
第2020回 定期公演 Aプログラム
【日時】2024年10月19日(土) 開演 6:00pm
【会場】NHKホール
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】ヘルベルト・ブロムシュテット
【主催者言】
指揮のテクニックや解釈といった次元を超えて、存在そのものが放つオーラでオーケストラをまとめ、唯一無二の演奏を生み出す――。桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットは今や、そのような領域に到達したと言うべきだろう。
去年の来日中止は、直前の体調不良による苦渋の決断だった。その後ヨーロッパでも、出演とキャンセルが繰り返され、今年の共演も100%確かとは言えない状況だ。だがN響を指揮したいというマエストロの意欲は、未だに衰えていない。
生涯にわたり探求を続けてきた音楽家の旅路は、果たしてどこに行き着くのか。誰もがそれを見届けたいと願っている。
揺るぎない信仰とともに生きるブロムシュテットのメッセージが込められたプログラム
[Aプログラム]は、20世紀前半のパリで活躍したオネゲルの《交響曲第3番「典礼風」》と、ブラームス《交響曲第4番》。ブロムシュテットはこのプログラムを最近、ウィーン・フィルやロイヤル・ストックホルム・フィルでも指揮している。実はN響とも2020年に演奏予定だったが、パンデミックの影響で叶わなかった。4年の歳月を経ての再チャレンジとなる。
オネゲルの交響曲には、それぞれの楽章に〈怒りの日〉〈深い淵から〉〈われらに安らぎを与えたまえ〉という、カトリックの典礼から取られた副題がついている。
竜巻のように湧き上がる弦の音型に、鋭い金管の叫び声、やがて現れる死の舞踏。暴力的な第1楽章と、オネゲルの研究者ハルブライヒが「解放への祈り」と表現した第2楽章の平穏な美しさが対照的だ。第3楽章ではもう一度、暴力と平和の葛藤が繰り返される。
オネゲル自身が述べたように、この交響曲は「不幸、幸福、人間という3人の登場人物による一篇の劇」であり、理不尽な蛮行を乗り越え、希望に至る道筋を描いたものととらえることができよう。
曲が完成したのは第2次大戦直後の1946年。時代背景を考えると、オネゲルが何を伝えようとしたかは、容易に想像がつく。彼のメッセージは、残念なことに今なお、非常にリアルで切実なものとして、私たちに迫ってくる。
一方のブラームスの交響曲では、第4楽章のパッサカリアの主題に、バッハのコラールが用いられている。元になったコラールの歌詞は「苦難に満ちた私の日々を、神は喜びに変えてくださる」というもので、カトリックとプロテスタントの違いはあれ、オネゲル作品との共通性は明らかであろう。
2曲の組み合わせには、揺るぎない信仰とともに生きるブロムシュテットの強いメッセージが込められている。
【曲目】
①オネゲル『交響曲第3番《典礼風》Symphonie Liturgique』
(オネゲルについて)
アルテュール・オネゲル(フランス語: Arthur Honegger、1892年3月10日 - 1955年11月27日)は、スイスとフランスの二重国籍を持ち、主にフランスで活躍した作曲家である。フランス6人組(プーランク、ミヨー、オネゲル、オーリック、デュレ、タイユフェール)のメンバーの一人。アルテュール・ホーネッガーとも読む。
生み出された劇的オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』が作曲・完成され、初演は熱狂的な大成功を収める。
1945年以降はあらゆる領域で新たな地平を発見する目的で、ドイツ、ベルギー、イギリス、オランダ、ポーランド、チェコスロヴァキア、イタリア、スペイン、ギリシャなどヨーロッパの主要な国へ旅行する。
1947年夏にアメリカへ自作の指揮と講演を行うために来訪していたが、ニューヨークで狭心症(心疾患)を患って倒れ、少しずつではあったが4ヶ月後に回復した。回復後もこの疾患はオネゲルの身体に大きな打撃を与え、帰国後はドイツやスイスに転地して療養し、治療の一環として食事療法を行った。この過酷な時期に作曲した最後の作品は『クリスマス・カンタータ』である。
1955年11月27日、パリのモンマルトルの自宅で医師の往診を待っていたオネゲルは、ベッドから起き上がろうとした途端、妻の腕の中で意識を失い、そのまま帰らぬ人となり、63年の生涯を閉じた。死因は血栓症であった。
遺体はモンマルトルの古い教会の近くにあるサン・ピエール小墓地に埋葬された。
(曲について)
アルテュール・オネゲル(1892~1955)は、1920年代に若手音楽家集団「六人組」の一員として活動したことで知られる、フランス生まれのスイス系音楽家である。もっとも、第2次世界大戦末期から終戦直後の時期にかけて作曲されたこの交響曲は、軽妙洒脱(しゃだつ)で楽天的な「六人組」の作風とは正反対のきわめてシリアスな性格をもっている。オネゲルはこの作品のなかで「近年我々を囲み続ける蛮行、愚行、苦難、機械化、官僚制の風潮への近代人の反応」を描こうとしたと述べているが、そうした「蛮行」には当然、ナチスによる占領という壮絶なトラウマをフランスの人々に経験させた直近の戦争も含まれているだろう。
3つの楽章のそれぞれにローマ・カトリックの典礼に由来するタイトルを冠した(ただし、それらに対応する単旋聖歌の旋律が引用されるわけではない)この交響曲は、その名の通り宗教的なメッセージ性をもつ標題音楽であり、そこにみられる物語性や劇的な対比の効果は、作曲者がオペラ゠オラトリオと呼ばれるジャンルでも成功を収めた人物であったことを思い起こさせる。第1楽章〈怒りの日〉で描かれるのは「神の怒りに直面した人類のおののき」であり、おぞましいほどに不穏な楽想が次々と現れる中、神の裁きを暗示するファンファーレが不吉に鳴り響く。一方、第2楽章〈深い淵から〉はメロディスとしてのこの作曲家の真骨頂であり、さまざまな楽器によって歌い継がれてゆく祈りのような旋律の美しさは特筆に値する。楽章を締めくくるフルートの高らかな主題は平和を象徴する鳥の歌である。第3楽章〈われらに安らぎを与えたまえ〉では、軍隊を想起させる行進曲風のリズムの上で、人類の愚行がグロテスクに表現される。クライマックスで不協和音による絶望の叫びが連続的に奏されたのち、一瞬の沈黙を経て、待ちわびた平和の到来を思わせる穏やかな音楽がはじまる。終盤ではピッコロによる鳥の歌が回帰し、嬰ハ長調の天国的な響きのなかで作品は静かに終息する。(神保夏子)[プログラムノートより]
②ブラームス『交響曲第4番』
(曲について)
1884年夏、ウィーンの西南に位置する田舎町ミュルツツーシュラークで、ヨハネス・ブラームス(1833~1897)は彼の最後の交響曲に取り掛かっていた。休暇を終えてウィーンに戻るころには最初の2楽章をほぼ書き上げていたが、周囲から新作の詳細を尋ねられても彼は固く口を閉ざしていた。翌年の夏、ブラームスは交響曲を完成させるために再びミュルツツーシュラークに赴くが、作品の断片を添えて同地から送られた友人あての手紙には「このあたりでは桜桃は甘くならず、食べられません」と意味深長なコメントを記している。要するに彼は、自らがこの地で生み出しつつあった「甘く」はない果実─本人の言葉を借りるなら「嘆きや悲劇的なもの」に満ちたこの交響曲─が当時の聴衆に受け入れられるものか、大いに危惧していたのである(もっとも、同年秋に行われた初演はすこぶる好評で、作曲者の心配は杞憂〔きゆう〕に終わった訳だが)。
ブラームスの全4作の交響曲のなかで唯一短調に始まり短調に終わる本作の性格は、美しくも憂愁に満ちた第1楽章の第1主題にすでに表れている。ため息のような音型を特徴とするこの主題は、同楽章全体の構造的な核となる3度音程の連なり(シ─ソ─ミ─ド─ラ─♯ファ─♯レ─シ)から構成されており、再現部においてはややカムフラージュされた拡大形で現れる。つづく第2楽章はホ長調ではあるが、ホルンと木管による序奏は古風なフリギア旋法によっており、これを受け継いだ第1主題もまた同種の寂寥(せきりょう)感を漂わせる。アレグロ・ジョコーソ(快速に、楽しげに)の指示をもつ第3楽章は、他の楽章とコントラストをなす開放的な性格をもち、初演時には聴衆からアンコールを求められたという。終楽章は一種のオスティナート変奏曲であり、冒頭に提示される8小節の厳粛なバス主題はバッハの教会カンタータ第150番終曲のシャコンヌ(固執低音〔オスティナート・バス〕にもとづく変奏曲形式の舞曲)からの引用であることが知られている。古楽の研究に熱心であったブラームスは、1874年に知り合いの音楽学者を通じて当時未出版であったこのカンタータの楽譜を入手しており、本作に着手する2年も前からこのシャコンヌのバス主題による楽章を書きたいという構想を語っていたつ。引用元の原曲の合唱は、オネゲル作品の標題にも通じる「苦しみにある私の日々を/神は喜びへと終わらせてくれる」というテキストをもっており、ブラームスによるその変奏の「悲劇的」なありかたは、単なるバロック趣味を超えた重層的な意味合いをもうかがわせる。(神保夏子)[プログラムノートより]
【演奏の模様】
開演時間となり、コンマスにエスコートされながら登場したブロム翁、日本滞在が長くなるに連れて、疲れが重なると困るなとの心配も吹き飛ぶ様な元気な様子で、スタスタ指揮台に向かいました。足取りは先週よりもしっかりしています。台に登るのも、軽やかな感じさえしました。
①オネゲル『交響曲第3番《典礼風》』
楽器編成:フルート3 (3番奏者はピッコロに持ち替え)オーボエ2 コーラングレ1
クラリネット2 バスクラリネット1
ファゴット2 コントラファゴット1 ホルン4 トランペット3 トロンボーン3 チューバ1
ティンパニ サスペンデッド・シンバル
バスドラム テナードラム(Caisse roulante)
トライアングル 銅鑼 ピアノ 三管編成弦五部
全三楽章構成
第1楽章〈怒りの日〉
第2楽章〈深い淵から〉
第3楽章〈われらに安らぎを与えたまえ)
第1楽章のスタートからして、生演奏の迫力を感ずる演奏でした。オケのうねりが、録音で聞いた時以上の圧力を感じます。N響の奏者も随分と気合が入っている様子。それはそうでしょう白寿になんなんとする指揮者が、再度N響と演奏したいという強い願いに、万里の道遠からずと、老骨に鞭打って来日してくれたのですから。それに応えない訳が有りません。N響自慢の美しい弦楽アンサンブルも、木管・金管の澄んだ響きも、これ以上ないと思われる程の気持ちの籠もった力演でした。それにしてもFl.の良く鳴る響きは、あちこちで合いの手を適宣に入れ、また終盤の消音器付きのTrmb.の以外にもクリアな音の広がり、勿論その他の管も素晴らしい活躍、低音弦との掛け合いも見事でした。
この楽章は、プログラムノートにもある様に、神の怒りに触れた、おぞましい程の人類のおののきをオネゲルは表現したのですが、確かにそう言われればそうかも知れません。ただそうした内面的な側面はさて置いて、表面的な管弦楽の調べ、響きを耳にして、何か蒸気機関車が、フランス郊外のなだらかな平原を一目散に突っ走る情景を思い浮かべてしまいました。そのエネルギーは半端でなく、時折汽笛まで聞こえる気がします。中盤で強奏が弱まる場面では、座席から眺めると、広く囲われた牧場が延々と続く風景に見とれる感じ、そして再度列車は、どこまでも驀進するのです。そんな幻想も浮かべたのでした。
対して次のニ楽章は、穏やかな美しい管弦楽の調べに浸る事が出来ました。Fl.首席(神田さんでしょうか)のソロ音も、弦楽やOb.等との掛け合う調べも、安定した極上の調べ、この楽章では、指揮者もうっとりとして指揮している様に感じました。
最終楽章は、何故か自分でも分からないのですが、録音を聞いた時と印象がかなり異なって聞こえました。行進曲的と思っていた頭の先入観が強かったからかな?ズンズンズンと歩みを進める軍隊行進、或いは何か野球大会の開会式行進の様なイメージが湧きませんでした。だからといってその演奏をマイナスに見る積りは、微塵もありません。実演を聴くとかなり異なって聞こえる時は、珍しくありませんから。終盤でのVc.主席(マスクをしていましたが、多分辻󠄀本さん)のソロ演奏と続くコンマス(プログラムによると川崎さん)のソロ演奏は、さすがと思われる美音の連鎖でした。
こうして普段余り聴かないオネゲルの曲もなかなかいいものですね。今度機会があれば、オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』を観に行きたい気がしました。
演奏が終わると各演奏パート毎に起立を促し、それぞれ讃える指揮者、それが済むと今日は、休憩のため退席するブロムシュテットに、会場からは、割れんばかりのはくしゅや歓声が沸き起こりました。
《20分の休憩》
②ブラームス『交響曲第4番』
楽器編成:ピッコロ(2番フルート持ち替え)、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ(3個)、トライアングル、弦五部。
全四楽章構成
第1楽章Allegro non troppo
第2楽章Andante moderato
第3楽章Allegro giocoso
第4楽章Allegro energico e passionato
もうこれは名曲中の名曲、それを名指揮者が、一国を代表するとも言える一流管弦楽団の持てる力を十二分に引き出して、観客に大きな感動を与えた名演に他なりませんでした。これが、100歳にあと2年と迫った人間の、成せる技とは到底思えません。奇跡そのもの。細かいことは言うに及ばず、この結果を見給え、目を覚ませ、と(天から)呼ぶ声が聞こえる気がする程でした。
演奏が終わって各演奏パート毎に起立を促し、それぞれを讃える指揮者。それが済むとコンマスと握手、手を取られながらもしっかりとした足取りで退席するブロムシュテットに、会場からは割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こりました。ブラボーの声も。
そして鳴り止まぬ拍手に、再び舞台に現れ挨拶するブロム翁に、会場は、どよめきとさらに大きく強まる拍手、この様な感動的場面は、誰にでも、そうは経験できない、数少ない人生経験の一つになったかも知れません。


