ひばり弦楽四重奏 団ベートーヴェン全曲演奏会 vol.9
【日時】2024.03.08. (金)19:00 〜
【出演】ひばり弦楽四重奏団
漆原啓子 (1st Vn.)、漆原朝子 (2nd Vn.)
大島亮 (Va.)、辻本玲 (Vc.)
【曲目】
①ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 ヘ長調 Hess34
(曲について)
ベートーヴェンが自作の『ピアノソナタ第9番 ホ長調 作品14-1』を弦楽四重奏用に編曲した室内楽曲である。
元となったピアノソナタは1797年から98年にかけて作曲され、ヨゼフィーネ・フォン・ブラウン男爵夫人に捧げられた。1802年7月13日付け、ライプツィヒのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社宛の手紙で、「モーツァルトのピアノ曲をもし他の器楽用に編曲するとすれば、それができるのはモーツァルト自身ただ一人だけである。私の作品についても同じことを主張する。」とベートーヴェンは述べている。ピアノ作品から弦楽四重奏曲への編曲がそのころ流行しており、是非ともという求めに応じて、たった1曲だけ自作のピアノソナタを編曲したという。
②ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 op.95「セリオーソ」
(曲について)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1810年に作曲した弦楽四重奏曲である。副題は『厳粛』と表記される場合もある。
作曲者自身による原題は "Quartetto serioso" であり、この『セリオーソ』の名は作曲者自身によって付けられたものである。
その名前の通り「真剣」な曲であり、作曲者のカンタービレ期特有の短く、集約された形式を持つ。しかし、歌謡的な要素は少なく、あくまでも純器楽的に音楽は進行する。音楽は短く、きわめて有機的に無駄を省いた構成をとるが、時に無意味ともいえる断片が挿入されたりして、それがかえって曲の真剣さを高めており、そこに他の要素を挿入したり、緊張感の弛緩する余地を与えない。
なお、ベートーヴェンはこの曲の後に、1825年に第12番(作品127)を作曲するまで約14年間、弦楽四重奏曲の作曲に着手する事はなかった。
③ヤナーチェク:弦楽四重奏曲 第1番「クロイツェル・ソナタ」
(曲について)
レオシュ・ヤナーチェクが1923年10月30日から11月7日にかけて作曲した弦楽四重奏曲。1924年10月17日にプラハで初演された。
『クロイツェル・ソナタ』という副題は、レフ・トルストイの同名の小説に触発されたことを暗示しており、ベートーヴェンの『ヴァイオリンソナタ第9番』とは直接的な関連性はない(ただし第3楽章に、ベートーヴェン作品から楽句が引用されている)。かつてヤナーチェクは、この小説に霊感を得て弦楽三重奏曲(1904年)とピアノ三重奏曲(1908年 - 1909年)の2つの出発点としたが、その2曲は現在散逸している。
④ベートーヴェン:大フーガ 変ロ長調 op.133
(曲について)
本作は演奏者に対する極度の技術的な要求だけでなく、極めて内省的な性格によっても有名で、後期作品の基準にさえなっている。ベートーヴェンが完全に聴覚を失った1825年から1826年にかけて作曲された。元来この巨大なフーガは、弦楽四重奏曲第13番の終楽章として作曲された。第13番が初演された後、2つの楽章がアンコールに応じて演奏されたが、終楽章のフーガは取り上げられなかった。ベートーヴェンは納得できず「どうしてフーガじゃないんだ?」と噛み付き、聞くに堪えない悪口を並べたという。しかし、このフーガが当時の演奏家にとってはあまりに要求が高く、聴衆にも理解できず不人気であったため、ベートーヴェンは出版者にせがまれて新たな終楽章を作曲し、このフーガを単品として独立させた。ベートーヴェンは強情な人柄、また聴衆の意見や趣味に無関心なことで有名であったが、このときは出版者の要望に折り合った。フーガと差し替えるために書き下ろされた終楽章は、性格においてフーガよりも軽いものとなっている。
19世紀から長い間、『大フーガ』への理解は進まず、あるいは失敗作と見なす向きもあった。ルイ・シュポーアは、ベートーヴェンの他の後期作品と併せて「わけのわからない、取り返しのつかない恐怖」と怯え、ダニエル・グレゴリー・メイソンは「人好きのしない」曲であるとした。19世紀末の歌曲の大家フーゴー・ヴォルフでさえ、この曲を含むベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲を「中国語のように不可解である」と評している。しかし20世紀初頭ごろからようやく理解され始め、次第に評価は好転、現在ではベートーヴェンの偉大な業績の一つとみなされている。イーゴリ・ストラヴィンスキーは、「絶対的に現代的な楽曲。永久に現代的な楽曲」と述べている。今日では普通に演奏・録音されるようになっており、録音では第13番の後に『大フーガ』が併録されていることが多い。
フェリックス・ワインガルトナーは、コントラバスのパートを加えた弦楽合奏用の編曲を残している。またアルフレート・シュニトケは弦楽四重奏曲第3番(1983年)にて、『大フーガ』の主題を重要な動機の一つとして扱っている
【演奏の模樣】
①ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 ヘ長調 Hess34
この曲は、上記(曲について)に示す様に、自作のピアノソナタ第9番を編曲したものです。全3楽章構成。元となったピアノソナタよりも全ての楽章が半音高く編曲されています。即ち、第1楽章 (元)ホ長調⇒(編)へ長調。第二楽章(元)ホ短調―ハ長調 ⇒(編)ヘ短調―変ニ長調。 第三楽章 (元)ホ長調 ⇒(編)ヘ長調。
元の第9番のピアノソナタが、第8番の『悲愴』とはうって変わって、深刻さの無い軽妙な明るさを有していて、またその構造が室内楽的四声部の書法で書かれていたので、編曲もし易く、完成した弦楽四重奏曲を、ピアノソナタ9番と同様、某男爵夫人に献呈し易いとベートーヴェンは考えたのでしょう。弦楽四重奏曲に編曲されたピアノソナタはこれだけでした。
第1楽章 アレグロ・モデラート ヘ長調
第2楽章 アレグレットヘ短調 - 変ニ長調
第3楽章 アレグロヘ長調
この曲の大雑把な特徴は、第1、明るい第1主題と、半音階的な第2主題による。提示部では弱奏で、再現部では強奏になっている。第2メヌエット風の楽章。トリオの主題を用いたコーダが付いている。第3.第1主題が再現されるときに、シンコペーションで変奏されている、等でした。
楽器が異なるので、元のピアノの演奏と弦楽四重奏の演奏を、単純比較は出来ませんが、大きな特徴としてピアノでの演奏は、粒ぞろいの音が転がる美しさがあるのに対し、今回の演奏を聴くと、やはりアンサンブルの響きにより(当然ながら)旋律の音に幅が出て来ています。しかもアンサンブルにおいて、高低の異なる音の掛け合いが非常に面白くしかもピアノ演奏には無い面白さを感じました。例えば第三楽章で、Va.⇒Vc.⇒2Vn.⇒1Vn.や1Vn.⇒Va.⇒1Vn.⇒2Vn.と掛け合うフガート的変遷等。
曲全体として(これも又当然かもしれませんが)1Vn.が先導的・主導的役割りを果たし、Vc.も力強く低音部を押さえていました。2Vn.とVa.がややおとなしい演奏の曲だったかな?
②ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第11番「セリオーソ」
全四楽章構成。
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ ヘ短調
第2楽章 アレグレット・マ・ノン・トロッポ ニ長調
第3楽章 アレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ・マ・セリオーソヘ短調
第4楽章 ラルゲット・エスプレッシーヴォ - アレグロ・アジタート - アレグロヘ短調
第一楽章冒頭から速いテンポの斉奏パッセッジを4者が強奏します。何か深刻な問題を抱えている感じを受ける旋律。この主題は時々反復されました。1Vn.が奏る旋律は美しくもありベートーヴェンの正面切っての問題提起と苦悩の姿が見える様です。この曲でも①の時の様な楽器間のやり取りがフーガ的動きを見せました。例えば、第二楽章での冒頭、Vc.のキザミ奏で始まったゆったりした旋律は、何かバッハを想起させます。四者が合わせる旋律の中でこの曲の主たる先導者は1Vn.であると謂わんばかりの調べの後、続くVa.の奏でる旋律は⇒ 2Vn.⇒ Vc.⇒ 1Vn.と引き継がれた箇所などは、ベートーヴェンが如何にフーガの技法を身につけていたかのあかしです。楽章後半でもVc.が下行旋律を奏でると次いで1Vn.と2Vn.が斉奏、⇒ Va.へと回帰するなど、四者間の掛け合いが様々な順序とパターンで繰り返され再現されるフーガの詰まった曲でした。
旋律的には主として1Vn.が高音の美しい調べを演じていましたが、3,4楽章などでは2Vn.が主導して牽引する箇所も有りました。
今回の演奏も前回同様、四方それぞれその分野で指導的位置にある奏者ですので、完全無謬に近い演奏でした。ただ自分としてこれまで聞いて来て頭に残っている演奏と比べると、二楽章はもう少しテンポが遅い方が聞き易いのかなと思いましたし、逆に四楽章のフィナーレのストレッタは、さらに加速度を上げて、緊迫感を強く出して欲しい気もしました。ポルシェを急発進するように。
尚この曲に関しては、サントリーホールの『CMG(ChamberMusicGarden)』などで何回か聴いた事が有ります。その内2022年のロシアの『アトリウム弦楽四重奏団』の演奏を聴いた時のHUKKATS記録を参考まで、文末に抜粋再掲しました。
《この11番の後、14年間も弦楽四重曲が作られなかったことに関して》
この曲は、べートーヴェンが1810年代初頭に書いた中期カルテットの最後の弦楽四重奏曲で、その後14年もカルテット曲は書きませんでした。この曲以降べートーヴェンは、もっと重要なやり甲斐のある曲の制作に向かった様子は無くて、この間、彼は、1810 年に「エグモント」を作った以降は、今日ではほとん顧みられない劇付随音楽の作曲や、バッハの「平均律クラヴィール曲集」のカルテットへの編曲や、また1811年のピアノ三重曲「大公」が最後の三重曲の完成版となり、1810年以降は僅かに1814年の「ピアノソナタ27番」や1816年の「同28番」、1818年の「29番ハンマークラヴィ-ル」を書くのに精を出したのでした。カルテットは嫌やになってしまったのでしょうか? 若しこの11番が、上手く書けたとべートーヴェンが思ったならば、上記の様な分野の(こう言っては何ですが)例外的なピアノソナタを除き、大部分の些末な作品達に気を取られないで、引き続き次の弦楽四重奏曲を書き続けたに違いないと個人的には思うのです。
そう考えてこの曲を聴くと、部分、部分のべートーヴェンらしい素晴らしい箇所はいろいろあったとしても、全体的には、何か物足りなさ、つまらなさを感じてしまうのでした。今回の演奏を聴いても、昨年6月の「エリアス弦楽四重奏団」や一昨年の「アトリウム弦楽四重奏団」の演奏を聴いても、何か釈然とした全体像には聞こえず、やはりべートーヴェンとしては、満足の行かない曲だったのかな?と気になるところです。
でもこの頃(1810年頃)彼の耳の難聴はひどく進行していたと思われ、交響曲も1812年までに第8番までを完成させた後は、次の最終曲第9番《合唱つき》を作曲するまで、12年を要した訳です。ピアノ協奏曲も1809年に「皇帝」を作ってからは、完成版はそこまででした(1815年の6番の試みは頓挫でした)。体調の不具合も影響しているに違いありません。
またそれ以外の要素としては死後発見された「不滅の恋人」のラヴレターが1812年頃という鑑定が出たそうですから、それも影響したのかも知れませんね。
③ヤナーチェク:弦楽四重奏曲 第1番「クロイツェル・ソナタ」
それぞれの楽章は、(曲について)②上記したトルストイのクロイツェル物語」を展開どおりに音楽化しています。つまり、主人公が妻の不倫を知って苦悩する場面から開始楽章が始まり、終楽章で妻の殺害に至る場面まで。
全四楽章構成でした。
第1楽章 Adagio
第2楽章 Con moto
第3楽章 Con moto – vivo – andante
第4楽章 Con moto (adagio) – più mosso
演奏を聴いた感想としては、こうしたたぐいの曲は、自分の耳には違和感が強く良くなじめませんでした。曲のストーリーと作曲者自身の不倫とが重なって思えて、そうした内容を自慢げに語る姿を受け入れられませんでした。第三楽章冒頭のVa. と2Vn.の不協和音的調べなど狂気冴え感じられました。従ってじっくり聞く耳を持たなかったので、各楽章の演奏の内容は、配布されたプログラムノートを引用するにとどめたいと思います。
第1楽章 Adagio
冒頭Adagioの絶望感に溢れた短い主題、そして後続Con motoの舞曲風の旋律が第1楽章では 交互に繰り返されながら発展していく。前者に現れる音型はモラヴィア、後者はロシアの民謡 を想起させるが、いずれにせよ民族的な語法が作品に用いられている。
第2楽章 Con moto
妻を誘惑するヴァイオリニストの男を表したと思われるヴィオラの挑発的な旋律の後に、不 気味なトレモロがスル・ポンティチェロで演奏され、主人公の焦燥感や苛立ちが読み取れる。
第3楽章 Con moto - Vivo - Andante
ベートーヴェンの 「クロイツェル・ソナタ」 から引用された旋律がカノン進行で現れ、それ に対し主人公の嫉妬は激しさを増していく。その後も主人公のヒステリックな心の叫びと禁断 の恋に溺れる男女が描かれ、最後は不安定なまま冒頭の旋律に戻り静かに終わる。
第4楽章 Con moto - (Adagio) - Più mosso
「涙するように」と注釈されたヴァイオリンのソロ、緊迫感をもって高揚していく32分音符
音型、そして強烈なピチカートで急速に下降する反復進行、とまさにドラマチックな展開の後 に、Maestosoで作曲家が思いの丈をぶつけるかの如く曲はクライマックスを迎える。
④ベートーヴェン「大フーガ 」
上記した(曲について)にある様にこの長大な曲は、弦楽四重奏曲第13番の終楽章として存在したものが、(この部分が不評だったということで)13番から切り離されてOp.133として単独で演奏されるようになりました。
曲は短い《序奏部》と長大な《フーガ》から成っており、フーガは当然バッハの技法から学んだと思われる、様々なフーガの技法(単純フーガ、反行フーガ、対称形フーガ、pizzicato huga、単純カノンetc.)が駆使されていますが、それでは説明つかない、謂わばベートーヴェン発のフーガの技法も多く入っているのではなかろうかと推測されました。何か耳当たりが余り良くないフーガ、テンポがズレたり変わったりするフーガ、そうしたフーガも含まれており、短い序奏部の後、様々なフーガが延々と続き、四人のアンサンブル奏者は難しそうな箇所もピッタリ息の合った演奏をしていました。もうこれでフィナーレかなと思うと別なフーガが頭を擡げ、しばらく続くと今度は繰り返しのフーガが再度奏されたりと、仲々終わらないのでその響きが心地良いものであれば、エンドレスでも飽きないのですが、不協和音的響きや狂気とも思える響きや不気味な響き、不穏な響き等も多くて、若干辟易しました。それでも曲全体は(かなりの部分演奏に依るものでしょうが)力強く、人知を超えた何者かを予感させる様な、エネルギッシュな熱量溢れる演奏でした。結論的にはこの曲に尋常の良さとは違う何か大きい物に触れる様な感覚印象を受けました。 第13番が初演された1826年頃の常識を超えたフーガの響きを有していた先進性のため、当時の時代の人には仲々受け入れられない「大フーガ」だったのかも知れません。