HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

東京・春・音楽祭2024『ルドルフ・ブッフビンダー』べートーヴェンを弾く(第7夜)最終回

            

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【日時】2024.3.22. [金] 19:00〜

【会場】東京文化会館 小ホール

【出演】ピアノ:ルドルフ・ブッフビンダー

【曲目】
①ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109 』

(曲について)

ベートーヴェンの音楽は様々な面で新しい時代の扉を開いたが、その中でも際立っているのが形式の枠組みを超越していったことである。通常ピアノ・ソナタと言えば、第1楽章にソナタ形式の使われた楽章を含むが、この第30番を見ると、第1楽章は一応ソナタ形式の体裁は保ちつつも、分散和音を基調とした即興的な雰囲気で、前奏曲のような性格をかもす。第1楽章と第2楽章は切れ目なく演奏され、境目も曖昧。そのため、両楽章は一つの楽曲だと考える見方もある。第3楽章は主題と6つの変奏曲で、全楽章中もっとも規模が大きい。主題が最後に回帰する点、対位法を駆使した変奏が随所に見られることなどから、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》との相関性も指摘されている。


②ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110 』

(曲について)

 ベートーヴェンは第30番から32番、そして第29番《ハンマークラヴィア》といった後期のピアノ・ソナタを書く以前の1817年、フーガの研究に取り組んだ。これを経て、第29番とこの第31番の終楽章に規模の大きなフーガが取り入れられたといっても過言ではないだろう。一方、ヘンデルの影響も強く受けており、終楽章の冒頭に置かれた「嘆きの歌」にはそれが反映されている。「愛をもって」と指示された第1楽章は、ベートーヴェンの全ピアノ・ソナタの中でも特に旋律性が強い。第2楽章には当時の流行歌のメロディが使用され、諧謔的な雰囲気に満ちている。第3楽章で2回目に表れる「嘆きの歌」は、一度息絶えたように停止するが、最後には力強く鼓動し、輝かしく希望に満ちたフィナーレを迎える。


③ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111』

(曲について)

 地獄落ちを思わせるハ短調の第1楽章から、同主調であるハ長調の、何もかも解き放たれたような第2楽章に向かう構成を用い、ベートーヴェンの〝苦悩から歓喜へ〟の精神が非常に強く反映されている。トリルの使われ方の対比も特徴的で、第1楽章は地の底で何かが呟くようにうごめくトリルが印象的な序奏を経て、「ソ-ラ-シ-ド」という音型をキッカケに跳躍し、順次進行が入り乱れた動機が楽章全体を支配する。アリエッタを主題とした5つの変奏曲が続く第2楽章では、高音域でのトリルが多用される。この終楽章における、静謐の中で刻々と移る和声変化、第2、3変奏に唐突現れるジャズを先取りしたかのようなリズムの使用は非常に印象的。作曲者の肉体的摩耗、それに抗おうとする不屈の精神、そして祈りに満ちている。

【演奏の模様】

 今日は、連続演奏会の最終日で、しかもべートーヴェン・ソナタの最高傑作とも言われる、後期、最後の三つのソナタが演奏されるとあって、会場は、超満員の聴衆で埋まりました。恐らく来れなかった人の空席も、皆無に近かったのでは?と思われる程です。

 時間となり、いつもの様にブッフビンダーは、登壇して挨拶もそこそこに、すぐに演奏にとりかかりました。素っ気ないくらいで、スタートからそそくさと演奏を進めました。これまでの6回の演奏では、一回に五曲ものソナタを弾くので、時間の関係で急いでいるのかな?と思っていましたが、今日は休憩なしの三曲のみですから、所要時間は通常だと70分強程度+曲間の時間数分程度で、合わせても1時間半以内の所要時間だと思われますので時間はたっぷりあり、急ぐ必要はないと思っていたのです。ところがいつもと同じ様子だったので、これは急いでいるのではなく、ブッフビンダーの演奏スタイルなのだと思いました。

①ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ 第30番 』

全三楽章構成

I. Vivace, ma non troppo

II. Prestissimo

III. Andante molto cantabile ed espressivo

 ブッフビンダーの30番の曲の演奏は、第一楽章の分散和音が迸り出る、派手ではありませんが美しい門出を淡々と飾り、ところどころの強奏もアクセントとして、柔らかい旋律を引き立て、第二楽章の力強いPrestissimoのスタートを予知させるものでした。

 アタッカ的に入った第二楽章は短いですが、力が漲りブッフビンダーは相当力を込めて弾いていました。

 この曲で一番長い第三楽章の最初のAndanteテーマ奏は一楽章とはまた違った美しさが有りました。特に冒頭のゆったりとしたつつましやかなテーマ奏を、その弱音と相まって、ブッフビンダーは心を込めて弾いています。聴く人の気持ちを洗うが如く。その後にテンポは同じで高音域での変奏が続き、軽快なリズムの変奏、さらに速いテンポ、時々強打旋律もある変奏、フーガ的響きのある変奏・・・と続き全6変奏まで続いたので、結構長大な楽章でしたが、この楽章も含め、ブッフビンダーは、結局20分もかからずに弾き終わりました。(19:07始発〜19:25終着)この曲は結構急ぎ足の演奏だったと思います。

 大きな拍手を受けたピアニストは拍手に応えた挨拶をした後袖に戻らず、すぐ次の曲に取り掛かりました。あたかも氷の名彫刻家が一つの作品を手早く完成し(そうしないと溶けてしまいますから)一つの芸術作品を掘り出した後、すぐさま次の作品の彫刻に取り掛かる様に。とても喜寿のピアニストとは思えない程の敏捷さで演奏し出したのです(もっとも登壇する歩み等の動きはご老人その者のゆっくりとしたものでしたが)。

 

②ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ 第31番 』

全三楽章構成。

I. Moderato cantabile molto espressivo

II. Allegro molto

III. Adagio ma non troppo Allegro ma non trop

 この31番の第一楽章も、随分と旋律美に溢れたが楽章ですね。ブッフビンダーはこれ以上無いだろうと謂わんばかりの、うっとりとした調べを繰り出していました。こういう箇所はピアニストも心で謳って演奏しているのでしょう。短い序奏の後の高音域の主題歌は、ソプラノ歌手が歌ったって心に響くでしょう。ましてピアノの澄んだ硬質な音ですから、心と脳みそに突き刺さる様な快感をおぼえました。

 ①の30番の第一楽章でも分散和音の調べが良かったのですが、この31番の方が分散形式が複雑化し、音符の変化範囲が鍵盤上のさらに広いエリアに渡り、聴いた響きの透明度もいや増しになっていました。こうした表現は、もう神の領域に近づいた審美精神の人(=ベートーヴェン)にしか作り出せないかも知れません。

 短い第二楽章を力強い軽快な速さで表現してすぐにブッフビンダーは、第三楽章に入りました。この三楽章は、後半の「 Allegro ma non trop(Fuga)」の部分を第四楽章としてみなす見方も有ります。前半にはシックな旋律が組み込まれています。ベートーヴェンはこの箇所にわざわざ表記記号的に「Klagender Gesang(独)  Arioso Dolente(伊)」と楽譜に書き込んでいて、これは「嘆きの歌」と言った意味です。これに類似したものは四日目の演奏会で演奏された「29番ハンマークラヴィール」にも散見されました。

 ベートーヴェンは若い時から歌曲や合唱曲など「歌う」曲も多く作っており、歌う様な旋律をこのピアノ・ソナタ等でも表現したかったのでしょう、きっと。でもこの三楽章全体を聴いて、最高に圧巻の箇所は、これに続く「Fuga」の部分だと思いました。矢張りフーガの技法に関しても、ベートーヴェンは若い時から勉学して吸収していたに違いありません。様々な曲(例えば弦楽四重奏曲など)にも、フーガの技法を取り入れていますから。この「Fuga」の箇所を聞いただけでも、この箇所をブッフビンダーは相当な強打鍵で力強く弾いて、如何に力を入れて〆たかが、分かるというものです。

 再び会場からは大きな拍手。一回袖に戻ったピニストはもどると挨拶もそこそこにまたピアノに向かい最後の32番のソナタを弾き始めました。休憩なしですから。

 いよいよ最後のソナタの演奏です。

③ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ 第32番』

全二楽章構成。

I. Maestoso - Allegro con brio ed appassionat

II. Adagio molto semplice e cantabile

 

 この曲は、最初の入りからして全二曲とは相当な違いが有ります。特に30番31番では見られない冒頭強打旋律の分厚い非常に速い動きです。魂の叫びと言って良いかも知れない。少なくとも聞いた者の魂を揺さぶるものが有ります。この頃ベートーヴェンには死をも覚悟する様な苦痛、悩みが頭の中で渦巻いていたに違いありません。 そこには苛立ち、苦しみ、絶望感、等々マイナス思考に陥ってしまう要素が感じ取られ、流石ブッフビンダー!と思ったのは、時々目をつむりながらも心の目は空いているのでしょう、全然疲れを感じさせない強奏やふと見せるp音を織り交ぜながら、この最後の審判に委ねる様な音楽が詰め込まれた楽章を結構早いペースで弾き終ったのでした。(ついでながらこの楽章ではmp:メゾピアノ記号も使われました)

 続く第二楽章は、ゆっくりした静かなメロディが流れ出しました。ブッフビンダーはこれまでに無い位のスローテンポで弾き、次第に速度を戻してベートーヴェンはここでも「Arietta」の表記を使い、そよ風の様に歌うピアノの調べを表現したかったのでしょう。一楽章の懊悩は、天の神による救いを求めるベートーヴェンに手が差し伸べられここに至り救われた境地に達したのでしょうか?途中の強打部分は何等かの応答が発せられた印なのでしょうか?最後の力奏は喜び勇むベートーヴェンの魂なのでしょうか?何故かそんな妄想を抱いてしまうブッフビンダーの熱演でした。いずれにせよ、この曲によりベートーヴェンが他のソナタでは表現出来なかった多くの物を曝け出せたという事を、ブッフビンダーの演奏は如実に語っていたと思います。

 これですべてのソナタを見事弾き終ったピアニストを讃える大きな拍手と歓声が沸き興り、中には立ち上がる観客もいました。ブッフビンダーは袖から戻るとすぐにピアノの前に座り、一言、最後に❝Schubert ❞を弾きますと言ってアンコール演奏を行いました。

 アンコール曲:フランツ・シューベルト『4つの即興曲 Op.90 D899 より 第4番 変イ長調(Impromptus4)』

 この曲は日本のピアノを学ぶ子供でも弾く位のよく知られた曲で、しかも煌びやかなメロディの美しさを持つシューベルト臭芬々の曲ですから、ウィーン人にとっては、ベートーヴェンよりも親しみが深いシューベルトへのオマージュなのかも知れません。ブッフビンダーも4、5歳くらいから親しんで来た曲なのでしょう、きっと。


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 尚この最後の三つのソナタ演奏に関しては昨年の L.F.J.(ラ・フォル・ジュルネ)でアンヌ・ケフェレックが三曲弾いた時の記録があり、また2020年に東京藝大教授の渡邊氏が32番を弾いた時の記録がありましたので、参考まで文末に再掲して置きます。

 

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L.F.J.第3日目『終期三つのピアノソナタ』を聴く

 

ベートーヴェン《闘いの人生の末に辿り着いた静かな境地》「ピアノ音楽の新約聖書の執着点にして、未来への扉をひらく革新的な後期三大ソナタを」 

 今回のL.F.J.では諸般の事情から、三日間それぞれ一公演を選んで聴くことにしました。第三日目は何にしようかと思ってプログラムを見たら、ベートーヴェンの最後のソナタ三曲を演奏するというのが有りました。これは聞き逃せない。アンヌさんというフランスの年配のピアニストです。でも午前中の10時からの演奏会なのです。自分は横浜なので、10時に有楽町に着くには、若い時には当たり前の様に行けましたが、今はかなりきつくなっている。最近は遅起きで、朝6時のラジヲ体操も出来ないことが度々です。要するに前日の夜から零時過ぎまで書き物をしていることが多くて、家人には夜型の生活は健康に良くないと謂われても、自分でも早寝早起きしたいと思っていても

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仲々それが崩れて出来なくなっている昨今なのです。案の定当日(5/6)は朝早く起きられなくて、起きた時は逆算すると間に合うには時間ギリギリで、下手したら間に合わなくなってしまうと、慌てて朝食も取らずに歩いて10分足らずの駅までの道を、急ぎ上さんに車で送って貰う始末。後は乗り継ぎ道も駆け足をして、何とか10時の開演に間に合わせたという次第でした。

【日時】2023.5.6.(土)10:00~

【会場】東京国際フォーラムホールC

【演奏】アンヌ・ケフェレック (ピアノ)

〈Profile〉

 1948年1月17日(75歳)、フランスパリ生まれのピアニスト、パリ音楽院卒。

5歳でピアノの演奏を始め、1964年にパリ音楽院に入学。1965年にピアノで、1966年には室内楽でそれぞれプルミエ・プリ(1等賞)をとる。その後、パウル・バドゥラ=スコダ、イェルク・デームス、アルフレート・ブレンデルに師事し、1968年にはミュンヘン国際音楽コンクールで優勝した。それ以後も、国際舞台の中心で演奏をつづけ、経歴を重ねる。

ソロのコンサート・ピアニストとして有名であるばかりではなく、室内楽の分野でもよく知られている。

 

【曲目】
①ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op.109
②ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110
③ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111

 

【演奏の模様】

 今日の演奏会も昨日と同じホールCです。開演直前までには、昨日と同じくほとんどの席が埋まっていました。人気の高さが伺え知れます。時間となり登壇したケフェレックさんは、マイクを手に語り始めました。(脇には通訳)要点は次の様です。

・朝早い10時からの演奏会は自分にとっても初めて。

・ウオーミングアップしないで山登りをする様なもの。 La Folie Journéeの「Folie(hukkats 注1)」ですから(いいでしょう理解して)進めます。

・ベートーヴェンは闘う人だった。三つの曲について紹介する。

・ベートーヴェンのピアノソナタ32曲は24歳の時に書き初め30年間掛けて書いた彼の日記のようなもの。

・32番目の曲が最後となることを彼は予知していた。

・最後の三曲を「三姉妹」と呼んでいる。別々な私的性格を有している。変様性(?)という意味では共通している。

・30番Op.109は、22分程の曲で、親しみ易いやさしさを湛えた曲でシューベルトを想起させる。

・31番Op.110はそれと全く異なりベートーヴェンの肖像画のよう。1821年12月5日に完成し、他のソナタと違って献呈者がいない。これは2か月前に病床にあって今は回復したベートーヴェン自身へ献呈したものとも考えられる.

・31番Op.110は、30番とは全く異なっている。

・個人的指示を(楽譜に)書いている。

・第一楽章、人格の善良さ、音楽から届ける物、第二楽章Scherzoはベートーヴェンらしさを感じる曲、次の第三楽章へはアタッカで進む。苦悩して沈む心、詳しい指示が書かれている。

・ベートーヴェンは闘う人、あきらめない。

・続く(三声の)フーガは厳格な形、かっきりにとの記載がある。

・4度上行するフーガの頂点で最終的に苦しんだ後、そのフーガに逆行するフーガが出て来て、楽譜冒頭には「苦しみから少しづつ戻る様に」との指示が書かれている。

・最後は喜び、歓喜への賛歌で終了する。

・愛は美しいものと・・・

 以上の説明をしてから、30番と31番の演奏に取り掛かったケフェレックでした。32番に関しては後ほど説明するとのこと。

 

Folie(hukkats 注1)

Folieは「狂った、熱狂の」の意味。 La Folie Journéeは「熱狂の一日、一日中(音楽)キチ」の意。『椿姫』第一幕5場で、アルフレッドが、愛を告白して去った後、ヴィオレッタは一人思い悩み歌うアリアで ❝Follie! follie delirio vano è questo!❞と歌う箇所の「Follie」も同意。ここでは伊語なのでスペルは仏語の「Folie」と異なっていて「l」が二つになっているが同様に「狂気の沙汰、馬鹿げた考え」となる。

 

 

①30番ソナタ

第1楽章 Vivace

第2楽章 Prestissimo

第3楽章 Andante molto cantabile ed espressivo 

三楽章構成。1楽章には二つの楽想が統合されています。冒頭の主題は速くて軽やかな旋律、これをケフェレックは抑制したテンポで下行させ、キラキラと音の煌めきを際立てていました。下行上行を繰り返し、コロコロと転がる玉の様な音、特に最高音に近い処がとても綺麗です。最後のパッセッジではピアニッシモを美しく表現していた。

2楽章では力強いタッチで強奏する調べが迸り出ます。強奏といっても、矢張り女性的演奏を感じます。遠くの鐘の音の様にカーンカーンカンカンカンと聞こえる調べに続く再度の強奏テーマは鍵盤を殴打する程のものでは無く女性的、しかもフランスの女性的演奏と見ました。短い楽章。

3楽章、この曲ではこの冒頭のゆっくりした歌うテーマ旋律が好きです。これはケフェレックでなくとも誰が弾いてもピアニストなら十分に歌って聴かせて呉れる箇所でしょう。ベートーヴェンはそのテーマの後変奏に進むのです。第一変奏から第六変奏まで次第に速い小刻みな変奏に変わり遂にはトリルに至り、最後に冒頭のテーマに戻るのです。この曲の演奏でケフェレックの高音部演奏は、表情豊かでメリハリ(即ち強弱長短の変化の絶妙な匙加減)が有り、恰もお洒落な雰囲気で街を闊歩するパリジェンヌの軽やかな足取りを感じました。録音で聴くルドルフ・ゼルキンの演奏なんかと比べると対局にある演奏でした。フランスのピアニストが皆この様な弾き方をする訳ではないでしょうが。コルトーやルイサダなどの30番録音ってあるのでしょうか?若しカントロフがベートヴェンの「後期作品を弾くリサイタル」があれば聴きに行きたいですね。(昨年夏に聴きに行った時は、プログラムにベートーヴェンは無かった)

 

②31番ソナタ

第1楽章 Moderato cantabile molto espressivo 

第2楽章  Molt Allegro

第3楽章 Adajio ma non troppo(第4楽章)Fuga.Alllegro ma non troppo 

三楽章構成。この曲はFugaの部分以下を第4楽章として第3楽章から切り離して捉えるケースもあります。クラウディオ・アラウの録音などはその様な扱いをしています。

 この曲で、一番の聴き処は、第3楽章 Adagio ma non troppo- Fuga. Allegro, ma non troppo (6/8拍子 変イ長調)の歌う様なメロディの箇所とフーガの部分でしょう。両者が連続するそのやり取りを、ケフェレックはあたかも舞台の場面を見えるが如く演奏してくれました。 所謂「嘆きの歌(確かに切々としていますね。)」をピアノが詠い上げると、続くフーガでピアノは、最初小さく、あたかも精霊の降臨を継げている様に、❝主よ救え給え❞との嘆きに ❝汝の足元をみよ❞と答え、嘆きがさらに激しく叫ぶと、逆進行のフーガが今度はff で神の声を決然と告げるのでした、等と夢想しながら聴いてしまう程です。ここのフーガの冒頭を聴いても、将にベートーヴェンはバッハのフーガの技法他の影響を丸受けしている感じです。ベートーヴェンのみならず、当時の作曲家はバッハを学ぶことは基礎的教養だったのでしょう。勿論バッハはイタリア音楽を研究していましたから、バッハを学ぶという事は音楽先進国のイタリア音楽を学ぶことにも繋がる訳です。

 この31番ソナタで、アレッと意外に思ったことは①30番では非常に繊細かつ柔らかな演奏をしたケフェレックを聴いて非常に女性的演奏、力強いドイツ音楽としての迫力は弱いかな?と思っていたのが、認識を軌道修正する様な強い表現の箇所が散見されたことです。このピアニストはこの様な演奏も出来るのかと認識を改め始めました。次の32番でどう出るのか興味芯々でした。

32番の演奏の前に、この曲について再びケフェレックはマイクを握り、❝普通ここで休憩になるのですが❞と笑いを誘いながら説明し出しました。

・1楽章では戦い、2楽章は戦いを越えている

・心を動かされるのは、(第2楽章の)アリエッタ(=短いアリア)という言葉

・ビクトル・ユーゴーの言葉に「ベートーヴェンは聴力を失い永遠を聴いている」

・32番の曲は形而上学的でスピリチャル

・この曲の最後は短い休符、32のソナタ全曲を締めくくる。

・シェイクスピアのハムレット最後の言葉❝後は沈黙のみ❞を連想します。

と語ってピアノに向かったケフェレックは、いきなりババーン、ババーンと荒々しい音を立て強奏を始めたのです。それ以前の30番、31番では見られなかった迫力ある演奏。

 

③32番ソナタ

第1楽章 Maestoso Allegro con brio ed appassionato

第2楽章   Arietta.Adagio molto semplice e cantabile

この最後のソナタは二楽章構成、でもベートーヴェンのピアノソナタの中では珍しくは有りません。19番、20番、21番「ワルトシュタイン」、22番、24番、27番も二楽章構成です。

第1楽章 Maestoso-Allegro con brio ed appassionato ハ短調

 冒頭の強奏から始まり、この楽章では、弱音部に比してこれまでの曲に無い程の打鍵で大きな音を立て、リズムも良く力演しました。鍵盤に手を振り下ろし指で叩き、楽章中の低音部のフォルテッシモでは左腕をこの時だけかなり上にあげて、打ち下ろしていた。30番の演奏で「女性的演奏」と書きましたがこの32番に入ってケフェレックはどうしてどうして立派に独音楽で良く表現される深く濃厚なベートーヴェン表現に成功していることを示しました。

第2楽章 Arietta.Adagio molto,semplice cantabile ハ長調

 変奏部分で丹念に音をまさに紡ぐが如く、指を小刻みに動かしてキラキラキラキラと音をたてていたのが印象的。最後に繰り返されるテーマのメロディは単純であるがゆえに複雑な作曲家の心理状態が込められている実感が伝わって来る様な素晴らしい演奏でした。

この曲程、ベートーヴェンの生涯を総括する卒業論文とも言える作品は他に無いのではないかといつも思います。第九も荘厳ミサ曲もその他いろいろあるとしても、またソナタ以降の弦楽四重奏曲もあるとしても、音楽としてのその構成力、迫力、精神力、見事な美的表現、何れも抜きん出ていると思います。二楽章構成ですが、曲としては深味の或る長い大曲でした。アリエッタとは短いアリアの意で、イタリア語で「そよ風」の意味も持ち、その歌声が爽やかなそよ風となって、聴く人々の心を優しく温かく包み込みますようにとの願いが込められています。最後の楽章は、そうした現世の苦悩を超越してかの高みの世界に将に到達せんとする、ベートーヴェンの天上の世界の香わしさまで表現したとも言える天才作曲家の総決算でした。

 演奏が終わって、ケフェレックの説明にもあったので、最後の音の後暫く(4~5秒だったでしょうか?)沈黙を待った聴衆は、演奏者が少し首を動かしたと見えたのか?

五月雨的に拍手が成り出し、やがて会場は大喝采と声援で埋まりました。シェイクスピアの言葉からはもう少しの長い沈黙が欲しい気もしましたが、ケフェレックのトークでは「短い休符」と有りましたから、彼女が僅かに動いたのは、演奏者の目の前の自席かも見えましたから、妥当ではなかったかと思います。

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 尚これらの曲については、2020年11月に、東京藝大で当時のピアノ科教授の渡邊さんが32番を弾くのを聴きに行きました。又同年翌月には来日中(日本在住中?)のオピッツが30番、31番、32番三曲を弾く演奏会に行きました。又年明けた21年2月には桑原詩織さんという若手ピアニストが31番ソナタを弾くのを聴きに行きました。参考までこれらの演奏の記録を文末に《抜粋掲載》しておきます。

 

///////////////////////////////////////////////////////////////////2020.11.15.(日)HUKKATS Roc.(抜粋再掲)

藝大ピアノ科教員による『オール ベートーヴェン プログラム〜最後のソナタと交響曲〜https://www.hukkats.com/entry/2020/11/16/235917]』

【会 場】東京藝術大学奏楽堂(大学構内)

【曲 目】オール ベートーヴェン プログラム

①ベートーヴェン『ヴァイオリンソナタ第10番ト長調 op.96』L. v. Beethoven:Sonate für Violine und Klavier Nr.10 in G op.96
ヴァイオリン:植村 太郎 

ピアノ:有森 博

②ベートーヴェン『チェロソナタ第5番 ニ長調 op.102-2』
L.v.Beethoven:Sonate für Violoncello und Klavier Nr.5 in D op.102-2
チェロ:中木 健二  
ピアノ:津田 裕也

③ベートーヴェン:『ピアノソナタ第32番 ハ短調 op.111』
L.v.Beethoven:Sonate für Klavier Nr.32 in C op.111
ピアノ:渡邊 健二

④ベートーヴェン(リスト編曲 2台4手版)『交響曲第9番ニ短調 op.125』
L.v.Beethoven (arr.byF.Liszt):Symphonie Nr.9 in D op.125
プリモピアノ:青柳 晋 
セコンドピアノ:伊藤 恵

 

【演奏の模様】

③は二楽章構成ですが結構長い(特に2楽章が長い)曲で、音楽としてソナタとして十分過ぎる構成と言えるでしょう。ベートーヴェンがこれまでの経験と最後の力を振り絞って作曲した力作中の力作だと思います。

Ⅰ.Maestoso Allegro con brio ed appassionato

 冒頭からババーンと強い打鍵の調べが響き、リズミカルなffの主題が速いリズムで続き、相当なドラマ性を帯びた調べが繰り返されます。そうそう、この明るくないが決して暗くもないずっしりとした心に響く音達、たびたび録音(アラウやゼルキン)を聴いて脳裏に滲み込んだ音が耳に届いて来ました。渡辺さんは小柄でどちらかというと痩せ気味ですが骨太そうな体を駆使して、力強い演奏をしている。予想をはるかに超えた演奏です。

Ⅱ.Arietta: Adagio molto semplice e cantabile

 ゆったりした比較的単純そうな主題で開始、渡辺さんは徐々にテンポを上げながら丹念に音を紡いで行く。音の強弱、速度の変化のうねりが何とも言えない、繊細さまで感じる心地良い音楽、将に音楽とはこうしたものだという実感、その素晴らしさを堪能しているうちに高音のトリルが綺麗に長く響き最後に静かに終了しました。思わず力を込めて拍手してしまいました。何とも申し分ない程の見事な演奏。ほとんど完璧な演奏、これは本物です。暫くぶりでベートーヴェンのソナタの名演を聴きました。

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渡辺健二教授

 昨年からこの一年程ピアノソナタは、亀井聖矢さん、ボゴレリッチ、アンドラーシュ・シフ、仲道さん、金子三勇士さん、内田光子さん、キーシン、ピリスなどいろいろ聴いて来ましたが、これまで聴いた録音、録画も含めて、自分の感じでは、3本の指に数えられる程の素晴らしい演奏だったと思います。一朝一夕では成しえない演奏ですね。藝大ピアノの層の厚さと実力をまざまざと見せつけられた感じです。