HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『ボゴレリッチ・All Chopinピアノリサイタル』

 表記のリサイタルは、着々と巨匠の道を歩みつつあるイーゴリ・ボゴレリッチが、今回三年振りに来日し、All Chopin programで公演したもので、その中身は

   〖よーこそ、ボゴレランドへ夢の旅!!〗

と奏者が誘う、将に夢の中を漂うが如き幻想的なピアノ演奏の風景でした。

 

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【日時】2023.1.11.(水)19:00~

【会場】サントリーホール

【曲目】All Chopin Program

①ポロネーズ第7番 変イ長調 op.61 〈幻想ポロネーズ〉

(曲について)

 この変イ長調 作品61は、フレデリック・ショパンのピアノ独奏曲。晩年の1846年に作曲・出版され、A.ヴェイレ夫人に献呈された。

「ポロネーズ第7番」で所々にポロネーズ的リズムは散見されるも、構成からは幻想曲に近く、ポロネーズの要素とはかけ離れて作曲されている。実際、ショパンは当初この曲の題を「幻想」としており、ポロネーズとしてではなく幻想曲として作曲していた。複雑な和声と自由な形式をもつ独創的な作品で、ショパンの独立した作品としては大規模な部類に入る。

 

②ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58 

(曲について)

 1844年に、ノアンにあるジョルジュ・サンドの住居で作曲され、翌年出版された本作は、ド・ペルテュイ伯爵夫人(Emilie de Perthuis)に献呈された。

本作が作曲された年にはショパンの父ニコラが死去し、その訃報に触れたショパンは悲しみのあまり2週間ほど重病人となったが、その約3ヶ月後に完成させている。

ロベルト・シューマンによって「無理やりくくりつけた」と評された前作とは打って変わって古典的構成美を特徴とし、曲想、規模ともに堂々たる大作である。ピアノソナタ全3曲の中、唯一終楽章を長調で締めくくっている(終結部分のみ)。

 

③幻想曲 ヘ短調 op.49

(曲について)

『幻想曲』(げんそうきょく:Fantasie)ヘ短調 作品49は、フレデリック・ショパンが1841年に作曲したピアノ独奏のための幻想曲。演奏時間は11分~15分。

幻想曲とは元々、形式に捉われない自由な楽曲を意味し、バロック時代から多くの作品が書かれたが、その作風は時代によって変化してきた。バッハからモーツァルトに至っては、それは思いつくままに楽想を並べていったようなものであった。ベートーヴェンは自由な序奏の後、1つの主題が提示されて、それが何回も変奏され、発展していく形をとった[。しかし、ロマン派になると、逆にソナタの形を取る長大な作品に仕上げられた。シューベルトの「さすらい人幻想曲」や、シューマンの幻想曲などはまさしくその典型である。 そしてショパンはソナタ形式を基調としながらも、序奏や中間部が組み入れられるきわめて自由な作品に仕上げた。ショパンはバラードでも同じような形式を用いたが、それらが3拍子系であるのに対して、4拍子系であることから幻想曲とされた。

 

④子守歌 変ニ長調 op.57

(曲について)

子守歌 変ニ長調 作品57は、フレデリック・ショパンが1844年に作曲したピアノ独奏曲。ただし、元々の題名は「変奏曲」であり、試演の際に改訂されたときにこの題名となった。出版は1845年、エリーズ・ガヴァール嬢に献呈された。

 

⑤舟歌 嬰へ長調 op.60

(曲について)

『舟歌』(Barcarole)嬰ヘ長調 作品60は、フレデリック・ショパンが1846年に作曲・出版したピアノ独奏曲。シュトックハウゼン男爵夫人に献呈。

通常の舟歌は無言歌集 (メンデルスゾーン)#第2巻 作品30にあるように2拍子系の8分の6拍子であるが、4拍子系の8分の12拍子である。ノクターンに近い曲想。

 

【演奏の模様】

 上記(曲について)に記載した様に、演奏曲は、①は1846年、②は1844年、③1841年、④1844年、⑤は1846年と、何れも1840年代前半頃に作曲された作品達で構成され、この時期は、プログラム冊子で、ボゴレリッチ自身が語っている様に、ショパンは、ジョルジュサンドと恋に落ち、パリとノアンのサンドの館を往き来していた時期であり、謂わば、ショパンにとっては、持病(肺結核)はまだそれ程悪化せず健康を保っていて、ある種サンドの庇護を受け、幸せな時期でした。しかしその反面、幸せな生活には破綻要因が幾つもあり、その為の不安な気持ちを抱く時もありました。若くして亡くなったショパン(1810~1849)としては、こうした後期の時期の作品群に当たります。ボゴレリッチの言ですと、これまで(演奏会で)弾いたことの無い曲も練習して、プログラムに入れたそうです。来日演奏曲目に限ってみればそれは例えば、ポロネーズ7番や幻想曲ヘ短調、子守歌変ニ長調等を指すのではないかと思われます。

 なお、前後しますが、予定した①~⑤までの演奏が終了した後は爆発的な会場の拍手が起こり、それに答えてボゴレリッチはアンコール曲を二曲演奏しました。

《アンコール曲》ⅰショパン『前奏曲 嬰ハ短調 Op.45』
ⅱショパン『夜想曲 第18番 ホ長調 Op.62-2』

 

 開演10分前にホールに入るとステージ上では、ボゴレリッチが、ピアノをポロンポロンと何かを弾いています。いつもの風景です。すぐに係員が袖から急ぎ足でピアノに近づき、何かを告げると、二人は急ぎ足で舞台を去りました。とすぐに開演の鐘が鳴り、ボゴレリッチは正式に舞台に登場、ピアノに向かい姿勢を定めると、おもむろに弾き始めました。


①ポロネーズ第7番 変イ長調 op.61 〈幻想ポロネーズ〉
 第一音からして重みのある濃厚な響き。音の一つ一つの響きを、確かめながら、次に自分の出したい音をどうするか、瞬時に判断して、次音を繰り出しているという気の遠くなる作業を続けている様に見えます。必然的にテンポは遅くなる。人によっては、”常識外れの遅いテンポの演奏”と揶揄する向きもありますが、それはそうでしょう、常識的には、一音一音、音を変化させるなど、やろうともしないし、普通では実際やれないでしょう。楽譜の一小節の旋律内の音の強さや長さを変える事はありますが。ボゴレリッチは、将に一音一音を、前音の響きを確かめて繰り出している様に見えるのです。ポゴレリッチはプログラム冊子に次の様に述べています。

❝彼(ショパン)の作品は、同じ曲でも弾く時が違うとさらなる発見があります。自分もこの曲を良く知っていると思っているのに、時にはまた違う側面が見えてる・・・❞

弾いていて同じ様にと繰り出した音でも、場合によっては違って響くので、音をじっくり確認するため(と言っても須臾の時間μμSecondより短時間の、瞬間判断でしょうけれど)、超slowな展開となることも有るのだと推測されます。

 彼の弾くショパンは、ppの弱い音でも力が籠っていて、ゆっくり過ぎても速く変化する箇所も有り、しかも決して全体としての統合性は失われない。弾いている間、体躯は(上半身)直立不動、姿勢が大変宜しい、ルービンシュタインの如しで、手は鍵盤近くに平らかにし、強い(と一目で分かる)指でしっかりと打鍵しています。後半は変化に富む演奏でとても面白く感じました。

 

参考〉

この曲の演奏は、5つの主題(第1、第2の主題がポロネーズ風)による自由な形式を持ち、ショパンらしい悲愴なパッセージもしばしば現れるが、全体を支配するのは美しくも夢幻的な雰囲気であり、終盤では何かが沸き起こるかのようなAllegro maestosoから、最後はやや快活なスケルツォ風に終わるなど、多彩な内容を持つ。

調性や、冒頭の4度降下のモチーフなど、幻想曲(作品49)との共通点も指摘される。

Allegro maestoso 冒頭~第21小節、4分の3拍子、変イ長調の序奏。調号は変イ長調で書かれているものの主調がすぐには現れず、冒頭の和音は変イ短調の和音で、2つ目の和音も変ハ長調の和音になっている。緩いテンポ設定で、自由即興的な転調を繰り返し、遠隔調であるシャープ系の調にも転調する。
Allegro maestoso 変イ長調、第1主題。ここでポロネーズのリズムが登場し、調性も初めて変イ長調に落ち着く。
Allegro maestoso、変イ長調、第2主題 — ホ長調 — 変イ長調
Allegro maestoso、変ロ長調、第3主題 — ロ短調。右手の華やかな走句が印象的。
Poco più Lento、ロ長調、第4主題。穏やかなコラール風の部分。
Poco più Lento、嬰ト短調/ロ長調、第5主題。左手シンコペーションが加わり、右手は半音階的な旋律を歌う。
Poco più Lento (lento)、ロ長調、序奏の再現
Poco più Lento、ヘ短調/変イ長調、第5主題―Allegro maestoso
Allegro maestoso、変イ長調、第1主題。三連符が右手中声部に現れる。
Allegro maestoso、変イ長調、第4主題。最後に高い主和音が曲の終わりを告げる。
 

 

 

②ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58 

第1楽章 アレグロ・マエストーソロ

第2楽章 スケルツォ

第3楽章 ラルゴ

第4楽章 フィナーレ:プレスト・マ・ノン・タント

 この曲はよく演奏されるので聴く機会も多い曲です。ボゴレリッチは通常よりやや遅いかなと思われるテンポで冒頭弾き始め、左手の上行伴奏音はデモニッシュな響きを醸し出し、続く右手の有名な旋律は、将にショパンを感じれる箇所ですね。次のパッセジもポンポンと駒を軽脚で進めるのではなく、その乗り心地を確認しながらここはslowに歩み、聴き様によっては、いつもと違うなと思えるかも知れませんが、こうしたショパンも有りかなと納得させる響きが有りました。テーマの再現部ではテンポが速まり通常より少し遅い程度だった。

 2楽章以下も通常の演奏を期待した旨からは、大分外れといった処、鍵盤上を結構速いテンポで駆け抜けたかと思いきや急激にslowにペースダウン、高音の跳躍音が二回現れるパッセージ等を聴いていると、通常だったら眠気を催しても不思議でない位なのですが、どういう訳か曲に引き付けられます。眠気は起きなかった。

 3楽章は相当slow に展開、①の曲の時の様な一音一音、丹念に音を綴って風景を表出させる様な根気の要る作業をボゴレリッチは続けていました。何か寂しさも浮かぶ、多分ノアンの秋の風景なのでしょう。

 最終楽章の強い打鍵の演奏にはボゴレリッチの演奏の幅広さを感じました。鍵盤上を左右の手が行き交い、低音域のやや不気味な和声を進めるテーマの何たる力強い響き、再度、再三の繰返し部では特に左手の強さが目立ちました。

 

〈参考〉

第1楽章 アレグロ・マエストーソロ短調、4分の4拍子、ソナタ形式。提示部の反復指定あり
決然とした第1主題、ショパンらしい優雅で甘美な第2主題からなり、主題がソナタ形式にはふさわしくないとの批判もあるものの、ショパンの個性と創意が存分に生かされている。提示部の反復指定があるが、長いので反復せずに演奏するピアニストも多い。
第2楽章 スケルツォ:モルト・ヴィヴァーチェ変ホ長調、4分の3拍子。
深刻な内容の多いショパンのスケルツォには珍しく、即興的で諧謔味を含む。主題部で右手最低音はG音であり、ヴァイオリンのそれと同一である。第1楽章同様に旋律線をヴァイオリンで追跡できる。モルト・ヴィヴァーチェという表記は、ショパンの見解では高速演奏であるが、どの程度の高速であるのかまでは言及していない(当時では不治の病である肺病に罹患していた作曲者が、生命を意味するvivaceという語に何を込めていたかは研究が必要である)。中間部ではロ長調に転じ瞑想的な楽想となる。エンハーモニックな転調でロ長調と変ホ長調が対峙するのは、フランツ・シューベルトの4つの即興曲 D899-2にも例がある。
第3楽章 ラルゴロ長調 、4分の4拍子、三部形式。
夜想曲風の甘美な楽章である。他の楽章に比べると冗長に感じられるが、旧世代のピアニストは中間部を速く弾くことで構成感を高めていた。第1主題の旋律は、ピアノで演じるには贅沢なほど流暢優美で、室内楽編曲に適している。中間部では嬰ト短調―変イ長調と、ピアノ協奏曲第1番第2楽章に相似た展開をする。再現部は左手部に鋭いリズムをつけ、単調さを避けている。
第4楽章 フィナーレ:プレスト・マ・ノン・タントロ短調 、8分の6拍子、ロンド形式。
この大曲のしめくくりにふさわしい、情熱的で力強い楽章。ヴィルトゥオーゾ的技巧を要する。主題は序奏和音の後すぐ提示され、ロンド形式の通り繰り返される。エンハーモニックな転調は随所にあるが、終結はロ長調である。

 

《20分の休憩》

 

 後半の第一曲と①の幻想ポロネーズとの関連性は旋律、リズムの中にも見え出されると謂われます(それぞれの(参考)を参照)。

 ボゴレリッチが、この二つの曲を前後半に曲構成した意図には、何か深い理由がある様な気がします。インターヴューではそのことには触れていませんが。

③幻想曲 ヘ短調 op.49

 冒頭の「雪の降る街」似の旋律は、通常に近い入りで、それ程遅くなかったのですが、但し響きには強いものが有りました。ここは足を引きずって行く野辺送りの場面なのでしょうか。雪がちらつく悲しい場面を想像出来ます。

 次いでバーン、ジャジャジャジャーンと強打された響きは相当強い表現でテンポも速め、強打鍵のリズミカルなパッセッジは、ラフマニノフやリストのコンチェルトに比肩出来るぐらいの強い表現でした。

 後半のゆっくりした弱い音での旋律の何と綺麗なこと!!心が洗われる様な気がしました。ボゴレリッチは心で歌いながら弾いているかのようにも思えた。

 最後のやや速い規則正しいリズミカルな箇所ではバッハの影響があるのではないかとも思いました。

 

〈参考〉

Tempo di marcia
曲は引きずるような序奏主題に始まり、ゆっくりとした葬送行進曲となる。

poco a poco doppio movimento
それが立ち止まったかと思うと、曲は2/2拍子となり、3連符のパッセージとなる。次第に曲は興奮して行き、ソナタの第1主題に発展する。ソナタは4つの主題があるとみることができ、第2主題は変イ長調、第3主題でハ短調から変ホ長調となり第4主題は変ホ長調となるが、それらは対比を意識したものではなく、1つの主題郡として、楽想が連続したものである。それが終わったかと思うと、再び経過部の3連符のパッセージが現れ、ハ短調と変ト長調で主題が一時的に再現される。しかし、そこから曲は急に落ち着きを見せ、三たび3連符のパッセージが登場する。

Lento sostenuto
ロ長調3/4拍子のコラールの中間部となる。しかしそれも長くは続かず、突然に打ち切られ、まもなく主題が変ロ短調で再現される。曲は提示部どおりの進行をし、その後3連符のパッセージから、変イ長調でコラール主題が出現し、そこからきらびやかな分散和音によって、変イ長調のまま閉じられる。

 

④子守歌 変ニ長調 op.57

 この曲は初めて聞きました。将に子守歌、母親が子供を寝かせるため ❝ねんねこ さゃっしゃりませ 寝た子の かわいさ起きて泣く子のねんころろ つらにくさ ねんころろん ねんころろん❞ と歌う場面を想起させる如何にも母親心からのそっと歌う旋律。何回となく歌っている内に母親もいつの間にかうたた寝してしまいそうな子守歌でした。この様な弾き方もボゴレリッチはするんだ!と感心することしきりでした。

 

<参考>

変ニ長調、Andante右手の奏する4小節の旋律が15回変奏される一方、主音のバスは、最後で少し変化する以外、全く同じ和声の伴奏形が全曲を通して延々と繰り返される。一種のパッサカリアであるとも言える。ショパンが「変奏曲」と命題して作曲したものは、『華麗な変奏曲』や『民謡主題の変奏曲』など、初期の作品に限られるが、以後の作品でもバラード第4番をはじめ、様々な作品の中で変奏技法が応用して用いられている。本作も変奏技法の隠れた名手としての作曲者の面目を示すものといえるだろう。

 

⑤舟歌 嬰へ長調 op.60

 いよいよ最後の曲です。ボゴレリッチはゆっくりですがかなりの強打でスタート。左手で舟の揺らめき、右手で如何にもショパン節らしき旋律、水に煌めく月明かりでしょうか?テーマに戻った後の繰返し部は、相当な強奏をしており、高音部の和音は、指で打った反動で鍵盤上のかなり上に跳ね上がる手が見えます。音の一粒一粒が光る炊き立てのお米の様にふっくらした艶が感じられます。

 短調に転じると、奏者は大きい左手を鍵盤上に広げ指も広げ、右手はやや丸めて指も丸め、強い音をいとも簡単に出しています。腕も相当に強いピアニストなのでしょう。手の指を前後に回す様な動きでも鍵盤にタッチしていました。でもこの力強い部分で、ショパンは一体何を表現しようとしたのでしょう。船頭達の歌の応酬?それともサンマルコ広場の船着き場の喧騒?

<参考>

 冒頭は調性不安定な和声進行。嬰ト短調-嬰ハ長調-主調と舟歌の浮揚感を象徴している。[独自研究?]パウゼ(休止)のあと主題が始まる。左手の特徴的なリズムの上に右手が3度や6度の和声で叙情的にメロディを演奏する。中間部では一旦平行短調(嬰ヘ短調)で導入するが、対立や発展というより連綿と同様主題が転調反復される。イ長調の進行。しかし時に嬰ト長調(変イ長調)のアルペッジョを取り入れて単調な舟歌に節目をつけている。モノフォニーの嬰ハ長調レチタティーヴォが現れ、音階進行とトリルの後、主題が左手オクターヴ奏法に乗って再現する。調性不安定なクロマチックの後に6度の和声で主調が回想され、最後には下降音階が華々しく締めくくる。晩年の作品であり技術、表現の面で難易度が高い。

 

 今回のボゴレリッチの演奏は以下に参考まで再掲した2020年の時から3年目ですが、その演奏スタイルと言うかその演奏哲学は変わっていない様に思えました。ただ少し年を取ったなと思われた外見とは裏腹に、ピアノから繰り出す音の表情は実にフレッシュで、安定し、若々しい力強さにも満ちたものだったのには驚きました。絶え間ない前進と反骨精神の強さを自らに課しているのでしょう。ショパンコンクールでアルゲリッチが「だって彼は天才よ」と言った言葉はボゴレリッチを励ますと共に、40年間もその言葉に恐怖を抱いてきた事でしょう。その言葉に相応しいピアニストにならなくてはならないという強迫観念はどれ程苦しかったことか。この世に一人しかいないボゴレリッチと言うピアニストを、世界に認めて貰うための努力は恐らく血の滲む様なものだったでしょう。2020年のサントリーホールでは足を少し引きずって登壇し、具合が悪いのかなと思いましたが、今回はそれもなくなり、すこぶる元気な様子で演奏に臨んでいたことは慶賀の至りです。プログラム冊子に載せた言葉、❝それぞれの人間の独創性が最も重要なのです❞と言う彼の言葉には、実践に裏打ちされた本物味が感じられます。将に「ボゴレリッチランド」を堪能した一日でした。

 尚、2020年に来日公演した時の記録がありますので、参考まで、以下に再掲します。

『ポゴレリッチ、ピアノリサイタル』鑑賞  

 

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 既に2月13日、同ホールで、シューマンのコンチェルトを弾いており、そちらは聴けなかったというか聴かなかったのですが、其れには、理由があって、(1)チケットが取れなかった。(2)ピアニストの本領を見極めるには、オケの影響を受けないリサイタルが最適と考える。

 チケットは少しうっかりしていて、いつもの様にWEBで買おうとした時には、既に売り切れでした。リサイタルのチケットが取れたから、まっ、いいか、と13日には、当日券を求めることもしませんでした。リサイタル会場に着き、ホールに入ってみると、女性がピアノの前で音を出している。調律かな?と思ってよく見ると、ちゃんとした曲を控え目な音で、弾いており、開演直前までやっていました。


 多分、演奏前にピアノを弾き慣らして演奏者が弾き易くしていたのか、或いはピアノの調子を見ていたのかも知れません。

 さてリサイタルの演奏曲目は、①バッハ作曲『イギリス組曲第3番BWV808』②ベートーベン作曲『ピアノソナタ第11番Op.22』20分の休憩を挟んで、③ショパン作曲『舟歌Op.60』④ショパン作曲『前奏曲嬰ハ短調Op.45』⑤ラヴェル作曲『夜のガスパール』の五曲でした。プログラムにショパンが入っているのがいい。バッハもいいけれど、若い時ショパンコンクールで、物議をかもしたピアニストには、やはりショパンを弾いて貰って、どんな具合か知りたい。勿論、若い時の弾き方とは違っている筈ですが。演奏の詳細については、少し整理してから、後日、記したいと思いますが、ひと言だけ感想を書きますと、Pogoはやはりアルゲリッチが言った様に、”天才”ですね。今回は、アンコールがなかったのでしたが、それもその筈、演奏会が終了した後、Pogoは、サイン会をやってくれたからです。


 サインを求める行列が延々と続いていました。良い機会なので私も、CDにサインしてもらいました。

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サインを求める行列

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ポゴレリッチのサイン入りCD

 なお、上で“演奏前の女性の弾き慣らし”と書きましたが、撮った写真をよく見ると、女性ではなくPogoその人でないかという気がしてきました。帽子と赤い襟巻で遠目に女性と見えてしまったのですが、あれは演奏開始前の練習をしていたのかも知れません。(続く)

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『ポゴレリッチ、ピアノリサイタル』鑑賞(続き)

 演奏曲目は①バッハ作曲『イギリス組曲第3番BWV808』②ベートーベン作曲『ピアノソナタ第11番Op.22』20分の休憩を挟んで、③ショパン作曲『舟歌Op.60』④ショパン作曲『前奏曲嬰ハ短調Op.45』⑤ラヴェル作曲『夜のガスパール』でした。
 先ず①を聴いて感じたことは、これはバッハではないということでした。いやそう言うと正確ではない、誤解を生じます。正確に言うとこれまで私が様々な演奏家を聴いて頭に形成されたバッハ像とは全然かけ離れたものだったということです。これは次曲以下にも言えることですが、スローなピアノッシモのパッセージは淑女の如く、強く速い箇処は脱兎の如くfffいやffffかと思う程の強さで、弾き捲くります。衝撃でした。でも取り立ての野菜サラダの様に新鮮。グレン・グールドのノン・レガート奏法のバッハを聴いた時も他の奏者には見られない新鮮さを感じたものでしたが、感じる度合いが桁外れ。若い時のPogo(ポゴレリッチ)の演奏よりもさらに自己流を深めた演奏でした。ところどころバッハの曲だなと分かる特徴的な残影は感じられたのですが。
 「イギリス組曲」は全部で六つあり、それぞれ7つの短い舞曲の集合です。Pogoがこの日弾いた第3番は、プレリュード (Preludes)2. アルマンド (Allemande)3. クーラント (Courante)4. サラバンド、同じサラバンドの装飾 (Sarabande, Les agrements de la meme Sarabande)5. ガヴォットアルテルナティヴマン (Gavotte IA lternativement)6. ガヴォットIIまたはミュゼット (Gavotte II ou la usette)7. ジーグ (Gigue)から成ります。
Pogoはサラバンドのスタートから相当力を込めて強く弾き始め、スローなテンポの部分も相当強くしかも軽妙さを失わない音とリズムで弾き進めた。ここでガボットⅡの前半は、学校音楽教科書にもたびたび引用され掲載される人口に膾炙したメロディの曲です。曲の表情の豊かさを高め、表現力豊かなバッハ演奏であった。若しPogoの弾いたあと、引き続き他のピアニストの同じバッハ演奏を聴いたらきっとつまらなく感じたに違いありません。
 続く②のベートーヴェンも、かなりべートーヴェンらしからぬ演奏で、この様なべートーヴェンは聴いたことが無いものでした。ベートーヴェンの面影が少し残る程度。
 第1楽章Allegro con brio 第2楽章Adagio con molta espressione 第3楽章Menuetto 第4楽章Rondo, Allegretto
気が付いたことの一つは、最初の第1楽章で左右の手のバランスが、偏って右手にかけている様に感じたこと。別の特徴として第1音を強めに弾く傾向にあったがこれは楽譜の指示かも知れないもののかなり強烈。第2楽章はか相当Slowだが、大きな音だった。PogoはSlowに指を(今回の座席は鍵盤が見えない右翼でしたが音からして)運び、終わりの最終部を随分長―く引き延ばして、消える様に終音を演奏したのが目立ちました。
 第3楽章のメヌエットは短い曲で主題の軽快なメロディも指裁き見事に演奏。ここが一番ベートーヴェンらしさを感じた箇処かな。最終4楽章も今度はどんな演奏をするのか、とびっくり箱から何が出て来るかと待ち構えるが如く聴きましたが、百戦錬磨のそれこそ何千、何万の曲を弾きこなした指使いに裏打ちされた確かな技術からほとばしり出るPogo手作りの造形を見る思いで聴いていました。こうしたベートーヴェンも有りかと感心しきり。
 次はいよいよショパンです。③舟歌は余りにも有名で短い曲ですが、ショパンを聴く者は知らない人はいない位の曲です。こうしたものは通常は弾きづらいでしょうね。隅々まで比較されちゃう。この曲もPogoは趣きが異なる演奏をしました。冒頭からかなりSlowでffの力強いタッチで、波間に揺られるヴェネチアのゴンドラやセーヌに浮かぶ恋人達の船のイメージからは程遠い、例えればトルコとの戦いに出立するヴェネチアの大型ガレー船(軍船)が、力強く波に翻弄されるどころか波を翻弄して前へ前へと進むが如きイメージを膨らませる演奏でした。ジョルジュサンドとの関係が波高くなっているのを想起させる様な演奏。ショパンの優雅さはほとんど感じられませんでした。
 次の曲ショパンの④前奏曲嬰ハ短調Op.45は、ショパン31歳の時の作品で、「24の前奏曲(ショパン29歳の時作曲)」の中の「前奏曲第10番嬰ハ短調Op.28-10」とは別のものです。嬰ハ短調は、ショパンが好んで用いたと言われ、ノックターンに多くみられる。④は5分弱の短い曲ですが、Pogoはゆっくりとゆったりと演奏し、この演奏に一番ショパンらしさを感じました。③も④の演奏も違いはあっても、何れも心の通った演奏でした。
⑤のラヴェルの曲はフランス語で『Gaspard de la nuit』。Gaspardは男性名、nuitは夜(仏語の最後の子音文字は黙字…サイレントが多い。Parisも同様)。フランスの詩人の詩集をもとに、ラヴェルが20世紀初頭に作曲した3つのピアノ曲[Ⅰ.Ondine(水の精の名) Ⅱ. Le gibet(死刑囚が最後に登るあれです)  Ⅲ. Scarbo(いたずら好きの妖精)]から成るこの組曲は初めて聞いたので比較対照が有りませんでした。
 兎に角、キラキラした感じやゆっくりとだが確実に冷え込む夜のとばりに、冷徹に死刑囚を待つ死刑台が月明かりに照らされているかの様な静かなピアノの音、終曲では思いがけない程大きいfffかとも思われる大音量や速いパッセージからの力演に、Pogoが次はどんな音を出すのか固唾を飲んで待つ自分がありました。時には腕を交差させ、腰を浮かせ、鍵盤を叩いている演奏が終わった時は、ラヴェルにこの様な大作ともいえる曲があったのかという驚きと、Pogoの驚嘆的な力強い演奏によるダブルパンチを食らった感じがして一瞬クラクラしました。演奏会をやり終えたPogoも疲労困憊の感は否めず、会場の四方に順次深々とあたまを下げて丁寧に挨拶した後、若干足を引きずり気味にゆっくりと舞台を去る様子は、既に巨匠の風格を有していた。
 この演奏会を聴いて総括しますと、Pogoはバッハもベートーヴェン、ショパンを何十年と弾いている中から、Pogoのバッハ、Pogoのベートーヴェン、Pogoのショパンを創作することに成功したものと思われます(勿論普通に弾くことだって出来る筈ですよ)。その土台には、磨き上げた技術の礎(いしずえ)がきちっと備わっており、その上に建てられた見事な建築物が燦然と輝いているのです。ピアノの表現力はかくも大きなものか、表現の可能性を2倍も3倍も広げたポゴレッチの功績は大きいと思います。 
 アルゲリッチがショパンコンクールで抗議した時放ったと謂われる言葉“だって彼は天才よ”はまさにその通りでした。