HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

サントリーホール『アトリウム・カルテット演奏会』ベートーヴェン・サイクルⅥ(最終回)

f:id:hukkats:20220616182243j:image

6月5日(日)から始まった、アトリウム弦楽四重奏団の『ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲』演奏会も、今日が6回目で最後となりました。

 

【日時】2022.6.16.(木)19:00~

【会場】サントリーホール小ホール

【出演】アトリウム弦楽四重奏団

【曲目】

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲
①第5番 イ長調 作品18-5


②第11番 ヘ短調 作品95「セリオーソ」


③第15番 イ短調 作品132

 

【出演】アトリウム弦楽四重奏団
〇ニキータ・ボリソグレブスキー(1Vn)
〇アントン・イリューニン(2Vn)
〇ドミトリー・ピツルコ(V)
〇アンナ・ゴレロヴァ(Vc)

 

【演奏の模様】

①第5番

この曲は、1800年頃ベートーヴェンが30歳のころの作品でモーツァルト等の影響を受けていると謂われます。1787年にはボンからウィーンに旅した16歳のベートーヴェンはモーツァルトに合っています。又その演奏も聴いているので、若い多感な時にモーツァルトから受けた影響は大きいものと考えられます。実際モーツァルトやハイドンの曲を詳しく学び、研究し吸収した様です。(その他の先人たちの教えも請うて受けていたらしい)。ベートーヴェンは既に8番のピアノソナタ「悲愴」は作曲した後であり、難聴などの苦難を乗り越えようとしている「傑作の森」の少し前の時期の作品です。

第1楽章 Allegro 

第2楽章 Menuetto

第3楽章 Andante cantabile

第4楽章allegro

第1楽章

跳ねるような旋律が典型的な古典的調べで繰り返され、主として1Vn.のニキ-タ・ボリソグレブスキーが先導的にアンサンブルを引っ張りスタートしました。初日聴いた時よりもアンサンブルのメンバーも落ち着きじっくりと取り組んでいる様子。耳障りの無い大変良い演奏でした。

第2楽章

テーマが1Vn.⇒2Vn.⇒Va.⇒1Vn.⇒全楽器と次々とカノン的に奏されました。緩やかなメヌエット。優しい感じに謳われる何回か繰り返して変奏に移りました。1Vn.がやや荒らしい音を立てるのもスパイスが効いています。ニキータ・ボリソグレブスキーの演奏は力づくだけでなく、テクニックも様々な器用さがある様です。

第3楽章

美しい旋律がニキータにより先導されるとそのテーマ変奏が2Vn.⇒Va.⇒Vc.⇒1Vn.の順で繰り返されました。低音弦の活躍もあり、変奏が各弦のソロだけでなく力強い全楽奏によっても繰り替えされましたが、それ程奏者の皆さん負担は感じない様で楽々演奏している感じ。

第4楽章

 この楽章では冒頭Va.のかなり速いリズムの調べでスタート、全楽器相当激しく叩き合っているアンサンブルを呈していました。速い中に滔々とした調べを挟み、何回か繰り返して曲を終えました。

 

②第11番

 セリオソートとは、「厳粛に」とか「真剣に」といった意味です。ベートーヴェンの中期の弦楽四重奏の最後の曲との分類がなされています。

第1楽章Allegro con brio

第2楽章Allegretto ma non troppo

第3楽章Allegro assai vaivace ma serioso

第4楽章 Larghetto-Allegretto agitato

第1楽章の冒頭から激しい演奏で、リズム、変奏が目まぐるしく変わるかなり不安定に感じられる楽章でした。1Vn.が主旋律を担うケースが多かった。前回聴いた時もそうだったのですが、1Vn.のニキータ・ボリソグレブスキーは腕利きのヴァイオリニストそのもので、力一杯のほぼ完璧な演奏で他を引っ張っていた。彼はモスクワ音楽院卒、4年に一度の第13回チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門で2位を獲得その後も各地のコンクールで優勝をしたロシアヴァイオリン界の俊英です。(それにしても第13回のくだんのコンクールでは、このロシアの俊英を日本人の神尾さんが抑えて優勝したのですから痛快です)

第2楽章はVc.の下降導入音で始まりAllegretto ma non troppo にしては結構ゆっくりとしたアンサンブルです。1Vn.の旋律間に挟まれる修飾音が効果的に聴こえ、またVa.のソロもヴァイオラでこんなに綺麗な音を立てるかと思う程でした。同じテーマをVa.+2Vn.で繰り返し、Vc.も入って行きます(1Vn.は手を休め休止)。それも処々不協和音を含むフーガ的響きもさせながら。時々繰り返されるVcの下降する音もバッハの影響でしょうか?ここは他の三者が伴奏音で合わせているのだからVc.のゴレロヴァにはもう少し目立ったソロ音で演奏して欲しかった。前回の演奏時にもVc.がやや弱いかなと思ったのですが、その時はVc.から一番遠い左真横の席だったので、席のせいかな?とも思ったのです。そこで今回はチェロの真ん前の席を確保して鑑賞しましたが、矢張り前回の危惧した通りでした。次章へは少し音程を合わせてからアッタカで入りました。

3楽章では一転して速い強奏に転じました。この楽章が「セリオーソ」の名の所以で確かに安易に妥協しないベートーヴェンの峻厳たる決断の様なものを感じました。四人は同じテンポで同じ息の合ったアンサンブルで厳しく弾き切りました。

第4楽章はゆっくりした演奏で始まり、1楽章と真逆かと思いきやすぐに速い結構力の入った演奏に変わり、相変わらず1Vn.が主導的旋律を綺麗に弾いていました。最後は各パート猛スピードで駆け抜け終了しました。終了がやや拍子抜けの感もするベートーヴェンでした。

今回のアトリウムの11番は、最終回ともあって演奏前から皆さんの演奏の気概が感じられ、相当、力も心も込めて演奏された曲だと思います。発想標語に「セリオーソ(serioso)」と指示されています。

 

尚、11番に関しては様々なカルテットの演奏の録音を比較検討して記録している方がいたので、参考まで以下に引用させて頂きました。

 http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-74c9.html 

 

 

③第15番

 この15番を最後の演奏曲としたアトリウム団の意図は、明らかです。ベートーヴェンの1~16までの曲の内で、これこそが究極の弦楽四重奏曲だと彼らが考えたからでしょう。5楽章構成です。そうなったのには、大きな理由があって、ベートーヴェンは当初4楽章で書いていたのですが、曲完成前に病気になり、その後病が癒えた後で第3楽章を新たに書き加えたため、5楽章になったのです。この3楽章は一番有名になりました。自分の考えでも、ベートーヴェンの様々な曲をこれまで聴いてきて、その中でこの15番のカルテット曲は、最高の出来ではないかと思う様になりました。そう考える様になった経緯は文末に(再掲1)と(再掲2)(再掲3)したhukkats Rocに記録してありますので、参考まで添付して置きました。

第1楽章 Assai sostenuto – Allegro

第2楽章 Allegro ma non tanto

第3楽章 "Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit, in der lydischen Tonart" Molto Adagio - Andante

第4楽章 Alla Marcia, assai vivace (attacca)

第5楽章 Allegro appassionato - Presto

 

第1楽章

 かすかなVc.の唸るような声でスタート、各弦もそれに合わせる低音のアンサンブルを響かせました。満を持していた四人は、急に堰から水が溢れるが如く力一杯の演奏で特に1Vnなぞ体を後ろに覗けらせ、前に戻る反動を付けて弦を強くこすり、各人必死の形相で弾き始めました。旋律の流れに濃淡有り陰影有りうねる流れは、あたかも病気に罹患していたベートーヴェンの精神的な懊悩の叫びの吐露の様にも思われました。

 

第2楽章

 同じ旋律を何回も何回も繰り返すベートーヴェンは、きっと思考回路の迷路に足を踏み込んだのでしょう。死の予感⇒やり残したことへの想い⇒もっと生きたい⇒死の予感⇒あの曲もこれも手付かずや未完⇒病気を治したい。

 突如1Vn.のニキータは力一杯高音の細い音を鳴り響かせました。迷路回路が開き空からは燦燦とした光が差し込み、天を仰ぐベートーヴェン、ただただ救いを求めて祈るばかりの心境で旋律を書いていたのでしょう。次の主題を代わりがわり弾く四人にも少し安堵の表情も?しかしVc.のアンナは弓の根元で低音弦をはじく様な少し強いボーイングで不安の存在を表現、又それを打ち消す様な1Vn.中心の高音、繰り返される冒頭旋律の変奏的アンサンブル、これは将に夢です。夢にうなされ堂々巡りしているベートヴェン、体中に汗をびっしょりかいたことでしょう。

 

第3楽章

 ここではヘ調のリディア旋法が出てきます。楽譜には、「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と題された、最も長い楽章です。

四人の奏者は、一斉に低音のゆっくりした旋律を斉奏し出しました。これまでの物に憑かれたような力に任せた演奏ではなく、表情も安らかになりゆったりと弾いています。その後もテンポは変わらず、Vc.のアンナもしっかりと低音弦の魅力を響かせていました。又そのアンサンブル全体の響きが凄い。ドッシリ感のあるしみじみとした心が安らぐ旋律、これがリディアを用いたベ―トーヴェンの目論見だったのでしょう。

時々流れに竿さす船頭の様に、ニキタが高音を立てて他を導き、ガラッと雰囲気を変える速くて強い高音旋律を立てたニキタ先導の力の籠った演奏は、病を回復して安堵の境地から一歩進んで「❝ Neue Kraft fühlend(New force filled)」新たな力が漲り生き生きした見事な旋律を奏でるのでした。

良かった、良かった、本人にとっても後世の人類にとっても。この様な宝の様な遺産が残こされたのですから。でも最後に繰り返される前半と同じ低音のリディア・アンサンブルは安堵が広がる心の中に一抹の不安が残っていたことを表すのではなかろうか?リディアの響きは前半では落ち着いた印象を受けましたが、最後の箇所では不安要因を含むような不思議な響きを有していました。前半より弱音だったせいもあるかも知れません。Nein!,Nein!そんなことは有りませんと再度New forceを高らかに示し、そして又リディアの変奏と、ここでもベートーヴェンは心が揺れ動いていることを隠せない、長―い、楽章でした。この楽章を弾き終わったアトリウムのメンバーの様子は明らかにかなり疲れた気配が感じ取られました。

 

第4楽章

 それでもニキータは、疲れを吹き飛ばす様なリズミカルな旋律を元気一杯に広げ始めました。新たな歩みを始め、新境地を目指すベートーヴェン。少し進んで立ち止まり目を瞑るとこれまでの人生が走馬灯の様に瞼に浮かんだことでしょう。それに合わせた曲想の転換は、ニキータの渾身のどこかで聞いたような(?)旋律から始まりました。皆力を込めた力奏を演じている。がそう長くは続かず、すぐに最終楽章に入り込みました。

 

第5楽章

 ここまで来るとこの楽章は内在する性格上からも、やや単調な嫌いはありましたが、皆さん最後の最後の演奏をあらん限りの演奏力を振り絞って弾いている感じでした。

 改めてこの曲を生で聞いてみると、それぞれの楽章の意味合い、各処の旋律の素晴らしさ、四人のアンサンブルのバランス、聞かせ場、見せ場の落としどころ、高邁な精神性、曲の全体構成等多くの点で優れてベ―トーヴェンの才能を発揮している素晴らしい曲だと再認識しました。若し第3楽章が無くて、1,2,4,5楽章の構成の曲であったら、曲全体のスケールが一回りも二回りも小さくなったことでしょう。その意味でも三楽章はこの曲を傑作たらしめた、ベートーヴェン渾身の傑作だと言えます。アトリウム四重奏団野演奏は、細かい点を抜きにして、全体的にこの曲の壮大さを浮かび上がらせることに成功していた立派な演奏だったと思います。

 尚、演奏後、第一ヴァイオリンのニキータ・ボリソグレブスキーがマイクを持ち、感謝の言葉(これのみ日本語)とアンコール曲の演奏を、余り流暢とは言えない英語で話しました。

 

〈アンコール曲〉

ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 作品95「セリオーソ」より第3楽章』

とても幸福な気持になるいい曲ですね。

 

 このCMGも6月19日(日)で以て最終回、幕を閉じます。聴きに行きますが、最終日は何かと気忙しいですので、今回、CMGに通っていて気になっていたことを試してみようと思ったのでした。それは館内放送で❝ドリンクコーナーで、CMGを模したカクテルをサントリーが開発したのでどうぞ❞という趣旨の事です。アトリウムの演奏開始前に試しました。何故なら、前回行った時は休憩中にとも思ったのですが、大勢の人が行列を成していたので諦め、演奏終了後に行ったらコーナーはもう閉まっていました。よって演奏開始前しかスムーズに試すことは出来ないと踏んだわけです。案の定ドリンクコーナーは空いていました、と言っても当日は、大ホールの演奏会(確かフジコ・ヘミングさんのリサイタル)もあった様で、そこそこの数、客が飲食していました。カクテルは二種類あり、何れもやや青みを帯びた緑色のミモザカクテルとマティーニでした。

二種類のカクテル

 ミモザはどんな味か知りません。マティーニは飲んでいて良く知っています。両方という訳にはいかないので、マティーニを頼みました。ドライマティーニと違ってグラス縁にソルトも着いてなくてオリーブの実もなく、軽い感じ、爽やか、非常に飲みやすくすっきりとした感じでした。アルコール分はそれ程高くない。ベルモット酒とジンの割合及び緑の着色法は企業秘密なのでしょう?きっと。

マティーニ

 

/////////////////

(再掲1  2021-06-07付hukkats Roc)///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

『エルサレム弦楽四重奏団』演奏会

f:id:hukkats:20210607142519j:plain

2021年6月6日に開始した《サントリーホ-ㇽ/Chamber Music Garden》音楽祭の一環として、世界的に人気が高い「エルサレム弦楽四重奏団」の演奏会を聴きました。

このカルテットに関しての紹介文は当日配布された冊子に記載がありました。

【プロフィール】
1993年に結成、96年にデビューしたイスラエル出身の弦楽四重奏団。2021年で活動25周年を迎える。世界中のコンサートホールで公演を行い、アメリカでは、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、フィラデルフィア、ワシントン、クリーヴランドなど、ヨーロッパでは、ロンドン、チューリヒ、ミュンヘン、パリで定期公演を開催。また、ザルツブルク、ヴェルビエをはじめ、多くの音楽祭においても特別公演を行う。イッサーリス、レオンスカヤ、メルニコフ、シフ、バレンボイム、内田光子といった名だたるアーティストと数多く共演。

【日時】2021.6.6.19:00~

【会場】サントリーホール小ホール「ブルーローズ」

【出演】エルサレム弦楽四重奏団
ヴァイオリン:アレクサンダー・パヴロフスキー
ヴァイオリン:セルゲイ・ブレスラー
ヴィオラ:オリ・カム
チェロ:キリル・ズロトニコフ

【略歴】

ヴァイオリン:アレクサンダー・パヴロフスキー
エルサレム弦楽四重奏団創設メンバー。室内楽奏者、ソリスト、指導者としての名声を確立している。プレスラー、A. オッテンザマー、V. ハーゲン、今井信子など多岐にわたる著名なアーティストと共演。またソリストとして、エルサレム響、キエフ室内管などの公演に出演。欧州、米国、オーストラリアで定期的にマスタークラスを開講、メルボルン国際室内楽コンクールでは審査員も務めた。2008年よりザイスト音楽祭(オランダ)の芸術監督に就任。

ヴァイオリン:セルゲイ・ブレスラー
1978年ウクライナ生まれ。12歳で最初のリサイタルを開催。91年イスラエルに移住し、エルサレム音楽舞踏アカデミーで学ぶ。スターン、T. ツィンマーマンらのマスタークラスを受講。クレアモント・コンクールで部門別第2位を受賞するほか、いくつかの入賞歴がある。ソリストとしてエルサレム響などと共演。英国王立音楽院、シドニー音楽院、クリーヴランド音楽院、ザイスト音楽祭、エルサレム音楽センターなどで室内楽の指導にあたる。

ヴィオラ:オリ・カム
1975年カリフォルニア生まれ、イスラエル育ち。16歳でメータ指揮イスラエル・フィルとの共演でデビュー。マンハッタン音楽院、ベルリン芸術大学で学ぶ。ワシントン・ナショナル響をはじめとする各地のオーケストラとソリストとして共演するほか、米国、欧州、イスラエルの各地で精力的にリサイタルも開催。2004年から06年までベルリン・フィルに所属。イスラエル室内楽協会の設立や、ジュネーヴ大学で教授を務めるなど、多岐にわたる活動を行う。

チェロ:キリル・ズロトニコフ
エルサレム弦楽四重奏団創設メンバー。ベラルーシ国立音楽院、エルサレム音楽舞踏アカデミーで学ぶ。シュレースヴィヒホルシュタイン、シュヴェツィンゲンなどの音楽祭にゲストとして定期的に参加。バレンボイム、ブーレーズ らの指揮でソリストを務めるほか、内田光子、ラン・ランらとも共演。2003年から12年まで、ウェスト゠イースタン・ディヴァン管首席チェロ奏者。また、シュターツカペレ・ベルリンの首席チェロ奏者としても活動している。

 

演奏曲目は、オールベートーヴェンです。

【曲目】ベートーヴェン『弦楽四重奏曲』
①第1番ヘ長調 作品18-1

②第7番ヘ長調 作品59-1「ラズモフスキー第1番」

③第12番変ホ長調 作品127

 

曲目解説も冊子から引用しておきます。

①弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 作品18-1  作品18の6曲の弦楽四重奏曲は、30歳のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770 ~ 1827)が満を持して世に問うた作品群である。弦楽四重奏は当時、ヨーゼフ・ハイドン (1732~1809)やヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91)の偉大な遺産へ の挑戦を迫るジャンルだったからだ。パトロンのロプコヴィッツ侯爵から委嘱を受け、 ベートーヴェンは1798年の秋から中断を挟んで1800年にかけて作曲した。大量に残さ れたスケッチは、彼の試行錯誤の証だ。とくに第1番は「私はいまや弦楽四重奏曲をど う作曲すればよいのかがわかった」(友人カール・アメンダへの手紙)ため、大幅に改訂 された。  着手されたのは第3番に続き2番目だが、6曲中もっともインパクトが強いがゆえ、 ベートーヴェンはこの曲を1曲目に置いたのだろう。冒頭にユニゾンで提示されるター ン音型が重要なモティーフとして展開される第1楽章や、シェイクスピアの『ロメオと ジュリエット』の墓場のシーンとの関連が指摘される第2楽章はとくに印象的である。

 

② 弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調 作品59-1「ラズモフスキー第1番」  弦楽四重奏曲の歴史における画期的な一歩と言えるのが、1806年に作曲された3曲 からなる作品59の弦楽四重奏曲である。これらは先例を見ないほどの規模と壮大さを 誇る。この野心的な作品が献呈されたのはロシア人貴族のラズモフスキー伯爵。その 関係であろう、フィナーレの主題は1790年にサンクトペテルブルクで出版されたロシ ア民謡集から採られている。4つの声部はほぼ対等に扱われるようになり──たとえば 第1楽章の冒頭のように、主題をチェロが提示し徐々に音域が広がるという声部書法は 実に斬新、ときに独立して、ときに組み合わされて旋律を奏で、明快な和声を響 かせながらひとつの世界を創り上げている。

③弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 作品127  最後の3つのピアノ・ソナタ、『ミサ・ソレムニス』、そして「第九」を仕上げた後、ベー トーヴェンは集中的に弦楽四重奏曲に取り組んだ。このジャンルを15年ぶりに作曲す るきっかけは、ガリツィン侯爵からの委嘱であった(作品127、130、132の3曲を彼に献 呈)。「後期作品」における崇高で孤高な世界は、これらの作品群にも共通した特徴である。ベートーヴェンはヴァイオリニストで晩年を親しく過ごしたカール・ホルツ(1798~ 1858)に、「君はここに新しい種類の声部書法を見るだろう」と語ったことが伝えられて おり、この作品127も冒頭から、独創的な各楽器の動きが聴こえてくる。     プログラム・ノート 越懸澤麻衣 (こしかけざわ まい・音楽学)

 

【演奏の模様】

①第1番

 小ホールですが、開演ぎりぎりに駆けつけた人も座わり席は殆ど満席状態、四人のメンバーが登壇しあいさつして着席、一呼吸おくなり引き出した、ジャーンジャラジャッチャチャ、ジャーンジャラジャッチャチャという音のインパクトの強さには驚きました。例えれば、ソファーで鼻提灯をふくらませて、居眠りをしていたら、突然地震がおそい目が覚めたようなもの。四人ともみな力がみなぎり、息がピッタリ合い、緩急、強弱、一分の隙もありません。まるで、「弦楽四重奏人」という一人の演奏者がいて、一人で音を出しているみたいです。第1のヴァイオリン(1Vn)が叫び声を上げて声がスーッと消えると、第2のヴァイオリン(2Vn)がそれに続き、今度は、一斉にビオラ(Va)とチェロ(Vc)が鳴り出し、瞬間的にオケの弦楽アンサンブルに紛う程の咆哮となり、またスート消え入る。四人の呼吸が一つとなっている。すごい四重奏団だと一瞬で気がつきました。 第一楽章ではVcは大きく腕を振り思いっきり良い運弓をしていたし、1Vnは強弱の変わり目や曲の変わり目には大きく体を揺すり、弓の糸が数本切れてしまう程力を込めて弾いていました。同じ調べをVn⇒Va⇒Vcとメドレーと言うかカノン的に移動して行く場合も多いのですが、全体としてのまとまりは非常に良い。勿論斉奏の場合もそうですが。二楽章のゆっくりとした主題はベートーヴェンとしてはかなり変わった旋律に聞こえました。

②第7番「ラズモフスキー1番」

全体約40分もかかる大曲でした。低音弦のトレモロ上を高音弦が綺麗な旋律をSolo奏し、ソロの主役は、Vc⇒1Vn ⇔  2Vn再び1Vn⇒Vcと次々に入れ代わり立ち代わり交代しながら進行しました。

それにしても1Vnパヴロフスキーの音色は何て素敵なのでしょう。演奏技術・感も抜群といった印象。

 第二楽章のピッツィカートと調べのやり取りは面白い、これが基本的に低音弦と高音弦のやり取りに引き継がれ、調べとしては、ロシアの民族音楽的色彩があり、同様に四楽章でも軽快で面白いリズムの民族音楽的調べが出て来ました。

 各パートとも間の取り方、息の付き処、空白の長さ等絶妙なバランス感覚を持って演奏していたのはさすがだと思いました。

 三楽章の1Vn等ゆったりした憂鬱な旋律は、様々な変化の下で続き、Vcのピッツィカート伴奏で1Vが弾いた旋律はこの上なく哀愁を帯びたものでした。それにしても三楽章は長すぎる感じ、同じパターンで4楽器がくねくねくねくねといつまでも演奏を続けていました。

 アッタカ的に四楽章に移動した冒頭の速いテンポの1Vnの旋律は綺麗だし、一種勇壮感もあるメロディで、何回も繰り返されましたが、この楽章も今にも曲が終了かな?と思うと、また息を吹き返して演奏が続き、またまた何回かベートーヴェンらしい「終了惜しみ」を繰返して最後はやっと終わったのはやはり40分間を過ぎていました(腕時計で測った)

 

《20分の休憩》

 

③第12番

 実はこの曲を数日前から一番注目していました。ただ時間が取れなくて事前に録音を聴けなかったこともあり、一時も早く聴いてみたい感があった。何故なら最近ピアノリサイタルを聴く機会が多くてショパンを聞いたり、ベートーヴェンの「最後の三大ピアノソナタ」とも謂われる30番、31番、32番を、バレンボイムが弾く演奏会に行って二回も聴くことがあって、自分としての結論は、 

❝この曲(=ソナタ32番)程、この作曲家(=ベートヴェン)の生涯の卒業論文とも言える作品は他に無いのではないでしょう。第九も荘厳ミサ曲もその他いろいろあるとしても、音楽としてのその構成力、迫力、精神力、見事な美的表現、ダントツだと思います。ソナタの中では少ない二楽章構成ですが、曲としては長大な大曲です。❞ と勝手に結論付けてしまったのでした。その時は「弦楽四重奏曲第12番」の存在は知らなかったのです。まして最後の一連の弦楽四重奏曲は上記「荘厳ミサ曲」「交響曲第九番」「32番ピアノソナタ」と同じ頃のしかも死の直前の作品だと知っていたら、この様な性急な結論は出さなかったでしょう。それで気になって仕方が無かった。若し12番を聴いてみて、上記ミサ曲や交響曲、ピアノソナタを超えるものであったら、考えを訂正せねばならない、と。詳細は時間の関係で後日補遺しますが、自分なりの結論としては、やはりピアノソナタ32番の方が総合力で優勢勝ちでした。勿論、12番の四重奏も前半聴いた1番やラズモフスキー1番と比べると多くの点で異なっており、素晴らしい曲の一言に尽きますけれど。

 

//////////////////////////(再掲2  6.8.付 hukkats Roc 記)///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

《補遺稿》『6/6エルサレム弦楽四重奏団』演奏会

 6/7にペンディングとした6月6日の演奏会最後の曲目、③の「弦楽四重奏曲12番」を聴いた【演奏の模様】と、ピアノソナタ111番との比較を以下の通り補足します。

 ベートーヴェンの作品は、1816年(45歳)ごろから数が減り始め、1821年(50歳)には完成された作品はほとんどありませんでした。長年の悩みや疲れに加え、難聴や内臓疾患がこの時期ますます 深刻になり、精神 にも肉体的にも、どん底ともいえる状態でした。 通常の人間なら、作曲の意欲も同時に衰えてしまうはずです。しかし、ベートーヴェンは、病床でも音楽への情熱を絶えず燃やし続けたといわれます。晩年の創作力が人間技でないくらい凄い。1822年(51歳)以降に生まれた作品は、まさに奇跡です。しかも傑作ばかり。1822年にはピアノ・ソナタ〈第31番〉と〈第32番〉 が、1823年には〈ディアベリ変奏 曲〉や〈ミサ・ソレムニス〉が、1824年 には〈第九〉交響曲が、1825年から 1826年にかけては後期弦楽四重奏曲が生み出されています。とりわけこの時期の弦楽四重奏曲は、最晩年のベー トーヴェンの遺書とも言える作品群です。    吉田秀和さんは、“ベートーヴェンが他の作曲家 とくらべて何が決定的に違っていたかというと、それは晩年の創作力だ” と喝破していました。こうした中、作曲されたベートーヴェン『弦楽四重奏曲』第12番変ホ長調作品127の構成は全四楽章構成です。

一楽章(Maestoso Allegro)の調べが鳴り始め、主として1Vnの主旋律を聴いていて、あ~これは休憩前に聴いた、①の1番や②ラズモフスキーとは、曲想がかなり違うなと思いました。それはそうです、前者が作曲されてから19年~25年も経っているのですから。しかも12番が作曲された1825年は、ベートーヴェンの死の前々年のかなり苦しい状態にあった時ですから、逆に同じ様なものだったらおかしいのです。 似た様なメロディが繰り返し繰り返し続けられ、作曲者は何か納得できないもの、満たされないものを訴えている様な感じがします。①②の様な短時間での変化には乏しいのですが、主旋律と変奏が繰り返され①②より重厚感が増している。第二楽章は緩やかな旋律を主として1Vnのパヴロフスキーが弾き、他の弦は伴奏的な演奏で①、②の時より分厚いハーモニーを響かせていました。ほとんどVnソナタと聴き間違う程、くねくねくねと長く続いたのには若干飽食感がありましたが。                      三楽章はリズミカルな付点のメロディで進行、これまた何回も繰り返し最終的には若干のメロディの変化があったものの、全体的には変化には乏しい楽章でした。三も四楽章も含めて深い精神性は左程感じませんでした。でも四人の奏者は最後まで力一杯、力の限り弓を引き、弦を振動させ中々の力演を見せて呉れました。その演奏からは作曲者の音楽に対する執念が感じ取られました。                      

 この12番は1825年完成と謂われますから、ピアノソナタ32番の完成(1822年)の3年後です。病に斃れて亡くなったのが翌々年の1827年です。従って最後の三大ピアノソナタ作曲時の精神構造より、むしろ死への病が進行していた死直前の精神構造の方が曲想に大きく反映されている可能性があると考えられます。Op.111を他の2つの最後のピアノソナタと比較して、次の五つの観点(①ソナタ形式②変奏形式③楽章区分のあいまいさ④歌謡性を有した抒情的旋律⑤対位法への傾倒)からベートーヴェンの曲想造りを考察する研究があり、それによればOp111は、ロマン的な色彩が増した他の二つのピアノ曲より古典的特性が強いものに回帰しているとしています。12番の弦楽四重奏が作られた頃は、耳がほとんど聞こえず、病は一時かなり深刻な状態に陥って、少し改善すると病をおして作曲に取り掛かる状態だったのです。研究者の中には、❝ベートーヴェンの最晩年の音楽的志向は1 変奏曲とフーガへの傾倒 2. 自由化 の展開 3.幻想の飛翔と緊密な構成 4.カルテット志向 5.革新の歩みだ ❞ と言う人もいます。上記カルテット12番を聴くと確かにそれに…近く、この数年前のピアノソナタの曲想とは異なっています。従って12番全体を聴いた限りこの四重奏曲は、よりロマン的な色彩が強くて自由であるが故に、その精神性はOp.111程深いものはではないですし、構造的にOp.111の様な巨大神殿構造様の堂々とした見事なものとは言い難いのです。実際に12番を聴いてみて、演奏そのものは大変素晴らしかったのですが、ピアノソナタ32番の様な大きな世界は感ずることが出来ませんでした。従って先に書いた結論に達した次第です。ベートーヴェンはやはり自分が一番得意なピアノででしか人生の総括が出来なかったのかも知れません。

 尚、ロシアのニコラス・ガリツィン公爵から弦楽四重奏曲の依頼を受けこの曲を作曲したため、第15番、第13番とあわせたこの3曲は「ガリツィン・セット」と呼ばれます。ベートーヴェンの最後の創作の弦楽四重奏曲は、あと13番、14番、15番がありますから、それらを聴いてみたら或いは上記の結論がひっくり返るかも知れません。上記の様に断定的に結論するのは、まだ早いかな?

 

//////////////////////////(再掲3  7.27.付 hukkats Roc 記)////////////////////////////////////////////////////////

2021-07-27

『アルバン・ベルク四重奏団のベートーヴェン15番、16番』名盤を聴く

f:id:hukkats:20210727222455j:plain 

かって(30年程前)ウィーンを本拠地として活躍して、世界的に名声を博したアルバン・ベルク四重奏団のベートーヴェン弦楽四重奏曲第15番と16番が録音されているCDが手に入りました。

アルバン・ベルク四重奏団

 以前、ベートーヴェンの最後のピアノソナタ達以降の曲、第九、荘厳ミサ曲、更に死に直面していた最最終期の弦楽四重奏曲群を聴いて比較し、ベートーヴェン音楽の最高峰はどれかという途方もないというか無謀な試みをしょうとしていました(参考、2021.6.8.hukkats記録「<補遺構>『6/6エルサレム四重奏団』演奏会」)。しかしながら、これら総ての曲を短期間に生で、しかも優れた演奏で聴くことは、百%不可能ですし、生演奏自体がコロナ禍のため、このところ行われにくくなっていることもあり、近々に聴いた四重奏演奏会の記憶と、名盤の評判が高い録音ソフトを聴いて比較考察するという余り精度の高くない方法を採るしか手段はありませんでした。さて、手に入れたCDは、1985年度レコードアカデミー賞に輝いた録音の東芝EMI版です。これを演奏している「アルバン・ベルク四重奏団」の演奏は、本件を調べるまでは、一度も聴いたことがなかった。この奏団に関しての紹介記事をネットから転載しておきます。

1970年、ウィーン国立音楽大学の教授でありウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターも数年間務めていたギュンター・ピヒラーが同僚と結成した。名称についてはアルバン・ベルク未亡人ヘレネから許諾を得ている。1971年にウィーンのコンツェルトハウスでデビュー。設立当初、アメリカのシンシナティに1年間留学し、当時新ウィーン楽派を得意としていたラサール弦楽四重奏団に師事するなど、ウィーンの伝統に安住せず、現代音楽に積極的に取り組む姿勢を貫いているが、法外な難曲には手は出さない。

精緻なアンサンブルは評価が高く、1980年代には世界を代表するカルテットと認識され、現代の弦楽四重奏団体の規範とさえ評されることもあった。2008年7月をもって解散した。

 録音を聴いてみると、評判に違わぬ素晴らしい演奏で、アンサンブルの一体感は元より、一体に溶けあった音の融合の中に個々の自己主張が、鏤められきらめいている。その響きの起伏ある発散性は、一個人の再生装置の限界を越えて聴く者の耳に届いて来ます。  

 ベートーヴェンの16番の弦楽四重奏曲は、この6月初めに、サントリーホールでのエルサレム四重奏団の演奏を聴くことが出来なかったものの、その後ネットで聴ける録音を幾つか鑑賞しました。今回のベルク四重奏団の16番の録音は、はるかにそれらを凌駕した音楽を奏でていました(音源が良いからそう聞こえたのでしょうか?)。一方15番に関しては、6月最後の週に、我が国のトップレベルの演奏者を揃えた『ひばり四重奏団』の演奏を聴いています。漆原啓子さんが率いる『ひばり四重奏団』は、力強くバランスの取れた演奏で、素晴らしいものがありました。その時の記録を、文末に参考まで再掲しておきます。ベルク四重奏団の15番は録音であっても、ひばりの生演奏にひけをとらない位素晴らしいものでした。当時の生演奏が若し聴けたとしたら、それは、きっと聴いたこともない極上の音楽だったに違いない。

 第3楽章の「聖なる感謝の歌」なぞは、病状が一旦回復した感謝の気持ちというよりは、これまで様々な困難はあったが、ここまで作曲活動を続けてこれた感謝の気持ちを満足感を持って歌いあげたと言えるでしょう。

 15番と16番を聴いて自分の中で比較してみると、16番は3楽章がとても好みに合った曲で好きですが、全体構成のバランスや曲の深遠さ、重さというか荘厳な曲体を合わせて考えた総合点は、15番に軍配が上がりました。(参考まで吉田秀和さんは好きな曲をリストアップしている中で、ベ―トーヴェンの「弦楽四重奏曲第14番」を挙げていますが私は第15番ですね。)又最後のピアノソナタ32番と比べても、優るとも劣らぬ構成や曲の気品を備え、若い時からの様々な曲達から耳に滲み込んだ  ❝ベートーヴェンらしさ❞ の強弱を考えると、弦楽15番がピアノ32番をうっちゃって勝ちかな?等と勝手な想像を廻らす、夏の夜でした。

(再掲)/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////2021.6.18.『ひばり四重奏団演奏会』
 この弦楽四重奏団は、漆原啓子が中心となって、2018年に結成した常設の弦楽四重奏団です。メンバーには漆原朝子、大島亮、そして辻本玲と第一線で活躍する室内楽奏者をそろえ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏を活動の主軸とした5年に及ぶ長期プロジェクトを開始するなど、意欲的に活動の場を広げています。今回はベートーヴェンの初期と後期から。そしてベートーヴェン以降、最高の業績と讃えられるバルトークを選曲。それぞれ個々のバックグラウンドを持つ4人の個性光る四重奏が期待できます。 

【日時】2021.6.23.19:00~

【会場】東京・白寿ホール 

 このホールは渋谷の富ヶ谷にあります。前首相の住まいも同じ街です。何年か前にこのホールでの「リクライニングシート・コンサート」という名前につられて、聴きに来たことがあります。あれは何のコンサートだったかな?確かジャズピアノだったかな?と言ってもクラシックポイ演奏だった様な気がします。しかし肝心の「リクライニングシート」が少しちゃっちいものだったので幻滅を感じて、それ以来ご無沙汰でした。

 今回はかねての懸案、即ちベートーヴェンの死に近づく最晩年の弦楽四重奏曲群(12番、13番、14番、15番、そして最後の16番)が、その直前に作曲された、荘厳ミサ曲や第九やOp.110~Op.112の三つのピアノソナタ達の、凄いレベルを超えたものかどうか直かに演奏を聴いて確かめたい、という物好きとも言える興味から、今回の演奏曲目に第15番のカルテットが入っていたことが、聴きに行く動機の一つでした。もう一つの動機は、今年3月に、桐朋音大教授、漆原啓子さんが演ずるハイドン『バイオリン協奏曲第1番』が非常に素晴らしく、妹さんの藝大教授朝子さんの演奏はこれまで何回か聴いていて、これまた素晴らしいの一言に尽きたので、その内姉妹で同時に演奏する機会があれば、是非聴きに行きたいと思っていた処、コロナで延期(?中止かな)となっていた四重奏団演奏会が今回実現されそうなので、急いでチケットを取った訳です。 

【出演】漆原啓子、漆原朝子(以上ヴァイオリン)

    大島亮(ヴィオラ)

    辻本玲(チェロ)

【プロフィール】  

 漆原啓子(うるしはら・けいこ/ヴァイオリン)

 東京藝術大学付属高校在学中に、第8回ヴィニャフスキ国際コンクール日本人初の優勝と6つの副賞を受  賞。ハレー・ストリング・クァルテットとして民音コンクール室内楽部門で優勝並びに斎藤秀雄賞を受賞。ソリスト、室内楽奏者として常に第一線で活躍を続ける。これまで、国内外での演奏旅行のほか、ハンガリー国立響、スロヴァキア・フィル、ウィーン放送響等の海外のオーケストラや、日本国内の主要オーケストラとの共演や全国各地でリサイタル、室内楽に数多く出演。これまでにCDも多数リリースしており、文化庁芸術祭優秀賞やレコード芸術特選盤に多数選ばれる。現在、国立音楽大学客員教授、桐朋学園大学特任教授として後進の指導にも力を注いでいる。

 

漆原朝子(うるしはら・あさこ/ヴァイオリン)

東京藝大附属高校在学中に日本国際音楽コンクールにおいて最年少優勝。ジュリアード音楽院卒業。1988年N響定期公演デビュー、ニューヨークで のリサイタル・デビューも絶賛を博す。マールボロ音楽祭でルドルフ・ゼルキン等と共演したほか、ザルツブルク音楽祭などにも出演。内外のオーケストラとの共演も数多い。ベリー・スナイダー(Pf)とは 20年以上にわたってデュオを組んでおり、シューマンとブラームスのヴァイオリンソナタ全曲ライヴCDを相次いでリリースして極めて高い評価を得たほか、テーマ性をもったリサイタルツアーを度々行っている。2017年にリリースしたエルガー:ヴァイオリン協奏曲ライヴCDも絶賛を博す。現在東京藝術大学教授、大阪音楽大学特任教授。

 

大島亮(おおしま・りょう/ヴィオラ)

神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席奏者。桐朋学園大学卒業、同大学研究科修了。第11回コンセール・マロニエ21第1位、第7回東京音楽コンクール第1位、第42回マルクノイキルヘン国際コンクールディプロマ賞受賞。東京都交響楽団、九州交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団と共演。2012年には東京文化会館にて初のリサイタル以降、定期的にリサイタルを開催。ヴィオラスペース、東京・春・音楽祭、ラヴェンナ音楽祭、宮崎音楽祭、木曽音楽祭、水戸室内管弦楽団、サイトウキネンオーケストラ、またNHK-FM「リサイタル・ノヴァ」等に出演。室内楽では今井信子、チョン・ミョンファ、堀米ゆず子、仲道郁代の各氏等と共演するなど、積極的に活動している。

 

辻本玲 (つじもと・れい/チェロ)

NHK交響楽団首席奏者。東京藝術大学首席卒業。その後シベリウス・アカデミー、ベルン芸術大学に留学。第72回日本音楽コンクール第2位、青山音楽賞新人賞、第2回ガスパール・カサド国際チェロ・コンクール第3位入賞(日本人最高位)、第12回齋藤秀雄メモリアル基金賞受賞。これまでに、東京交響楽団、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハ-モニ-管弦楽団、日本センチュリー交響楽団、ロシア国立交響楽団、ベルリン交響楽団等と共演。使用楽器はNPO法人イエロー・エンジェルよりアントニオ・ストラディヴァリウス(1724年製)を、弓は匿名のコレクターよりTourteを特別に貸与されている。

【曲目】

①ベートーヴェン『弦楽四重奏曲 第5番 イ長調 op.18-5』
②バルトーク『弦楽四重奏曲 第3番 Sz.85 BB93』
③ベートーヴェン『弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op.132』 

【演奏の模様】

①ベートーヴェン第5番 

①-1Allegro

1Vnの漆原(啓子)さんの音が、力強いボウイングでこの楽章の綺麗なメロディを牽引して、他の楽器もそれに合わせて最初からマッチしたアンサンブルを奏でています。それにしても、最初からいい調べですね、ベートーヴェンさん!

 ①-2 Menuet

Vnの先導からVaとVcへと繋がり、清濁合わせ飲むのでなくて、正に清清併せ飲むベートーヴェン初期の透明色(?)豊かなアンサンブルが、ここでも魅力的な色彩を放つ。親しみ易い調べの流れは、深みに足を囚われず、清らかな浅瀬のヒンヤリした感覚が心地良い。相変わらず1Vnは、迫力満点に活躍、アンサンブルを崩さない程度に他を圧して優勢に弾いています。

①-3 Andante cantabile

ここの楽章では、Vcの辻本さんの活躍がかなり目立ちました。最初主題をひとしきり1Vn中心にアンサンブルしたあと、主題をVcソロ→Vaソロ→1Vn→2Vnへと遁走曲的にリレーし、その後もVcは、ずっしりした音で、ゆったりした主題の変奏を力を込めて弾いていました。楽章最後は、全員全力で強奏していました。

①-4 Allegro

Vaスタート→1Vnに引き渡し、またVaのピッツィカートに合わせるアンサンブルやかなり速い小刻みのかん高い1Vnの演奏など複雑な相当込み入った感じのする楽章でしたが、1Vnが優勢なことには変わりありませんでした。

②バルトーク第3番

 バルトークはベートーヴェン以降の弦楽四重奏曲では秀でた曲を作ったとの評価が為されている様ですが、聴いてみてその響きはタイプではないですね。苦手と言うかまた聴いてみたいという感情は湧いて来ませんでした。その良さがまだ分からない、余り聴いていない、からかも知れません。演奏を見ていると弾く人たちにとっては、とてもアンサンブルの息の一致や、メロディの(時には不協和音的な)響きの妙等、面白くて仕方が無いくらい、また合わせるのが難しい箇所の達成感なども大きいのではなかろうかと推察されました。 


《休憩》

 

 ③ベートーヴェン15番

 この15番の四重奏曲は、1825年に重い病にたおれたベートーベンは作曲を中断し、其れからやっと回復して作曲を再開して完成させたもので、その三楽章の冒頭に自ら「病の癒えた者の神への歌」と記しました。全五楽章編成です。

③-1 Assai sostenuto -Allegro

冒頭から重苦しい低音弦の調べがゆっくり響き、次いで1Vnが速い如何にもベートーヴェンらしいメロディで答え、これ等最初のほうを聞いただけで ❛これは凄い曲だな。❜ と思いました。 1Vnの漆原(啓)さんが、力強い澄んだ音色で音を立てている、漆原(朝)さんはそれに寄り添い目立たないがアンサンブルはその他のパートと良く調和していた。

③-2 Allegro ma non tanto

 1Vnと2Vnとがデュオ的に優雅な主題のメロディのやり取りをし、姉妹の息がぴったり合った、あたかも二つのヴァイオリンのための変奏曲の感有り。うっとりと演奏に聴き入りいました。低音弦もVaの大島さんは黙々と二つのVnに寄り添い、Vcの辻本さんは時々1Vnの方を見て目で合図し、時には力強くエネルギッシュに合わせていました。弦を弓で軽快に叩く様にリズミカルに演奏していた箇所が面白い。

 呆然とと言うか(曲を作ったベートーヴェンも曲を現出させている演奏家も)凄いの一言でした。

 ③-3   Molt Adagio - Andante

 Vaのゆっくりした導入にすぐ2Vnが続き、ゆったりとしたアンサンブルは、ベートーヴェンが人生の歩みを振り返り、しみじみと感慨にふけているかの様な雰囲気を持っていました。ここが、ベートーヴェンの書き込みある「病の癒えた者の神への歌」の箇所でリディア旋法という符法を使用しているのです。続いて喜々とした喜びに満ちた歩みのステップを踏んでいるかの如きメロディ、これは将にベートーヴェンの再び作曲に戻ることの出来た正直な気持ちを表しているのでしょうね。1Vnの漆原(啓)さんの演奏が見事、その他のパートも持てる渾身の力を注いでアンサンブルをしっとりと作り上げている。これには、うっとりと演奏に聴き入りました。事前に効いていた録音より、メンバーの皆さんお若いせいかゆっくりの中にもやや速いテンポで進みました。でもこの楽章だけでも約15分もかかる長い章でした(やや冗長な感もなきにしもあらず)。

  ③-4   Alla Malcia ,assai vivace(attacca)と 

  ③-5   Allegro appasionato  -Presto は、もともと一つの楽章ではなかったかと思われる程の一体性が感じられます。アタッカで繋がっていますし、しかもここでのメロディが如何にも以前のベートーヴェンの旋律を彷彿とさせるものがあり、自分でも病がかなり良くなり『復活した』と言う気持ちが現れているのではなかろうかと思われました。

兎に角、15番を聴いて、これぞ後期四重奏の凄さなのかと思える「ひばり奏団」の演奏でした。15番なら最後のピアノソナタ111番に優るとも劣らない曲だと思いました。15番は、ベートーヴェンが残る渾身の力を振り絞って作曲したことが曲の端々から感じ取られました。でもまだ、14番も16番も直かには聴いていません。第16番(約26分)を「SUNTORY CHANNEL」などの動画で見た限りでは、三楽章など人生の黄昏のわびしさ悲しさを感じますが、他の四重奏曲を凌駕しているという程ではないと思う。やはり元気さと言うか生気が強くは感じられない。でも生演奏を聴くと印象がガラッと変わることも有りますから、まだ何とも言えません(それにしても第二楽章の終盤で1Vnが同じメロディを何回も何回も弾き続ける場面は何なのでしょう?尋常でないですね。死に至る病が為せる生への執着でしょうか?)。   

 14番と16番は「エルサレム四重奏団」が先々週サントリーホールで弾いたのですが、残念ながら聴けませんでした。

「ひばり四重奏団」の演奏サイクルでは、16番を弾くのはこれからなのでしょうか?それとも既に終わってしまったのでしょうか? また「ひばり」による「ひばり」も聴いてみたい。

尚、アンコールとして、ベートーヴェン『弦楽四重奏曲Op.18-2の三楽章』即ち第2番の四重奏曲が演奏されました。この曲は初期のものの中では、聴きごたえのある、聴いて気持ちが良い曲だと思います。素晴らしい演奏でした。

#########################################################################