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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

第2012回N響定期演奏会/ルイージ&ブッフビンダーを聴く

【日時】2024.5.22.(水)19:00〜

【会場】サントリーホール

【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮】ファビオ・ルイージ

【出演】ルドルフ・ブッフビンダー(Pf.)

【曲目】

①ブラームス『ピアノ協奏曲第一番ニ短調Op.15』

 (曲について)

 1853年9月、20歳のブラームスはデュッセルドルフのローベルト・シューマン(1810~1856)一家を訪れる。そこでブラームスが披露した作品から彼の才能を見いだしたシューマンは、自身が創刊した音楽雑誌『新音楽時報』で久しぶりに筆を執り、「新しい道」と題してブラームスを世に紹介し、彼の輝く未来を予言した。ブラームスの作品出版の後押しもした。そんなシューマンは、以前から精神疾患に悩まされており、翌年2月に自殺未遂、その後療養のためボンにある施設に移って約2年半後に亡くなるが、その間、ブラームスは恩人の家族を支えた。そうしたなかでシューマンの妻でピアニストのクララ(1819~1896)との親交を深めていく。
《ピアノ協奏曲第1番》はこの時期に書き始められた。といっても、初めから協奏曲が念頭にあったのではない。1854年の春、ブラームスは《2台のピアノのためのソナタ》を書き上げたが、やがて2台ピアノでは満足できなくなり、交響曲に改作しようと構想を練るものの行き詰まり、最終的に協奏曲として完成させた。その過程では、クララや友人でヴァイオリニストのヨアヒムに助言を仰いだ。とりわけヨアヒムとの間の膨大な手紙のやり取りは重要で、彼からの返事を受けて、ブラームスは1862年の出版まで修正を続けた。苦心惨憺(くしんさんたん)の末に出来上がった《ピアノ協奏曲第1番》は長大で、ピアノのみを際立たせるのでなく、ピアノとオーケストラが対等な関係に置かれることから、ピアノ付き交響曲と呼ばれることもある。
第1楽章 ソナタ形式。冒頭には速度の指示がなく、「荘厳に(マエストーソ)」とだけ書かれている。重く響く持続低音の上で、トリルを伴う第1主題が奏される。ヘ長調の第2主題はオーケストラ伴奏なしのピアノ独奏によって提示される。ブラームスの懊悩(おうのう)や激情、憧憬を思わせるような楽章である。
第2楽章 3部形式。草稿ではラテン語の祈禱(きとう)文が記されていたこの楽章には、宗教的な気高さがある。ブラームスは作曲中にクララへの手紙で、このアダージョ楽章を「あなたの優しい肖像画」と表現した。
第3楽章 ロンド。活気あふれる主題で始まり、中間部ではバロック風のフガートが現れる。第1楽章にはなかったカデンツァは、主題の再現のあとと結尾で登場し、力強く曲が結ばれる。(小林ひかり)

 

②ニールセン『交響曲第2番』

(曲について)

 この交響曲のタイトルの「4つの気質」とは、古代ギリシャの医師ヒポクラテスらによる四体液説に基づいて分類された人間の気質のことで、どう猛な黄胆汁質(第1楽章)、無気力な粘液質(第2楽章)、憂鬱な黒胆汁質(第3楽章)、陽気で楽観的な多血質(第4楽章)にわけられる。これらの楽章を形容する語が示すのは、ニルセンが各楽章でおもに表現しようとした気分や感情であって、彼はこの交響曲は標題音楽でないとしている。形式的にも伝統的な交響曲の構造に基づく。
ニルセンにインスピレーションを与えたのは、デンマークのシェラン島の村の旅館で妻や友人たちと飲みながら見た、4つの気質を描いた滑稽な絵画であった。作曲から約30年後の1931年、亡くなる直前のニルセンはストックホルムでの公演に際して《交響曲第2番》についての執筆を依頼された。彼はここでの記述が標題(プログラム)として捉えられるべきでなく、彼の個人的な事であるということを断った上で、作曲当時を振り返り、長い文を書いた。それによると、例えば件の絵のなかの黄胆汁質は、男が馬にまたがり、剣を振り回し、髪は乱れ、目は転がり落ちそうで、顔は怒りと憎しみで歪(ゆが)んでいたという、その誇張された表現にニルセンは思わず吹き出してしまったそうだが、それがある日、その絵に音楽的な核心やアイデアが含まれることに気づいたという。(小林ひかり)

 

【演奏の模様】

①ブラームス『ピアノ協奏曲第一番』

二管編成弦楽五部14型

全三楽章構成

第1楽章 マエストーソ(荘厳に)

第2楽章 アダージヨ

第3楽章 ロンド

 

 ブッフビンダーのピアノ演奏は、3月15日(東京春祭・初日)から上野で行なわれたべートーヴェン全ソナタ連続演奏会で堪能しましたが、オーケストラを背景としたピアノコンチェルトは未だ聴いておりませんでした。今回は、ルイージ指揮N響との競演ということですから、願ってもない機会でした。

   ルイージ指揮N響を聴くのも久し振りです。

2000回記念演奏会以来かな?

 冒頭、Timp. 先導で弦楽アンサンブルが、うねる様に蠢き出し、Timp.も強弱をつけて弦に同調、主題の特徴ある調べを強奏しました。決して美的な響きではなく、相当癖が強い後の各種のブラームス節に通じる様な調べの萌芽を感じます。管弦楽の序奏が結構長く続く間、手持ち無沙汰なのか指揮者の方を見たり鍵盤をじっと見たりしていたブッフビンダーは、やおら指を鍵盤上に置くと、弾き始めました。指はベートーヴェンのソナタを演奏した時と同じ鍵盤に平行気味です。ホロビッツ程ではないですが。確かに一楽章のブラームス表記の通り、「荘厳」だといわれればそうなのですが、少し厳かさが足りない気もします。例えば、ミサ・ソレニムスの出だし等と較べても。ブラームスがウィーンに出て来たばかりの二十歳代の経験浅い若かりし時の作品ですから、宣なるかなですが。宗教の匂いがほとんどしません。1~3楽章の中で、オケの演奏もブッフビンダーの演奏も第2楽章が、自分の好みに一番合っていて曲自体と共にいいと思いました。ブッフビンダーはゆったりと心を込めて弾いている感じ。謳う様な調べを気持ちよく弾きブッフビンダーの本領発揮といった場面がありました。Fg.の合いの手、Fl.との掛け合いも面白い。Pf.休止中、弦楽奏の低音域での滔々としたアンサンブルにOb.(1)がソロ演奏で応じる箇所も秀逸、その後Pf.は丹念に音を紡ぎ出しました。終盤でのオケ休止中のブッフビンダーのカデンツア的ソロ音は、長い演奏ではないけれど美しい旋律を奏でていました。第1楽章も含め、ブッフビンダーの演奏音は、管弦の全奏、強奏時にも1、2箇所を除けば、殆どその音量的にも負けておらず、オケの隙間にしっかり根を下ろして自己主張を貫いていました。配布されたプログラムノートの第2楽章の説明に

❝草稿にはラテン語の祈祷文が記されていた❞と有りますが、此の祈祷文とは一体何なのでしょう?ブラームスの意図を解き明かす一助になるかも知れません。
 また第三楽章の説明には、❝中間部でフガートが現れる❞との記載が有りますが、これはしっかりと聞き取れました。Vn.の強奏アンサンブル⇒Pf.の合いの手⇒Pf.左手のみの速い演奏⇒Hrn.(2)の合の手⇒2Vn.∔Vc.⇒Va.⇒最後に1Vn.と次々とカノン的演奏。この間ブッフビンダーは非常に落ち着き払って演奏していました。前半の元気なリズミカルなテーマは何処かブラームスの心の古里、民族的色彩を感じる調べです。最終的なブッフビンダーのカデンツァ部を含めた盛り上がりの演奏は、よくもあの様に冷静そうに感情を顕わにせず、淡々と弾けるものだと感心する事仕切りです。(事前に見たティーレマン&ポリーニの演奏の映像とは大違い)将に冒頭に記した東京春祭のベートベンソナタ全曲を淡々と冷静に次々弾きこなした延長線上に今日のコンチェルトも位置するのだなと痛感しました。

 当然演奏終了後の会場はブッフビンダーに激しい歓呼と拍手の嵐を浴びせたのでした。何回も何回も(多分四、五回)コールされて舞台に戻って挨拶した演奏者でしたが、アンコール演奏は有りませんでした。

 

《20分の休憩》

 

休憩時間中にピアノは中央位置から端に移動され、オケの奏者も若干の移動が有った様です。

 

②ニールセン『交響曲第2番』

楽器編成:フルート3、オーボエ3、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、三管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)

全四楽章構成

第1楽章 アレグロ・コッレーリコ(胆汁質)
第2楽章 アレグロ・コーモド・エ・フレンマーティコ(粘液質)
第3楽章 アンダンテ・マリンコーリコ(憂鬱質)
第4楽章 アレグロ・サングイーネオ(多血質)

 

 この交響曲2番の演奏を聴いても、三年前にブロム翁N響で聴いた同じくニールセンの交響曲第5番を聴いた時の様な感動は得られませんでした。

 確かに以下《参考》に記したご案内の様に、第一楽章は「獰猛性」、第二楽章は「無気力」、第三楽章は「憂鬱」、第四楽章は「楽観的」などのニールセンが表現しようとした気分、感情が十分感じられるオーケストレーションでしたが、何分3楽章を除けば、全体として大音響の管弦楽総出の強奏部が多く、しかも整然とした響きが余り無く、何か雑然性を感じる時が多かった様に思えて、この曲自体が好きになれませんでした。これは恐らくルイージ・N響の演奏のせいでなく、この曲が本来持つ音楽性がなせる結果ではなかろうか、と邪推したのであります。今度他のオケの演奏の録画でも聞いてみて、どう感じるのか、試してみる必要があります。

 でも演奏が終わって指揮者がすぐにタクトを降ろした途端、①の曲の時同様、大きな拍手喝采と掛け声が大ホールを駆け巡りました。演奏後のカーテンコールは何回も続いたのですが、指揮者のソロカーテンコールは有りませんでした。アンコール演奏も有りませんでした。 


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《参考》

1、ソナタ形式。冒頭でいきなり強烈な第1主題が提示される。これに対して第2主題は最初静かに表情豊かに歌われる。この第2主題が、激しく動く音型や鋭いリズムによって遮られたのち、今度はフォルティッシモで大らかに力強く奏される。このように時折優しい表情を見せながら、気分の変化が激しい強靭(きょうじん)な音楽が繰り広げられていく。 


2、第1楽章とは正反対に、「エネルギーや感情などからできる限り離した」とニルセンは述べている。ト長調のゆったりとしたワルツのリズムで動きの少ない主題だが、第1楽章の第2主題や第3楽章の主題にもある3度上行のモティーフから成っており、楽章間の関連性が見られる。


3、3部形式。重く憂鬱な主題に続いて、ため息のようなオーボエのモティーフが現れる。これが徐々に劇的に展開し、嘆きと痛みのクライマックスに到達する。短い経過ののち、ささやき合うような穏やかな中間部へと移行する。


4、遊び心ある弾むような主題を持つ終楽章は、第1楽章の主調の平行調であるニ長調で始まる。ニルセンがこの楽章で表現しようとしたのは、「全世界が自分のもので、何もしなくても幸福が舞い込んでくると信じて、考えもせず突き進む人の性格」。「しかし、たった一度、彼らしくなく熟考する」(アダージョ・モルト)と、最後は堂々とイ長調の行進曲で締めくくる。少年時代、貧しいながらもフューン島でのびのびと育ったニルセンの人柄を反映するような、前向きでユーモアあふれる楽章である。