HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

明日(4/5日曜)は、二十四節気の『清明』です。

    二十四節気の清明は、前の冬至から数えて107日目から始まります。暦書によれば、❝清明は、旧暦三月辰の月の正節です。春分後の十五日目にあたり、新暦では四月五日ごろになります。この頃になると春気玲瓏として、草木の花が咲き初め、 万物に清朗の気があふれてくるという意味です。❞とあります。最も昔からの『暑さ寒さも彼岸まで』という格言的ことわざがここ数年は当てはまらない年が、増えている中で、先月の春彼岸(3/17〜3/23)は、雨の日となった彼岸の中日(3/20の春分の日)を除き、ほぼ格言通りの墓参り日和となりました(自分の体験です)。中日を過ぎて徐々に暖かくなり、一時的に寒くなる日もあったものの、三寒四温的に次第に平均気温は上がって行き、桜の開花は東京では平年より五日早い3月19日(木)になりました。3月中旬以降は暖かく、日中は15℃〜20℃前後まで上がる日が多かったためか、桜開花後もしばらくは晴れぺースの天気が続き、お花見に適切な気候となりました。自分(+友人)は、先の 「3/31付け記録・・・目に若葉 山桜ばな 初音哉」 に記録した様に、桜の名所「弘法山」へハイキングして花見をして来ました。山ばかりでなく里でも様々な花が咲き始め、拙宅の「プルーンの木」が今満開です。プルーンの木は中々気難しくて、寒い年や風の日が多い年は、実のりが少ない傾向にあります。(柿の木は、1年おきに多・少の実りを繰り返します)

    

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 一方柘榴の木は、毎年かなりの数の実が成っていましたが、剪定を横木や下枝だけにしていたら、背が毎年伸びて高く伸び過ぎて太さもどんどん大木化、葉枝にはトゲがあるし、実の採取が年々困難になっていたので、数年前に根元から切り倒してしまいました。柘榴の実は、素人が、ジュースを造るには、大変な作業を要するので、簡単に出来るアルコール漬けにしていましたが、何十年経っても一滴も飲まないことが、伐採したもう一つの理由でした。それから山モモの木は、住まいが建てられたと同時に庭に植えられていましたが、これまたすぐに背が高くなって枝葉が鬱蒼と伸び、鳥の巣やある時には、小動物が木にのぼっていたりして、(よく見るとリスでもなくムジナでもタヌキでもなく、写真を撮って調べたら、何とハクビシンでした。)巣でも作られたり、家の中に入られたら悪さをしたり、感染症の元となる場合もあるそうなので、山モモの木は、小振りの形に切り詰めました。これも柘榴伐採と同じ年だったと思います。そしたら、それ以前は、毎年赤い小さな実を沢山付けていたものが、極少量しか実が成らなくなってしまったのです。以前は、よく煮詰めてジャムを造っていたのですが、今では、実が全然ならなくなってしまった。

 またこれは失敗談なのですが、この家に越して直ぐに、植木店で、リンゴの木の幼木を二本買って植えたのですが。何年経っても実が成らなかった。先ず花が一本の方しか咲かないのです。リンゴは受粉しないと実を付けないと店員が言うので、二本並んで植えたのでした。花を付ける方は、確かにリンゴの花(他所で見たことがあり知っていた)に間違いなく、葉っぱもリンゴ特有の酸っぱい様な香りがしたのですが、他方の一本は、どんどん伸びて大きくなって、葉っぱはリンゴの木に似ていても、全然花が咲かなかったのです。何年が経ったでしょうかある年の春、その木に少し薄黄色の粟の様な花が咲いたのでした。やはり、これは、リンゴの木ではなかった。何年経っても実が成る筈ないとがっかりもし、間違った木を売った店員に怒りの念まで抱きました。でも何年もの間、気が付かない方も悪いのでは?と上さんに諭され、二つの木は、伐採する事にしました。その後に新たなリンゴの木は、植える気がしませんでした。失われた何年(多分十年近く)もの年月を思うと、再度やり直す気は、無くなりますよね。でもその伐採の跡には、今は、別な木がすくすく伸びつつ有ります。それは琵琶の木です。これは苗木を買ったのではなく、ある時、木箱に入った高級そうな大振りの枇杷の実をよそから頂きました。昔から枇杷の実は大好きでしたが、こんなに大粒で甘くジューシーな枇杷の実は食べたことないと思う程の美味しさだったのです。そこで、ウッドデッキにあった土だけ入っているプランタに、食べたあとの種を撒くと言うか捨てるに近いことをしたのでした。そしたら、翌年ではなかったかな?翌々年かも知れない、夏前にそのプランターから、二葉の葉が出ているではないですか。ひょっとしたら、これは琵琶の葉?と思い、葉が折れたりしない様に養生してやって、冬場は寒さ対策などやったら、翌年にはかなりその葉が伸びてきました。こうして翌々年順調に成育した苗木を地植えにしたのでした。今では、ドンドン伸びて人間の背丈程になっています。図鑑やパソコンで調べても、琵琶の木であることに間違いないです。ただ実を成らすには、実生の木からだと、8〜10年かかるるとの記載もあり、また気長に待つ他ないですね。結構色々な実欲しさに木を植えましたが、その他失敗したのは、キーウィの木と夏ミカンの木です。前者は、何十年も前に植えて数年で、つる枝がドンドン伸びて何個も実を付けて収穫したのですが、数年で枯れてしまいました。他の失敗例は、植木店で大きな夏ミカンが1個成っている鉢植えの幼木を買ってきて暫く経ってから地植えにしたのですが、今では結構大きな木になっているものの、一度も実をつけません。自分としては本来農作業は若い頃全然やった事なく、土や肥料や消毒等の知識は皆無で、ただ植えておくだけなので、上手く育つ訳がないと上さんには謂われます。すると自分としては、「でも柿の木は、放ったらかしでも毎年実をつけるよ」と反論して反省が足りない誰かさんでした。

    花見の話題から随分それてしまったので、話題を戻しますと、ここ数日雨が降っても後に晴れる事が多く、昨日のニュースでは、千鳥ヶ淵や上野公園などの行楽地に、多くの花見客が繰り出していると報道されていました。この時期、時代や国が変わっても行楽を楽しみ、花鳥風月を愛でて、また飲み食いして楽しむ、という人間の営みは変わらないなーと、つくづくと思います。

    12世紀の北宋の首都、東京(トウケイ)若しくは開封府の「清明」に関しての、以下の記述が有ります。

正月十五日は元宵である。大内の前には、前年の冬至の日から、開封府の役所の手で木を組んで山棚を築く。それは宣徳楼と真向いで、見物人はもう御街の両側の歩廊に群れ集まっている。そこには奇術珍伎や歌舞百芸が、目白押しにならび、楽の音は十余里にもかまびすしい。たとえば、撃丸・蹴鞠・綱渡り・棒登りや、趙野人の冷徹の逆立ち食い、張九哥の刀呑み、李外寧の薬しかけの人形 芝居・・・・・・・など様々に技巧をこらし、新趣向が次々と出る。〜中略〜

 

~収灯の後市民は郊外へ春を探りに行く~

収灯(hukkats注)が終わると、市民は先を争って郊外へ春を探りに出かける。都の南では、玉津園のそとの学方池の亭榭と玉仙観であり、転竜湾を西へ行くと、一丈仏園子・王太尉園・奉聖寺前の孟景初園・四里橋・望牛岡・剣客廟である。転竜湾から東へ行くと、陳州門外に園館が特に多い。 

   都の東では、宋門外の快活林・勃臍陂・独楽岡・硯台・蜘蛛楼・麦家園と、虹橋の王家園である。 専門と宋門の間では、東御苑・乾明崇夏尼寺である。 都の北では、李駙馬園である。都の西では、新娜門大通りをまっすぐ金明池の西を通り過ぎると道者院であり、院の前はずらりと妓楼でそこから西が宴賓楼である。亭榭や曲りくねった泉水や、ぶらんこ台や画舫の設けがあり、酒客は小舟を賃借りして、席を設け宴遊をやる。その向いが祥祺観、そこから板橋に出ると、集賢楼と蓮花楼である。これは河東路と陕西五路に赴任する人を送別する館で、普通ここで送別宴を開く。 板橋を渡ると、下松園・王太宰園・杏花岡であり、金明池の角を南へ行くと、水虎翼巷の水車の下手が蔡太師園である。その南は洗馬橋の西の界隈に華厳尼寺と王小姑酒店、北の金水河のほとりは両浙尼寺・巴婁寺・養種園となり、養種園には年じゅう花木が咲き乱れて、いい眺めである。そこから南行すれば薬梁園・童太師園、さらに南行すれば鉄仏寺・鴻福寺・東西栢楡村である。 都の北では、模天坡・角橋、そこから倉王廟・十八寿聖尼寺・孟四翁酒店へ出る。

 都の西北では、もと庶人園があって、そこには創台や流盃亭などの設けがあり、自由に春の遊びが出来た。

 たいてい都の近辺はどこもみな庭園で、百里のうちに荒れ地とてない。つぎつぎと春の装いが野に満ち、うららかな春日和となれば、万花は争って白塗りの塀から顔を出し、細柳は斜かいに花やかな道を蔽う。香木の車は暖かに廻り、芳草は茵の如く、駿馬は高らかに嘶き、杏花は縫取りのよう。鶯は花咲ける木に啼き、燕は晴れわたる空に舞う。紅装の美女は宝榭層楼に楽をしらべ、白面の青年は画橋流水のほとりを唱い歩く。いずこを見てもぶらんこ遊びのさんざめき、いずこへ行くも好き気ままな蹴鞠の遊び。花を訪ね名所を選べば、花びらは時に金の酒樽に落ち、翆を手折り紅を簪にすれば、蜂蝶は帰りゆく騎馬に厳かに随う。そこで直ぐ清明節がやって来る。(東京夢華録・・・12世紀初頭) 

収灯(hukkats注)

当時の風習として、「元宵節」の期間があり、その最後の夜(正月十八日)の事を「収灯」と呼ぶ。この夜、「元宵節」の間中、灯していた各処のともしびを消すのです。ここでの正月は勿論旧正月。