ショパンコンクール直後に来日演奏したらしいのですが、今日初めて生演奏を聴きました。今回は当初の発表から曲目変更があった様です。ラモー⇒ショパンと言っても、「ドンジョヴァンニ」の主題による変奏曲⇒ショパンの葬送ソナタ⇒ショパンの練習曲⇒リストのジョヴァンニ関連曲といった曲目の流れを見て、不思議な気がしました。というのも得意中の得意と思われるショパンの大曲をもっとプログラムに入れていない事、ラモーの変奏曲?何故だろう?リスト?ショパンの有名曲は「葬送」位でしょうか。あとはエチュードですか、等と思ったのです。 でもよく考えてみると、パリ生まれのリゥが準パリ人とも言えるショパンを敬愛していることは間違いの無いことでしょうから、パリに敬意を表して、ラモーの曲を選んだとも考えられます。またこれも憶測なのですが、パリでショパンが世に出る契機を作ってくれたのがリストですから、そのピアニストとしての達人の曲を、しかも「ショパンの曲との最大公約数はドンジョヴァンニだ」と考えてドン・ジョヴァンニの 有名な ❝お手をどうぞ❞を主題とした変奏曲を選曲したと考えられないことも無いのです。さらにショパンもモーツァルトには尊崇の念があったでしょうし、リゥも勿論大好きなモーツァルトなのでしょう。
プログラムの選曲を見てこんな取り留めないことを考えながら会場のミューザに向かいました。
【日時】2023.3.21.(火)19:00~
【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール
【出演】ブルース・リウ
〈Profile〉
2021年ショパンコンクール覇者。中国系カナダ人。
1997年5月8日、フランスのパリに生まれる。中国人の両親は離婚し、4歳の時に芸術家の父親とカナダへ移住する。
幼い頃趣味で一人で電子ピアノを弾いていた[4]。8歳の時にウォニー・ソン(英語版)に習い始める。2011年からモントリオール音楽院(英語版)でリチャード・レイモンド(英語版)に師事し、2018年に卒業した。現在はモントリオール大学でダン・タイ・ソンに師事している。
15歳の2012年、モントリオール交響楽団が開催するコンクール(OSM Competition)のピアノ部門でグランプリを受賞し、この頃からプロのピアニストを本格的に目指すようになった。2015年、ヨーロッパ賞(英語版)を受賞。2016年、第6回仙台国際音楽コンクールのピアノ部門で第4位に入賞。
2021年10月、第18回ショパン国際ピアノコンクールで優勝。同コンクールでは史上初めてファツィオリのピアノを選択して優勝した。コンクール後の11月には来日し、東京でNHK交響楽団と共演、リサイタルも行った。また、コンクールでのライブ録音を収録したアルバムがドイツ・グラモフォンからリリースされることになった
【曲目】
①ラモー『クラヴサンのための小品(クラヴサン曲集、新クラヴサン組曲集より)』
Ⅰ優しい嘆き
Ⅱ一つ目の巨人
Ⅲ2つのメヌエット
Ⅳ未開人
Ⅴ雌鶏
Ⅵガヴォットと6つの変奏
②ショパン『モーツァルトの歌劇〈ドン・ジョヴァンニ〉の“お手をどうぞ”の主題による変奏曲 変ロ長調 Op. 2』
③ショパン『ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 「葬送」Op. 35』
④ショパン『3つの新練習曲』
⑤リスト『ドン・ジョヴァンニの回想 S. 418』
【演奏の模様】
会場に入ると開演直前には場内はほぼ満員の聴衆で一杯になりました。ちらほら1席2席と空席がありますが、平日ですから来れなかった人もいたのでしょう、きっと。
①のラモーの曲は如何にもラモーらしい、又多くの人がいつかどこかで聴いた事のある旋律が流れ出し、何か懐かしい気もします。
最初の「Ⅰ優しい嘆き」は、普通よりかなりゆっくりなテンポで弾き始め、強さを抑制した綺麗な音色を立てていました。こうして深刻さは無い心地よいバロック的とも言える旋律を強弱・速度コントロールの良く効いたリゥ独特なピアニズムで表現、演奏はⅡ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴと進みましたが、Ⅴではこれまで聴いて来たこの有名な鶏の鳴き声をイメージ出来る曲を、将にリウ流に演奏、鳴き声と言うより、ちょこちょこ庭を彼方此方行き来する鶏たちの姿が頭に浮かぶ演奏でした。
Ⅵまで聴き終わるとその演奏は、実に柔軟性を帯びたしかも安定性のある表現で、音色も弱音、強音ともに混じり気の少ない澄んだ音しょくであることが分かりました。
②ショパン(ドン・ジョヴァンニ)
正式にはVariations sur ❝La ci darem la mano❞ de "Don juan" de Mozart、でショパンがまだパリに出てくる前の1827年ショパン17歳の時に完成、ウィーン時代の代表作とも言えます。管弦楽付きのピアノ曲だったものが、素晴らしいピアノの部分だけを取り出して独奏用として1830年に出版されたと謂われます。❝❞内はモーツァルトがイタリア語で書いたオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の<お手をどうぞ>の意味。その他の箇所はフランス語で「モーツァルトのドンジョバンニの❝❞に関する変奏曲」です。 冒頭からリウの演奏はゆっくりゆっくり、「もしもしかめよカメさんよ世界の内でお前ほど歩みのノロいものは無い」を思い出す様な遅いテンポで、しかし明快なしっかりとした発音で弾いています。しかしそれも次第にスピードと強さを増してくる打鍵で上行、下行を何度か繰り返します。ジョバンニの基本旋律は変奏でも聞き取れましたが、とてもこれがショパンの曲だとは思えない程のものでした。 しかし後半ジョヴァンニ節から遠ざかってモーツァルトのくび木を絶つと、様々な変奏にショパンらしさを感じ取れる様になり、注意して聞かないとドンジョヴァンニのメロディーがほとんど聞き取れない位の変奏部の演奏は、軽快で綺麗なもので素晴らしいと思いました。左手のクロスからの高音跳躍音の発出が面白い。最後の下行旋律は綺麗だし、上行旋律で終わりました。
③ショパン『ソナタ<葬送>』
第1楽章Grave-Doppio movimento
第2楽章Scherzo
第3楽章Marsche funebre
第4楽章Finale Presto
低音部の相当な強打鍵で開始、リゥの右手旋律表現は速いテンポですが、これまで聴いた演奏とは何処か異なっている。これをリゥ流(即ち彼独特の表現)と言って良いかも知れない、少し不鮮明な音の箇所もありましたが。第2楽章前半はリゥの落着き払った演奏が光ります。丹念に音を紡いで行き憂いを込めた表現も感じました。これは不気味な旋律表現、最終楽章での鐘の音が静まりあたかも葬列が式場か埋葬地に到達したかの様な表現でも同様でした。この曲は他の奏者とはかなり異なる独自の表現、表情を作り出すのに成功していたと思います。
④ショパンのこの三つの練習曲は、配布されたプログラムノートによれば、Op.10 とOp.25のそれぞれの「12曲から成る練習曲集」とは別で、1839年、29歳の時の作品です。サンドのノアンの別荘かパリで作曲されたもの。
それぞれかなり短い曲で、一曲目は短調の分散和音様のお洒落な感じの旋律、比較的高音部で次第にテンポが速くなり、旋律にはうねり(強弱とテンポ変化)を感じました。第二曲は速いが弱音で演奏、和声の練習曲でしょうか?三曲目も速く弱い音で軽快な旋律でした。リゥの演奏はスピード(テンポ)コントロールが自由自在といった感じ。
ここで拍手が湧きそうになりましたが、リゥは座ったまま一呼吸置いて、次曲を演奏し始めました。
⑤リスト(ジョヴァンニ)です。初めから強い打鍵、両手で、また指一本(人指し)づつの強打もあったように見えた気がした?鍵盤上を指を滑らす様な強打もあり、何でも有りの感。(まるで強打の指使いのエチュードの役割?) ポンポンポンポーンと軽やかな弱音の後ドンジョバンニの旋律がはっきり聴こえ出しました。さらに進むと高音部で、コロコロと玉を転がす様な軽快な発音あり、次の旋律はとても美しいものでした。次第に演奏は佳境に入って行き、リスト自身が流石と思わせる自演自作のハイテクニックを駆使した超絶技巧部に入り込んだリゥは体にも力を漲らせている様子で、ショパンのドンジョバンニより難しそうな、速くて指がもつれんばかりの箇所も難なく乗り越えて、最初から最後まで安定した、聴いていて安心出来る(ハラッとしない)演奏を見せて呉れました。ここで曲終了かと思いきや少しぐずった旋律を発出した後、息は吹き返しさらなる超絶技巧部へと曲は続くのでした。これには唖然!そう言えばいつだったかリストの曲を聴いた時、同じ感じを受けた時が有りましたっけ。もう曲は終わったかなと思う間もなくさらに続き、そんな感じが二回、三回と続き、この曲はいつ終わるのかな?と思っても終わらず、リストのこれでもかこれでもかといった、しつこい程の見せ場には若干食傷気味になったことがありました。これが「素材が楽曲全体を通じて進化してゆく」というリストの主題変容の理論なのでしょうか?兎に角この難曲をブルース・リゥは難なく引き終わり涼しい顔をしていた(終了後ハンカチで汗を拭ってはいましたが)のには舌を巻きました、
今日の演奏は流石コンクールの覇者、同一コン参加者(ファイナリスト)の誰でも弾けるとは思えない曲を見事に弾いて見せて呉れたのですが、ショパンの本格曲が少なくて正直言って少し物足りないかなと思って拍手をしていたら、リゥはおもむろにピアノに向かいアンコール曲を弾き始めました。バッハの曲だとはすぐ分かりましたが、曲名まではすぐには分らず。演奏が終わって、大きな拍手の中舞台から袖を二往復し再度椅子に座って二曲目のアンコールも弾いたのです。そうこうしている内に三曲目、四曲目と続き、都合五曲までアンコール演奏したのでした。これには会場は総立ち沸きに沸きました。アンコール曲は次の通りです。
《アンコール曲》
(1)バッハ『フランス組曲第5番<サラバンド>BWV816』
(2) ショパン『三つのエコセーズ第1番(遺作)Op.72-3ニ長調』
(3)ショパン『エチュード集第5番<黒鍵>Op.10ー5変ト長調』
(4)ショパン『ワルツ第9番(遺作)イ短調』
(5)リスト『ラ・カンパネラ』
何れも絶品のブルース・リゥ演奏でした。こんなに多くのピアノアンコール曲を弾いたのを聴いたのはキーシン以来でしょうか。今日の観客は比較的(オケ演奏会やオペラより)若い人が多いのが目立ちました。特に一階の最前列は最も若いと思われる女性たちがずらりと陣取り、このピアニストの人気ぶりが伺えます。かなり爆発的人気が生じつつあるのかも知れない。今回のブルース・リゥ日本ツアーは、広島と札幌で二公演を既にこなし、2/24(金)は東京、その後は関西で4公演を行う予定の模様。日本中を沸かせるブーニン以来のニューヒーローが生まれるのでしょうか。