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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

トヨタ・マスター・プレイヤーズ, ウィーン演奏会at 東京藝術劇場

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トヨタ・マスター・プレイヤーズ, ウィーン

〈プログラムB〉
〜ロマン派の息吹、世紀末の響きにいだかれて〜
 
【日時】2026. 4. 9.(木) 19:00 〜

【会場】池袋・東京藝術劇場コンサートホール
【出演】
トヨタ・マスター・プレイヤーズ, ウィーン(コンマス&シェフ:フォルクハルト・シュトイデ他28人の士)

 

《トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウィーン(芸術監督: フォルクハルト・シュトイデ)》とは?

ウィーン国立歌劇場の協力を得て本公演のために特別に編成された、世界最高レベルの室内オーケストラ。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場のメンバーを中心に、ヨーロッパで活躍するトップアーティストも加わった約30名で編成されている。

〈シェフ挨拶〉 

ようこそお越しくださいました!

歳月は飛ぶように早く過ぎていきます。そして年を重ねるごとに、前年に体験した出来事の一つひとつがより貴重に感じられるようになります。私どもトヨタ・ マスター・プレイヤーズ、ウィーンの奏者にとっても同じことが言えます。

今年もまた皆様の前で演奏ができることを大変嬉しく思い、心から感謝しています。音楽を通してハーモニーと幸福を皆様と一緒に分かち合えるからです。

ここでこうして言葉でお伝えするよりも、すべてを音楽で表現できたらどれほど素晴らしいことでしょう。コンサートでは言葉を介さず、演奏の雰囲気と感覚でその瞬間の詩歌を表現することができます。

私たちにとってコンサートは、演奏者一人ひとりのダイナミックな個性が生かされる、かけがえのない時間です。昨夜と同じ演奏はありませんし、すべてを予測することもできません。音楽は長年かけて耕された豊かな土壌から生まれるものです。

指揮者なしの演奏には音楽的な自由がありますが、同時に演奏者個人が規律を守り、自分で責任を持つことが重要です。そこから生まれる特別な音楽の瞬間こそが、私たちに幸福をもたらしてくれます。

皆様、是非ご一緒にこの素晴らしい音楽の世界を心ゆくまでお楽しみください。

 


【曲目】
①R.ワーグナー『ジークフリート牧歌』

(曲について)※曲解説は、配布されたプログラムノートに奥田佳道氏が分かり易く詳しく書いているので、以下引用して置きます。

 

    難解な芸術論や哲学から離れ、美しい自然と家族愛を満喫する作曲家がここにいる。 ホルン、オーボエほか管楽器の魅せ場、見せ場も尽きない。

    波乱万丈な人生を地でいった19世紀ドイツ・オペラの巨人リヒャルト・ワーグナー (1813~1883) にも、心穏やかな日々があったことを教えてくれる味わい深いオーケストラ曲を聴く。

    指揮者ハンス・フォン・ビューロー (1830~1894)の妻コジマと烈しい恋愛関係に陥ったワーグナーは、1860年代の終わりには、3人の子供、長女イゾルデ、次女エーファ、長男ジークフリートのパパになっていた。コジマはフランツ・リスト (1811~1886)の娘。なおコジマの夫だったハンス・フォン・ビューローは、ミュンヘンでワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」と 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を初演した指揮者、さらにボストンでチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を初演した歴史的なピアニストである。ワーグナーとコジマは1870年に正式に結婚、その少し前から都会の喧騒を避けるべく、 スイス、ルツェルン郊外の湖畔の村トリーブシェンに家を建て、3人の幼子とともに新生活をスタートさせていた。

    控え目な楽器編成で素晴らしい効果を挙げる「ジークフリート牧歌」は1870年、妻コジマ 33歳の誕生日とクリスマスを祝う音楽として、そして長男ジークフリートの誕生を喜ぶ音楽として創られ、コジマに内緒で初演の準備が進められる。

1870年12月25日の朝、湖畔に建つワーグナー邸の2階寝室へ向かう螺旋階段に、 チューリッヒのオペラハウス管弦楽団から選ばれた腕自慢の演奏家15名ほどが静かに集まり、演奏が始まったようである。

※コジマへの、このサプライズ・プレゼントを進めるにあたり、ワーグナーは信頼していた若きアシスタントで指揮者のハンス・リヒター (1843~1916)にメンバーの選定やリハーサルの方法を任せた。ハンス・リヒターと言えば、1876年に開催された第1回バイロイト音楽祭で、4作から成るワーグナーの長篇「ニーベルングの指環」を初演した指揮者であり、その後伝統と格式を誇るウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演でブラームスの交響曲第2番(1877年) 交響曲第3番(1883年)を初演した偉人でもある。

当初「トリーブシェン牧歌”と呼ばれていた曲は、楽劇「ジークフリート」 (1876年初演)を彩る。 平和のモティーフ(動機)を軸に、眠り、世界の宝、愛の決意、森の小鳥のモティーフによって常成されている。ドイツ民謡の子守歌の調べも穏やかに舞う。音楽は切れ目なく続く。

 


②A.シェーンベルク『浄められた夜 Op.4』 (弦楽オーケストラ版)

(曲について)

滋味あふれる弦の調べがホールを満たす。タイトルはドイツの詩人リヒャルト・デーメル (1863~ の同名詩から採られた。月明かりの林の道を歩む男女の語らい、衝撃の告白、浄化がテーマで 19世紀から20世紀の世紀転換期に創作を本格化させたオーストリアの作曲家アルノルト・シェールク (1874~1951)と言えば、新ウィーン楽派のリーダーとして名高い。長調・短調の考え方に調性音楽ではなく、セリー(音列)を駆使した12音技法を体系化した文字通り新音楽の担いた。ワーグナーが「トリスタンとイゾルデ」で採り入れた半音階的な筆致や無限旋律、ドビュッ好んだ無調の音楽などを背景に、12音技法という20世紀音楽のひとつの潮流を創った鬼才てけれども、彼の出発点はドイツ語圏のロマンティックな音楽だった。この作曲家、実はバッハ、プラーそれにウィンナ・ワルツが大好きで編曲も行なっている。

弦楽のための「浄められた夜」は1899年、シェーンベルクが25歳の年に最初のヴァージョンがた。作曲者若き日の「肖像」ともいうべき佳品で、もちろん12音技法以前の音楽である。そのヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2の弦楽六重奏で、1902年3月にウィーン楽友協会の小ホールーのブラームスザールで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、アルノル率いるロゼ弦楽四重奏団らにより初演された。同フィルのチェリストで作曲家のフランツ・シュ参加している。

シェーンベルクより11歳年上のドイツの詩人リヒャルト・デーメルの「浄められた夜」(詩集「女とに収められている)の二節以下を拙訳で記す。

私は身ごもっています。けれどもあなたの子どもではありません。

私は罪の意識に苦しみながら、あなたと歩いているのです。

ひどい過ちを犯してしまいました。

幸せになれるとは少しも思いませんでした。

それなのに子どもを産むこと、母となる喜びと義務への想いを断つことは出来ませんでした。

きみの身ごもっている子どもを

きみの心の負担とは思わないで欲しい。

ほら見てごらん。あたりは、あんなに明るく輝いている。

きみの温もりを感じ、きみも僕の温もりを感じる。

この温もりがお腹の子どもを浄めるだろう。

きみはその子どもを僕の子どもとして生んでほしい。

彼らの吐息は温かくとけあい、キスを交わす。

二人は澄み切った夜空を歩いてゆく。

曲は、月夜、女の告白、月夜、男の告白、月夜という5つの「場面」から成り、切れ目なく演奏さ深遠なニ短調で始まるが、男の告白でニ長調となる。その効果は絶大だ。

1916年頃に、作曲者によりコントラバスが追加された弦楽合奏版が創られ、プラハでツェムリン

の指揮により披露、1917年に出版された。シェーンベルクは晩年の1942/43年に再改訂し、 弦楽オーケストラ版の定番となった。

 

 

③フェリックス・メンデルスゾーン

序曲「フィンガルの洞窟」 Op.26 

(曲について)

冒頭から穏やかな波の描写が聴こえてくるかのよう。

1829年初夏、20歳のドイツ人ピアニスト! フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ (1809-1847) は初のロンドン公演を成功裏に終えた後、友人と英スコットランド地方を旅し、同地方北西沖に点在するヘブリディーズ諸島へと足を伸ばす。ちなみにメンデルスゾーンがロンドンで弾いたのはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。同協奏曲のロンドン初演だった。

ヘブリディーズ諸島は古代フィンガル族の戦いを口承したオシアン伝説ゆかりの秘境で、文学好き、歴史好きにとっては憧れの地だった。とくにスタッファ島の奇勝「フィンガルの洞窟」が聖地扱いされていた。

ここで大自然の神秘を目の当たりにし、芸術的な霊感を得たメンデルスゾーンは、20小節ほどの音楽スケッチと鉛筆画を書く。優れた作曲家だった姉ファニーへの手紙からも、彼がどれだけ 「フィンガルの洞窟」に魅了されたかが伝わってくる。曲は旅先のウィーン、ローマで書き上げられ、ひとまず完成する。

五線譜に#記号ふたつの口短調を基調とするこの序曲は、1832年にロンドンで作曲者自身の指揮により初演される。しかしメンデルスゾーンの音楽ではよくあることなのだが、改訂が繰り返され、タイトルも何回か変わった。ドイツ語の原題は Die Hebriden、英名The Hebrides、 ずばり「ヘブリディーズ諸島」である。

 

④メンデルスゾーン『交響曲 第4番 イ長調 〈イタリア〉 Op.90 』

 

(曲について)

南国イタリアの陽光や舞曲の喜びはもちろんのこと、作曲者の繊細な心情をも映し出す交響曲を聴く。逸品だ。

19世紀ドイツ・ロマン派の時代を駆け抜けた天才フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディは、 1830年末から翌年春、21歳から22歳になる年にイタリア旅行を行ない、かの地のすべてに魅了された。ドイツ北部の港町ハンブルクに生まれ、ベルリンなどを拠点としてきた彼にとって、イタリアの冬は明るく、すべてが生き生きと、まぶしく映ったのである。

この愛すべき交響曲は古都ローマ滞在中に着想され、骨格が出来上がったようである。しかし創作はほどなく中断してしまう。

1832年の晩秋、かねてから親しい関係にあったロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲や序曲を委嘱され、中断していた交響曲の創作をベルリンで再開する。曲は翌1833年春に完成し、同年5月に作曲者自身の指揮により、ロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会の定期公演で初演された。ロイヤル・フィルハーモニック協会はベートーヴェン、ベルリオーズ、ワーグナー、 サン=サーンス、ドヴォルザークとも関わった歴史的な音楽機関である。

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◎交響曲 第4番長詢「イタリア」Op.90

南国イタリアの陽光や舞曲の喜びはもちろんのこと、作曲者の繊細な心情をも映し出す交響曲を聴く。逸品だ。

19世紀ドイツ・ロマン派の時代を駆け抜けた天才フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディは、 1830年末から翌年春、21歳から22歳になる年にイタリア旅行を行ない、かの地のすべてに魅了された。ドイツ北部の港町ハンブルクに生まれ、ベルリンなどを拠点としてきた彼にとって、イタリアの冬は明るく、すべてが生き生きと、まぶしく映ったのである。

この愛すべき交響曲は古都ローマ滞在中に着想され、骨格が出来上がったようである。しかし創作はほどなく中断してしまう。

1832年の晩秋、かねてから親しい関係にあったロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲や序曲を委嘱され、中断していた交響曲の創作をベルリンで再開する。曲は翌1833年春に完成し、同年5月に作曲者自身の指揮により、ロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会の定期公演で初演された。ロイヤル・フィルハーモニック協会はベートーヴェン、ベルリオーズ、ワーグナー、 サン=サーンス、ドヴォルザークとも関わった歴史的な音楽機関である。

 

 

◎『交響曲 第4番長〈イタリア〉Op.90』

南国イタリアの陽光や舞曲の喜びはもちろんのこと、作曲者の繊細な心情をも映し出す交響曲を聴く。逸品だ。

19世紀ドイツ・ロマン派の時代を駆け抜けた天才フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディは、 1830年末から翌年春、21歳から22歳になる年にイタリア旅行を行ない、かの地のすべてに魅了された。ドイツ北部の港町ハンブルクに生まれ、ベルリンなどを拠点としてきた彼にとって、イタリアの冬は明るく、すべてが生き生きと、まぶしく映ったのである。

この愛すべき交響曲は古都ローマ滞在中に着想され、骨格が出来上がったようである。しかし創作はほどなく中断してしまう。

1832年の晩秋、かねてから親しい関係にあったロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲や序曲を委嘱され、中断していた交響曲の創作をベルリンで再開する。曲は翌1833年春に完成し、同年5月に作曲者自身の指揮により、ロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会の定期公演で初演された。

初演は好評を博したようだが、メンデルスゾーンは納得がいかなかったのか、楽譜出版を意識し何度も改訂を施す。悩める天才ゆえの推敲(すいこう)と言うべきだろうか。

しかし改訂作業は終わらず。結局「イタリア」は、1833年5月のロンドン初演稿を基にメンデルスゾーンが亡くなってから4年後の1851年に出版され、それで交響曲「第4番作品90」となった。

近年は、メンデルスゾーンが1834年6月から翌年にかけてドイツのデュッセルドルフで第2楽章以下を改訂した、いわゆる1834年稿に基づく楽譜も刊行され、そのヴァージョンでの演奏や録音を聴くことも出来る。しかしその改訂稿が作曲家の本意で音楽的な質も高いかと言えば、そうは言い切れない。メンデルスゾーンの姉で優れた作曲家、ピアニストだったファニー・メンデルスゾーン

(1805~1847)も、1834年夏の手紙で弟の改訂に納得していない旨を記した。

つまり「イタリア」に関しては、長年親しまれている普及版(書き直す前のヴァージョン)に分があるのだ。

興奮を誘う南イタリアのサルタレッロ舞曲とタランテラのリズムに彩られた第4楽章に驚く。 メンデルスゾーンは熱き舞曲にフーガの要素を添えた上、何と短調で音楽を疾走させているのだ。

交響曲第4番「イタリア」についてのコメントではないが、メンデルスゾーンの盟友でもあったドイツ・ ロマン派の化身ロベルト・シューマン (1810~1856)の言葉をご紹介しておこう。

「 メンデルスゾーンは私たちの時代(19世紀)のモーツァルトである。彼は、私たちの時代の矛盾

をくっきりと見通し、しかしそれらを和解させた初めての人物である」

 


【演奏の模様】


①R.ワーグナー『ジークフリート牧歌』

◯楽器編成:フルート、オーボエ、ファゴット、トランペットがそれぞれ一人、クラリネットとホルンが二。 ずつ、それに弦楽五部5型。(5-4-3-2-2)。

時、将にクリスマス、2 ⽉ 25 ⽇の早朝、台所でチューニングを終えた⼩オーケストラが、寝室のそばの階段に陣取り、静かに楽劇《ジークフリート》の「愛の平和」を奏で始めた。コジマの誕生日祝いでもあるのです。時間にし て 20 分ほどの楽曲には、楽劇から数々の動機が引⽤されていて、楽劇《ワルキュー レ》の「眠り」の動機、⺠謡「幼⼦よ眠れ」が奏でられ、楽劇《ジークフリート》 の「世の宝」が続く。「愛の決⼼」や「⼩⿃のさえずり」といった動機が挟まれつ つ、最初ヴィオラを弾いていたハンス・リヒターが楽器を持ち替えて吹いたという トランペットが登場し、曲はクライマックスを迎える。やがて⾳楽は穏やかな表情 を取り戻し、幸せを噛みしめるように終わる。20分程の曲。

 太陽の光が差し込み始める朝ぼらけ、寝室の外では弦楽の麗しい旋律が弱奏で鳴り始め、次いでクラリネットが明快だがテンポは速くない旋律奏が響きます。Hrn.の合いの手に静かに掛け合い、木管の輪奏⇒Hrn.は将に小鳥たちの鳴き声か?弦楽が次第に盛り上がると、又Hrnの鳴り⇒そして木管の鳥の鳴き声か?弦楽は次第に力を増し全力奏からジグザグに音階は下行して、再三の木管による鳥の鳴き声とHrn.の掛け合い、そしてコジマの初めての男の子(ジークフリートと命名)の誕生をも祝うジークフリートからの曲の挿入は、コジマを喜ばせること如何程だったか、想像に余り有ります。演奏が終わって、室内に入り❝Alles Gute zum Geburtstag!❞ ❝Frohe Weihnachten!❞と祝辞を聞いたコジマたちはこの上なく嬉しかったことでしょう。

 このエピソードを見ても「一事が万事」ですね。即ちワーグナーは人の心を掴む名人だったと言えるでしょう。リストの娘で他人の妻コジマの気持ちを鷲掴みにし再婚、またルートヴィッヒ二世が「ローエングリン」の魅力に取りつかれ、ノイシュバンシュタイン城を築城、そしてバイロイト祝祭劇場設立まで王に資金援助してもらったのです。第二次世界大戦でヒットラーも一目置いたのはさも有りなんです。現代の我々でさえ、ワーグナーを聴けば、その並々ならぬ才能にはびっくりです。

 (弾き振りではないですが、何らかの指揮者役をも演じていた)シュトイデ主導の小編成の室内合奏団は、この上無いと思われる程の麗しい調べを繰り出していました。思っていたより長く感じられた20分でした。


②A.シェーンベルク『浄められた夜 Op.4』(弦楽合奏版)

この曲の前に管奏者は退出し、弦楽のみの演奏です。プログラムノートに依ればシェーンべルグのこの曲は、彼が25歳という若い時の作品で、12音技法以前のものだという。デーメルというウィーンの菓子店と同じ名前の詩人の詩に作曲されたそうですが、その詩を読んで又びっくりです。①のワーグナーに出て来るコジマ並みの男女関係ではないですか。不倫の子、それを隠さなず生みたいと言う女性と、それを広い心で受け入れる男性、二人は夫婦なのでしょうか。女性の不浄の結果は、男性の温い心と月明かりの中の逍遥により浄化されるという発想なのですね。

◯楽器編成:弦楽五部5型(5-4-3-3-2)

〇楽曲構成:「月夜」「女の告白」「月夜」「男の告白」「月夜」の五場面から成る。

 全体的に美しい調べを多く含む新古典的音楽で、特にコンマスの1Vn.の高音奏の活躍が目立ちましたが、Va.のシックな調べも魅力的でした。途中不協的調ベの箇所は女性の不倫の告白かな?いやもっと後の前半の終盤での激しいトレモロ奏かな?低音弦の響きも入る穏やかな調べはきっと男性の寛容な心の広さを示すのでしょう。寛容さの中に動揺が見え隠れする。管と打が抜けて弦楽はしかも少人数であたかも弦楽十七重奏を聞くような物ですから、演奏前には、この池袋の大ホール一杯に果たしてアンサンブルが十分届くのだろうか?と心配になりましたが、杞憂でした。流石手練れの百戦錬磨の奏者ばかり、シュトイデのあいさつ文にも有る様に指揮者無しですから得意奏者が規律を守り責任を持つことが重要、といった考えが行き渡っていた様です。全体的にはコンマスが大活躍でした。

    《20分の休憩》

 


③F.メンデルスゾーン『序曲フィンガルの洞窟Op.26』


④F.メンデルスゾーン『交響曲 第4番 イ長調〈イタリア〉Op.90』

原題は「Die Hebriden(ヘブリディーズ諸島)」「フィンガル」はヘブリデイーズ諸島にある島、通称で「フィンガルの洞窟」と呼ぶ。

◯楽器編成:Fl(2)、Ob(2)、Cl.(2)、Fg.(2)、Hrn.(2)、Trmp.(2)、Timp.、二管編成弦楽五部5型(5-4-3-3-2)


    冒頭の主題は、メンデルスゾーンが洞窟を訪れた後に書き付けた主題らしく、主にVa、Fg.、Vc.によって呈示されます。この情緒的な主題は、洞窟の力強さと心打つ美景を想起させつつ、侘しさや孤独感も表出しついる。

    この曲の殆ど八割方、同主題関係の旋律で出来ていると言っても過言でないでしょう。余程洞窟の美しさに魅入れられ、その時思い付いた旋律が忘れられない過去の記憶に紐づけされているので、何回も何回も飽きる程出て来るのでしょう。

    後半の中頃オケが沈静化し、Cl.が哀惜を込めて吹く調べがしみじみと印象深いものでした。

 

④F.メンデルスゾーン『交響曲 第4番 イ長調〈イタリア〉Op.90』

 ◯楽器編成:Fl.(2)、Ob.(2)、Fg.(2)、Cl.(2)、Hrn.(2)、Trmp.(2)、Timp.弦楽五部5型

〇全四楽章構成

第1楽章Allegro vivace

第2楽章Andante con moto

第3楽章Con moto moderato

第4楽章Saltarello. Presto

 

 第1楽章冒頭からのテーマは、楽章を通して何回も出て来て、七割方はコノテーマ及びその辺沿いで出来ていると言っても過言でないという気がしました。人懐こい調べです。口笛でも吹けるかも?

 

 第2楽章は冒頭からゆっくりと愁いを帯びた調べが単調で流れ出し、第1楽章の長調のテーマは明るい南国イタリアを表現するに十分と思っていたものが、おや、この暗いとまでは言えないけれど、憂いはどこが南国??ヴェネツィア?ローマ?フィレンツェ?ましてナポリ?ではないし、メンデルスゾーンが目耳に直感的に感じた体験でなく、耳から聴いた過去のエピソードや歴史に思いを寄せていたのかな?等と思ってしまいました。

    第3楽章、これは如何にもメンデルスゾーンらしい流暢な美しい調べから出来ています。イタリア寺院の見事なステンドグラスをイメージ?いやそれだったらドイツにも英国にも有るし、むしろトスカーナ他の広大な大地での大らかな狩りをイメージしたのでは?その後にHrn.が何回か鳴らされますし。

 最終楽章は速度記号・サルタレロとある様に伊国の舞曲その物のリズムと楽しそうな南国の調べでした。メンデルスゾーンは民謡も随分研究していたのでしょうね。

 

    全体的に、躍動的なリズム、叙情と熱狂、長調と短調の交錯による明暗を対照的にコントラすをつけているのでしょう。メンデルスゾーンの交響曲の中でももっとも親しまれている。長調で始まり、関係調で終わる多楽章の30分は要する大曲でした。

 

    シュトイデ牽引の室内楽奏団は流石一人一人の力量を重ねて、1.5倍もの中規模オケとまがう程の結果を出していました。あっぱれです。

 

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尚、アンコール演奏がありました。 

 

《アンコール曲》J.シュトラウスⅡ世『トリッチ・トラッチ ポルカ』

 

これぞウィーンの雰囲気十分の演奏でした。

 

演奏が終わって館内放送があり、「配布したプログラムの最後のページに赤いチェック✔️があれば、今回特別に用意した景品、非売品のCDが当たりです。ご確認し、当選の方は、帰り際に景品受け付けでCDを受け取って下さい」と言っていました。バッグからプログラムを取り出して見たら、何と当たっているではないですか。

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受け付けで早速CDをゲット、上さんに電話して「こんな事何年ぶりかな?運がいい」と言ったら「風邪はどうなの。かなりひどい鼻声だけど」と水をさされました。そうなのです風邪をひいたのです。その日は無理して池袋に行ったのでした。二三日前の4月8日に「花祭り」に行った帰り道、急に胃腸が痛くなって、何か悪い物でも食べたかな?と考えたのですが、心当たりはなく、いつもと違うのは、甘茶を小さい紙コップ1杯飲んだことだけなのでした。不審に思っていたのでしたが、その日家に帰ってから鼻水が流れる様に出始め、咳も出てきました。お腹は、トイレに行っても下痢もせず、痛みは無くなっていました。悪い患部が、体をグルグルまわる感じ、そうしているうちに体温を測ったら37℃位あって微熱を発熱した様です。トヨタマスタープレイヤーズの演奏会当日は、熱も咳も鼻水も少し良くなった様な気がしたので、咳止めと総合感冒薬を飲んで池袋まで行ったのでした。上さんには、大丈夫と言って出たのですが、でも本当は、少しフラフラ感がありました。演奏会がなければ、病院に行ったでしょう。そういう訳で、目出度さも中なりけり、抽選当選でした。