【日時】2024.06.12.(水)19:00〜
【会場】神奈川県立音楽堂
【管弦楽】横浜交響楽団
〈楽団について〉※参照
【指揮】平野桂子
〈Profile 〉
洗足学園音楽大学器楽科卒業、同附属指揮研究所修了。Prayner Konservatorium Wienにて優秀者演奏会に選抜、飛び級、ディプロムを最高位取得。
指揮を秋山和慶・増井信貴・川本統脩・Prof. Maksimilijan Cenčić(元ウィーン国立歌劇場指揮者)・Werner Lemberg各氏、ドイツ語発音法をWalter Moore氏に師事。ウィーン・シェーンブルン宮殿にてモーツァルト作曲「レクイエム」に合唱指導及びオルガン奏者としてウィーン・フォルクス歌劇場ソリストと共演。
オペラなどの舞台芸術を中心に指揮を活動。ドイツ語訳歌詞なども作成し公演を手掛ける。
昭和音大講師(オペラ演習-指揮)。
※参照〈楽団について〉
「横響合唱団」を併設し、合唱付オーケストラ曲を、春・秋の年2回演奏する。
定期演奏会は年8回。定期演奏会は「青少年のための音楽会」をサブタイトルに掲げ[1]、2023年2月に第721回、90周年記念演奏会に到達した。プログラムは3か年を一巡とし、クラシック音楽の入門編を一通り聴くことができるよう編成している。
このオーケストラは歴史が古く、1932年(昭和7年)12月、小船幸次郎が八十島外衛らとともに横浜交響管弦楽団として創立したもの。プロとアマの混成による2管編成の59人のオーケストラであった。
1933年(昭和8年)7月1日、第1回定期演奏会を横浜市開港記念会館で開催。以後プロの演奏家は経済的な理由で退団し、アマチュアだけが残った。
1941年(昭和16年)、第18回定期演奏会から正式に「横浜交響楽団」と呼称。
1943年(昭和18年)、戦争の激化とともに第29回定期演奏会で中断したが、慰問演奏会はしばらく続けた。
戦後の1946年(昭和21年)7月28日、活動を再開、1946年(昭和21年)11月16日には、第30回定期演奏会を開催した。
1950年(昭和25年)12月17日、第九演奏会を横浜伊勢佐木町のフライヤー・ジムで7,000人の聴衆を集めて開催。以降毎年演奏を続けている。
1954年(昭和29年)、横浜文化賞受賞。
1954年(昭和29年)、神奈川県立音楽堂開設。これを機に年12回(毎月)定期演奏会を開催。
1957年(昭和32年)、第100回定期演奏会。
1965年(昭和40年)、第200回定期演奏会。
1971年(昭和46年)、横響合唱団発足。
1974年(昭和49年)、第300回定期演奏会。
1977年(昭和52年)、横浜市と姉妹都市であるマニラ市公演。
1982年(昭和57年)、創立者小船幸次郎死去。第400回定期演奏会。
1982年(昭和57年)、神奈川文化賞受賞。
1983年(昭和58年)、安藤為次郎記念賞受賞。
1990年(昭和59年)、以降年8回の定期演奏会開催。
1993年(平成5年)、第500回定期演奏会。
2007年(平成20年)7月、第600回定期演奏会。
2013年(平成25年)4月、練習場と楽器庫を吉野町に移転。
2020年(令和2年)2月、第700回定期演奏[。
2020年(令和2年)3月、第701回より第704回まで新型コロナ感染症対策のため中止を余儀なくされた。
2023年(令和5年)2月、第721回定期演奏会。90周年記念定期演奏会。
【曲目】
【演奏の模様】
この楽団は随分と古い歴史を持つのですね。今でこそアマチュアオーケストラですけれど、長い経過のどこかで、少し異なる道を進んでいたら、或いは今頃は横浜のプロオケとして、神奈フィルと双璧を成していたかも知れない等と、取り留めないことを考えてしまいました。
さて演奏の方の記録を記します。
①市民のためのファンファーレ
米国のコープランドが大戦中n1942年に作曲したファンファーレ曲です。
金管(Hrn.4.Trmp.3.Trmb.3.Tub.1)打(Timp.大太鼓.銅鑼)の編成で、
ファンファーレが全金管のみならず、幾つか組み合わせてファンファーレが
何回か繰り返されまし5たが、最後の全楽器によるファンファーレが、一番出来が良くて、有終の美を飾りました。
②R.シュトラウス『13管楽器のための組曲』
シュトラウスが若かりし日(1884年、20歳)の時の作品です。13管楽器とは、Fl(2) Ob(2) Cl.(2) Fg.(2) Hrn(4) Cnt-Fg.です。向かって左側からFl.(2) ⇒Cl.(2)⇒Fg.(2)⇒Ob.の順に弧状に並び、Fg.の後ろにCnt-Fg.が、Cl.の後ろにHrn.(4)の布陣でした。
Ob.首席が圧倒的にうまかった。太目の古典的響きを有するホリガーの様な音。全四曲から成りますが、終曲のゆっくりした勇壮な調べが、例えばHrn.→Cl.→Ob.へと主題奏が変遷するフガート的動き如何にもバロック風で心地良く鳴り響きました。
ただ、後期の交響曲やオペラなどにふんだんに出て来るシュトラウス節(如何にもR.シュトラウらしい響き)は、いかにもこの曲が初期の作品であるかの様に出てこないか、余り感じられませんでした。
③レスピーギ『リュートのための古代舞曲とアリア第3番』
①、②はほんの数台の管楽器のみによるアンサンブルでしたが、この曲になって初めて弦楽器のみの曲が演奏されました。弦楽五部10型(10-9-8-8-2)この曲の演奏の後で管と弦を合わせた、管弦楽曲であるベトシチ(Beethoven7番シンフォニー)が演奏されましたが、結論的にはベトシチよりもこのレスピーギの曲の演奏の方が、何倍も良く聞こえました。特にVnアンサンブルとVcアンサンブルの掛け合い等、プロに近い調べを奏でていました。指揮者の平野さんもこの曲は他の曲よりも何回も本格的な指導・指揮をしてきて効果を上げている感じがしました。聞いていて一番印象に残りました。
④ベートーヴェン『交響曲第7番イ長調』
この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1811年から1812年にかけて作曲した交響曲。リズム重視の曲想から現代においても人気が高く、演奏される機会も多いとのことです。
ワーグナーは各楽章におけるリズム動機の活用を指して、この曲を舞踏の聖化 (Apotheose des Tanzes) と絶賛している。その一方で、ウェーバーは「ベートーヴェンは今や精神病院行きだ」との言葉を残し、ワインガルトナーは「他のいかなる曲よりも精神的疲労を生じさせる」と語っているなど、音楽家からの評価は様々です。
作曲は1811年から1812年にかけて行われ、初演は、1813年12月8日、ウィーンにて、ベートーヴェン自身の指揮で行われた。同じ演奏会で初演された『ウェリントンの勝利』の方が聴衆の受けはよかったとされるが、それでも初演は成功であり、第2楽章はアンコールを求められたのでした。
楽器編成:二管編成弦楽五部10型(10-10-8-8-3)
第3番のような拡張されたホルンのパートはなく、第5番や第6番のようにピッコロやトロンボーンを動員することもなく、第9番のような合唱はもちろん使用されておらず、書法も第3番や第9番に比べてめいかくなので、古典的な管弦楽と看做されています。
全四楽章構成
第1楽章Poco sostenuto
第2楽章Allegretto
第3楽章Presto Assai meno presto
第4楽章Allegro con brio
先ず問題は、オーケストレーションが、少しもベートーヴェンらしく聞こえなかったことです。
第1楽章から管の演奏が弦楽奏と溶け合わず、バラバラといった風。大音強奏になると一段と違和感を感じました。弦楽アンサンブルも③のレスピーギの時よりやや硬い気がしました。
第2楽章では管が音を立てるとVa.群が少しゆっくりと低音部のアンサンブルを奏でてとてもいい感じです。弦楽器が次々とテーマの変奏をカノン的に調べを伝播させ、途中のOb.やFl.の合いの手も先ず先ず良かったし、この楽章は1楽章とは見違える様。テンポが遅目だったので合わせ易かったのかな等と思いました。
テンポの速い第3楽章では、かなりの強奏や弱音奏が入り混じった、メリハリの付け処が全く一本調子に聞こえ、管と弦の融合も1楽章の時に逆戻り、余りうまくいってない感じでした。Hrn.は前楽章などでは、音がぐらつく時も有りましたが、ここでのソロ音は随分安定した感じ。Fl.の合いの手の音がもう少し大きくバランスが取れれば、Hrn.との掛け合いももっと良く聞こえたでしょう。Ob.演奏が少し控え目に聞こえるので良く見ると、②のレスピーギの時の男性奏者から女性奏者に代わっていました。
最終楽章は皆さん疲れも出て来たのか、一段と混沌としてきた模様。冒頭から速い力奏する弦楽アンサンブルも迫力不足になっていました。管の存在感は一層影が薄く、オーケストレーションは混沌として来ています。この楽章、残念ながら素人感に溢れていました。考えればプロのオケでは無いのですから当然ですけれど。マイナス思考でなく、2楽章の様に素人離れした良い演奏も出来るのだから、さらに研鑽を積めばきっと、もっともっと良くなると期待します。
ところでアマの演奏会は滅多に行かないのですが、3年前の今頃、アマのピアニストの演奏会に行ったことが有るので、その時の記録を参考まで文末に再掲して置きます。
尚、今回の演奏会では、会場の大きな拍手に応えたかのように、アンコール演奏が有りました。
《アンコール曲》シベリウス『アンダンテ・フェスティーヴォ』
これはシベリウスも好んでアンコールを重ねた曲として有名です。今回の弦楽アンサンブルの響きも素晴らしく良く聞こえました。ブラヴォー!
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表記のコンサートは、プロのピアニストでなくて、大学で音楽を学び音楽関係の仕事に従事しながらピアノの鍛錬も続けているという、若手を中心とするグループによる年に一度の定期演奏会でした。今日は四人のメンバーが演奏しました。知り合いの関係者が出るというので、他に行くコンサートの予定も無い日なので、またこの会場が割りと近場の戸塚区にあるホールであることもあり、しかも演目がショパンやリスト、ドビュッシー、ラフマニノフなどの本格的曲から選んでいるので、聴きに行きました。演奏会の概要は次の通りです。
【日時】2021.6.12(土)14:00~
【会場】戸塚区さくらプラザホール(横浜市)
【出演】山村 結、南條 菜々子、柄澤 光葉、北原 郁郎
【曲目】
<演奏者Ⅰ 山村>
①F.ショパン:前奏曲 変ニ長調 Op.28-15《雨だれ》
②F.ショパン:バラード第1番 ト短調Op.23
<演奏者Ⅱ 南條>
③F.リスト:巡礼の年 第1年〈スイス〉S.160より《泉のほとりで》
④F.ショパン:バラード第4番ヘ短調Op.52
《休憩》
<演奏者Ⅲ 柄澤>
⑤C.ドビュッシー:ベルガマスク組曲
5-1 プレリュード
5-2 メヌエット
5-3 月の光
5-4 パスピエ
<演奏者Ⅳ 北原>
⑥S.ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.36(1931年版)
【感想】
皆さん想像していた何倍も素敵な演奏をしていました。学校などの通常の職場では8時間勤務でしょうから、その残りの時間と休日で、ピアノの鍛錬に時間を割くには皆さん、相当の強い意思と体力と、何よりも音楽が好きだという気持ちを持ち続ける継続力が人一倍強いのでしょう。技術的にも、表現力も相当なレベルに達していると思いました。Ⅰの山村さんの前奏曲は、やさしい、おっとりとした「雨だれ」で、聴いていてうっとりしました。次のバラード一番は指も良く動いていて力強さが出ていました。Ⅱの南條さんは、相当ピアノを弾きこなしている感のする音を立てて、リストの③の曲はキラキラする高音が印象的でした。弾くにつれ益々調子を上げ、バラード4番では和音は安定しリズムも良くて、天性のいい音楽性を感じました。
休憩後のⅢ柄澤さんは、冒頭から迫力あるタッチで1曲、2曲と弾き進み、圧巻は3曲目の「月の光」でした。この有名な曲を、1、2、とは全く異なるソフトで柔らかい表現力で心地良く弾き切りました。心で「ブラボー」と叫びました。
ラフマニノフの難曲を弾いたⅣ北原さんは、この日初めての男性奏者として、力強い高度な技巧的なテクニックを駆使して物凄いエネルギーで力演していました。聴いていて手に汗握る感がした。演奏後、北原さんは、力を出し切った様子で、ふらふらしている様子でした。
この演奏会を聴いて思った事ですが、日本にはこうした仕事も音楽も立派にこなしている人たちが、随分多くいるだろうなということです。プロの人気演奏者になる人は音楽人口のほんの一握り。これは何も音楽に限らないことです。その分野の頂点を目指すも人生、少しでも向上し音楽を楽しむ生活をするのも人生、優劣などつけられません。すそ野の広い山は全体として高みを際立たせ、見事な全体像を浮かび上がらせるでしょう。富士の山の様に。