昨日久しぶりにピアノリサイタルを聴いて来ました。演奏者は亀井聖矢さん、若い大学生1年生です。でも立派な経歴をもち、昨年(2019年)の日本音楽コンクール及びPTNA特級ファイナルで17歳で2冠に輝いた俊英です。飛び入学特待生として桐朋学園大学に入学したそうです。
これまで新型コロナウィルスのために演奏会が中止・延期を余儀なくされていて、秋になって満を持しての東京でのリサイタル・デビューを果たすとのことでした。
この日のプログラムは次の通りです。
【出演】
亀井聖矢(かめい まさや)
【会場】
[東京]浜離宮朝日ホール
【演奏曲目】
①ベートーヴェン『ピアノソナタ 第21番 ハ長調 作品53 「ワルトシュタイン」』
②ショパン『ピアノソナタ 第2番 変ロ短調 作品35「葬送」』
③リスト『超絶技巧練習曲集 S.139 より「1番前奏曲」「5番鬼火」「4番マゼッパ」』
【選曲経緯】
この理由について、亀井さんはネット上で語っています。コンサートの選曲の動機まで語る演奏者はそうは多くないので、以下に転載します。
‘今年はベートーヴェン生誕250周年ですから、ぜひベートーヴェンは入れたいと思いました。32曲あるソナタのうち、この「ワルトシュタイン」を選んだ理由は、ベートーヴェン中期の傑作でありながら、聴きやすさもあるというところ。第一楽章の厚みと、第三楽章の広がりのあるイメージ、一つのソナタの中にあるそうしたコントラストを楽しんでいただきたいです。
(ショパンのソナタは)あえてソナタを二つ並べることによって、ベートーヴェンとショパンの対比が鮮やかとなり、そのコントラストも提示できるのではないかと考えました。ショパンの第2番のソナタには、彼の内面的な感情の起伏、さまざまな葛藤を感じさせるものがあります。「葬送行進曲」で有名な第三楽章も、具体的な誰かの弔いというよりも、自分の心の中で何かを葬ってしまいたいというような感情の表れであると捉えています。第四楽章はとても怪しげな雰囲気を残して終わってしまう。全体の構成としても古典的なソナタから脱却した非常に独特なソナタです。テクニックだけでどうにかなるような曲ではなく、内面的な表現が必要になります。僕自身の人生経験からはまだまだ追いつかない部分はありますが、今は多くの人が苦しい思いを強いられる時代となってしまいましたし、そうしたことにも思いを馳せてこの曲をお届けしたいです。
(リストの超絶技巧練習曲集 S.139は)は12曲から成る曲集ですが、「プレリュード」「鬼火」「マゼッパ」の3曲を演奏したいと思います。「プレリュード」では世界観をガラッと華やかに変え、「鬼火」は技巧的な曲想の中での表情の変化を味わっていただきたいです。「マゼッパ」はよく知られている名曲ですが、これをコンサートの最後に弾くのは実はけっこう大変(笑)。でも、バリエーション的に展開し、気持ち的にも盛り上がる曲想ですので、皆さんに「楽しかった!」という気持ちを残してくれる作品だと思います。
リストはやはり、エンターテイナーですね。彼の演奏に女性たちが失神した、というエピソードはよく知られていますが、やはりお客さんに楽しんでほしい、そのためにはどうしたら…と考え抜かれていることが伝わります。僕自身もいつも考えていきたいポイントです。’
【演奏の模様】
先ず演奏会場についてですが、こじんまりとした小ホールで、今回コロナ対策としての市松模様方式着席と、マスク着用、検温、手のアルコール消毒は、これまで通りでした。最近の情報によれば、go to キャンペーンの拡大に伴い、大規模催場の上限人数も拡大され、コンサートではコロナ前と同じく、目一杯の座席のチケットが販売されつつある様です。三密防止は一体何処に行ってしまったのでしょう?これでは感染増加は必至とみています。
間近に迫るオペラ公演でも、追加チケット販売がなされていました。今後、音楽会には、これまで以上の覚悟と心構えで臨まなければなくなります、ワクチンが使える様になるまでは。
さて、開演時間となり、ステージに登場した演奏者は、見た目、とても感じのいい若者でした。
①ベートーヴェン『ピアノソナタ 第21番「ワルトシュタイン」』
1楽章の冒頭、第1主題が「タラララタラララターラララ」という速い軽やかなテンポで次第に強い打鍵になって行く。ピアノは打楽器だったかと思い出させる様なパッセージを、若者は脱兎の如く非常なスピードで駆け抜け、やがてゆったりした第2主題のメロディの丘に達すると、円やかな穏やかな風を奏でました。かなり平たく手のひらと指を構え(鍵盤の良く見える座席位置でした)運指は柔らかそうな指を左右ともスムーズに動かしています。第1と第2の主題が変奏を交えてくりかえされこの楽章では、亀井さんのテクニックの堅実性が確認出来、ゆるやかな箇所の演奏が奇麗な音で他の部分をよく引き立てる効果があって大変良いと思いました。ただ非常に速くfffとも思える強打の部分の演奏では、若干連結された左右の音の分離感というか切れ味が今ひとつという印象だったかな?
第2楽章は、有るか無いか分からない程非常に短くて、しかも出だしが
やや暗いメロディで始まり、一体どうなるかとやや不安感を感じる箇所ですが、亀井さんは丹念に非常にゆっくりと相当スローに弾いていた。すると次の瞬間遠くから徐々に近づく様に、素朴で親しみ深いメロディが鳴り出し、何時しか第3楽章に入っていました。この章も若者は、口ずさめる様なテーマソングを丹念に変奏を交えてエネルギッシュに繰り返し演奏し弾ききりました。
②ショパン 『ピアノソナタ 第2番「葬送」付』
4楽章編成で3楽章に所謂葬送行進曲があることで有名です。確かショパンの埋葬の時には自作のこの「葬送」が演奏されたのでしたか?勿論ピアノでなく管弦楽で。(オペラ座から比較的近いマドレーヌ寺院で行われた葬儀の際はモーツァルトの「レクイエム」だった様です。現代でも同寺院ではこの曲がたびたび演奏されます。)自分で作曲したメロディが最期に流れるとは、これ以上の冥利に尽きることは無いでしょう。フォーレの葬儀の場合、マドレーヌ寺院で自作の「レクイエム」が演奏され、ベルディの場合は自作の名曲「行けわが想いよ、黄金の翼に乗って」でした。
演奏直前に亀井さんから上記【選曲経緯】に記したことと同様な説明が有り、やおらピアノに向かった青年は、1楽章の開始を告げる ン、ジャーン、ジャジャーンとしっかりとした音を立てました。すぐに軽快な速いパッセージを繰り出し、何か切ない感じの如何にもショパンらしいリズムを感じるパッセージです(第1テーマ)。それが止むと清澄なゆったりした綺麗なメロディ(第2テーマ)に移りましたが、強弱の陰影の表現が若干薄い感じです。この曲はこの辺りを聴くと短いながらいつも胸がキュンとする様なロマンティックな気持ちがこみ上げるのですが、今回は感じられなかった。左右の音の切れ味が今一つといった感じでした。後半の力を増強して速いメロディを繰り出し再び第2テーマから最後のfffに至るまで演者は無心に弾いている様子ですが、全体的に平坦だったのか?うねりが心に響いて来ませんでした。
第2楽章は速い軽快な舞踊風のメロディで、亀井さんのテクニカル的にしっかりした部分が良く表現されていたと思います。半音の平行進行で競り上がる2箇所のパッセージが印象的。後半のゆったりしたメロディはショパンらしさがやや不足の感がしました。最終部分の半音階平行進行は明瞭に聴こえました。
第3楽章は「葬送」です。次第に近づく葬列を表現する様にだんだん強く鍵盤を叩く奏者、それが急に止んで、非常に清らかな流れの様な、そよ風の様な調べを奏で始めるので、あまりにも気持ち良く(寝不足のせいもあってか)、ついうとうととした状態になりそうでした。再び頭初のジャンジャジャジャーンという厳かな調べに戻ってハッと気が付きましたが。ここはこういう風な弾き方もありかなと思いました。
最後の第4楽章は非常に速いテンポで、鍵盤上を左右に指が遊び廻る雰囲気です。半音階的進行や不協和音的響きもある短い楽章でした。亀井さんはそのうねりをpやfでなく音の動きで良く表現していました。
演奏後この若いピアニストでも流石に疲労の様子が見られ、本人も ’疲れました。ここで少し休んで来ます ’とマイクを通して話して退場、前半は終了です。本当にくたびれた感じに見えました。
短い休憩(と言う程の時間では無いですが)の後舞台に戻った亀井さんはすっかり元気になった様に見えました。さすが若者、回復も早い。
③リストの『超絶技巧練習曲集S.139』より「前奏曲」と「鬼火」「マゼッパ」の3曲の演奏です。
演奏に入る前に短いトークがあって、‘以前「マゼッパ」をユーチューブ配信した時の収録中、余りに強く鍵盤を叩いたせいか3本ある弦の一本が切れてしまったエピソードを紹介、今日はそうならない様に(抑制してか?)演奏しますと語り観客を和ませていました。この辺りにもいい人柄が出ていると思いました。
さて「前奏曲」は将に速いパッセージの指馴らしといった風の短い曲でした。次の「鬼火」は最初から「木枯らし」の様に速いリズムで上下にうねりを有した途切れない連続指使いの練習曲と思われますが、音楽曲としては若干不気味さを感じる曲ですね。
「マゼッパ」では冒頭の非常に速い部分もエネルギッシュに弾き通し、中間部のゆったりとした調べを綺麗な音で表現していました。特に右の小指の最高音が小気味よく出ていたのが印象的。後半部のリズミカルなターンタターターンタンというメロディもかなり力を入れて弾いていました。指使いは休憩前の曲の時とは異なり、手を少し上方に上げて、指も相当立てて、腕のみならず肩も使って、時には上半身も使って、時には腰を椅子から上げて打鍵し、ffやfffと思われる強い音を出していた。
テクニックのみならず表現力も十分感じ取れました。兎に角すごい曲をリストはつくったものですね。これを若干はたちになったかならないかの若者が見事に弾きこなせるということは、日本人の「ピアノ力」も相当な高みに達していると思われます。
最後に相当疲れている中、アンコールとしてリストの『ラ・カンパネラ』の演奏もあり、この若者、サービス精神も十分と見ました。仲々好感の持てる若手ピアニストでした。
亀井さんは、コロナ禍の直前まで海外で研鑽に励んでいたそうで、パリではパリ音楽院で教鞭をとるルイサダの指導を受けた模様。ルイサダと言えばあのブーニンが優勝した1985年の第11回ショパンコンクールで入賞を果たし、その後の活躍はブーニンを凌ぎ目覚ましいものがあります。亀井さんは今後も海外で研鑽を積みたい意欲がある様ですから益々精進され、将来是非ともショパンコンクール出場を目指されることを期待します。