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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『都響+アリーナ・イブラギモヴァ』演奏会

【日時】2022.9.3.(土)14:00~

【会場】東京芸術劇場

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】大野和士

【独奏】アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)

    

<Profile>

 1985年9月28日生まれ、露(旧ソ連)・ポレフスコイ出身のヴァイオリニスト。4歳でヴァイオリンを始め、97年よりモスクワのメニューイン音楽学校で学ぶ。95年に家族共に英へ移住し、ユーディ・メニューイン・スクールと王立音楽院で研鑽を積む。国際コンクールで入賞を重ね、2002年にソロ活動を開始。バロック音楽から委嘱新作までピリオド楽器とモダン楽器の両方で演奏し、その演奏の多才さ、そして「臨場感と誠実さ」(ガーディアン紙)で高い評価を確立した。

 2005年のザルツブルク・モーツァルト週間で注目され、2007年にCDデビュー。以来、ロンドン響ほかロイヤル・コンセルトヘボウ管、フィルハーモニー管との再演の他、マーラー・チェンバー・オーケストラとサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団にデビュー。最近のシーズンでは、バイエルン放送響、ロンドン・フィル、ヨーロッパ室内管、スウェーデン放送響、エイジ・オブ・エンライトメント管、チューリッヒ・トーンハレ管等と共演ソリストとしての弾き振りではクレメラータ・バルティカ、エンシェント室内管とツアーを開催。セドリック・ティベルギアンとはウィグモアやシャンゼリゼ劇場などでのリサイタルや主要音楽祭に出演。日本ツアーも行なう。

 

【曲目】

①ブラームス『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』

<曲目解説(主催者H.P.)>

 1877年夏、ヴェルター湖畔の避暑地ペルチャッハの美しい自然の中で交響曲第2番を作曲したヨハネス・ブラームス(1833~97)は、翌1878年にもここを訪れて、ヴァイオリン協奏曲に取り掛かる。 2曲の大作交響曲を書き上げ、交響曲作家としての自信を得ていたブラームスは、協奏曲においてもシンフォニックな特質を求めていた。そのことは当初このヴァイオリン協奏曲がスケルツォを含む4楽章構成で構想されたことからも窺い知れるだろう。結局は伝統的な3楽章様式の作品となったのだったが、全体のがっしりした造型の中で独奏と管弦楽が密に絡みつつ重厚な響きを作り出すこの曲の作風には、ブラームスのめざす協奏曲のあり方がはっきりと示されている。彼の2曲のピアノ協奏曲はしばしば“ピアノ独奏付きの交響曲”と呼ばれているが、このヴァイオリン協奏曲もまた“ヴァイオリン独奏付きの交響曲”といってよい特質を持った作品である。
 もちろんだからといって独奏が軽んじられているわけではない。それどころかこのヴァイオリン協奏曲は、ピアノ協奏曲と同様に、独奏者にとってはきわめて高難度の技量が要求される協奏曲となっている。シンフォニックな管弦楽に相対する独奏者には並外れた体力が必要とされるし、10度重音や三重音奏法をはじめとして随所に技巧的な難所が置かれていて、まさに演奏者に真のヴィルトゥオジティを求めた協奏曲なのだ。しかしながら、そうした要素が19世紀流行のヴィルトゥオーゾ様式の協奏曲のように技巧の華麗な誇示に向かうのではなく、音楽のシンフォニックな展開に結び付いた必然的な表現となっている点がブラームスらしいところである。
 かかる技巧表現を織り込むにあたって、ブラームスは親友の名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831~1907)に助言を求めた。独奏パートのスケッチの下の五線譜一段を空白にしたものをヨアヒムに送り、そこに訂正案を書いてもらう形でアドバイスを受けたという。
 こうしてひととおり完成をみたヴァイオリン協奏曲は、1879年元日にライプツィヒでヨアヒムの独奏、ブラームスの指揮によって初演されたが、ヨアヒムはこの初演や続く各地での再演での演奏経験を踏まえた上でさらに細部の変更を提案、ブラームスもそれに沿って改訂の手を入れ、決定稿が仕上げられていくことになる。ヨアヒムの提案にブラームスが難色を示すというような場合ももちろんあって、全部の助言を受け入れたというわけではないが、いずれにしてもこの協奏曲の成立にあたってはヨアヒムがきわめて大きな役割を果たしたといえるだろう。
 

②ブラームス『交響曲第2番ニ長調Op.73』

 

<曲目解説>

 創作に長い年月を費やした交響曲第1番がやっとの思いで完成した翌年の1877年6月、南オーストリアのヴェルター湖畔の避暑地ペルチャッハで、ブラームスは次の交響曲に着手する。苦悩した第1番の時とは打って変わって今度は肩の荷がおりたかのように筆が進み、おそらく10月にリヒテンタールにおいて、2番目の交響曲はわずか半年足らずで完成をみることとなった。
 作風の点でもこの第2番は、緊迫感に満ちた第1番とは対照的に、そして第1番の終楽章の主部でやっと見出した“ふっきれた”感じを受け継ぐかのように、明るい伸びやかさが全体を支配している。それはまたこの作品が書き進められた風光明媚なペルチャッハの自然を映し出しているかのようだ。
 初演前にピアノの4手連弾の形でブラームスとともにこの曲を試演した友人のテオドール・ビルロート(1829~94)も「幸福な喜びの気分が曲全体に満ちている。……ペルチャッハとはどんなに美しいところなのだろう」と述べたという。作品のそのような穏やかな叙情、牧歌的な性格ゆえに、この交響曲がしばしばブラームスの《田園》交響曲と呼ばれているのも頷けよう。ベートーヴェンの《運命》と《田園》という姉妹作のような関係が、ブラームスの第1番と第2番の交響曲についてもいえるかもしれない。
 しかしベートーヴェンの《田園》とは違って、その明るさの中に、しばしば寂寥感を感じさせるような暗い陰りが交錯するところがロマン派時代の作曲家ブラームスらしいところで、そうしたデリケートな情感の襞がこの交響曲にロマン的な奥行きを与えている。田園的な明るさの中に陰りある情感を交えた作品のこのような特質は、翌年やはり同じペルチャッハで書かれることになるヴァイオリン協奏曲(調も同じニ長調)に受け継がれることになる。
 そうした伸びやかな叙情性の一方、この交響曲第2番は、短期間で書き上げられたのにもかかわらず、全体がブラームスならではの綿密な構成と論理的な書法によってがっしりと作り上げられていることも注目されよう。とりわけ第1楽章の冒頭で低弦に示される「D−Cis−D(ニ−嬰ハ−ニ)」の動機は、以後の様々な主題に織り込まれたり展開の中で扱われたりなど、全曲にわたっていろいろな形で活用される動機となって、作品に統一感をもたらしている。主題の展開法もきわめて精巧で、それによってロマン的な情感の移ろいや情動が効果的に表現されている。1877年暮れにウィーンで行われた初演では、第3楽章がアンコールされるなど大きな成功を収めた。

 

 

【演奏の模様】
 今日の演奏会場は、横浜から一番遠い池袋。このところ東京文化会館に、続けて2回も遅刻してしまっているので、今日は、絶対遅刻出来ないと決心する必要がありました。若し遅刻したら、最初の演奏者、アリーナ・イブラギモヴァを聞き逃してしまうからです。これは、絶対あってはならないこと。めったにない来日演奏だからです。会場には1時間も前に着きました。
 待ち時間の合間に、事前に予約しておいた別のチケットをボックスオフィスで発券したり、ラックにおいてあるこれからの演奏会チラシを選んだりしているうちに開場時刻になりました。
会場に入ってまず、観客が多いことが目に付きます。まだ開演まで、30分以上あるのに、座席の大方に観客が入り、トイレに行くのによこぎったホワイエにも多くの人がたむろしています。それが、開演直前になると、座席は満杯、超満員となりました。イブラギモヴァの前人気が如何に大きいかを物語っています。
時間になり登場したイブラギモヴァは、僅かに薄青色の反射光を帯びた黒いノースリーブのワンピース様ドレスを身につけています。思っていたより、上背はありそう。

①ブラームス『ヴァイオリン協奏曲』

①―1 第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ニ長調 
 冒頭、大野都響の導入部では、弦楽の伸びやかなアンサンブルが如何にもブラームスらしい響きを持って広がって行きます。特に低音弦の響きが良い。Fl→Timp→弦と次々に音を繰り出し、弦楽アンサンブルが激しい曲相に変わるとそこに突然闖入、と言えるくらいの突然性で以てイブラギモヴァの力強いボウイングが入り、続く高音域の美しいテーマをなめらかに弾きました。彼女の演奏音は、思っていたより小さ目の感じがします。この2000人近く入る大ホールでは、これまで色々なヴァイオリニストの演奏を聴きました(最近では、レナ・ノイダウアー、竹澤恭子etc.)が、それらと比して決して大きい音とはいえません。
イブラギモヴァは、猫の様に背を丸めてしなやかに、体を前屈みにし、或いは身をよじり、感情を込めて弾いている様子。奏者は重厚なこの長い楽章(全体の半分近く)をカデンツア部も含め、かなりの力演で弾き切りました。カデンツァ部の最高音の調べと、オケが入る直前のピアニッシモで弾く、ささやく様な調べは、この様な演奏(勿論このコンチェルトの演奏では)は、聴いたことのない位微妙な弾き方をしていました。カデンツァに入り前のVn休止中のオケの演奏は、全体的にやや精彩を欠いていた。大野さんは、かなりオケを抑えぎみに指揮していたのでは?楽章最後のHr.もオケも抑制的に感じられました。
第一楽章のイブラギモヴァの演奏では、素直な音の響きが印象的でした。

①―2 第2楽章 アダージョ ヘ長調 

 管楽器が繊細な調べを立てる背景音を前に、オーボエ独奏が素晴らしく綺麗な主題を結構長く演奏、オーボエ協奏曲みたいと言われる所以です。次いで主題をイブラギモヴァが引き継ぎます。彼女のスタート時、テーマをまるで今にも切れそうな絹糸、と言うより切れそうな蜘蛛の糸で刺繍作品を紡ぎ出しているかの如き繊細な出音には、会場の大聴衆も固唾を飲んで聴いている様子でした。その後ヴァイオリン独奏は、曲を発展的に展開していきました。  

次の中間部ではそれ以前とは対照的にやや不安を感じるアンサンブルに独奏ヴァイオリンと管弦アンサンブルは移り行き、でもかなり抒情的な曲相をイブラギモヴァは良く表現していたと思います。最後は第一主題を変奏で再現し、大野オケはほとんど静まるが如くで、イブラギモヴァの為すままに任せて寄り添っているといった感じでした。

①―3 第3楽章 アレグロ・ジョコーソ、マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ ニ長調 

 冒頭からイブラギモヴァは弓の根元を使った強く弦をはじく奏法で、重音をかなり粗々しく響かせ、さらにブラームスがあちこちの曲で多用した、リズムに特徴ある民族音楽的要素に満ちた旋律をやや上品に表現しました。大野都響の合いの手は迫力ある全楽全奏で答えています。独奏ヴァイオリンは益々テンポを上げて低音から高音まで急速に変化する旋律を弓を大いに楽器上でうねらせ、それらを何回か繰り返してこの難演奏箇所を鮮やかなテクニックで乗り切って、最後はカデンツア的にこの曲のあらゆる要素をコンパクトに詰め込んだ曲最後の山場を見事乗り越えて終演、ソリスト=イブラギモヴァには、会場の大きな拍手が待ち構えていてました。(予想していたよりは、拍手喝采の爆発は小さいものだったかも知れない。)

何回かソロカーテンコールで、舞台↔袖を生き肝したイブラギモヴァでしたが、ソロアンコールはありませんでした。
二十分の休憩の後は、ブラームスのシンフォニーです。

②ブラームス『交響曲第2番ニ長調Op.73』

第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ニ長調 

 管楽器の冒頭のアンサンブルは、低音の基本動機に導かれてホルンが顔を出します。主題に滲むのどかな旋律などから、ベートーヴェンの田園になぞらえられるのでしょう。此れ等の旋律は、歌えますね。ターラララーターララー。弦→Fl.に移り、この旋律も歌となりそう。急に盛り上がるアンサンブル、低音弦の調べは、洒脱なブラーム臭のする響きを有します。でもこの辺りの主役はやはりVn.アンサンブル。弦楽アンサンブルやソロが穏やかな雰囲気を醸し出し、大野都響はこの滔々とした川の流れに身をゆだねています。
 再度盛り上がったアンサンブルはかなりの叫び声を上げますが、基本的牧歌性は失われず、後半には静まり返った穏やかな中に素晴らしく綺麗な旋律が流れました。
 田園的な気分のうちにも孤独な情感を湛えた第2主題はチェロとヴィオラで奏され、憂鬱な雰囲気の叙情的響き。一時不安定な動きに展開大きく盛り上がるものの、それが収まって再現部では再度牧歌的な雰囲気になりました。最後ホルンのソロが長く続き、深々とした旋律が日の暮れゆくような雰囲気を醸し出し、最後は美しく消え行く良き日を懐かしむ様に穏やかな終焉を迎えました。長い20分を超す楽章。Hrn.は、①のコンチェルトの時も、活躍しましたが、この曲では、1名追加されたのか、5人体制で演奏、部分部分で4人を使い分けていましたが、やはり主席奏者が一番の安定性をみせ活躍場面も多かった。ついでに楽器構成を記しますと、二管編成弦楽五分12型、前半のコンチェルトの時よりも、Cbが3、Trmb.1、Hr.1が追加補充された模様です。
 
第2楽章 アダージョ・ノン・トロッポ ロ長調 

 10分弱の短い楽章でした。味のある詩情を持った緩やかな響きとチェロのメランコリーな歌う様な演奏が印象的でした。大野都響は、この楽章辺りから、ブラームスの息づかいのこつを上手く表現できる様になってきたのか、アンサンブルの全体的一体性も、管、打、弦のやり取りバランスも絶妙になった感が有りました。昨日だったかな、メール配信で、リハーサルの模様を送って来たのを見ましたが、大野さんの指導も、団員との信頼関係の上に立っていることが分かります。この楽章も穏やかに終了。

第3楽章 アレグレット・グラツィオーソ(クアジ・アンダンティーノ) ト長調 

 前楽章のしっとりした雰囲気から、再び一楽章の田園風景的雰囲気が戻った感がしましす。軽快な主題及び速いテンポで踊る感じの民俗舞曲風の旋律が続きました。この楽章も穏やか終了。
 
第4楽章 アレグロ・コン・スピーリト ニ長調 

 将に最終楽章の雰囲気を最初から滲ませ、もう少しで、1番のシンフォニーに追随する、第2のシンフォニーが完成だと内心喜び勇んで五線紙の上にペンを走らせるブラームスの姿がめにみえ様な弾む心を感ずる楽章でした。最後の激しく全楽強奏する弦楽アンサンブルのうねりは、1番の交響曲にも通ずるブラームス独特のものでした。さすがに終楽章だけは、激しい調子で、急速な幕切れでした。

 この曲の印象としては、第一番の交響曲と違って長期間練りに練ったものでなく、短期で書きあげられた痕跡は、曲のここかしこで感じました。4楽章構成にしては変化の余り無い全体的に等質感の強い曲です。この曲を如何に観客に飽きさせず興味と関心の糸が切れない様に聴衆を引っ張って行くかは、大野都響の牽引力にかかっていたのですが、指揮者も団員もよく一致して最後まで飽きない演奏をしてくれたと思います。最後の大きな拍手がそれを物語っていました。

 全演奏を聴き終わって、一番印象に残ったのは矢張り今日の目玉、前半のイブラギモヴァのブラームス演奏です。古楽から古典派、ロマン派、近代音楽まで器用に弾きこなすという若くしてヴィルトゥオーソの域に達したかと謂われる程の音質・技量を身につけた演奏は、この有名なブラースのコンチェルトも見事に弾きこなしていたと言えるでしょう。

 敢えて感じたことを言いますと、古来、名人と謳われるヴァイオリニストたちの様に大河の流れを感じるが如き堂々とした音の繰り出しがあれば、さらに素晴らしい演奏になると思いました。則ちワンフレーズ、ワンフレーズ毎にさらに魂を込めて、渾身の弾きを全曲を通して絶え間なく弾き続けられれば、鬼に金棒です。少し弾き急ぎの感も無きにしも非ず。弓の根元で力を込めて音を出す箇所では粗々しい力強さも見せましたが、全体的には天秤の測りはやや女性的演奏に傾くかなと思いました。オイストラフ、パールマン、アイザック・スターンのブラームスは、矢張り男性的な響きを感じます。現役女性ヴァイオリニストで男性的ブラームスの響きを感じるのは、日本では竹澤さんくらいかな?竹澤さんのブラームスコンチェルトは近年何回か聞いているので、今年3月の演奏会の記録を参考まで文末に抜粋で再掲して置きました。
 それから少し気になったのは、【演奏の模様】一楽章の最後にもかきましたが、”素直な音の響き”です。
それはそれで綺麗な音を立てる演奏なのですが、ブラームスの演奏としてはやや物足りない気がするのです。最初から最後までイブラギモヴァの指使いをじっと見ていましたが、ヴィブラートを余りかけていなかった様にみえました。男性的な響きをだすヴァイオリニストは、長い音は無論のこと、短い音符でさえ、指を震わせて、ヴィブラートをかけています。それが少ないことが、さらに女性的演奏に輪をかけているのでは?強いて言えば、古楽の演奏の癖が、出てしまっているのではなかろうか?と邪推するのです。まーそんなことはないと思いますが。

11月に来日予定の五嶋みどりだったらどのような演奏になるのでしょうか?(尤も今回は、ベートーヴェンのみの演奏会の様です。ついでに、その中でドイツの現役作曲家デトレフ・グラナートのコンチェルト『不滅の恋人へ』(本邦初演)も聴くので楽しみです。)

 この処ロシア仕込みのヴァイオリニストの演奏を、立て続けに聴きましたが、矢張り伝統とういうものは歴史がどう動こうと底流として滔々として流れているのですね。ロシアンヴァイオリニスト恐るべしかな。

(再掲)//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

2022-03-07

『東京ニューシティ管弦楽団 第146回定期演奏会』


【日時】2022.3.5.14:00

【会場】東京芸術劇場コンサートホール【管弦楽】東京ニューシティ管弦楽団
【指揮】秋山和慶
【独奏】竹澤恭子(Vn)

【曲目】
①リスト/交響詩「レ・プレリュード」
②ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
③バルトーク/管弦楽のための協奏曲

 

【曲目解説(プログラム・ノート)】

 

①  略

 

②ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms/1833年~1897年)のヴァイオリン協奏曲は、1878年に作曲。ベートーヴェンとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と共に、「三大ヴァイオリン協奏曲」とも呼ばれています。またチャイコフスキーも加えて「四大ヴァイオリン協奏曲」と呼ばれることもあります。この頃の「ヴァイオリン協奏曲」と言えば、ヴァイオリンの華やかな印象を持ちますがブラームスのこの作品は一味違います。 オーケストラとヴァイオリンが一つになり、交響曲のような雰囲気です。

 穏やかな優美な音楽だけでなく、重厚なサウンドがどっしりと鳴り響くのです。 ただ、そうは言ってもヴァイオリニストにとってはテクニック的にもとても大変で、難曲には変わりありません。9度や10度の音程の重音の多用など、左手がある程度大きくないと演奏困難で、演奏者にとっては難曲として知られています。ドイツ舞曲の3楽章が特に有名。演奏者に依っては40分もの大曲ですが、人気の高いヴァイオリン曲です。 

第1楽章: まずオーケストラが大らかでゆったりした第1主題を提示。 さらに様々なメロディを絡ませて進行し、緊張がクライマックスに達するときに、真打登場という感じで独奏ヴァイオリンが入ってきます。 この部分のカッコよさ。 20分以上を要するこの楽章は、交響曲の1楽章といっても違和感のないシンフォニックなスケールの大きさを持っています。   

第2楽章: まるでオーボエ協奏曲のようなオーボエソロが優美な旋律を歌い、さらに独奏ヴァイオリンがしっとりとした情緒を深めます。 感傷的な時期にぴったりの哀愁を備えたアダージョ楽章です。   

第3楽章: ハンガリー・ジプシー風の主題を持った躍動感溢れる楽章です。 独奏ヴァイオリンは技巧を要求され、ブラームスのアレグロの指示に対して、ヨアヒムがノン・トロッポ(速すぎないで)を後で加え、「そうでないと演奏が難しい」との書き込みをしています。

 

③  略

 

【演奏の模様】

 

②ブラームス『ヴァイオリン協奏曲』                     

 この曲は一昨年、新日フィル演奏で、同じく竹澤さんが弾くのを聞いたことがあります。その時の記録を参考まで文末に再掲(抜粋)しました。今回はオーケストラこそ違いますが、竹沢さんは自分の演奏スタイルを不動なものにしていると思われます。

 舞台に現れた竹澤さんは、あたかもタイトルロールを歌うオペラ(でも似た衣装がありましたね)プリマドンナの様な衣装(金銀ラメの入ったというか、絞りで作った様な細かい金銀の斑入りの黒っぽい厚生地ワンショルダージャガードドレス)を纏い登場、管弦楽が鳴り始めました。しばし序曲の演奏の後、やおらヴァイオリンを肩にした竹澤さんが弾き始めました。冒頭第二節はいかにもドイツ的響きの芬々としたズッシリと重い、それでいて軽快とさえ思えるリズム感のあるパッセージです。 何回も弓の根元をヴァイオリンの弦にたたきつける様に打ち下ろした重音は荒々しい力強さを発揮、この最初のパッセッジを聴いただけで、二年前と比べてさらに円熟さを増し一層力強くなったと理解しました。特に高音が研ぎ澄まされ、安定感のある繊細で力の籠った高音旋律がホールの空間を練り歩くさまは、低音の重く響く重音旋律と対比すると、天空をうねり動くオーロラの如く重力から解き放たれた自由の円舞かと錯覚する程でした。演奏初めから終わりまで高音の素晴らしさは筆舌に尽くしがたいものが有りました、ただ一ヶ所の弘法の筆の誤りを除いては。

 秋山指揮東ニューシティは、二管+弦楽10-10-8-6-6 でよくソリストを支え、規模の割にはアンサンブルの音も控えめだが要所、要所はしっかりと抑え、二楽章のObソロなどではしっかりと自分たちの存在感を示しました。秋山さんはたびたび聴く指揮者で、昨年末のMUZAジルベスタ・コンや、年初のニューイア・コンでも聴いていますが、実直で手堅い演奏指導をしていると今回も思いました。              

 確かに非常に難しい曲だと思います。何せ低音部から高音部まであらゆる個所に重音演奏が入って来て超絶技巧の連続、ブラームスはピアニストなのに良くこのようなヴァイオリンの細かいテクニックを駆使した曲を作ったものだと感心します。これも名ヴァイオリニスト、ヨアヒムの協力あってのことでしょう。竹澤さんは広いレパートリーを持たれていますが、彼女のブラームスはわが国では当代きっての一流のものと言えるでしょう。ブラームスのスペシャリストと言っても過言ではありません。

 終演後何回か舞台に現れて挨拶を繰り返し、指揮者と管弦楽団に向かってApplauseの様子で、特にオーボエ奏者を讃える仕草をしていました。

 鳴りやまぬ拍手に答えてソロアンコールが有りました。

 バッハ『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 BWV 1003 – I. Grave』 

 BWV1003の四曲の内の第一曲目です。聴いているだけでとんでもなく難しそうな曲だと分かります。重音の響きがバッハの曲では心に染み入りますが、旋律を鳴らしていると同時に一人で伴奏も低音で響かせている将に超人的なテクニックを竹澤さんは披露して呉れました。