【日時】2023.6.10.(土)14:00~
【会場】東京オペラシティコンサートホール
【出演】亀井聖矢(Pf.)
<Profile>
2022年、ロン=ティボー国際音楽コンクールにて第1位を韓国のイ・ヒョクさんと分けあって受賞。併せて「聴衆賞」「評論家賞」の2つの特別賞を受賞。
2001年生まれ。4歳よりピアノを始める。2019年、第88回日本音楽コンクールピアノ部門第1位、及び聴衆賞受賞。同年、第43回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、及び聴衆賞受賞。2022年、マリア・カナルス国際ピアノコンクール第3位受賞。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールセミファイナリスト。
これまでに、飯守泰次郎、井上道義、梅田俊明、海老原光、太田弦、大友直人、川瀬賢太郎、佐藤俊太郎、出口大地、原田慶太楼、広上淳一、藤岡幸夫、松井慶太、茂木大輔、山下一史、渡邊一正の各氏の指揮で、NHK交響楽団、読売日本交響楽団、東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、オーケストラ・アンサンブル金沢、関西フィルハーモニー管弦楽団、京都市交響楽団、セントラル愛知交響楽団などと共演。テレビ朝日「題名のない音楽会」、NHK「クラシック倶楽部」などメディア出演も多数。また、月刊ピアノにて「亀井聖矢の謎解きサロン」を連載中。
これまでに、青木真由子、杉浦日出夫、上野久子、岡本美智子、長谷正一の各氏に師事。作曲を鈴木輝昭氏に師事。愛知県立明和高等学校音楽科を経て、飛び入学特待生として桐朋学園大学に入学。現在、桐朋学園大学4年在学中。第9回福田靖子賞、第6回アリオン桐朋音楽賞受賞。2021, 2022年度公益財団法人ロームミュージックファンデーション奨学生。2022年度公益財団法人江副記念リクルート財団奨学生。
【曲目】
①ショパン『三つのマズルカ作品59』
(曲について)
1845年に作曲された3つから成るマズルカ作品。ジョルジュ・サンドのノアンの館で作曲された。死の4年前という状況の中で、あからさまな民俗臭や、洗練された形式美にもそれぞれ距離を置いた陰りのある曲想で、作者の個性を反映している。献呈先はない。
①-1マズルカ第36番Op.59-1
クヤヴィアクのリズムで書かれ、哀愁漂う曲となっている。冒頭に現れるE-H-C-A-H-Gis-Eの主題は順次進行を避け、下行と上行の跳躍が混ざった音型になっている。この主題が転調していき、中間部はでは同主調のイ長調に転調し、半音階を巧みに使った右手声部が現れる。これを利用して、主題再現部の遠隔調の嬰ト短調への転調を簡単に連絡している。
①-2マズルカ第37番Op59-2
マズルのリズムで書かれ、かわいらしく洗練されたワルツ。右手では、単旋律と6度音程の重音部分が交替的に現れる。再現部での左手での旋律線は巧妙な変奏である。コーダでは作者の常套手段である半音階的下降が美しい。自筆譜では1枚の五線紙にすべて書き込まれている。
①-3マズルカ第38番Op.59-3、
ヒラーに贈呈した自筆譜ではト短調で書かれているが、出版する際の自筆浄書譜では嬰ヘ短調に移調させている。
Vivaceの指示からも分かるように、急速な踊りであるオベレクのリズムが用いられ、短調でも晴れ晴れしている。中間部では嬰ヘ長調に転調し、左手に対旋律的な動きが現れる。
②ショパン『幻想曲作品49』
(曲について)
幻想曲とは元々、形式に捉われない自由な楽曲を意味し、バロック時代から多くの作品が書かれたが、その作風は時代によって変化してきた。バッハからモーツァルトに至っては、それは思いつくままに楽想を並べていったようなものであった。ベートーヴェンは自由な序奏の後、1つの主題が提示されて、それが何回も変奏され、発展していく形をとった[1]。しかし、ロマン派になると、逆にソナタの形を取る長大な作品に仕上げられた。シューベルトの「さすらい人幻想曲」や、シューマンの幻想曲などはまさしくその典型である。 そしてショパンはソナタ形式を基調としながらも、序奏や中間部が組み入れられるきわめて自由な作品に仕上げた。ショパンはバラードでも同じような形式を用いたが、それらが3拍子系であるのに対して、4拍子系であることから幻想曲とされた。次の順に依る。
2.poco a poco doppio movimento
3.Lento sostenuto
③ショパン『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22』
(曲について)
ショパンは2曲のピアノ協奏曲以外に数曲,オーケストラとピアノのための協奏的作品を書いている。いずれも若い時に作曲した作品。この「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」という長いタイトルを持つ作品は,そういう協奏的作品の最後のものです。この曲以後,ショパンはピアノ独奏曲の作曲に集中することになる。
ただし,この曲にしても,管弦楽部分がピアノの単なる背景になっているようなところが多く,ピアノ・パートだけの独奏曲として演奏されることの方が多い模様。
曲は文字通り,「アンダンテ・スピアナート」のゆったりした部分と「華麗なる大ポロネーズ」の活力のある部分からなっている。前半のノクターンを思わせる優雅さと後半のポーランド風の味を持つ,きらびやかさとの対比を楽しめる。華やかな雰囲気とあいまって、ショパンのポロネーズの中でもよく演奏される曲となっているのです。
曲は6/8拍子の「アンダンテ・スピアナート」で始まり、この部分は3部形式でできている。「アンダンテ」は「歩くような速さで」、「スピアナート」は「滑らかに落ち着いて」の意味で,分散和音を中心とした序奏の後、静かな湖面を滑って行くような優雅な第1主題が出てきます。中間部ではちょっと動きのあるメロディが出てきて、再度最初の部分が戻って来た後,「ポロネーズ」に移って行くのです。
管弦楽版では,ここで初めてオーケストラが登場し(5分近く待つ必要あり)。ホルンによるファンファーレの後,力強いポロネーズのリズムに乗って,華麗な技巧を盛り込んだ主題が出てきます。装飾的な音符がどんどん増えていき,ますます華麗に展開していき、途中ハ短調の部分になると、やや翳りのある印象的な主題が出てくる。その後,最初の主題が戻り、最後は大規模なコーダとなります。技巧をみせつけるように音が上下に動き、これでもかこれでもかという具合のきらびやかさで全曲が結ばれる。
④ラヴェル『ラ・ヴァルス』
(曲について)
ラヴェルが1919年12月から1920年3月にかけて作曲した管弦楽曲。作曲者自身によるピアノ2台用やピアノ独奏用の編曲版がある。タイトルの「ラ・ヴァルス」とは、フランス語でワルツの意味であり、19世紀末のウィンナ・ワルツへの礼賛として着想された。ラヴェルの親友であったピアニスト、ミシア・セール(Misia Sert、1872年 - 1950年)に献呈されている。
⑤ラヴェル『亡き王女のためのハヴァーヌ』
(曲について)
このピアノ曲はパリ音楽院在学中に作曲した初期を代表する傑作であり、ラヴェルの代表曲の1つと言える。
ラヴェルはこの曲を自身のパトロンであるポリニャック公爵夫人に捧げ、1902年4月、スペインのピアニスト、リカルド・ビニェスによって初演された。この曲は世間からは評価を受けたが、ラヴェルの周りの音楽家からはあまり評価されなかった。ラヴェル自身もこの曲に対して、「大胆さに欠ける」、「シャブリエの過度の影響」、「かなり貧弱な形式」と自己批判的なコメントを行っている。一方で、ラヴェルが晩年重度の失語症に陥った時この曲を聴き、「美しい曲だ。これは誰の曲かな?」と尋ねたという逸話が残っている。
⑥ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」からの3つの楽章
(曲について)
アルトゥール・ルービンシュタインの依頼により1921年に編曲され、彼に献呈されている。曲は以下のように3つの楽章からなる。
第1楽章:第1場より「ロシアの踊り」
第2楽章:第2場より「ペトルーシュカの部屋」
第3楽章:第3場より「謝肉祭」
原曲にある第1場「群集」「人形使いの見世物小屋」、第3場「ペトルーシュカの死」「警官と人形使い」「ペトルーシュカの亡霊」はこの編曲には登場しない(アナトリー・ヴェデルニコフは「ペトルーシュカの死」「ペトルーシュカの亡霊」を独自に追加)。
【演奏の模様】
亀井さんは若くして(18歳で)「第88回日本音楽コンクール」に優勝、その後幾つかのコンクールで優秀な成績を収めました。今回のリサイタルに『凱旋』と名付けているのは、昨年「ロンティボー国際コンクール」で、第1位となったのを契機に、今年5月~8月まで、日本各地を回って「凱旋公演」を行っているからです。今日の東京公演はその一環で、丁度中間点に当たり、全10公演の2/3の会場でチケット完売という人気演奏会なのです。今日のオペラシティーは、殆どが女性の聴衆、しかも中年以下の若い人が圧倒的に多かった。我々年配者は数えられる程少なく恥かしくなってしまいます。まるでアイドルのコンサートみたい。人気の程が知れます。
さて今日の演奏曲は、上にも記しましたが、当初発表されていた「その他の曲」が明らかになり、曲数もかなり補充されました。亀井さんがマイクで説明した通り、前半は抒情的な曲としてショパン三曲、それから高度な技術的曲として、後半のラヴェルとストラビンスキーの曲といった組合わせです。
①ショパン『三つのマズルカ作品59』
①-1 マズルカ第36番Op.59-1
冒頭の第1主題の調べは、研ぎ澄まされている音には、聞こえなかった。立ち上がりだからでしょうか?
この曲の哀愁を帯びた風情も、上手く表現されていたとは思えませんでした。
①-2 マズルカ第37番Op59-2
軽快な感じが足りないのでは?聞いていて踊っているイメージが湧かない。
①-3 マズルカ第38番Op.59-3、
ここでも民続舞踊をリズミカルに、軽やかに踊っている曲には聞こえませんでした。
①-1~①-3が 一つのまとまった曲としての統一性が欲しい様な気がしました。これは演奏に起因するというよりは、ショパンの陰鬱な気持ちが曲に反映されていることが大きいのかも知れません。
「三つのマズルカ」の組合せの曲をショパンは幾つか作っていて、例えば、以上の曲に先立つこと3年前、1842年にも作られています。「三つのマズルカ作品50-1~作品50-3」です。こちらはかなり充実した曲で、この12月にブーニンが弾く予定なので聴きに行きます。
②ショパン『幻想曲作品49』
冒頭から厳粛に構えたショパンの姿を彷彿とさせる旋律が流れ出してきました。今回はチケットをとるのが非常に遅くて、演奏者を見るにはいい席では無かったので、鍵盤は勿論のこと亀井さんが演奏する姿も十分には見えませんでした。従ってほとんど音だけを聞いていました。中田喜直作曲の「雪の降る街を」に近い序奏のモチーフに似た旋律、というよりも、これは逆で、「雪が降る街を」の歌に、ショパンの幻想曲の序曲のモチーフに似た旋律が出て来たと言った方が正解です。人に依れば葬送行進曲という向きもあります。でもこの流れが止むと、中間部のかなりの強奏箇所では、亀井さんはかなり力をこめて弾いている様子。リズミカルで速い高音パッセッジではやや抑制的に、次いで鍵盤を左右に大きく移動する強演奏の音を立てて、高音部の音色が綺麗な旋律が出て来たかと思うとすぐに猛スピードで急発進しました。そしてゆったりした非常におしゃれな旋律が出て来て、亀井さんは丁寧に音を響かせました。三連符のパッセッジが何回か繰り返されるのは印象的です。最後は華やかに分散和音のキラキラ感で終結しました。
全体的にこの曲では亀井さんは本調子が出て来たのか、中間部の演奏も、後半の曲相が変化した後のゆったりした旋律では心から弾いている感じが伝わって来て良かったし、その後の強打健のffの演奏も、高音の美しい旋律の表現も、次第にせり上がりテンポが速くなる箇所の表現も、とても良かったと思いました。本領発揮といった処。
③ショパン『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ op.22/幻想 op.49』
この曲は豪華絢爛さと粛々としたつつましやかさが両立されている名曲で、以前(2021年5月)、カワイ表参道コンサートサロン「パウゼ」で開かれた「ショパンフェスティバル表参道」で伊藤順一さんが弾くのを聴きました。また、仲通さんが昨年弾いたのを聴いた時にも、演奏者は何れもかなり力を込めて弾いていて、弾き終わった時には相当脱力した様子に見受けられました。でも今回の亀井さんは、全然物ともしないというか見た目にはまだまだこれからが本番といったケロッとした風に見受けられました。迫力が増している感じ。
スタート時の高音旋律も、その後の下行する弱音も、続く上行pp音もとても美しく聴こえました。最後の強打鍵で下行するパッセッジ、上行⇒下行のパッセジもとても良かったと思いました。
亀井さんの演奏は、この曲を生で聴いた中では、キーシンに次ぐ迫力あるショパンでした。参考まで2021年10月にキーシンが弾いた時の感激を引用しますと,
❝最後のこの曲に来ると、キーシンは時として体を揺動させ、また時として目を瞑り、感情をこめて演奏している様子でした。 出だしのメロディの何と奇麗なことでしょう。キーシンは、体をゆっくりゆすりながら、気持ち良さそうに音を紡いでいます。一音一音感触を確かめる様に。 次のポロネーズになると華やかなというか豪華な煌びやかな音が、力強さと共にほとばしり出で、修飾音のオンパレード、あたかも真珠の首飾りの糸が切れて小さな真珠玉がテーブル上にパラパラと落ち跳ね返る如く、音一つ一つが珠玉の乱踊でした。これ程の豪華絢爛たるこの曲の演奏をかって聴いたことがあるでしょうか?ところどころのポイントポイントでは、満身の力を込めての大力演、繊細な調べがその間に差し込まれ、曲のメリハリも素晴らしい。三年前のキーシンの演奏を聴いた時も非常な才能と経験深さを感じましたが、今回はさらなる高みに達していました。キーシン恐るべし、どこまで大きくなるのか?インフレーション理論ではないですが、あたかも天空に限りなく膨張する宇宙の如き存在でしょうか。作曲家バッハの大きな宇宙でさえ飲み込んでしまうのではなかろうか?因みにキーシンは作曲にも以前から興味を持ち、実践しているというではないですか。今日の演奏は期待を大きく超える凄さがありました。❞
《20分の休憩》
後半のプログラムを見ると、ショパン以上に難しそうな大変な内容を持つ曲が並んでいます。これは相当の力仕事でしょう。
④ラヴェル『ラ・ヴァルス』
この曲はワルツを踊る様を、執拗に踊る様を、ラヴェル独特の粘着性のある旋律で繰り広げる、例えば「終わりのない踊り明かす舞踏会」を連想出来るような曲です。
この曲の辺りに来ると亀井さんの演奏は、益々力が籠った熱演とも言える音を発して、満員の聴衆を魅了していました。亀井さんの演奏は、一昨年に「日本音楽コンクール」で優勝した後開かれたリサイタルを聴きに行きました(その時の記録は参考まで文末に《再掲》して置きました)が、曲は別な曲なのですけれど、演奏から感じる印象では、亀井さんはその時よりもひと周りも二た周りも大きくなった感じがします。どこまで大きくなるのか?
⑤ラヴェル『亡き王女のためのハヴァーヌ』
ラヴェルの曲がもう一曲演奏されました。この曲は、ラヴェルらしさの特徴と思っていた「ラ・ヴァルス」や「ボレロ」に共通するネチこい執拗性とは一線を画した、いわば ❛緩い❜ 曲です。気持ちが優しくなる曲です。配布されたプログラムノートによれば、ラヴェルは、ルーブルでベラスケスの名画を見て感銘したことが切っ掛けでこの曲を作ったそうです。王女マルガリータの肖像画は何枚かありますが、仏内或いは来日展で皆観ました。可哀そうな王女だったのですね。絵を見れば、誰でもそのはかない幸福とは言えない生涯を想像出来ます。その辺をラヴェルは王女に捧げるオマージュとした曲なのでしょう、きっと。亀井さんの演奏は、右手の美しい旋律に入れる左手低音の合いの手もしっとりと適合したもので、曲の持つイメージを十分に把握、表現出来ていたと思います。
⑥ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」からの三つの楽章
最後の演奏曲です。
⑥-1 スタートからかなりの速さの強打鍵、特に右手の高音域の強打鍵が相当なものです。ここはバレエ「ペトルーシュカ」で 魔法使いの手によって人形が踊らされる場面ですから、激しく踊る様を表現したのでしょう。亀井さんの強打と一音一音の明確な切れ味良い音の連なりは、見事なものでした。一旦静まりますが、最後バンバン、バンバン、バンバンバンで終了です。
⑥-2速い運指での強い旋律が一旦静まって、穏やかな旋律を立てていました。管楽器を連想出来るのかな?違うかな
⑥-3 ここでは、ストラビンスキーらしいキラキラと煌めく強打鍵の調べがあちこちに散りばめられ、その中でのグリッサンドなど相当な力演を重ねて亀井さんは最後の打鍵の後高く手を上げて終了しました。
客席からは大きな拍手が沸き上がり、各階を見渡すと所々でStanding ovationしている観客も見かけました(全部女性ばかり、それだけ観客席の男性は少なく、ちらほら見当たるだけ)女性客がほとんどなのでブラボー等の掛け声はゼロでした。鳴りやまない拍手に答えて、(というか亀井さんは疲れたとトークでも言っていましたが、)疲れを見せず、アンコール曲の演奏に入ったのです。
《アンコール曲》 リスト『ラ・カンパネラ』 でした。
相当な力と技量を要する曲(この曲を必ずアンコールで弾くことで有名なピアニストもいますね)です。亀井さんは若さを象徴するかのような迫力ある演奏を見せて呉れました。又鳴り響く拍手。今度は満員の各席のあちこちで、何人ものStanding ovationが見られました。カーテンコールに答える亀井さん、❝最後にもう一曲弾きます。???です❞と自席では聞き取れない声で曲名か何か言ってピアノに向かいました。知らない曲でした。後で確かめると、
《アンコール曲2》バラキレフ『東洋風幻想曲イスラメイ』でした。
これが又物凄い技術と力量を要すると一目でなく、一音(ヒトオト)で分かる超絶技巧曲でした。もう亀井さんの左右の指はミシンの機械の様に激しく速く上下して、音を発しているのが発音される旋律からも分かりました。後ほど調べたら、この作曲家と曲については次の様なものでした。
ミリイ・アレクセエヴィチ・バラキレフ(1837~1910)はロシアの作曲家、18歳でサンクトペテルブルクに上京、大学で数学を専攻した後、ウーリビチョフの紹介でミハイル・グリンカの面識を得る。バラキレフを中心にツェーザリ・キュイらが集まって、1862年に無料音楽学校が設立される。1869年にバラキレフは、帝室宮廷礼拝堂の監督と、帝国音楽協会の指揮者に任命される。指導者やロシア音楽のまとめ役としての発言力から、新たな運動の発起人という役割を得た。「五人組」ばかりでなく、チャイコフスキーもいくつかの標題音楽や《マンフレッド交響曲》の作曲に、バラキレフの助言や批評を仰いでいる。
残された作品はあまり多くないが、ロシア民謡の要素に基づき、作品は親しみやすい。代表作のピアノ曲「イスラメイ」は、難曲として有名だが、それ以外のピアノ曲は、理想として思い描いていたショパンやシューマン、リストの影響を鮮明に示している。
今日の演奏会は前回聴いた時よりも亀井さんが大きく前進していたことをうれしく思いました。日本のピアノ教育と本人の努力の賜物だと思います。
最後にプログラムノートの挨拶に亀井さんはいいことを書いているのでそれを引用しておきましょう。
GREETING
「《前半、中程》割愛、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後に、コンサートというものは、ステージ上の演奏者だけで完結するものではないと僕は思っています。会場の振動、皆様の呼吸や熱量、その空間の全てが一体となって、その場限りの音楽が作られていきます。そしてそれはその瞬間その場所でしか体験できないもので、同じ音というのはもう二度と訪れません。とても儚いものです。その上、たとえ同じ場所で同じ音楽を聴いたとしても、全員が同じ様に感じる事は決して有りません。音楽という儚い芸術の最後のピースは、皆様の心に委ねられているのです。そんなに儚く美しい芸術を、今日この場で皆様と共に創って行けることが、僕にとって何よりの幸せです。」
将に我が意を得たりの感です。同感、同感。
今年20歳の若者ですから、この次は是非『ショパンコンクール』に挑戦してみて欲しいと思います。ロン=ティヴォーコンクール、ヴァン・クラーバーンコンクール等の国際コンクールに立派な成績を上げたことは、勿論大したものですが、それらに満足してしまうのでなく、飽くなき向上心、挑戦心が続く先に、(その結果如何に関わらず)音楽家として新たな世界が展開し、また大きく飛躍出来ることと思います。
尚、亀井さんの一昨年「日本音楽コンクール」で優勝した後開かれたリサイタルを、聴きに行った時の記録を、文末に参考まで《再掲》して置きます。これを新ためて読み直すと、その時受けた印象と今回聴いた演奏の印象とでは、半ば一致し半ば異なりました。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////《再掲》2020-10-03 HUKKATS Roc.
『亀井聖矢ピアノリサイタルat浜離宮朝日ホール(2020.10.2.)』
昨日久しぶりにピアノリサイタルを聴いて来ました。演奏者は亀井聖矢さん、若い大学生1年生です。でも立派な経歴をもち、昨年(2019年)の日本音楽コンクール及びPTNA特級ファイナルで17歳で2冠に輝いた俊英です。飛び入学特待生として桐朋学園大学に入学したそうです。
これまで新型コロナウィルスのために演奏会が中止・延期を余儀なくされていて、秋になって満を持しての東京でのリサイタル・デビューを果たすとのことでした。
この日のプログラムは次の通りです。
【出演】
亀井聖矢(かめい まさや)
【会場】
[東京]浜離宮朝日ホール
【演奏曲目】
①ベートーヴェン『ピアノソナタ 第21番 ハ長調 作品53 「ワルトシュタイン」』
②ショパン『ピアノソナタ 第2番 変ロ短調 作品35「葬送」』
③リスト『超絶技巧練習曲集 S.139 より「1番前奏曲」「5番鬼火」「4番マゼッパ」』
【選曲経緯】
この理由について、亀井さんはネット上で語っています。コンサートの選曲の動機まで語る演奏者はそうは多くないので、以下に転載します。
‘今年はベートーヴェン生誕250周年ですから、ぜひベートーヴェンは入れたいと思いました。32曲あるソナタのうち、この「ワルトシュタイン」を選んだ理由は、ベートーヴェン中期の傑作でありながら、聴きやすさもあるというところ。第一楽章の厚みと、第三楽章の広がりのあるイメージ、一つのソナタの中にあるそうしたコントラストを楽しんでいただきたいです。
(ショパンのソナタは)あえてソナタを二つ並べることによって、ベートーヴェンとショパンの対比が鮮やかとなり、そのコントラストも提示できるのではないかと考えました。ショパンの第2番のソナタには、彼の内面的な感情の起伏、さまざまな葛藤を感じさせるものがあります。「葬送行進曲」で有名な第三楽章も、具体的な誰かの弔いというよりも、自分の心の中で何かを葬ってしまいたいというような感情の表れであると捉えています。第四楽章はとても怪しげな雰囲気を残して終わってしまう。全体の構成としても古典的なソナタから脱却した非常に独特なソナタです。テクニックだけでどうにかなるような曲ではなく、内面的な表現が必要になります。僕自身の人生経験からはまだまだ追いつかない部分はありますが、今は多くの人が苦しい思いを強いられる時代となってしまいましたし、そうしたことにも思いを馳せてこの曲をお届けしたいです。
(リストの超絶技巧練習曲集 S.139は)は12曲から成る曲集ですが、「プレリュード」「鬼火」「マゼッパ」の3曲を演奏したいと思います。「プレリュード」では世界観をガラッと華やかに変え、「鬼火」は技巧的な曲想の中での表情の変化を味わっていただきたいです。「マゼッパ」はよく知られている名曲ですが、これをコンサートの最後に弾くのは実はけっこう大変(笑)。でも、バリエーション的に展開し、気持ち的にも盛り上がる曲想ですので、皆さんに「楽しかった!」という気持ちを残してくれる作品だと思います。
リストはやはり、エンターテイナーですね。彼の演奏に女性たちが失神した、というエピソードはよく知られていますが、やはりお客さんに楽しんでほしい、そのためにはどうしたら…と考え抜かれていることが伝わります。僕自身もいつも考えていきたいポイントです。’
【演奏の模様】
先ず演奏会場についてですが、こじんまりとした小ホールで、今回コロナ対策としての市松模様方式着席と、マスク着用、検温、手のアルコール消毒は、これまで通りでした。最近の情報によれば、go to キャンペーンの拡大に伴い、大規模催場の上限人数も拡大され、コンサートではコロナ前と同じく、目一杯の座席のチケットが販売されつつある様です。三密防止は一体何処に行ってしまったのでしょう?これでは感染増加は必至とみています。
間近に迫るオペラ公演でも、追加チケット販売がなされていました。今後、音楽会には、これまで以上の覚悟と心構えで臨まなければなくなります、ワクチンが使える様になるまでは。
さて、開演時間となり、ステージに登場した演奏者は、見た目、とても感じのいい若者でした。
①ベートーヴェン『ピアノソナタ 第21番「ワルトシュタイン」』
1楽章の冒頭、第1主題が「タラララタラララターラララ」という速い軽やかなテンポで次第に強い打鍵になって行く。ピアノは打楽器だったかと思い出させる様なパッセージを、若者は脱兎の如く非常なスピードで駆け抜け、やがてゆったりした第2主題のメロディの丘に達すると、円やかな穏やかな風を奏でました。かなり平たく手のひらと指を構え(鍵盤の良く見える座席位置でした)運指は柔らかそうな指を左右ともスムーズに動かしています。第1と第2の主題が変奏を交えてくりかえされこの楽章では、亀井さんのテクニックの堅実性が確認出来、ゆるやかな箇所の演奏が奇麗な音で他の部分をよく引き立てる効果があって大変良いと思いました。ただ非常に速くfffとも思える強打の部分の演奏では、若干連結された左右の音の分離感というか切れ味が今ひとつという印象だったかな?
第2楽章は、有るか無いか分からない程非常に短くて、しかも出だしがやや暗いメロディで始まり、一体どうなるかとやや不安感を感じる箇所ですが、亀井さんは丹念に非常にゆっくりと相当スローに弾いていた。すると次の瞬間遠くから徐々に近づく様に、素朴で親しみ深いメロディが鳴り出し、何時しか第3楽章に入っていました。この章も若者は、口ずさめる様なテーマソングを丹念に変奏を交えてエネルギッシュに繰り返し演奏し弾ききりました。
②ショパン 『ピアノソナタ 第2番「葬送」付』
4楽章編成で3楽章に所謂葬送行進曲があることで有名です。確かショパンの埋葬の時には自作のこの「葬送」が演奏されたのでしたか?勿論ピアノでなく管弦楽で。(オペラ座から比較的近いマドレーヌ寺院で行われた葬儀の際はモーツァルトの「レクイエム」だった様です。現代でも同寺院ではこの曲がたびたび演奏されます。)自分で作曲したメロディが最期に流れるとは、これ以上の冥利に尽きることは無いでしょう。フォーレの葬儀の場合、マドレーヌ寺院で自作の「レクイエム」が演奏され、ベルディの場合は自作の名曲「行けわが想いよ、黄金の翼に乗って」でした。
演奏直前に亀井さんから上記【選曲経緯】に記したことと同様な説明が有り、やおらピアノに向かった青年は、1楽章の開始を告げる ン、ジャーン、ジャジャーンとしっかりとした音を立てました。すぐに軽快な速いパッセージを繰り出し、何か切ない感じの如何にもショパンらしいリズムを感じるパッセージです(第1テーマ)。それが止むと清澄なゆったりした綺麗なメロディ(第2テーマ)に移りましたが、強弱の陰影の表現が若干薄い感じです。この曲はこの辺りを聴くと短いながらいつも胸がキュンとする様なロマンティックな気持ちがこみ上げるのですが、今回は感じられなかった。左右の音の切れ味が今一つといった感じでした。後半の力を増強して速いメロディを繰り出し再び第2テーマから最後のfffに至るまで演者は無心に弾いている様子ですが、全体的に平坦だったのか?うねりが心に響いて来ませんでした。
第2楽章は速い軽快な舞踊風のメロディで、亀井さんのテクニカル的にしっかりした部分が良く表現されていたと思います。半音の平行進行で競り上がる2箇所のパッセージが印象的。後半のゆったりしたメロディはショパンらしさがやや不足の感がしました。最終部分の半音階平行進行は明瞭に聴こえました。
第3楽章は「葬送」です。次第に近づく葬列を表現する様にだんだん強く鍵盤を叩く奏者、それが急に止んで、非常に清らかな流れの様な、そよ風の様な調べを奏で始めるので、あまりにも気持ち良く(寝不足のせいもあってか)、ついうとうととした状態になりそうでした。再び頭初のジャンジャジャジャーンという厳かな調べに戻ってハッと気が付きましたが。ここはこういう風な弾き方もありかなと思いました。
最後の第4楽章は非常に速いテンポで、鍵盤上を左右に指が遊び廻る雰囲気です。半音階的進行や不協和音的響きもある短い楽章でした。亀井さんはそのうねりをpやfでなく音の動きで良く表現していました。
演奏後この若いピアニストでも流石に疲労の様子が見られ、本人も ’疲れました。ここで少し休んで来ます ’とマイクを通して話して退場、前半は終了です。本当にくたびれた感じに見えました。
短い休憩(と言う程の時間では無いですが)の後舞台に戻った亀井さんはすっかり元気になった様に見えました。さすが若者、回復も早い。
③リストの『超絶技巧練習曲集S.139』より「前奏曲」と「鬼火」「マゼッパ」の3曲の演奏です。
演奏に入る前に短いトークがあって、‘以前「マゼッパ」をユーチューブ配信した時の収録中、余りに強く鍵盤を叩いたせいか3本ある弦の一本が切れてしまったエピソードを紹介、今日はそうならない様に(抑制してか?)演奏しますと語り観客を和ませていました。この辺りにもいい人柄が出ていると思いました。
さて「前奏曲」は将に速いパッセージの指馴らしといった風の短い曲でした。次の「鬼火」は最初から「木枯らし」の様に速いリズムで上下にうねりを有した途切れない連続指使いの練習曲と思われますが、音楽曲としては若干不気味さを感じる曲ですね。
「マゼッパ」では冒頭の非常に速い部分もエネルギッシュに弾き通し、中間部のゆったりとした調べを綺麗な音で表現していました。特に右の小指の最高音が小気味よく出ていたのが印象的。後半部のリズミカルなターンタターターンタンというメロディもかなり力を入れて弾いていました。指使いは休憩前の曲の時とは異なり、手を少し上方に上げて、指も相当立てて、腕のみならず肩も使って、時には上半身も使って、時には腰を椅子から上げて打鍵し、ffやfffと思われる強い音を出していた。
テクニックのみならず表現力も十分感じ取れました。兎に角すごい曲をリストはつくったものですね。これを若干はたちになったかならないかの若者が見事に弾きこなせるということは、日本人の「ピアノ力」も相当な高みに達していると思われます。
最後に相当疲れている中、アンコールとしてリストの『ラ・カンパネラ』の演奏もあり、この若者、サービス精神も十分と見ました。仲々好感の持てる若手ピアニストでした。
亀井さんは、コロナ禍の直前まで海外で研鑽に励んでいたそうで、パリではパリ音楽院で教鞭をとるルイサダの指導を受けた模様。ルイサダと言えばあのブーニンが優勝した1985年の第11回ショパンコンクールで入賞を果たし、その後の活躍はブーニンを凌ぎ目覚ましいものがあります。亀井さんは今後も海外で研鑽を積みたい意欲がある様ですから益々精進され、将来是非ともショパンコンクール出場を目指されることを期待します。