ジャナンドレア・ノセダ
<Profile>
1964年、イタリア・ミラノ生まれ。現在、“大統領のオーケストラ”と呼ばれるワシントンD. C. のナショナル交響楽団の音楽監督と、ルイージの後任としてチューリヒ歌劇場の音楽総監督を兼任し、コンサートとオペラの両分野で活躍しているマエストロである。マリインスキー歌劇場の首席客演指揮者、スペインのカダケス管弦楽団とBBCフィルハーモニックの首席指揮者、トリノ王立歌劇場の音楽監督などを歴任。BBCフィルを指揮したレスピーギ、カゼッラ、ダルラピッコラなど、注目すべきCDを数多くリリースし、首席客演指揮者を務めているロンドン交響楽団を指揮したロシアの作曲家のディスクも高く評価されている。レアなレパートリーも積極的に取り上げ、スコアに込められた機微を鮮やかに掘り起こしたうえで、しなやかな歌心とドラマを存分に引き出す手腕には脱帽するほかない。
ノセダは、2005年に初めてN響に客演して以来、たびたび共演を重ねてきた間柄である。今回のプログラムも、カゼッラの《歌劇「蛇女」からの交響的断章》の日本初演があるかと思えば、生誕150年の記念年を迎えたラフマニノフの意欲作《交響曲第1番》、そしてショスタコーヴィチの《交響曲第8番》など、いかにもノセダらしい多彩な演目が並んでいるのが魅力的だ。ノセダとN響の意欲的な取り組みに大いに期待したい。(満津信育)
【独奏】庄司早矢香(Vn.)
<Profile>
昨秋もラハフ・シャニ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演でシベリウスの《協奏曲》を弾くなど、トップステージで音楽的な存在感を際立たせているヴァイオリニストだ。レスピーギの《グレゴリオ風協奏曲》も2021年夏、ロンドンのBBCプロムスで弾いている。
イタリア・シエナのキジアーナ音楽院でウート・ウーギ、リッカルド・ブレンゴーラに、イスラエルでシュロモ・ミンツに、ドイツ・ケルン音楽大学でザハール・ブロンに学び、1999年、ジェノヴァで開催された第46回パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで史上最年少優勝を果たした。これまでにズービン・メータ、ユーリ・テミルカーノフの指揮で数多く協奏曲を披露。ジャナンドレア・ノセダともローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団などで共演している。CDも枚挙にいとまがなく、イタリアのピアニスト、ジャンルカ・カシオーリとはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ集を制作。2022年にはカシオーリのフォルテピアノを交え、古典派時代の演奏法にならい、ガット弦、クラシック弓でモーツァルトのソナタを録音した。
N響定期公演への出演は2018年6月(アシュケナージの指揮、オラフソンのピアノとの共演によるメンデルスゾーン《ヴァイオリンとピアノのための協奏曲》)以来となる。(奥田佳道)
【曲目】
①バッハ(レスピーギ編)『3つのコラール』
(曲について)
《割愛》
②レスピーギ『グレゴリオ風協奏曲』
1921年にグレゴリオ聖歌を引用して完成させた作品で、同年2月5日、ローマのアウグステオ楽堂にて、マリオ・コルティのヴァイオリン独奏、モリナーリの指揮により初演された。この曲ではヴァイオリンと管弦楽が合唱長と合唱団の役割を果たしている。
レスピーギは、ヴァイオリン、ヴィオラ奏者としての顔をもち、一時サンクトペテルブルクで弦楽器奏者として活動していたこともあった。当地でリムスキー・コルサコフに管弦楽法を学んだことが、レスピーギが以後作曲するオーケストラ書法に少なからぬ影響をもたらしたと思われる。《グレゴリオ風協奏曲》はレスピーギのヴァイオリン協奏曲の中で、演奏機会に比較的恵まれている一曲である。イタリアでの協奏曲の系譜は、タルティーニ、パガニーニ、ヴィオッティらいわゆるヴィルトゥオーゾ系が少なくないが、レスピーギはそうした技巧面を強調するようなスタイルを指向していなかった。彼の協奏曲はソロの妙技を引き立たせるというよりも、ソロとオーケストラとが一体となった響きの織物のような様相を呈している。
1921年に書かれた《グレゴリオ協奏曲》は、レスピーギの過去の音楽への傾倒をうかがい知ることのできる1曲でもある。初演は1922年、旧知のヴァイオリン奏者マリオ・コルティのソロ、ベルナルディーノ・モリナーリの指揮によりローマで行われた。初演に反響はさほどなかったものの、同年出版され、ピアノ伴奏版も作成された。全体は3楽章からなり、ソロは宗教的感触に満ちており、全体は厳かで物憂い色調が濃厚である。第1楽章では教会旋法を用いたオーボエによる主題が提示され、中間部でもこの主題が展開される。再現部ののち、ソロによるカデンツァが入り、切れ目なく次の楽章に入る。第2楽章では敬虔(けいけん)な雰囲気もあるヴァイオリン・ソロ主題が軸になっており、大伽藍(だいがらん)のオルガンのような響きにも注目したい。「アレルヤ」の副題のついた第3楽章はロンド形式による。金管、そしてティンパニの活躍も目立ち、独奏とティンパニが巧みな掛け合いを繰り広げる部分も登場する。
(伊藤制子)
③ラフマニノフ『交響曲 第1番 ニ短調 作品13』
(曲について)
《割愛》
【演奏の模様】
前回(6月10日1986回定演)のノセダ指揮N響では、本邦初演というガゼッラ『蛇女・・・』の曲順を、前半と後半を入れ替えて演奏したので、この指揮者に共感を覚えられなかったのですが、今回は庄司さんのVn.ソロ演奏曲と他の二つの曲も、世間的に広く知られた曲なので、そうしたハプニングは生じないと踏んで聴きに行きました。
今回の演奏曲の二つは、前回のガゼッラと同世代のイタリアの作曲家、レスピーギの曲です。イタリア人ノセダはこの時代にかなり興味を有している様です。
①バッハ(レスピーギ編)『3つのコラール』
-
《割愛》
②レスピーギ『グレゴリオ風協奏曲』
楽器編成は,Vn.2減などコンチェルトシフトが有りましたが、それ程編成が小さくはなりませんでした。
庄司さんの演奏を聴くのは久し振りです。あれはコロナ禍に入ったか直前だったかの時にミューーザで行われたリサイタルでした。庄司さんは怪我でもしたのか足を引きずって登壇し、椅子に座って演奏しました。その時の記録を参考まで文末に再掲して置きます。今回の席は一階の前方の席でしたが、右に寄り過ぎていて、独奏者は指揮者や弦奏者の影に隠れて、姿が余り良く見えませんでした。
第1楽章 Andante tranquillo
第2楽章 Andante espressivo e sostenuto
第3楽章 Allegro energico
②-1
ノセダがタクトを上げ動かし始めると、弦楽アンサンブルの厳かな調べがスタート、それに呼応したOb.のソロ音がゆったりと流れ、暫し木管たちの響きが続きました。再度Vn.アンサンブル中心の弦楽奏がテーマを暫し弱く鳴らすと、庄司さんのソロ音がやおらそれに加わります。かなり高音で細い音色、美しくはありますが、神経質な音と言ってもいいかも知れない。ハーモニックス音に近い処まで、せり上がるソロ音、暫くするとソリストは低音演奏に移り、重音も交えて、オケのかなりの楽器群の音達にも負けない明瞭な音を出しています。暫しのソロの休止後、再度庄司さんのソロ音はくねくねと続き、最終部ではカデンツア演奏が重音も交えて、低音、高音域をゆっくりと自在に動き回り、時々入る管や弦の合いの手は短く、ソロ音が鳴り響きます。仲々力強い庄司さんの発音、管弦の演奏が伴っても音はクリアに聞え、この楽章最後の重音演奏等迫力満点なカデンツアでした。
アッタカ的に次楽章にオケをバックに低音旋律で移入。
②-2
管弦の弱い伴奏に乗って、ソロVn.が低音旋律を滔々と流し出します。
このスタート演奏旋律に関して、少し調べると「2楽章は11世紀のセクエンツィアの1つ、ヴィクティマエ・パスカリ・ラウデス (Victimae Paschali Laudes) 『復活のいけにえに』を元にした独奏ヴァイオリンの響きで開始」という解説が有りました。どういう意味か分からない。時間がとれたら、さらに調べてみたいと思います。
この楽章でも庄司さんのソロVn.音はオケの合間を縫って明確に主張され、前楽章も含め高音の繊細なソロVn.音が主流旋律を形成していた。指揮者もオケも一旦演奏が止み、庄司さんも一息つくと、会場からは拍手がパラパラ、舞台上のまだ終わっていない、これから演奏が続く雰囲気を悟って、拍手はすぐ止みました。
1楽章と2楽章が切れ間なく演奏され、合わせて20分位かかっていたので、終わりかと思うのも無理ないでしょう。初めて聴く人も多かったと思います。
②-3
金管も交えオケの少し勇ましい調べでスタート、打楽器の音も入っています。ソロVn.も力強いボーイングでリズミカルな強奏をし、ノセダは大振りの仕草をさらに大きくしてタクトを振り、金管の音が他を圧倒(Trmb.の音は、Hrn. Trmp.を凌駕して大きく聞こえます)、この楽章ではオケもソロVn.も相当な盛り上がりぶりを見せました。しかし演奏全体の流れはやや緩慢というか曲自体に変化に富んだ色彩が余り無い、極端に言うとやや退屈な曲と謂った印象を抱きました。総じて庄司さんの技術は高度なもので、音色も綺麗、迫力はある程度感じましたが、やはり女性的かな?
演奏が終了しノセダはソリストの手取って高々と挙げました。
その後、ソロアンコール演奏があったのです。
バルトーク『 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ BB124/Sz.117』から第3楽章 メロディア
非常に繊細な音・旋律ばかりで、しかも無調的な箇所も有り、それを僅かな指の動きの匙加減で、難しそうな重音演奏も交え、之ここに技輛の極み有りの感がしました。ヴァイオリニストなら誰でも表現出来るものではないでしょう。