葵トリオ ピアノ三重奏の世界~7年プロジェクト第5回
【日時】2025.6.13.(金)19:00〜
【会場】サントリーホール、ブルーローズ
【出演】葵トリオ
秋元孝介(Pf.)
小川響子(1Vn.)
伊東裕(Vc.)
【曲目】
①ベートーヴェン『ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調 作品70-1〈幽霊〉』
(曲について)
ベートーヴェンが1808年頃まだ40歳代以前に作曲した3曲のピアノ三重奏曲のうちの1曲です。この作品は、特に第2楽章の神秘的で幻想的な雰囲気から「幽霊」という愛称で親しまれています。当初はルドルフ大公に献呈するピアノソナタとする予定であったものが、エルデーディ伯爵夫人がピアノ三重奏曲の新作を熱心に依頼したために当初の計画を変更し、2曲のピアノ三重奏曲に変わったといわれます。当時のベートーヴェンはエルデーディ伯爵夫人の邸宅に身を寄せており、また彼女の尽力によって終身年金を受けられたことへの恩義として作曲されたものと考えられているのです。
②マルティヌー『ピアノ三重奏曲第2番 ニ短調 H. 327』
(マルティヌーについて)
ボフスラフ・マルティヌーは、チェコの作曲家、1890年12月生まれ。7歳の時から近所の仕立屋にヴァイオリンの手ほどきを受け、12歳の時には弦楽四重奏曲を作曲、周囲の勧めや篤志家からの援助もありプラハ音楽院に入学した。「慢性的な怠慢」によって1910年に退学となっている。その後1912年からは故郷の小学校で教師を務めていた。1917年に音楽院時代の友人の世話でチェコフィルの第二ヴァイオリン奏者となる。1919年にスメタナ賞を受賞して作曲家としてのデビューをした1923年には奨学金を得て、念願のパリで学ぶこととなった。パリでは対位法を学び、フランス6人組やストラヴィンスキーなどの影響を強く受けた作品を作曲。1941年には、ナチスの侵攻を避けて米国へ渡った。米国での1940年代は、彼の創作活動の頂点に達した。1番~6番までの交響曲の他、バレエ音楽、管弦楽曲、協奏曲等広く多くの作品を作曲、弦楽四重奏曲は1番~7番まで、ピアノ3重曲は三つ、その他弦楽ソナタも各種作曲した。1959年スイスで亡くなる。
(曲について)
この作品はニューヨークで、ボストン近郊のマサチューセッツ工科大学ハイドン図書館の開館に合わせるため、1950年2月10~22日という短期間にニューヨークで作曲され、マサチューセッツ工科大学・ケンブリジ技術研究所に献呈された。マルチヌーの作品の中で、調性が明記されているのは3曲だけで、「フルート、チェロ、ピアノのためのトリオ」ヘ長調H.300(1944)と、このピアノ・トリオ第2番、および第3番ハ長調H.332(1951)だけである。 初演は1950年5月14日に行われ、チェコには1960年2月15日、チェコ・トリオにより紹介された。ニ短調と銘打たれているが、実質はマルチヌー好みの変ロ長調が主流を占めている。
③ショスタコーヴィチ『ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67』
(曲について)
このピアノ三重奏曲第2番は、1944年、作曲者の親友であったソレルチンスキーという人(音楽学者、評論家)の死を悼んで作曲され、ロシアにおけるこのジャンルの伝統(例えば、チャイコフスキーラフマニノフの場合に倣って)を汲んで、追悼音楽として構想され、その友人の思い出に捧げられた。しかし第二次大戦終了後はこの作品は、第二次世界大戦下の悲劇的な状況を反映した、内省的で感情的な深みを持つことで知られる様になり、特に、第3楽章のパッセージは、ホロコーストで犠牲になった人々への追悼として解釈されることもある。
【演奏の模様】
①ベートーヴェン『ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調 作品70-1〈幽霊〉』
〇全三楽章構成
第1楽章Allegro vivacee con brio
第2楽章Largo assai edo espressivo
第3楽章Prest
冒頭かなり速いテンポのPf.が繰り出しVc.が優美なテーマで追いかけVn.が同テーマをfollow、三者共勢いはあるのですが、Pf.の秋元さんの演奏は活気があるものの、かなり力んでいるのか力強い打鍵とは言え、決して音はいいとは言えるものではなく、Vn.の小川さんも未だ楽器が良く鳴っているとは言い難かった。Vc.の伊藤さんの音はVc.らしさを保っていました。終盤音量をすこし抑制的に弾く箇所になるとPf.の音もコロコロと澄んで来て、Vn.もVc.Pf.と共にアンサンブルらしくなって来ました。
第2楽章の緩徐楽章になると、三者はゆっくりと互いに音を確かめながらしっとりと弾いている風で、Vc.がソロ音を立てると、次いでVn.が入り、両者のうねる様なアンサンブルがとても良い響きでした(Pf.伴奏もいい音になっていました)。
一般的に、第2楽章は、幽玄で不気味な雰囲気を持つことで知られていて、この楽章が「幽霊」という愛称の由来となっていますと謂われています。しかし自分としては、ここまで、短調のアンサンブルでやや暗いですが、少しも‘幽霊’的な感触は感じませんでした。
第3楽章は、Prestらしく活気を取り戻したPf.が軽やかに弾き始め、この辺りから小川さんのVn.は冴えて来て、Vc.との斉奏音も溶け合い、秋元さんのPf.も力みは感じられず本来のベートーヴェンの曲らしい美しいPf.の合の手も決まっていて、華やかに締めく来る辺りではこれまで聴いた事のある葵トリオの聴き応えの有るアンサンブルに戻っていました。
②マルティヌー『ピアノ三重奏曲第2番 ニ短調 H. 327』
〇全三楽章構成
第1楽章Allegro moderato
第2楽章Andante
第3楽章Allegro
マルティーヌの曲は初めて聴きました。その作曲家自体の存在すら知りませんでした。調べてみるまではどんな人でどの様な活躍をして来た人なのか情報が全く無い状態でしたが、知る人ぞ知る相当な活躍をした作曲家だったのですね。この曲を演奏する段階では、葵トリオの奏者も本来の力量を発揮し始め、曲自体もその演奏を聴いてみると、想像していた何倍も耳当たりの良いいい曲だと思いました。
第1楽章Vn.とPf.がスタート、遅れてVc.が入りました。テンポはそれ程速くなく、次第に三者共情熱が籠って来たのか、変拍子的調べを交えて、又下記記載3楽章のテーマ奏(走)も交えながら、全体として次第にテンポアップ、相当な力奏の三者は根を詰めて弾いていました。
第2楽章はゆったり感の濃い三者のアンサンブルがシックに美しく干渉し合い、少しクレッシンドした後、Vn.とPf.のクネクネ奏も弱奏が美しく、消え入る様に終了したのでした。
第3楽章は、速いパッセッジの曲で、弦のチャカチャカチャカせわしなく急ぐリズムにPF.のポコポコポコポコ音が重さなって、この辺りの演奏では完全に葵トリオらしい聴き応えのある三重奏が繰り広げられました。Pf.の音も澄み渡り、時々入る美しい調べもすぐに速い何か推進して前に走っているイメージに戻り、そのまま走りぬくのでした。
ここで《20分間の休憩》です。
後半はショスタコーヴィッチ・ピアノトリオです。
③ショスタコーヴィチ『ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67』
第1楽章冒頭では、Vc.がハーモニクス音のまるで口笛の様な高い音でメロディーを弾き始め、Vn.は逆にVc.より低い音を重ねてゆく珍しいアンサンブルでスターです。ゆるい哀しみと言ってもよさそうな両者の響きは不協和音とも若干異なる奇妙な音がしました。やがて同じ動きが加わってゆき、このメロディーに基づき変奏して展開されて行きました。同じテーマが繰り返され、テンポも速く、音量もボリウムがアップ、最後はかなりの速さと力奏で三者は矛を収めたのでした。
第2楽章は、猛烈なテンポで三者の演奏が斉奏に近い音をなぞっているが如きせわしないやりとりを始め、急逝した評論家の友人と侃々諤々論争している様だと評する向きも有る位ショスタコビッチは遣る瀬無い気持ちを誰かに早口で訴えた買ったのかも知れません。
第3楽章の開始は、ダーンとPf.の一撃が三回繰り返され、第1楽章よりも哀しみの度を深めた調べは、悲しみが映し出されるパッサカリア(低音の反復を交えた3拍子の変奏舞曲)で、Pf.が重苦しい和音を鳴らす上に、Vn.とVc.が切ないメロディーを乗せてゆき、アタッカ的に次楽章に続きました。
第4楽章は、Pf.がポンポンポンと鳴らすとVn.のPizzicatoがやはりポンポン高音ではじかれ、ユダヤの古い民謡やユダヤ旋法などの変わった響きをもった調べも混じっ来ます。終盤、アンサンブルはがあり、その直後、ピアノの先導で第1楽章の切ない調べに戻り。その後、4楽章の要素や3楽章の断片要素を交えながら終結するのでした。
今回の葵トリオの演奏を振り返って見ると、総じて立派な三重奏演奏でしたが、本調子に乗るまで少し時間を要した様で、立上りはやや粗雑な音も聞こえました。しかし、それも弾き進むにつれ解消して行き、①の最後辺りでは、本来のいつも聴く葵トリオの優しい中にも激しさを込めたアンサンブルが蘇りました。
演奏が終わるとほぼ満員の会場からは、大きな拍手喝采が起こりました。一回袖に戻って再び席についた三人は、万雷の拍手に応えてアンコール演奏を行いました。
《アンコール曲》
ベートーヴェン『ピアノ三重奏曲第6番より変ホ長調Op.70-2より 第3楽章』
これまたしんみりした素晴らしい演奏だったのです。再び会場は拍手歓声の渦に巻き込まれました。