HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

速報『エフゲニー・キーシン/リサイタル』

💮巨大なキーシンの凄さ!!

💮キーシンの高みは遥か雲の上!!

💮アンコール4曲の大サービス!!

💮キーシンに酔いしれること高山病の如し!!

 

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 表記の演奏会は、キーシン50歳の記念すべき年に3年ぶりの来日公演となりました。以下に主催者のプロモートメッセージを転載します。

今年50歳を迎えたエフゲニー・キーシン。15歳での初来日からは35年、その節目の年に彼はまた日本にやってくる。
 キーシンの日本デビューの衝撃は今でも筆者の記憶に強く刻まれている。“ソ連が生んだ天才ピアニスト”という触れ込みに半信半疑の思いもあって出かけたのだが、演奏開始後瞬く間にそうした疑念は吹き飛び、ただただその音楽に惹き込まれてしまった。それは鳴り物入りの神童によくありがちな単に指がよく回るといった次元のものではなく、自然な流れのうちに陰影と生気を湛えた演奏で、あどけなさの残るひょろりとした少年が奏でているとはとても思えない音楽的センスを感じさせるものだった。
 以後キーシンは今日まで何度も来日を重ねてきたが、その音楽の基本スタイルはすでに少年期から確立されていたといってよい。奇を衒ったり派手な効果を狙ったりせず、作品に対して正攻法でアプローチしながら、そこに豊かな感性を息づかせて生き生きした表情に富んだ音楽を作り上げていくのが彼の身上だ。来日の度に彼の演奏には進化がみられ、特に最近の彼の音楽には巨匠的といえる風格が漂うが、それは新しい要素が加わってのものではなく、自身本来のスタイルを掘り下げて内側から熟成させている結果といえよう。近年の様々な演奏潮流には与せず、一貫して自身の路線を迷わずに究め続けるその姿勢は求道者的な厳しさすら感じさせる。
 そうしたスタイルや音楽に対する姿勢を彼に植え付けたのが、グネーシン音楽学校の名伯楽アンナ・カントールだった。かつて来日の際に常にキーシンに母親のように寄り添っていた彼女は、まさにキーシンの音楽上の母といえる存在で、キーシンの才能は彼女によって引き出され、育まれたといってよい。今回の来日演奏会はつい先日98歳で世を去ったこの恩師へのオマージュとしての意味を持つ。円熟を深めている今のキーシンが師への思いと感謝を込めて奏でる音楽にじっくり耳を傾けたい。寺西基之

 

【Profile】

エフゲニー・キーシンは、その音楽性、深く掘り下げた詩的な解釈、卓越した演奏技術により、同世代の中で、そしておそらく過去の世代おいても、最も才能あるクラシック・ピアニストの一人として、その資質にふさわしい尊敬と称賛を得て来た。彼は世界中で人気を博し、これまでにアバド、アシュケナージ、バレンボイム、ドホナーニ、ジュリーニ、レヴァイン、マゼール、ムーティ、小澤征爾など多くの世界的名指揮者や世界の一流オーケストラと共演している。1971年10月モスクワ生まれ。2歳の頃、耳で聴いた音楽を演奏したり、ピアノで即興的なものを弾いたりし始めた。6歳で、才能ある子供たちのための特別の学校である、モスクワのグネーシン音楽学校に入り、現在に至るまで彼の唯一の教師であるアンナ・パヴロヴナ・カントールに師事。10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲(K.466)を弾いて協奏曲デビューを果たし、その1年後には初めてのソロ・リサイタルをモスクワで行った。1984年3月、12歳のときに、ドミトリー・キタエンコ指揮/モスクワ・フィルとともに、モスクワ音楽院大ホールでショパンのピアノ協奏曲第1番と第2番を演奏し、世界的に注目されるようになった。この公演はメロディアによりライヴ収録され、翌年2枚組みLPのアルバムがリリースされた。この録音の大成功に続き、メロディアはその後2年間のうちに、モスクワで行われたライヴ公演のLPをさらに5枚リリースすることになった。彼がロシア国外に初めて登場したのは1985年の東ヨーロッパであり、翌年には初めての日本ツアーを行った。1988年12月、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ベルリン・フィルとともに、ニューイヤー・コンサートで演奏し、全世界で放送された。1990年、ロンドンのBBCプロムナード・コンサートに初めて出演。同年、北アメリカでもデビューし、ズービン・メータ指揮/ニューヨーク・フィルとショパンの協奏曲第1番と第2番を演奏した。翌週には、カーネギー・ホールの百周年シーズンの開幕を飾る見事なデビュー・リサイタルを行った。このリサイタルはBMG クラシックによってライヴ収録された。2020-21シーズンは、リサイタルの他、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と、グスターボ・ドゥダメル指揮のもと、リストのピアノ協奏曲第1番をザルツブルク音楽祭にて演奏。世界中から音楽賞や記念賞が次々と与えられており、1986年の最高の演奏として(これが日本での最初の演奏だった)大阪、ザ・シンフォニーホールのクリスタル賞が与えられた。1991年には、イタリアのシエナのキジアーナ音楽アカデミーから年間最優秀音楽賞を受賞。また、1992年のグラミー賞授章式に特別ゲストとして招かれ、推定10億人以上のテレビの聴衆を前にライヴ演奏を行い、1995年には「ミュージカル・アメリカ」の器楽賞を最年少で受賞した。1997年、ロシア文化への彼の傑出した貢献に対して、名誉ある凱旋賞(Triumph Award)が与えられた。これは、ロシア共和国で与えられる最高の文化的栄誉のひとつであり、ここでもキーシンは、史上最年少の受賞者となった。マンハッタン音楽大学から名誉音楽博士号、ロシアの音楽界における最高の栄誉の一つであるショスタコーヴィチ賞、ロンドンの英国王立音楽院の名誉会員資格、そして直近では、香港大学より名誉博士号を授与された。一番最近のリリースは、ドイツ・グラモフォンからのベートーヴェンのソナタ・アルバムである。これ以前の録音においても、世界の大演奏家達による名曲コレクションに多大に寄与しており、無数の賞を与えられている。その中には、オランダの「エディソン・クラシック」、フランスの「金の音叉賞」とヌーヴェル・アカデミー・ドゥ・ディスク(La Nouvelle Academie du Disque)の「グランプリ」などがある。2006年には、スクリャービン、メトネル、ストラヴィンスキーの作品を収録した録音(RCAレッド・シール)により、グラミー賞(最優秀器楽ソリスト部門)を、2002年には、エコー・クラシック賞(最優秀ソリスト)を受賞した。直近では2010年に、ウラディーミル・アシュケナージ指揮/フィルハーモニア管弦楽団との共演で演奏したプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番、第3番の録音(EMIクラシックス)により、グラミー賞(最優秀オーケストラ共演器楽ソリスト部門)を受賞した。 キーシンの卓越した才能に感銘を受けたクリストファー・ニューペンは、ドキュメンタリー映画「エフゲニー・キーシン:音楽の贈り物」を制作。同作品は、2000年にビデオとDVDとしてRCAレッド・シールからリリースされた。

プログラムの概要は次の通り。 

【日時】2021.10.28.(木)19:00~

【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール

【演奏】エフゲニー・キーシン

【曲目】

①J.S.バッハ(タウジヒ編)『トッカータとフーガ 二短調 BWV565』

②モーツァルト『アダージョ ロ短調 K.540』

③ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調Op.110』

④ショパン『マズルカ第5番・第14番・ 第15番・第18番・第19番・第24番・第25番』

⑤ショパン『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズOp.22』

 

【曲目解説】

 今回のリサイタルの選曲はバッハからショパンまで、歴史の流れに沿った曲目で、それを聴けば作曲家のすべてとまでは言いませんが、初めて聴く場合であっても、作曲家の神髄の幾ばくかは理解出来ると思います。

①J.S.バッハ(タウジヒ編)『トッカータとフーガ 二短調 BWV565』

これは有名なバッハのオルガン曲『トッカータとフーガ(BWV565)』をタウジヒ(hukkats注1)がピアノ用に編曲したもの。トッカータはもともと、ヴィルトゥオーソの名人芸を披露する様な即興的かつ華麗な曲を意味し、バッハを代表とする北ドイツのオルガン学派では、即興的前奏曲様式とフーガの技法を組み合わして作曲された。冒頭の導入部が非常にユニークで最初の強烈な旋律を聴いただけですぐそれと分かる。トッカータ部の演奏時間は短く、フーガがその3~4倍の長さ。全体的に急速で重厚感がある。フーガ主題の前半はブクステフーデ(独)のオルガン曲『前奏曲とフーガ ニ短調 BuxWV 140』に類似するとの指摘あり。

(hukkats注1)カール・タウジヒ(1841~1871)はポーランドのピアニスト。父親からピアノの手ほどきを受け14歳(1855年)で、フランツ・リストに師事、17歳(1858年)にはベルリンでデヴュー演奏を行う程の早熟なピアニストであった。ドイツを中心に演奏活動をつづけ,そのすぐれた解釈と高度な演奏技巧は高く評価されるも、惜しいかな29歳で腸チフスに感染し夭折した。リストの高弟の一人として、「鉄の指を持ったピアニスト」と呼ばれた。ピアノ曲や練習曲を作曲し、また数多くのピアノ曲への編曲も行っている。ブラームスとも交流があった。キーシンは、タウジヒの編曲が気に入っているのか、シューベルトの『軍隊行進曲1番』を独奏用に編曲されたものの演奏をRCA Recordからリリースしている。

②モーツァルト『アダージョ ロ短調 K.540』 

 この曲に関しては作曲の経緯などの詳細記録が残っていないのか、WEBで調べてもあまり情報が有りません。PTNA辞典には、「1788年に作曲された。よく親しまれているハ長調のピアノ・ソナタ(K.545)が作曲されたのも、この年のことである。アダージョの4分の4拍子、ロ短調で書かれている。また、3部形式の形をとっており、中間部では、冒頭のテーマがト長調で展開される。主要テーマは、半小節遅れて左手が入り、左右の手が並進行をすることが特徴的である。そして、曲全体を通して、ゆったりとしたアダージョの音楽の流れの中に、細やかな音価が散りばめられている。」との記載が有りました。モーツアルトの曲では非常に珍しいロ短調で書かれた奇麗な旋律ですが、何か暗さを秘めています。前年に死去したモーツァルトの父の影が影響しているのでは?との説もある様です。 

③ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調Op.110』         

 一時病気が深刻な状況で、死をも覚悟したベート-ヴェンは、奇跡的に症状が回復し、旺盛な創作意欲をもって1821年この作品を書き上げました。この曲はベートーヴェンの最後期のピアノ・ソナタの一つとして30番と32番の二曲と一緒に演奏、語られることが多い曲です。これら二曲とは異なって四楽章構成になっています。但し、場合によっては、三と四を一続きにした三楽章構成の楽譜もあり、今回は後者になる模様です。

一楽章 Moderato cantabile molt espressivo

二楽章 Alegro molt

三楽章 Adagio ma non troppo ⇒(四楽章 )Fuga. Allegro ma nonn troppo

 

④ショパン『マズルカ第5番・第14番・第15番・第18番・第19番・第24番・第25番』

比較的短い曲ですが数が多いので、PTNA辞典を引用します。

・5番はポール・エミール・ジョーンズ氏に捧げられた5つのマズルカの第一番目の曲。変ロ長調のヴィヴァーチェのマズルカ。用いられる和音の種類が比較的限定されており、和声が明瞭。そして、途中に空虚5度が特徴的なクヤヴィアク(hukkats注2)が挿入されている。

・14番ト短調は、Op.24の4曲の一つで、パリで作曲された。この頃のショパンは、パリで活動を開始して4、5年が経ち、作曲家としてもピアニストとしても充実期に入っていた。ポーランド民謡が使われた、素朴なマズルカ。

・15番ハ長調は上記14番と同じくOp.24。軽やかで可憐な曲。中間部は変ニ長調に転じて、ドラマティックな側面も見せる。

・18番ハ短調はOp.30《4つのマズルカ》の第1曲目。マリア・ヴォドジンスカとの恋愛とその破局の時期の作品。       

 悲しみに満ちた冒頭主題と、愛に溢れる中間部といった様相の三部形式AABB’AA’になっている。旋法的なこの音階を和声的に用いることで、激しい不協和音を作り出している。この不協和な響きは、恋愛や体調の思わしくないショパンの耐えきれない苦痛の表現といえる。

・19番ロ短調も、上記Op.30の一つ。3つの主題が次々とあらわれるAABBCCBBという形式によって構成。作品の大半を占める主題Bと主題Cによる楽想は、嬰ヘ短調を中心に展開している。

・24番ハ長調はローズ・モストフスカ伯爵夫人に捧げられた四つのマズルカの第三曲目。中間部に付点のリズムによらないマズルを持つクヤヴィアクとなっている。そして、15小節のコーダを持つ。

・25番ロ短調は上記四つのマズルカの最後の曲。クヤヴィアクとマズルにより、8小節のコーダを持つ。全224小節とマズルカの中では規模が大きめである。

(hukkats注2)クヤヴィアク(ポーランド語: kujawiak)は、オベレク、クラコヴィアク、ポロネーズ、マズールとともにポーランドの五大民族舞曲の一つである。ポーランド中部のクヤヴィ地方の発祥。シンコペーションが使われる3拍子の緩やかな舞曲で、マズルカに近い。輪をなして並んだ男女が舞曲に合わせてダンスを踊り、女声合唱が加わる場合もある。

 

⑤ショパン『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズOp.22』

もともとショパンは、協奏曲的作品として、1831年に管弦楽とピアノによるポロネーズ部を作曲したのですが、後の1834年に前奏としてピアノ独奏による「アンダンテ・スピアナート」の部分が追加され、1836年に現在の形でピアノ独奏版も共に出版され。現在では自編のピアノ独奏版で演奏される機会の方が圧倒的に多いのです。

 

【演奏の模様】

①J.S.バッハ(タウジヒ編)『トッカータとフーガ 二短調 BWV565』

オルガンとはどの様に異なるか興味深々でした。トッカータの冒頭の響きの迫力は、オルガン程ではなかったものの、最初から力を込めて弾いていたキーシンは、次のパッセージになるとかなりの音量と重厚な和音をピアノから響かせていました。続く軽快な演奏部分では、単独パイプより、ピアノの方が太い音で弾いていました。時々現れる跳躍音はアクセントが付き良い感じでした。続くフーガ部は 強  ⇒ 弱 ⇒中強 と変化に富んだ様子で高音になればなる程、フーガの響きがきらきらと輝いていました。一つのピアノでこれだけの多声部音楽を立体的に表現出来るとは、バッハの原曲の素晴らしさは勿論のこと、それを編曲したタウジヒのピアノを熟知している技量、およびそれを小宇宙の様に表現しているキーシンの技量には脱帽です。でもやはりこの曲は聴き慣れたオルガン演奏で聴くと、大宇宙の広がりを感じますけれど。

 

②モーツァルト『アダージョ ロ短調 K.540』

最初から終わりまでゆったりしたスローなペースで曲は進み、澄み切った穏やかな音をキーシンは立てています、途中瞬間的なアクセントの強奏の箇所を除けば。何か憂鬱さが陰に潜んでいる情景をキーシンは見事に表現していました。キーシンは時折目を瞑り、体を揺動させながら 心の目を開きながら弾いている様子。キーシンや辻井君のレベルに達すると見る必要はなくなり、音楽は心で弾けるのでしょう、きっと。我々凡人でさえ音楽鑑賞する時目を瞑って聴くと集中出来るのですから、まして況んや天才をや!この曲は随分ゆっくりとスローテンポで弾いたせいもあるのか、思ったよりも長い時間かかりました。

 

③ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調Op.110』                       

  上記①と②のピアノ曲は演奏会では余り演奏されない、どちらかというとレアーな曲ですが、このベートーヴェンのソナタは最近は良く演奏されるし話題となるので、皆知っている曲です。

  第一楽章は変イ長調の比較的明るいイメージで、キーシンの弾き始めは好感の持てる調べで始まりましたが相当ゆっくりしたテンポです。ベートーヴェンは楽譜導入部に con amabilità(愛をもって)と記入しており、キーシンの演奏は将に愛情溢れる演奏でした。こうした曲は重苦しくなく、ベートヴェンの若いソナタ達の面影を感じられ好きですね。

 第二楽章の軽快なテンポと諧謔的なメロディは、当時の世俗歌謡が元とも謂われ、そうした要素を織り交ぜたベートーヴェンの気持ちはどの様な物だったのでしょう。   キーシンは一音一音に魂を込めているかの様に丹念に弾いていました。軽々に音を出さない様子。 最後は不気味な低音のうなりで終わるのも、完治出来ない病気が根底に巣食っていたからなのかもしれません。アタッカ的にすぐ次の楽章に移行。

 三楽章(四楽章)の楽譜には、これまた作曲者の書き込みで、Klagender Gesang(嘆きの歌)とあり、一旦病状は回復したにせよ、どんなにこの時期ベートーヴェンは、悩み苦しんでいたかを物語っていると思います。キーシンはこのAdagiのパッセッジは低い音でその雰囲気が良く出ている演奏をしていました。「嘆きの歌」は二回出てきますが、キーシンは後の方が先の時よりやや弱い音で弾いていた。

最後のHugaの箇所は、ベートーヴェン渾身の力を込めて作曲したことが、ひしひしと伝わってくるキーシンの渾身の演奏でした。

 この演奏を聴いて、この様な31番はこれまで聞いたこともない素晴らしい演奏でした。将にキーシンの世界に羽ばたかせたベートーヴェンのソナタでした。

 

④ショパン『マズルカ第5番・第14番・第15番・第18番・第19番・第24番・第25番』

最初の5番はかなり有名ですが、キーシンらしい演奏で弾かれるとこれまで聞いたどのようなケースも、そのリズム性、音色の煌めき、哀愁を帯びた曲想表現、どれをとっても影が薄くなってしまいます。14番はテンポと調性こそ異なれど、5番他に類似した印象がキーシンの演奏からは感じられ、さらに哀愁というか寂しささえ感じました。

15番の演奏からは、軽やかさ、素朴さを感じ、また途中突然急に転調してびっくりしたのですが、また元に戻り、似た様な箇所がもう一度ありました。18番と19番はセットで、前者は哀惜よりもむしろ悲しみに近い感じが伝わってきましたし、後者からは随分と欧州音楽とは異なった異国情緒豊かな旋律が流れていました。キーシンはマズルカに入ってからリズミカルなキレのある音でマズルカを弾き、作曲者の望郷の念を良く表現していたと思います。最後の25番は相当規模が大きい曲で、それまでのものとはリズムも曲感もかなり違ったイメージを受ける曲でした。いったいどのような民族舞踊だったのでしょうか?

 

⑤ショパン『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズOp.22』     

 最後のこの曲に来ると、キーシンは時として②ゃ③の様に体を揺動させ、また時として目を瞑り、感情をこめて演奏している様子でした。 出だしのメロディの何と奇麗なことでしょう。キーシンは、体をゆっくりゆすりながら、気持ち良さそうに音を紡いでいます。一音一音感触を確かめる様に。 次のポロネーズになると華やかなというか豪華な煌びやかな音が、力強さと共にほとばしり出で、修飾音のオンパレード、あたかも真珠の首飾りの糸が切れて小さな真珠玉がテーブル上にパラパラと落ち跳ね返る如く、音一つ一つが珠玉の乱踊でした。これ程の豪華絢爛たるこの曲の演奏をかって聴いたことがあるでしょうか?ところどころのポイントポイントでは、満身の力を込めての大力演、繊細な調べがその間に差し込まれ、曲のメリハリも素晴らしい。三年前のキーシンの演奏を聴いた時も非常な才能と経験深さを感じましたが、今回はさらなる高みに達していました。キーシン恐るべし、どこまで大きくなるのか?インフレーション理論ではないですが、あたかも天空に限りなく膨張する宇宙の如き存在でしょうか。作曲家バッハの大きな宇宙でさえ飲み込んでしまうのではなかろうか?因みにキーシンは作曲にも以前から興味を持ち、実践しているというではないですか。今日の演奏は期待を大きく超える凄さがありました。

 予定曲の演奏が終わり会場は拍手の渦、それに答えるキーシンは、何回か退・登場を繰り返した後、やおら鍵盤に向かいアンコールを弾き始めました。丹念に鍵盤をなぞっています。渋い鐘の鳴るような響きが会場に響きます。何やら宗教ポイ曲だなと思っていたら、案の定(1)バッハ(ブゾーニ編)『コラール前奏曲《いざ来たれ異教徒の救い主よ>》』であることが、後で分かりました。

 またまた大きな拍手が会場から沸き起こり、二回程入・退場を繰り返し再びピアノに向かったのです。見事に軽やかなモーツァルトの旋律が迸り出ました。(2)『ロンドニ長調K485』。音楽関係者なら老若男女誰でも知っている曲でしょう。こうした人口に膾炙した曲の方がかえって弾くのは難しい。でもさすがは名人、名人が作った名曲を名人が弾くのですからそれはそれは素晴らしい、この様なロンドは聴いたことが無い位の名人芸でした。こうしてもう終わりかなと思っていたら、先程の繰り返しがまたあり、再々度アンコール演奏があったのでした。(3)ショパン『12の練習曲ロ短調Op.25-10』、(4)ショパン『ワルツ第12番ヘ短調Op.70-2』

 こうして短い曲から結構長い曲も含め、都合四曲もアンコール演奏が有りました。「実る程頭を垂れる稲穂かな」。顧客サービスも実に素晴らしい。演奏家の鏡ですね。

 

///////////////////////////////////////////////////////////////2018.11.1hukkats記録『キーシン・リサイタル』at みなとみらいホール(再掲)//////////////////////////

昨日(11.2)「Kissin Piano Recital」を聴いて来ました。それがホールが違っていたのです。勘違いしていました。「みなとみらいホール」小ホールかと思って行ったら大ホール(2020座席)でした。「囲み型シュ-ボックス形式」というタイプらしく、どちらかというと見た目は座席数も同程度のサントリーホール似ですかねー。(壁面はサントリーホールの方がゴージャスに見えますが)ほぼ満席でした。一つのクラシックリサイタルで2000人近くも集まるのはいかに人気があるかです。さてキーシンには昔の記憶をよみがえさせられます。初めて聴いたのは初来日コンサート(1986.10.15.at昭和女子大人見記念講堂)でした。驚いたのなんのって無いですね。小学生位の幼い子供が出てきて、ショパンのワルツ他を大人のピアニスト顔負けの見事さで弾いたのですから。当時の日本は19歳で’85年ショパンコンクールを制した「ブーニンフィ-バ」の真っただ中で、NHKの放送などで聴いていたので(確か国技館のブーニン演奏会にも行った様な気がします)、当時音楽関係以外でお付き合いさせていただいていた旧陸士の方に「ブーニンはすごいですよ」と話したら「ブーニンよりキーシンだよ」と話されたのを聴いたのがキーシンを知った最初でした。キーシンWho? 全然知らなかったのです。コンクールにこそ出ないけれど、知る人ぞ知るモスクワの神童ピアニストなのだそうです。その方は音楽は趣味程度でしたが、お兄さんがチェリストの故黒沼俊夫さんだった関係でいろいろと情報が入っていたのでしょうね。そういうこともあり、「キーシンが来る」と聞いて一家総出で人見講堂に駆け付けた訳です。さて回顧はこの位にして、今回のキーシンの演奏ですが、舞台に颯爽と現れたキーシンも齢い47歳、穏やかではあるが男盛りの力がみなぎる風貌でした。最初はChopinのノックターン15番と18番、事前鑑賞の音楽ソフト(演奏Leonskaja)では、地味な退屈な曲の印象でしたが、キーシンは強弱メリハリの利いた生き生きとした表現をしていた。特に18番は意外な程長い力演でした。夜想曲の5番7番8番20番(遺作)などをキーシンの演奏で夜更けに物思いながらしっとりと聴いてみたい気もします。                           次曲はシューマンのソナタ3番。約30分程の大曲です。SchiffのTonhalle (Zürich.)でのライブ録音CDがあったので何回となく聴きました。キーシンはやや背中を丸めて時には天を仰ぎながら、体をゆすって力を籠めるところはピアノを破壊するが如く、ピアニッシモからピアノに移るpassageは羽毛でなでるが如く弾き、特に三楽章の演奏が完璧だったと思われます。休憩の後はラフマニノフ前奏曲。ラフマニノフもバッハ、ショパンと同じく前奏曲を24曲作曲しており(「幻想的小品集中の前奏曲嬰ハ短調(以下A と略)」+「10の前奏曲(以下Bと略)」+「13の前奏曲(以下Cと略)」=24曲)、バッハが同主調、ショパンは平行調で作曲したのに対、しラフマニノフの前奏曲配列はそれらと異なり、通し番号1番(A)は嬰ハ短調でスタートその調に一番近い同主調である変ニ長調の24番まで20年近くかけて作曲した様です。配列は曲の内容に関係しているとみなす向きもありますが今は論じません。Bの「5番ト短調」の曲に関して、キーシンは冒頭からの行進曲風の部分を軽快にかなりの速さで弾き、中間部の un poco meno mosso記号のある間奏曲を綺麗にまとめ、最後に再び行進曲の部分に戻ると、かなりゆっくりとしたテンポで弾いたのです。手元にあるラフマニノフ自演のCDによると、作曲家自身は冒頭の出だし部分を非常にゆっくりとしたテンポで丹念に弾いて次第にスピードを上げて行きました。どちらがいいとかでなく、当たり前のことですが、音楽は同じ楽譜、音符でも作曲家の手を離れれば、幾千幾万の新しい曲が演奏家により作り上げられる、それが如何に聴く人々の心を掴むかだと思います。総じて一番感心したのは、キーシンの高音部の音でした。鍵盤が良く見える前方左手の座席だったこともあり、シューマンのソナタにおいて主題メロディを奏でる右手の小指、薬指、中指の連携による高い音を出す動きが良く見えましたが、なかんずく小指による高音はまことに澄んだ水の様な綺麗な音でした。将に「黄金の小指」ですね。最後にアンコールは「トロイメライ」「キーシン自作のタンゴ」「英雄ポロネーズ」でした。会場はやんやの喝采と掛け声が飛び交っていました。終演後、サイン会があったので、購入したCD(今度内田光子さんが弾くシューベルトを選びました。)にサインして貰う際に“Wonderful! Excellent! Perfect!”と声をかけたら、顔を上げてにっこりと笑って呉れたのが印象的でした。