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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ミンコフスキ・都響『ブルックナー5番』を聴く


【日時】2023.6.25.(日)14:00~

【会場】池袋・東京芸術劇場

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】マーク・ミンコフスキ

<Profile>

マルク・ミンコフスキは、自身のキャリアを通して、クラシック音楽を推進するにあたり、指揮者、そしてアーティスティック・アドミニストレーターとして積極的な役割を担っている。ボルドー国立歌劇場総監督(2016年~2022年)、ザルツブルク・モーツァルト週間の芸術監督(2013年~2017年)、オーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督(2018年~2022年)を歴任。1982年、ミュジシャン・デュ・ルーヴルを立ち上げ、2011年、レ・マジェール音楽祭を設立。
世界の主要なオーケストラを指揮、著名なオペラハウス、演奏会場、音楽祭に出演。
2022年/23年、『ユダヤの女』/ジュネーヴ大劇場、『ラ・ペリコール』/シャンゼリゼ劇場(パリ)、『ポントの王ミトリダーテ』宮城聰演出/ベルリン国立歌劇場、モーツァルトのダ・ポンテ三部作/ヴェルサイユ宮殿・ロイヤルオペラ、『マノン』/リセウ大劇場(バルセロナ)等のプロジェクトを行う。演奏会では、ウィーン響、ウィーン・フィル、マンハイム国立劇場管弦楽団音楽アカデミー、プラハ・フィル、ザールラント州立劇場管に登壇。ミュジシャン・デュ・ルーヴルとヘンデルの『アルチーナ』で欧州ツアーも行う。

 

【曲目】ブルックナー『交響曲第5番変ロ長調作品』(ノヴァーク版)

(曲について) 

アントン・ブルックナーの交響曲第5番(こうきょうきょくだい5ばん)変ロ長調は1875年から1878年にかけて作曲された。

 本作は1894年4月8日グラーツにおいてフランツ・シャルクの指揮で初演された(この際には、後述のシャルク改訂版が用いられた)。

金管楽器によるコラールの頻出やフーガをはじめとした厳格な対位法的手法が目立つ。作曲者自身はこの交響曲を「対位法的」交響曲あるいは「幻想風」交響曲と呼んでいた(ほかに、「信仰告白」「ゴチック風」「悲劇的」「ピッツィカート交響曲」「カトリック風」「教会風」などの愛称もある)[要出典]。構築性とフィナーレの力強さにおいて、交響曲第8番と並び立つ傑作という評価もある。研究者によると、この曲は一旦1876年に完成され、その後その自筆稿上に直接改訂を加えたとのことである。1876年の完成形の再現が不可能であること、1876年の段階で初演等が行われていないことから、一般には「この曲は作曲者による改訂が行われていない」とみなされている。「原典版」であるハース版(1935年)、ノヴァーク版(1951年)はどちらも、1878年の最終形態を元にしている。資料上の問題点が少ないこともあり、この二つの版の間には、誤植の修正程度の違いしかない。1876年段階の譜面は、一部校訂報告の中で紹介されている。また編成上のチューバは、1877年以降の改訂時に初めて付け加えられた(ブルックナーがチューバを交響曲に用いたのは、これが初めてであり、第4番の第2稿改訂にも先立つ)。
 

【シャルク版について】

初演者のフランツ・シャルクは、初演時にブルックナーのスコアに大幅な改訂を施している。第3楽章や第4楽章を大きくカットし、第4楽章には別働隊の金管やシンバル、トライアングルを補強している。さらに目立つのはオーケストレーションの変更である。シャルクの改訂は、長大かつ難解なこの交響曲を普及させるためという「好意的」な目的であったと評価されることが多い。しかしながら改訂内容自体は、原典版の管弦楽法とはいささか異なり構造上の相違点も挙げられる。ブルックナーの生前に出版された諸楽曲(ほとんど弟子による校訂・改訂が加わっているとされる)に比べると、改訂の度合いが極端であり、「無残な改作」と悪評されることもある。

ブルックナーはこの初演を病気のために欠席している。この欠席に対しては、シャルクの改訂に対する抗議の気持ちが込められていたとの臆説もある。ブルックナーは生涯でこの曲を(原典版にせよ改訂版にせよ)実際に耳にすることはなかった。

シャルクによる改訂版は1896年(ブルックナーの死の年)に出版され、ハース校訂による第一次全集(ハース版)が出版されるまではほとんど唯一のスコアとして演奏されていた。録音ではハンス・クナッパーツブッシュが指揮したものが有名である。ハース版出版後も1950年代までは、アメリカを中心に、このシャルク版が演奏されていたが、1970年代以降はほとんど使われなくなった。

【ノヴァーク版について】

この交響曲の本来の形による、いわゆる原典版楽譜は、ブルックナーの死後約40年近く経た1935年、ロベルト・ハース(1886~1960)の校訂によって出された。このハース版の初演は同年10月23日ミュンヘンにおいてジークムント・フォン・ハウゼッガー(1872~1948)の指揮で行われている。なお原典版としてはレオポルト・ノヴァーク(1904~91)による版も1951年に出されているが、これはハース版と基本的に同一で、現在一般に用いられているのはこのノヴァーク版である。

 

【初演】
2台ピアノでの演奏は、下記に先立ち、1887年4月に行われている。
シャルク改訂版による初演は、1894年4月8日グラーツにおいてフランツ・シャルクの指揮で行われた。同版の日本初演は、1996年7月20日、なかのZEROホールにて野口剛夫指揮の東京フルトヴェングラー研究会管弦楽団によって行われた。
原典版の初演は、1935年10月20日ミュンヘン ジークムント・フォン・ハウゼッガー指揮でハース版により行われた。
原典版の日本初演は、1962年4月18日大阪フェスティバルホールでオイゲン・ヨッフム指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団により行われた。
 
【演奏時間】約78分(カット無しの原典版で各21分、18分、14分、25分の割合)
 

【楽器編成】フルート4、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット4、ホルン4、トランペット4、トロンボーン4、バス・チューバ、ティンパニ(1個)、四管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)

 
 【演奏の模様】

今日の楽器編成は、プログラムノート記載の2管編成よりも管楽器が随分増強された様です。見た限りでは(一部蔭になったりしてよく見えない所有り)Fl.もTrmb.もTrmp.など四人は見えました。

第1楽章Introduktion: Adagio - Allegro

第2楽章Adagio. Sehr langsam

第3楽章Scherzo. Molt vivace, Schnell - Trio. Im gleichen Tempo

第4楽章Finale. Adagio - Allegro moderato

 第1~第4楽章の細部は勿論異なっていますが、先ず全体的に言えることは、重層する壮大な調べによる大構築物(例えばサクラダ・ファミリアやバベルの塔etc.)を連想する様な、気宇を膨らませるブルックナー音楽をかなり忠実に実践したミンコフスキー・都響の演奏でした。

  冒頭、ⓐ[Cb.のpizzicatoに合わせて、Vn. Va.の低音旋律が弱音でゆっくりと流れ出しました。Vc.もpizzi.に加わっています]。厳粛な宗教性を帯びた雰囲気。それが一巡すると、突然、ⓑ[全オケがジャーン ジャジャジャーンとかなり強い調子で階段を駆け上がるが如くファンファーレ的アンサンブルを鳴らす]と一息着く間もなく、ⓒ[Trmb.+Trmp.が高らかにやはり一声だけ張り上げました]。この様な序奏が有る交響曲はブルックナーでは珍しいのだそうです(これ等金管の演奏の中にはTub.も交じっていましたが、ブルックナーはこの交響曲で初めてTub.を使用した模様)。この最初の部分を聞いただけでも、ブルックナーの個性的、特徴ある管弦楽法の一端が窺い知れます。即ちⓐからⓑ、ⓑからⓒへの変化は脈絡が無く断絶して再開しているかのようです。しかも変化の瞬間に休止がある、ここでは僅かな時間ですが。この休止、断絶、再開は、さらに長いパッセッジ、或いは纏まった複数の小節間において珍しくなく明確に頻繁に生じるのです。

 ⓒのあとの一呼吸後に管弦が続いて同じ旋律を奏でました。それに再度呼応する金管群、するとまた一息ついてVn.群中心の弦楽器が別なリズミカルな旋律を滑らかに繰り出しました。それら盛り上がって上行し、全管弦打(打はTimp.のみですが)の強奏に至り、その堂々たる概容が初めて披露されるのです。かくの如き展開で第一楽章は進み、途中、管のボールのやり取り、pizzicatoによる旋律演奏、ターララッタタッタッタッタ、ターララッタタッタッタッタといった特徴あるリズム旋律の繰返し、金管群の音を揃えた迫力ある響き等々、色々な変遷を重ねて最終的には、明るい旋律を弦楽が奏でて金管群と弦楽の速いテンポの掛け合いの後、繰り返し繰り返し金管群の同じテンポの演奏から全楽強奏になり、Timp.の強乱打の響きのもと、管弦は最後の強奏の矛を収め第一楽章は終了したのでした。この第5番までで、ブルックナーは自前の交響曲スタイルのかなりの部分(特徴)を確立したと言って良いでしょう。 第一楽章を聞いただけでも、それらが明確とまではいかなくても漠然とした端緒の認知は可能です。即ちa.ブルックナー休止、b.ブルックナーリズム、ブルックナーユニゾーンなど。

こうしたブルックナーの曲の特徴は、考え様によっては脈絡のない途切れ途切れの音楽の塊から出来ていて、ブルックナーの交響曲は、一貫性が無い、何を訴えているかわからない、思想が明らかでないとの批判も可能かと思います。しかし私見に依れば、それは見方が違っていて、ブルックナーの音楽は、例えれば、モザイク画の様な物であると視点を変えて見る必要があると思うのです。モザイク画でもパッチワークでも何でもいい(或いはジグソーパズルと言ってもいいかも知れない)のですが、小さな色合い意味合いの異なる素材を、一個一個嵌め込んで行って、組み合わせた最後の全体像が、芸術としての大きな作品になっているという見方です。素材をはめ込むにはいい加減に組み合わせるのでなく、例えば1/3まで出来たけれど、次の素材は何処にどの様なものを使ったらいいかな?と作曲する時に、あれこれ試行錯誤するその痕跡が「General pause」として残っているのではなかろうかと自分的には考えるのです。

モザイク画の制作

パッチワーク例

ピカソの抽象画

ピカソは、事物を幾何学的な断面に分け、モザイクように重ね合わせるなどして絵画史に革命を起こした「キュービスムの時代」を築いた天才でしたが、ブルックナーも音楽史に残る革新的手法を持ち込んだ天才という事が出来ると思います。

 さてミンコフスキ指揮都響の演奏はというと、第2楽章では、Cb.のpizzi.で始まり、それに乗ってOb.の物寂しい調べがテーマを奏でました。このテーマは全曲的に登場する旋律です。続く弦楽アンサンブルによる美しい旋律が力強く、はっきりと謳われる箇所、それからその後暫くして弦楽に依る威風堂々とした低音アンサンブル、中盤にかけてのVa,にVc.も加わり、1Vn.アンサンブルを主とした流れにFl.とHrn.の調べが響いた箇所が印象的でした。終盤でも弦楽アンサンブルがクレッシェンドで次第に膨らんで行った箇所で、いいなと思った処も有りました。次の第3楽章は一番短いと言っても14分程度は有りました。この楽章では結構あちこちで休止が目立った。又急速に加速し盛り上がる箇所も複数有りました。終盤で、Cb.のpizziから他弦にpizziでカノン的に移行するのも面白し。

 最終楽章は一番長大なのですが、全体的に終盤から最後にかけてやや間延び感が有りました。前半から中盤にかけて、しだいに上行するCb.のpizzi.の上に広がる1Vn.中心の速い高音アンサンブルが何回か繰り返された後、1Vn.がpizzi.に転じると、それを合図としたかの様にアタッカ的に全オケが強音で強奏するのは聴きごたえが有り、特にTrmb.やTrmp.が入ると一層迫力が出て、その後は全管に依るブルックナーユニゾーン突入、何んとも素晴らしい響きでした。また中盤のFL.(3)から始まるフーガ的展開も面白く、流石オルガン演奏を極めたブルックナーの対位法の用法としきりと感心したのでした。

 ミンコフスキがタクトを下げて、ほぼ満員の会場から大きな拍手が湧くまで四五秒有りましたでしょうか。全体としては予定の80分程度の数分前に終わった演奏は、早くも無く遅くもない先ず先ずの指揮指導だったと言えるでしょう。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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