HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

L.F.J.第3日目『終期三つのピアノソナタ』を聴く

ベートーヴェン《闘いの人生の末に辿り着いた静かな境地》「ピアノ音楽の新約聖書の執着点にして、未来への扉をひらく革新的な後期三大ソナタを」 

 今回のL.F.J.では諸般の事情から、三日間それぞれ一公演を選んで聴くことにしました。第三日目は何にしようかと思ってプログラムを見たら、ベートーヴェンの最後のソナタ三曲を演奏するというのが有りました。これは聞き逃せない。アンヌさんというフランスの年配のピアニストです。でも午前中の10時からの演奏会なのです。自分は横浜なので、10時に有楽町に着くには、若い時には当たり前の様に行けましたが、今はかなりきつくなっている。最近は遅起きで、朝6時のラジヲ体操も出来ないことが度々です。要するに前日の夜から零時過ぎまで書き物をしていることが多くて、家人には夜型の生活は健康に良くないと謂われても、自分でも早寝早起きしたいと思っていても

f:id:hukkats:20230505210458j:image仲々それが崩れて出来なくなっている昨今なのです。案の定当日(5/6)は朝早く起きられなくて、起きた時は逆算すると間に合うには時間ギリギリで、下手したら間に合わなくなってしまうと、慌てて朝食も取らずに歩いて10分足らずの駅までの道を、急ぎ上さんに車で送って貰う始末。後は乗り継ぎ道も駆け足をして、何とか10時の開演に間に合わせたという次第でした。

【日時】2023.5.6.(土)10:00~

【会場】東京国際フォーラムホールC

【演奏】アンヌ・ケフェレック (ピアノ)

〈Profile〉

 1948年1月17日(75歳)、フランスパリ生まれのピアニスト、パリ音楽院卒。

5歳でピアノの演奏を始め、1964年にパリ音楽院に入学。1965年にピアノで、1966年には室内楽でそれぞれプルミエ・プリ(1等賞)をとる。その後、パウル・バドゥラ=スコダ、イェルク・デームス、アルフレート・ブレンデルに師事し、1968年にはミュンヘン国際音楽コンクールで優勝した。それ以後も、国際舞台の中心で演奏をつづけ、経歴を重ねる。

ソロのコンサート・ピアニストとして有名であるばかりではなく、室内楽の分野でもよく知られている

 

【曲目】
①ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op.109
②ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110
③ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111

 

 

【演奏の模様】

 今日の演奏会も昨日と同じホールCです。開演直前までには、昨日と同じくほとんどの席が埋まっていました。人気の高さが伺え知れます。時間となり登壇したケフェレックさんは、マイクを手に語り始めました。(脇には通訳)要点は次の様です。

・朝早い10時からの演奏会は自分にとっても初めて。

・ウオーミングアップしないで山登りをする様なもの。 La Folie Journéeの「Folie(hukkats 注1)」ですから(いいでしょう理解して)進めます。

・ベートーヴェンは闘う人だった。三つの曲について紹介する。

・ベートーヴェンのピアノソナタ32曲は24歳の時に書き初め30年間掛けて書いた彼の日記のようなもの。

・32番目の曲が最後となることを彼は予知していた。

・最後の三曲を「三姉妹」と呼んでいる。別々な私的性格を有している。変様性(?)という意味では共通している。

・30番Op.109は、22分程の曲で、親しみ易いやさしさを湛えた曲でシューベルトを想起させる。

・31番Op.110はそれと全く異なりベートーヴェンの肖像画のよう。1821年12月5日に完成し、他のソナタと違って献呈者がいない。これは2か月前に病床にあって今は回復したベートーヴェン自身へ献呈したものとも考えられる.

・31番Op.110は、30番とは全く異なっている。

・個人的指示を(楽譜に)書いている。

・第一楽章、人格の善良さ、音楽から届ける物、第二楽章Scherzoはベートーヴェンらしさを感じる曲、次の第三楽章へはアタッカで進む。苦悩して沈む心、詳しい指示が書かれている。

・ベートーヴェンは闘う人、あきらめない。

・続く(三声の)フーガは厳格な形、かっきりにとの記載がある。

・4度上行するフーガの頂点で最終的に苦しんだ後、そのフーガに逆行するフーガが出て来て、楽譜冒頭には「苦しみから少しづつ戻る様に」との指示が書かれている。

・最後は喜び、歓喜への賛歌で終了する。

・愛は美しいものと・・・

 以上の説明をしてから、30番と31番の演奏に取り掛かったケフェレックでした。32番に関しては後ほど説明するとのこと。

 

Folie(hukkats 注1)

Folieは「狂った、熱狂の」の意味。 La Folie Journéeは「熱狂の一日、一日中(音楽)キチ」の意。『椿姫』第一幕5場で、アルフレッドが、愛を告白して去った後、ヴィオレッタは一人思い悩み歌うアリアで ❝Follie! follie delirio vano è questo!❞と歌う箇所の「Follie」も同意。ここでは伊語なのでスペルは仏語の「Folie」と異なっていて「l」が二つになっているが同様に「狂気の沙汰、馬鹿げた考え」となる。

 

 

①30番ソナタ

第1楽章 Vivace

第2楽章 Prestissimo

第3楽章 Andante molto cantabile ed espressivo 

三楽章構成。1楽章には二つの楽想が統合されています。冒頭の主題は速くて軽やかな旋律、これをケフェレックは抑制したテンポで下行させ、キラキラと音の煌めきを際立てていました。下行上行を繰り返し、コロコロと転がる玉の様な音、特に最高音に近い処がとても綺麗です。最後のパッセッジではピアニッシモを美しく表現していた。

2楽章では力強いタッチで強奏する調べが迸り出ます。強奏といっても、矢張り女性的演奏を感じます。遠くの鐘の音の様にカーンカーンカンカンカンと聞こえる調べに続く再度の強奏テーマは鍵盤を殴打する程のものでは無く女性的、しかもフランスの女性的演奏と見ました。短い楽章。

3楽章、この曲ではこの冒頭のゆっくりした歌うテーマ旋律が好きです。これはケフェレックでなくとも誰が弾いてもピアニストなら十分に歌って聴かせて呉れる箇所でしょう。ベートーヴェンはそのテーマの後変奏に進むのです。第一変奏から第六変奏まで次第に速い小刻みな変奏に変わり遂にはトリルに至り、最後に冒頭のテーマに戻るのです。この曲の演奏でケフェレックの高音部演奏は、表情豊かでメリハリ(即ち強弱長短の変化の絶妙な匙加減)が有り、恰もお洒落な雰囲気で街を闊歩するパリジェンヌの軽やかな足取りを感じました。録音で聴くルドルフ・ゼルキンの演奏なんかと比べると対局にある演奏でした。フランスのピアニストが皆この様な弾き方をする訳ではないでしょうが。コルトーやルイサダなどの30番録音ってあるのでしょうか?若しカントロフがベートヴェンの「後期作品を弾くリサイタル」があれば聴きに行きたいですね。(昨年夏に聴きに行った時は、プログラムにベートーヴェンは無かった)

 

②31番ソナタ

第1楽章 Moderato cantabile molto espressivo 

第2楽章  Molt Allegro

第3楽章 Adajio ma non troppo(第4楽章)Fuga.Alllegro ma non troppo 

三楽章構成。この曲はFugaの部分以下を第4楽章として第3楽章から切り離して捉えるケースもあります。クラウディオ・アラウの録音などはその様な扱いをしています。

 この曲で、一番の聴き処は、第3楽章 Adagio ma non troppo- Fuga. Allegro, ma non troppo (6/8拍子 変イ長調)の歌う様なメロディの箇所とフーガの部分でしょう。両者が連続するそのやり取りを、ケフェレックはあたかも舞台の場面を見えるが如く演奏してくれました。 所謂「嘆きの歌(確かに切々としていますね。)」をピアノが詠い上げると、続くフーガでピアノは、最初小さく、あたかも精霊の降臨を継げている様に、❝主よ救え給え❞との嘆きに ❝汝の足元をみよ❞と答え、嘆きがさらに激しく叫ぶと、逆進行のフーガが今度はff で神の声を決然と告げるのでした、等と夢想しながら聴いてしまう程です。ここのフーガの冒頭を聴いても、将にベートーヴェンはバッハのフーガの技法他の影響を丸受けしている感じです。ベートーヴェンのみならず、当時の作曲家はバッハを学ぶことは基礎的教養だったのでしょう。勿論バッハはイタリア音楽を研究していましたから、バッハを学ぶという事は音楽先進国のイタリア音楽を学ぶことにも繋がる訳です。

 この31番ソナタで、アレッと意外に思ったことは①30番では非常に繊細かつ柔らかな演奏をしたケフェレックを聴いて非常に女性的演奏、力強いドイツ音楽としての迫力は弱いかな?と思っていたのが、認識を軌道修正する様な強い表現の箇所が散見されたことです。このピアニストはこの様な演奏も出来るのかと認識を改め始めました。次の32番でどう出るのか興味芯々でした。

32番の演奏の前に、この曲について再びケフェレックはマイクを握り、❝普通ここで休憩になるのですが❞と笑いを誘いながら説明し出しました。

・1楽章では戦い、2楽章は戦いを越えている

・心を動かされるのは、(第2楽章の)アリエッタ(=短いアリア)という言葉

・ビクトル・ユーゴーの言葉に「ベートーヴェンは聴力を失い永遠を聴いている」

・32番の曲は形而上学的でスピリチャル

・この曲の最後は短い休符、32のソナタ全曲を締めくくる。

・シェイクスピアのハムレット最後の言葉❝後は沈黙のみ❞を連想します。

と語ってピアノに向かったケフェレックは、いきなりババーン、ババーンと荒々しい音を立て強奏を始めたのです。それ以前の30番、31番では見られなかった迫力ある演奏。

 

③32番ソナタ

第1楽章 Maestoso Allegro con brio ed appassionato

第2楽章   Arietta.Adagio molto semplice e cantabile

この最後のソナタは二楽章構成、でもベートーヴェンのピアノソナタの中では珍しくは有りません。19番、20番、21番「ワルトシュタイン」、22番、24番、27番も二楽章構成です。

第1楽章 Maestoso-Allegro con brio ed appassionato ハ短調

 冒頭の強奏から始まり、この楽章では、弱音部に比してこれまでの曲に無い程の打鍵で大きな音を立て、リズムも良く力演しました。鍵盤に手を振り下ろし指で叩き、楽章中の低音部のフォルテッシモでは左腕をこの時だけかなり上にあげて、打ち下ろしていた。30番の演奏で「女性的演奏」と書きましたがこの32番に入ってケフェレックはどうしてどうして立派に独音楽で良く表現される深く濃厚なベートーヴェン表現に成功していることを示しました。

第2楽章 Arietta.Adagio molto,semplice cantabile ハ長調

 変奏部分で丹念に音をまさに紡ぐが如く、指を小刻みに動かしてキラキラキラキラと音をたてていたのが印象的。最後に繰り返されるテーマのメロディは単純であるがゆえに複雑な作曲家の心理状態が込められている実感が伝わって来る様な素晴らしい演奏でした。

この曲程、ベートーヴェンの生涯を総括する卒業論文とも言える作品は他に無いのではないかといつも思います。第九も荘厳ミサ曲もその他いろいろあるとしても、またソナタ以降の弦楽四重奏曲もあるとしても、音楽としてのその構成力、迫力、精神力、見事な美的表現、何れも抜きん出ていると思います。二楽章構成ですが、曲としては深味の或る長い大曲でした。アリエッタとは短いアリアの意で、イタリア語で「そよ風」の意味も持ち、その歌声が爽やかなそよ風となって、聴く人々の心を優しく温かく包み込みますようにとの願いが込められています。最後の楽章は、そうした現世の苦悩を超越してかの高みの世界に将に到達せんとする、ベートーヴェンの天上の世界の香わしさまで表現したとも言える天才作曲家の総決算でした。

 演奏が終わって、ケフェレックの説明にもあったので、最後の音の後暫く(4~5秒だったでしょうか?)沈黙を待った聴衆は、演奏者が少し首を動かしたと見えたのか?

五月雨的に拍手が成り出し、やがて会場は大喝采と声援で埋まりました。シェイクスピアの言葉からはもう少しの長い沈黙が欲しい気もしましたが、ケフェレックのトークでは「短い休符」と有りましたから、彼女が僅かに動いたのは、演奏者の目の前の自席かも見えましたから、妥当ではなかったかと思います。

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 尚これらの曲については、2020年11月に、東京藝大で当時のピアノ科教授の渡邊さんが32番を弾くのを聴きに行きました。又同年翌月には来日中(日本在住中?)のオピッツが30番、31番、32番三曲を弾く演奏会に行きました。又年明けた21年2月には桑原詩織さんという若手ピアニストが31番ソナタを弾くのを聴きに行きました。参考までこれらの演奏の記録を文末に《抜粋掲載》しておきます。

 

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2020.11.15.(日)HUKKATS Roc.(抜粋再掲)

 

藝大ピアノ科教員による『オール ベートーヴェン プログラム〜最後のソナタと交響曲〜https://www.hukkats.com/entry/2020/11/16/235917]』

【会 場】東京藝術大学奏楽堂(大学構内)

【曲目】

【曲 目】オール ベートーヴェン プログラム

①ベートーヴェン『ヴァイオリンソナタ第10番ト長調 op.96』L. v. Beethoven:Sonate für Violine und Klavier Nr.10 in G op.96
ヴァイオリン:植村 太郎 

ピアノ:有森 博

②ベートーヴェン『チェロソナタ第5番 ニ長調 op.102-2』
L.v.Beethoven:Sonate für Violoncello und Klavier Nr.5 in D op.102-2
チェロ:中木 健二  
ピアノ:津田 裕也

③ベートーヴェン:『ピアノソナタ第32番 ハ短調 op.111』
L.v.Beethoven:Sonate für Klavier Nr.32 in C op.111
ピアノ:渡邊 健二

④ベートーヴェン(リスト編曲 2台4手版)『交響曲第9番ニ短調 op.125』
L.v.Beethoven (arr.byF.Liszt):Symphonie Nr.9 in D op.125
プリモピアノ:青柳 晋 
セコンドピアノ:伊藤 恵

 

【演奏の模様】

③は二楽章構成ですが結構長い(特に2楽章が長い)曲で、音楽としてソナタとして十分過ぎる構成と言えるでしょう。ベートーヴェンがこれまでの経験と最後の力を振り絞って作曲した力作中の力作だと思います。

Ⅰ.Maestoso Allegro con brio ed appassionato

 冒頭からババーンと強い打鍵の調べが響き、リズミカルなffの主題が速いリズムで続き、相当なドラマ性を帯びた調べが繰り返されます。そうそう、この明るくないが決して暗くもないずっしりとした心に響く音達、たびたび録音(アラウやゼルキン)を聴いて脳裏に滲み込んだ音が耳に届いて来ました。渡辺さんは小柄でどちらかというと痩せ気味ですが骨太そうな体を駆使して、力強い演奏をしている。予想をはるかに超えた演奏です。

Ⅱ.Arietta: Adagio molto semplice e cantabile

 ゆったりした比較的単純そうな主題で開始、渡辺さんは徐々にテンポを上げながら丹念に音を紡いで行く。音の強弱、速度の変化のうねりが何とも言えない、繊細さまで感じる心地良い音楽、将に音楽とはこうしたものだという実感、その素晴らしさを堪能しているうちに高音のトリルが綺麗に長く響き最後に静かに終了しました。思わず力を込めて拍手してしまいました。何とも申し分ない程の見事な演奏。ほとんど完璧な演奏、これは本物です。暫くぶりでベートーヴェンのソナタの名演を聴きました。

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渡辺健二教授

 昨年からこの一年程ピアノソナタは、亀井聖矢さん、ボゴレリッチ、アンドラーシュ・シフ、仲道さん、金子三勇士さん、内田光子さん、キーシン、ピリスなどいろいろ聴いて来ましたが、これまで聴いた録音、録画も含めて、自分の感じでは、3本の指に数えられる程の素晴らしい演奏だったと思います。一朝一夕では成しえない演奏ですね。藝大ピアノの層の厚さと実力をまざまざと見せつけられた感じです。

 

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2021.02.24. HUKKATS Roc.(抜粋再掲)

 緊急事態宣言の後は、大規模オーケストラの演奏を聴きに行かなくなりました。いやその少し前からですね。最後に聴いたのは、昨年11月のウィーンフィル来日公演でした。大晦日のベートーヴェン全曲演奏会は、長時間、密な状態の閉鎖空間で聴くのが怖くて、行きませんでした。ウィーンフォルクスオーパーのニューイアーコンサートは中止になってしまいましたし。

 新規感染者数がかなり減って来た最近でも、聴きに行くのは小規模なリサイタル位です。先々週は『メーリテノールリサイタル』、先週は若手の『ヴァイオリンリサイタル』、そして今日は、やはり若手の『ピアノリサイタル』を聴きました。何れも東京文化会館小ホールです。

 今日のリサイタルは、桑原詩織さんという若手のピアニストでした。

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ベートーヴェンのソナタ31番を弾くというので、聴きに行くことにしました。31番のソナタは、最後のソナタ達(30番、31番、32番)として、 まとめて演奏されることがあり、最近では、昨年12月にオピッツの来日演奏の時聴きました。参考までその時の記録を文末に再掲します。

 今回は若手のピアニストが、どの様に31番を弾くか興味津々でした。

 桑原さんは藝大出身の新進ピアニスト、H.P.で紹介されている経歴を以下に転載しました。

2014年第83回日本音楽コンクール第2位、及び岩谷賞(聴衆賞)受賞。2016年第62回マリア・カナルス・バルセロナ国際音楽コンクール(スペイン)第2位、及び最年少ファイナリスト賞受賞。

2017年第68回ヴィオッティ国際音楽コンクール(イタリア、ヴェルチェッリ)第2位、及び Soroptimist Club賞受賞。

2019年第62回ブゾーニ国際ピアノコンクール(イタリア、ボルツァーノ)第2位、及びブゾーニ作品最優秀演奏賞受賞。

東京都出身。学習院初等科、女子中等科卒業後、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校に進学。

同高等学校在学中に、PTNA特級銀賞・聴衆賞、王子ホール賞、

ルーマニア国際音楽コンクール第1位・オーディエンス賞、東京音楽コンクール第2位等を受賞。

第6回福田靖子賞優秀賞。

2014年度ヤマハ音楽奨学生。 

2018年3月 東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻を首席で卒業。伊藤恵氏に師事。在学中に、アリアドネ・ムジカ賞受賞。

卒業時に、安宅賞、アカンサス音楽賞、大賀典雄賞、同声会賞、三菱地所賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。

2018年4月より、ベルリン芸術大学大学院(マスターソリスト課程)にて Klaus Hellwig 氏に師事。

 

《プログラム》

【日時】2021.2.24.19:00~

 

【会場】東京文化会館 小ホール

 

【曲目】

①ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第31番変イ長調Op110

②ラヴェル『ラ・ヴァルス』

リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S178

 

【演奏の模様】

①Betv..ソナタN31

(第1楽章)

 赤い👗を身に纏い登場した桑原さんは、マイクを手にして、今日は休憩なしで三曲通して演奏する旨告げました。コロナ禍の緊急事態宣言中であることを、考慮してのことだと思います。

 ピアノの前に坐ると、やや遅いテンポで弾き始めましたが、立ち上がりの左手少し不安定に聞こえました。すぐに次の速いパッセージに移り、またゆっくりした手捌きに戻りましたが、歯切れの良い右手メロディに比し、左手の切れが今ひとつといった印象を受けました。

 それにしてもこの第1楽章は、明るく全体的印象は軽快でウキウキした感じがあるのですが、その点で最後の三つのソナタ達の中では異色な存在です。少し言い過ぎですが、あたかもベートーヴェンが名を上げつつあった初期の生き生きしたソナタに舞い戻ったかの如きです。中期から後期にかけての素晴らしい、重厚な、奥の深いソナタの中で何かホッとする側面を感じます。桑原さんの第1楽章も聞きいていて、温もりを感じさせるものでした。 

(第2楽章)

 短い楽章ですが、桑原さんは強弱長短音の粒が揃った演奏で舞曲の様子をうまく表現していました。

(第3楽章)

 桑原さんのトークでは、31番のソナタには、歌う様なメロディがあるということと、2年後に作られた交響曲第9番を引用した説明がありました。

 31番のソナタは1821年に出来上がったのですが、ベートーヴェンはその後も31番を一部書き換えたり、付け足したりして最終的には32番のソナタより後に現在の形に完成したと謂われます。いったいどこをどう直していたのでしょう?書き換えの譜面が無く経過は分からないので、あくまで憶測ですが、第3楽章の歌う様な箇所、それに関係したフーガなどではないでしょうか?間違いかも知れませんけれど。大胆に推理すれば、べートーヴェンの❛不滅の恋人❜に何年か前に(これは8番の交響曲が作曲された1812年より後とする研究者もいる様です)失恋し、その心の傷が仲々癒えない中で、1楽章の春の様な愛を思い出す雰囲気の曲と、3楽章の切ない『嘆きの歌』(Klagender Gesang)で失恋を嘆き、その前後のフーガに嘆きの歌をサンドウィッチすることで、嘆きから立ち直る力を付けて、それ以降の9番シンフォニィー等を作曲する推進力としたという物語ではどうでしょうか? 

    桑原さんの3楽章のイントロ部は非常にスローに弾き始め、嘆きの歌の箇所は嘆いているまずまずの感じは出ていました。最初のフーガ部は弱い音だと左右の指使いのバランスが良くて、バッハのカノンを想起させる綺麗なフーガでしたが、ffになると跳躍する右手の高音がやや不鮮明に聴こえました。左手は強さが右手に負けないで良し。ただもう少しff部は弱めに弾いた方が、後半のフーガとの対比で、恋とか愛とかの感じが出るのではなかろうかと思うのですが。アラウの録音やオピッツのフーガはそうでした。

 前半はバッハのカノンの如く清廉に、後半はベートーヴェン独自の世界をフーガで力強く表し、桑原さんが冒頭のトークで語った❛コロナ禍での未来への希望❜との説明通り、未来に繋ぐ希望を託す演奏となって、31番ソナタはほぼ成功したと言えるでしょう。

 

 ②Rav.ワルツ

 

 《割愛》

 

 

 桑原さんは、華やかなハプスブルグ宮の華麗な舞踏というより、デモニッシュな雰囲気を、ラヴェルらしさを、力とテクニックを駆使してよく表現出来ていました。あの曲を弾くには相当の技輛を要し、相当くたびれたことでしょう。              曲演奏の終盤、グリッサンド(hukkats注)を何回か繰り返し弾き終わった桑原さんは、疲れた表情も見せずにこやかに挨拶して舞台裏に消えました。

 (hukkats注)グリッサンド (伊: glissando)またはグリッサンド奏法 は、一音一音を区切ることなく、隙間なく滑らせるように流れるように音高を上げ下げする演奏技法をいう。演奏音を指しグリッサンドという場合もあり、演奏音は滑奏音とも呼ばれる。

 

③List、ソナタBmol

     

《割愛》

 

 最後にアンコールがありました。シューマン作曲リスト編曲『献呈』。これは元々歌曲ですから今回のべートーヴェンの 『嘆きの歌』以上にピアノに歌わせる必要があるピアノ曲です。桑原さんは演奏の疲れがどっと出たのか、歌っている感じが余り出ていませんでした。勿論ピアニストも心で歌いながら弾くのでしょうけれど。

 そう言えば本演奏の曲でも、速いパッセージは指使いも切れ味も素晴らしく力強いのですが、pのゆっくりしたメロディはもっとピアノに謳わせてもいいのではと感じる箇所が幾つかありました。表現に磨きを掛ければ、さらに素晴らしいピアニストになると思います。

トークからも演奏からもまじめな性格が窺えました。

 

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(再掲)2020.12.12.HUKKATS Roc.

『ゲルハルト・オピッツ ピアノリサイタル』を聴いてきました。                     

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 1953年ドイツバイエルン州生まれのオピッツは今年67歳、長年ミュンヘン音楽大学で教鞭をとりました。今では数少ないウィルヘルム・ケンプの弟子です。ケンプは誰もが認める「ベートーヴェン弾き」、ケンプの弾く32番のソナタのCDが家にあったので事前に聴いておきました(普段はアラウのベートーヴェンソナタを聴いています。)

 今回ベートーヴェン生誕250年を記念して各地で来日公演をしたのです。近場の横浜でも11月8日に演奏会があったのですが、曲目が別なものだったので行きませんでした。 今回はベートーヴェンの「最後の三つのソナタ」を弾くというので行ったのでした。なぜならば11月16日に「藝大奏楽堂」でソナタ32番を渡邊健二教授が弾き、それを聴いて感銘を受けたことと、最近30番、31番、32番の三つの曲が連番で入っているアラウが演奏するCDを、家で聴くことが多いことが、聴きに行きたいと思った大きな要因でした。

 

【日時】2020.12.11. (金)19:00~

【会 場】東京オペラシティコンサートホール

【演奏曲目】

①ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109

②ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110

③6つのバガテル op.126
④ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111

 

【演奏の模様】

 開演となり登壇したオピッツは、白い短髪と短い白鬚に覆われその柔和さは如何にもドイツ人といった風貌で、今の時期、赤色のガウンと、毛糸の三角帽を被れば、立派なサンタクロース(🎅)そのものです(失礼)。

①挨拶の後すぐにピアノに向かい30番のソナタを弾き始めました。がっしりした体躯から伸びた腕も太くて頑丈そうです。しかし平たく構えた太い指から紡ぎ出される音は、ビアノとは、こんなに繊細できれいな音が出るのだと感動すらする響き、録音では決して味わえない音です。

 オピッツは、終始落ち着き払って不動の姿勢でかなりゆったりしたテンポで弾いています。二楽章でも三楽章でも、右手の小指から出る高音のきれいな音、鍵盤を撫でる様にして弾いている。三楽章の終盤の速いパッセージも指をやや丸めて、あくまでソフトにタッチしていました。ソフト感が目立った演奏でした。 

 

②この31番の曲は、30番、32番程深い精神性を感じるものではありませんが、メロディが親しみやすさがある曲なので、若い人にも人気がある様です。何故か世に売り出した初期の頃のソナタの初々しさも感じる曲です。

 一楽章のModeratoでは、①の冒頭よりもさらに落ち着いた様子で、右手のしっかりしたタッチから、この世にこんなにも奇麗な澄んだピアノの高音が出るのかと思われる程の素晴らしい調べを奏でていました。録音では、何故この様な繊細さが出ないのでしょう。カットされている周波数の音のせいでしょうか?これはピアノの打鍵でなく、まるで鍵盤の愛撫ですね。

 第二楽章の速いパッセージも不動の姿勢で演奏、軽快に歯切れの良い演奏でした。

 三楽章のAdagioでは、ややせっないとも感じる主題をゆっくりと、しかし遅からず速からず絶妙のテンポで歌い上げていく、これはもう鍵盤に歌を歌わせているに等しいですね。低音のff部はズッシリとした重量感溢れる調べですが、やはり不動の姿勢で指を少し高くして、少し強く振り下ろす程度で音を出していました。如何に長い年月を演奏して、身に付いている音を軽々と繰り出しているかが分かりました。

3楽章の後半はフーガ。アラウの録音では、フーガの部分は、第4楽章として扱われていました。フーガは前半と後半は、その進行パターンが異なり、フーガの間隙には3楽章の最初の方に出てくる歌う様なメロディが、サンドウィッチの如く挟まれています。前半のフーガは、まるでバッハそのもの。ベートーヴェンは相当バッハを学んでいますね。フーガの最後は、相当力を込めて弾いていました。でもかなりゆっくりしたフーガでした。

 

《15分間の休憩》

 今日の演奏会でもホール放送は、感染症防止対策とその注意点を繰り返し放送していました。一階席は市松模様ではなく、連番でチケットを販売した様なので、前の方の席はかなり入っていましたが、後部席になる程空席が目立ちました。コロナの急速な拡大で来れなかった人も多くいるのではないでしょうか。自分の席は、ピアノリサイタルの場合鍵盤の見え二階のⅬ席を選ぶ場合がほとんどなのですが、どういう訳か両隣とも誰も来ませんでした。幸運にも密を避けることが出来たので安心して鑑賞出来ました。

③『バガテル』とは、フランス語の“Bagatelle”が語源で、もともと“つまらぬもの”の意味ですが、いい意味で使う場合は  “小さくて愛らしいもの” 位の意味です。有名な用法はパリ16区にある『La Roseraie de Bagatelle(バガテル薔薇園)』です。

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パリ・バガテル薔薇園

広大なパリのブローニュの森(約850万㎡)にある“Parc de Bagatelleバガテル公園)”の一画にある薔薇園です。語源は“バガテル城(1777年建造)”から来ているみたい。

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バガテル城

 確かにお城というより‘小さな館’ですね。フォーレやドュビッシーやラベルが活躍していた時代にもあった薔薇園です。ベートーヴェンはこの薔薇園は知らなかったでしょうが、バガテル城の事、特にその建造期間についてマリー・アントワネットが義理の弟のアルトワ伯に賭けで負けたエピソードはきっと知っていたことでしょう。

    ベートーヴェンのピアノ作品『6つのバカデル作品126』はピアノ・ソナタという程ではないけれど、6つの愛らしい小作品の意味です。その他にもバガテルをベートーヴェンは書き残していますが内容的にも纏まりから言っても、この126番が一番有名です。一連のソナタ全曲を書き終わった後の最晩年のピアノ曲です。何れも数分の短い曲で全体でも約20分です。  第1曲は初期のピアノ・ソナタを思わす様な優雅な響きがあり、時々左右少しずれる様な音があるリズムの処も面白い。第2曲はバッハ的対位法の様な左右の指から繰り出す音の掛け合いが見事 第3曲は心に染み入るゆったりした落着いた旋律で長いトリルが美しい。 第4曲は軽快で力強いリズミカルなくるくる回って踊っている場面を連想してしまいそう。聴いていてさみしさが募る第5曲、最後の6曲は結構激しくて速い導入の後、スローなどこかショパンを思わすようなメロディ、これ等をオピッツは前半の二つのソナタで見せた優美さとしっかりとした指使いで見事な一連の絵巻として描いて見せたのでした。

          

④32番のソナタは、ベート-ヴェンのソナタの中では少数派の二楽章構成(19、20、21、22、24、27、そしてこの32番)ですが、二楽章構成のソナタには、いい曲が綺羅星の様に輝いています。 21番『ワルトシュタイン(27分)』、24番『テレーゼ(10分)』の名称付きは勿論のこと、20番(9分)もなかなかいい曲なので好きです。最後のソナタ32番(30分)に至るとこれはもう、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの集大成・最高傑作と言って良いでしょう。二楽章構成の曲達の中でも異例の長い曲で、如何にベートーヴェンが力を尽くしてこの32番を作曲したかが伺えます。       

さて一楽章の冒頭で、左手⇒右手⇒左手⇒右手でババーン、ババーン、ジャジャ、タララララララララ というかなりドラマティックな音が立ちましたが、オピッツは今日の演奏の中でも最大と思われる大きい音量で、力を込めて演奏していました。それを二回繰り返した後の不気味な低音も、強い調子でリズミカルに表現、そして速いパッセージに移ると「忙中閑あり」というより「急中緩あり」の微妙な速度の変化で以て表現性豊かに弾き、その匙加減は見事と言う他無かったですね。最終音は随分と長くペダルを踏んだまま伸ばして消え入る様に終了しました。    

 二楽章は長い楽章ですが、最初のAdagioの主題は随分とゆっくりしたテンポで始まり、丹念に音を紡ぎ出しています。兎に角音が綺麗。主題が次々と変奏され、速く小さな音の部分でドンと足がステージを踏みつける音が二三回聞こえましたが、これはペダルを踏んでいた足を離して床に戻す時音がしたのでしょうか? 

 最終場面で、右小指でメロディの音を飛び飛びに出し、両手を揃えながら他の指は伴奏的に弾いていく箇所では、最高音が何と素晴らしく響いた事でしょう。兎に角、格が違う感じです。 将にもう巨匠の域にいると言っても良いのでしょう。

 ケンプやゼルキンやアラウより、旋律表現も演奏法も随分淡々としたものでした。 でもこの3人の名人の中ではケンプに一番近い奏法かな?

 まだ60歳後半ですから、これからズーッと世界のピアノ界をけん引して、末永く我々音楽愛好者を楽しませて下さい。