《サントリーHスペシャルステージ2022》
五嶋みどりデビュー40周年記念
~ベートーヴェンとアイザック・スターンに捧ぐ~
【日時】2022. 11.8 (火) 19:00~
【会場】サントリーホール 大ホール
【演奏】五嶋みどり(Vn.)
ジャン=イヴ・ティボーデ(Pf.)
【曲目】
Allベートーヴェン/ヴァイオリンソナタ
①ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第1番 ニ長調 作品12-1
(曲について)
『第1番 ニ長調』(op.12-1)、『第2番 イ長調』(op.12-2)、『第3番 変ホ長調』(op.12-3) これらの3曲は1797年から98年にかけて作曲され、当時ウィーンの宮廷作曲家、宮廷楽長として名声を欲しいままにし、ベートーヴェンを始めとする19世紀の作曲家にイタリアオペラの書法を伝えて大きな影響を与えた、アントニオ・サリエリ(1750~1825)に捧げられている。ちなみにモーツァルトを毒殺したのではないかと言われているサリエリだが、どうやらそれは冤罪のようだ。
3曲とも、急(ソナタ形式)-緩(三部形式)-急(ロンド形式)というウィーン古典派の伝統に忠実な構成を取っており、モーツァルトの影響が顕著。
ヴァイオリンソナタ第1番 ニ長調 作品12-1 は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1798年頃に作曲したヴァイオリンソナタ。ベートヴェンのヴァイオリンソナタの第1作であり、第2番、第3番とともに師であるアントニオ・サリエリに献呈された。3曲とも「ヴァイオリンの助奏を伴ったクラヴィチェンバロまたはピアノ・フォルテのためのソナタ」と記されていて、ピアノに重きが置かれている。全体的に明るい曲想であり、しばしば演奏会で取り上げられ、人気も高い。
『第1番』は、『第2番』に比べると著しく「ベートーヴェン的」だ。第1楽章のヴァイオリンとピアノの力強い同音で始まる第1主題からして、いかにもベートーヴェンの音楽らしい響きです。第2楽章の変奏曲の構成も巧妙で、対位法的手法と相まって完成度は格段に高い。ヴァイオリンの扱いはまだぎこちないが、同時期に作曲された『ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》』(op.13)と比べてもなんら遜色がない出来栄えだ。
②ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第4番 イ短調 作品23
(曲について)
ベートーヴェンが1800年から1801年にかけて作曲したヴァイオリンソナタ。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタとしては4作目のもので、初めての短調ソナタ。
第1番 ニ長調、第2番 イ長調、第3番 変ホ長調と、ヴァイオリンの明るい響きを前面に押し出した作品群の後の激しい曲風である。ただ(小規模な)3楽章作品の形式は未だ守っており、この頃のピアノソナタが4楽章で管弦楽編曲をにらんだものとは事情が異なる。ヴァイオリンソナタはヴァイオリンとピアノとの調和の妙が一つの目的であり、ピアノ即ちオーケストラという作者の考えとは相違がある。この作品では後の第9番「クロイツェル」と同じ調性でヴァイオリンに演奏簡単なイ短調を選んでいる。
『第4番 イ短調』(op.23)では、モーツァルトやハイドンの影響からほぼ抜け出して、私たちが知るベートーベンの姿がはっきりと刻み込まれているんです。より幅の広い感情表現が盛り込まれていて、そこにはやり場のない怒りや皮肉、そして悲劇性などが盛り込まれていて、そこには複雑な多面性を持った一人の男の姿(ベートーベン自身?)が浮かび上がってきます。
『第4番』では、それ以前の作品と比べて、ますますベートーヴェンらしさが表に出てくる。モーツァルトやハイドンの影響からほぼ抜け出し、ヴァイオリンの技術的な扱いにも慣れ、展開部の作曲技法の進歩とも相まって、より幅の広い感情表現が可能になってきたのだ。この曲は他人の模倣から完全に離れて彼独自の音楽を創り出していく、言わば出発点となった作品である。やり場のない怒りをぶつけるかのような第1楽章の第1主題、第2楽章のユーモラスな展開と第3楽章の悲劇的な色調のコントラスト。当時のベートーヴェンの鬱屈した不安定な心理状態をうかがい知ることのできる作品である。
③ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第8番
(曲について)
1800年、30歳になったベートーヴェン。音楽の都ウィーンで着実に大作曲家としての地位を築きます。
疾走感あふれる、進化した室内楽曲「ヴァイオリン・ソナタ第8番 ト長調」
3曲セットの作品30は1801年から02年にかけて作曲されている。1802年は5月から10月までウィーン郊外のハイリゲンシュタットに籠もって作曲に打ち込み、交響曲第2番と3曲セットのピアノ・ソナタ作品31の最初の2曲を書き上げている。前年から作曲を進めていたヴァイオリン・ソナタ作品30も同じころ3曲とも完成されたと思われる。
最後の「第8番」Op30-3は、規模は小さいものの、他の2曲と同様に、「ヴァイオリンとピアノ」という二重奏を超え、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという3人の奏者による演奏や、オーケストラを思わせる書法が見えてくる。
まるで小さなオーケストラのような立体的なサウンドと、疾走感をもって次々と展開されます。室内楽曲として進化したOp30の3曲を締めくくるのに、ふさわしい作品です
④ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第7番 ハ短調 作品30-2
(曲について)
第6番や第8番とともに、1802年頃に作曲されたと推定されるヴァイオリンソナタである。出版は1803年。第6番、第8番とともにロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈されており、この経緯から3曲とも通称「アレキサンダー・ソナタ」とも呼ばれている。
作曲推定年である1802年は、10月に「ハイリゲンシュタットの遺書」が認められるなど、ベートーヴェンにとってはある意味で追い込まれた年ではあったが、その一方で「英雄」の作曲が始められるなど、いわゆる初期から中期への転換に差し掛かる時期でもあった。第7番は前作第6番のイ長調、後作第8番のト長調のような明朗な調とは違い、厳しい調であるハ短調で書かれている。この「作品30」の3曲から、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタはモーツァルトの影響を脱し、独自の境地を築くこととなる。
【演奏の模様】
①ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第1番 ニ長調 作品12-1
全三楽章 演奏時間は約20分。
・第一楽章 アレグロ・コン・ブリオニ長調、4分の4拍子、ソナタ形式。
冒頭、Vn.とPf.の斉奏で力強くスタート、暫く五嶋さんの主導権で進行したかに見えましたが、対話的に両者が合の手を入れる中ほどの領域まで、Pf.も健闘、Pf.の持ち味を良く出していい音を立てていました。短調に転調したあたりもくねくねと 五嶋Vn.は体を前後左右に揺らして変奏を弾いていました。冒頭の斉奏に戻り、最終部ではVn.は弓の根元で強いボウイング、Pf.はコロコロと旋律を響かせ、Vn.もそれに合わせて終了しました。ピアノ名手のベートーヴェンらしく、アルペッジョの急速な進行が随所に盛り込まれていました。
・第二楽章 主題と変奏:アンダンテ・コン・モートイ長調(第3変奏はイ短調)、4分の2拍子、変奏曲形式。
主題と4つの変奏からなる落ち着いた曲想の楽章であり、イ短調の3連符が伴う変奏で対立を際立たせています。
イントロはPf.のゆっくりとした旋律でスタート、すぐにVn.が追いかけと同旋律を奏でました。続く斉奏は相変わらずPf,の音が綺麗、本格的ないい動きをしています。次第にVn.は伴奏的な旋律に移行、Pf.が主な役割を演じている。中間部からはVn.の素晴らしい調べが迸る筈なのですが、五嶋さんは完璧に演奏はしているのですが、何か地味感が拭いきれていない様に感じました。
後半は両者ともに相当な強奏部に入り、五嶋さんはスタッカートに近い様な一音一音の粒を揃えた音を発し、Pf.も同じテンポでVn.に向かっていました。Pf.のパッセッジの最初の数音が(即ち旋律の弾き始めの音が)とてもいい感じ。ここでも両者の息はぴったり合っていました。
最終部のゆっくりした旋律ではVn.はかなりの高音を出すのですが、五嶋さんの高音の出音は心が惹きつけられるという程ではなかった、むしろ低音の旋律が(それ以前の箇所でも)良く響いていたと思います。
・第三楽章 ロンド:アレグロニ長調、8分の6拍子、ロンド形式。
最初のPf.で演奏される軽快な「タッターン・タタタ」というシンコペーションが印象的。このメロディがVn.でも演奏され繰り返し出てきました。Pf.の音色がとても綺麗、いかにもベートーヴェンらしい調べでした。その後は同じ速いテンポで変奏が続き、リラックスした感じのロンド主題に続いて、伸びやかな変奏に至り、両者とも一気に結末へと走り込みました。
この曲の演奏は、第一楽章からPf.が、かなり優勢な演奏をしていました。ビアニストのジャン=イブ・ティボーデは、フランス人ながら、ベートーヴェンの曲をゲルマン民族の雰囲気を醸し出して手堅く弾いていました。またその音がとても綺麗、五嶋さんの弾くVn.が主旋律で、Pf.が伴奏的であっても、ピアノの柔らかい音が目立つ程でした。しかも、感心したのは、最初から最後まで、五嶋さんと、息がピッタリ合っていたこと。五嶋さんは、幼い頃から神童と言われた位ですから、技術的には万全、遺漏なく弾き進みましたが、この曲の性格状からなのかよく分かりませが、Pf.に対してもっと能動的に接して欲しかった気がします。
②ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第4番イ短調作品23
・第一楽章 プレストイ短調、8分の6拍子、ソナタ形式。
・第二楽章 アンダンテ・スケルツォーソ・ピウ・アレグレット イ長調、4分の2拍子、ソナタ形式。
・第三楽章 アレグロ・モルトイ短調、2分の2拍子、ロンド形式。
ベートーヴェンの初めての短調の「Pf.と Vn.のためのソナタ」です。冒頭からピアノの主和音にのって、ヴァイオリンの重音が一気呵成に進められました。五嶋さんは、弓の根元で弦をかなり荒々しく弾き、強い音を出していた。相当激しいスタートと言って良いでしょう。室内楽団でも弾けそうな暖かい響きの中間楽章もあり、ベートーヴェンの古典派作家としての一面を見せる優美な美しい曲ですが、自分としては、短調はやはり苦手、モーツアルトのピアノソナタでも短調は進んで聴きたいと思いません。冒頭におどけた舞踏を思わせるシンコペーションがヴァイオリン、ピアノの掛け合いで奏でられるのも1番の3楽章に相通じるかな? 第二楽章も第一楽章よりはゆるんでいるものの、結構速いテンポで進みます。Pf.とVn.の掛け合いはカノンと言ったらよいかフーガ的と言ったらよいか、バッハの息使いがベートーヴェンに感じられました。第三楽章は又単調に戻り、まだまだベートーヴェンの素朴な一面が見られる曲でした。ヴァイオリニストにとっても技術面は別としてどうしても地味な演奏になってしまうのでしょう、きっと。
《20分の休憩》
③ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第8番ト長調 作品30-3
第6番以来の連作として、深刻な前作と調整をとっており明るく簡潔な曲想。室内楽の華やかさが特徴で、技術上の負担が少ないことから演奏機会は結構多い曲です。
・第一楽章 Allegro assaiソナタ形式。ト長調、8分の6拍子。
・第二楽章 Tempo di minuetto ma molto moderato e grazioso。変ホ長調、4分の3拍子
・第三楽章 Allegro vivace ロンド形式。ト長調、4分の2拍子。
最初の第1主題はPf.とVn.との斉奏で力強くスタート。第2主題は穏やかな調べですが、跳ねるような音型はありません。展開部は遠隔調のイ短調。
中間楽章は典型に近い静かな緩徐楽章です。付点リズムが特徴的な複合三部形式。Pf.とVn.が交互に調の異なる主題を奏でました。第三楽章は活気に満ちた律動的な楽章。「熊のダンス」と呼ばれることも。
この8番辺りの曲で、漸くベートーヴェンは、Vn.に主役を与える手法を確立しつつあったと言えるかも知れません。
④ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第7番 ハ短調作品30-2
全四楽章、演奏時間は約26分。
・第一楽章アレグロ・コン・ブリオ ハ短調、4分の4拍子、ソナタ形式。
・第二楽章 アダージョ・カンタービレ変イ長調、2分の2拍子、複合三部形式。
・第三楽章 スケルツォ:アレグロハ長調、4分の3拍子。
・第四楽章 フィナーレ:アレグロ-プレスト ハ短調、2分の2拍子、ロンドソナタ形式
冒頭で、3拍の後に16分音符4つの特徴的な主題がPf.によって提示されました。このメロディは演奏会で聴かなくとも、録音や何かの放送等どこかで聞いた事のある人も多いと思います。自分もそれ以前の1番、4番、8番と聞いて来て、聞き覚えのほとんど少ない曲達に少し飽き飽きし出した矢先だったので、ハット目が覚めたかも知れない。この辺りは将にベートーヴェンが作り出したドラマティックな流れをVn.が忠実に表現出来る腕の見せ所なのかも知れません。繰り返して半音階下降した後Vn.が主題を奏でる楽章有り(主題は執拗に繰り返されており劇的な効果をあげている)またPf.はアルペジオを左手で(時にユニゾンで)演じて音量効果抜群で作曲者ピアニズムの面目躍如である箇所も有り、変ホ長調の行進曲風の主題あり、音階進行を経て主題展開部では、第1主題が変ホ長調・ロ長調・ト長調で、第2主題が変イ長調で展開される箇所ありと、古典派ソナタ形式のお手本の様なベートーヴェンの見事な構築を感じることの出来る曲でもありました。
また中間楽章のハ短調は、ベートーヴェンの作品としてよく採用される調です。こここでは悲愴ソナタの中間楽章の様な旋律美が現れます。Pf.で第1主題が奏でられVn.が繰り返す。途中変イ短調の優雅なアルペジオがピアノと掛け合いする。曲の終わりに急速なハ長調の音階が交互に現れ、歌謡風にするあまり冗長になって観客が退屈して寝たり(?)しないようにする工夫まで見られます。付点リズムの主題がPf.で現れ、Vn.が後を追うのです。Vn.は重音を奏でて、ピアノに負けない復音の効果を出していました。中間部のPf.の3連符が印象的。最終場面では、冒頭にPf.の強打による主題が現れ、Vn.も参加協力。終末にはプレスト(通常の「急速に」の意でなく「手短に」との解釈有)で豪快に曲全体が締めくくられるのでした。
全体的の演奏が終わり、最初から頭で浚って見ると、1番の第三楽章、4番の第二楽章、7番の第一楽章などがかなり印象に残りました。
アンコール演奏は無かったのですが、場内のアナウンスがあり、また時差退場のことかと思ったら、❝今日はサントリ―ホールの出口で、五嶋さんの著作本を来場者全員に一部づつプレゼントします❞といった趣旨の放送でした。確かに出口付近のテーブルに本が山積みにされていたので、一冊頂きました。これまで歩んで来た道筋を写真入りのエッセイで綴ったものでした。ジュリアードの先生のこと、アイザックスターンのこと、バーンスタインのことなどなどエピソードを交えて書いています。面白い。又後半には、細川護熙さん、安藤忠雄さん、吉永小百合さん達との対談集も載せられています。非常に参考になりました。この本はデビュー50周年記念の印刷物で、勿論非売品です。恐らくこれから続く演奏会でも配布されるものと思われます。
外に出ると、カラヤン広場では、月食を見ている人垣が出来ていました。もう半ば皆既食は過ぎて欠け始めていたのですが、多くの人が写真を採ろうと、手を伸ばしてスマホを高々と空に向けていました。