【日時】2023.3.25.(土)14:00~
【会場】墨田トリフォニーホール
【管弦楽】新日フィルハーモニー管弦楽団
【指揮】上岡敏之
【曲目】ブルックナー『交響曲第8番』
(曲について)
ブルックナーの作曲した10曲目の交響曲である。演奏時間が80分(CD1枚分)を越えることもある長大な曲で、後期ロマン派音楽の代表作の一つに挙げられる。ブルックナーはこの交響曲以降、ベートーヴェンの交響曲第9番と同様の第2楽章にスケルツォ、第3楽章に緩徐楽章を置く楽章配置を採用するようになる。
作曲が開始されたのは1884年7月で、交響曲第7番の初演準備をしていた期間である。第8番は作曲が進められ、1887年夏に完成する(第1稿)。
ブルックナーは指揮者ヘルマン・レヴィに交響曲の完成を報告した。手紙で、第8番の完成を「私の芸術上の父」レヴィに報告したいと述べられている。レヴィがブルックナーからこれほどの敬愛を受けるようになったのは、第7番のミュンヘン初演を成功させ、この作品をバイエルン国王ルートヴィヒ2世に献呈するというブルックナーの希望を実現させたためだった。
レヴィは第8番にも関心を示した。しかし送られてきた総譜を見てレヴィは「演奏不可能だ」と感じ、ブルックナーの弟子のフランツ・シャルクを通じてその旨を返事した。
ブルックナーはひどく落胆したが、第8番の全面改訂を決意する。まず1889年3月4日から5月8日にかけて第3楽章が改訂され、続いて第4楽章の改訂が年7月31日まで行われ、さらに第2楽章スケルツォが改訂され、そして第1楽章、1890年3月10日に改訂は終了した。これが「1890年・第2稿」であり、現在の演奏はほとんどこの稿を採用している。なおブルックナーは同時期に交響曲第4番、第3番の改訂も行っている。この時点で第9番の作曲もある程度まで進められていたのだが、この晩年の改訂期のために中断を余儀なくされた。
【楽器構成(標準)】
フルート3 オーボエ3 クラリネット3 ファゴット3* ホルン8** トランペット3(F管、C管) トロンボーン3 コントラバス・チューバ1 ティンパニ シンバル トライアングル ハープ出来れば3台、弦五部16型
【改定版について】
この曲はまず1887年に完成され、のち1890年に改訂された。前者を1887年版または第1稿、後者を1890年版または第2稿と称する。
それとは別に、出版の経緯から見ると、次のようになる。まず1892年、第2稿を元に、ブルックナーの弟子であったヨーゼフ・シャルク(フランツ・シャルクの兄)が手をいれたものが出版された。これは「初版」または「改訂版」と称される。次に1939年、ローベルト・ハースによる第1次全集(ハース版)が出版された。ハース版は出版当初は単に「原典版」とも称されることもあった。その後レオポルト・ノヴァークによる第2次全集として、第2稿に基づく版(ノヴァーク版第2稿、1955年)、さらに第1稿に基づく版(ノヴァーク版第1稿、1972年)が出版された。
ハース版は第2稿を基にして校訂された楽譜であるが、ノヴァーク版第2稿と比べると第3楽章・第4楽章では多くの相違点がある。第3楽章では1箇所の相違があり、ハース版は他のものより10小節長い。第4楽章は問題が複雑になり5つの相違がある。これらは、ブルックナーの自筆楽譜で第1稿から第2稿に改訂する際に「×」で消された箇所である。ハースはこれらの部分をほとんど復活させたものだが、一方ノヴァークは「×」で消された部分をすべてカットした。ノヴァークはハースの校訂態度を「複数の稿を折衷するものである」と、強く批判した。
【演奏の模様】
新日フィルのオケ編成は、三管編成(Fl.3 Ob. 3 Cl. 3 Fg. 3 Hr.8 Trmp.3 Trmb.3 Tub.1 )
打(Timp. Tria. Cym.) Hp.は二台でした。
弦楽五部16型(16-16-10-10-8)
第1楽章Allegro moderato
第2楽章Scherzo. Allegro moderato
第3楽章Adagio. Feierlich langsam, doch nicht schleppendScherzo. Allegro moderato
第4楽章Finale. Feierlich, nicht schnell
これ程までに、弦楽と管・打の持ち味を、響きを、凄さを、聴衆の心に届けるブルックナーとその伝道師上岡マイストロの驚嘆すべき技量は、今日はその極みに達していたと思います。新日フィルも一団となって全力を出し切っていました。昨年五月の読響との演奏会でのよろけるかと思う様な上岡さんの体調不良の指揮が嘘だったか、幻だったかと目を見張る様な、今回の元気な見事な采配振りは、日本楽壇にとって大きな朗報でもありましょう。新日フィルの演奏自体これまで聴く機会はそれ程多くなかったのですが、このマイストロとの相性は非常にいいと思いました。各楽章での目を見張る様な耳を側立てた箇所は多くあり、詳細は後にと考えていますが、それらの集大成は最終楽章に凝縮して現れていました。最後の弦楽アンサンブルの大河の如き美しいメロディックな流れは和声も良いし、構成も素晴らしい。その後の小休止はそれまでのゲネラルパウゼを象徴し、続くHrn.とFl.等管の個別力も最大限に朗々と引き出され、最後の休止は、これまでの小休止たちを総括するが如き長い沈黙の冥想であった。それは最後の最後の全世界に吐き出す大きな吐息のための深呼吸であるかのように。
終演時間は15時33分、一楽章のスタートが14時05分であったから 88分の長い道程でした。そこを上岡さんらしくじっくりと自前の味を噛みしめながら進んで行ったのです。最終音が途絶えると、会場は大拍手の嵐、大きな歓声もあちこちから飛び交いました。上岡さんは各パートを次々と立たせて、労を労っていた。やや疲労の色も見える新日フィルの団員は、それでも一大プロジェクトをやり遂げた満足の表情で皆輝いて見えました。それはそのボールを受け取った我々聴衆の満足感の反射でもありましょう。