HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

新日フィル『第12回すみだクラシック演奏会』

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 表記の演奏会は、すみだトリフォニーホールでの定期演奏会で、今回は、All Brahms プログラムです。交響曲第3番の他に、ピアニストの、ネルソン・ゲルナーを招聘し、ブラームスの『ピアノ協奏曲第2番』を弾きました。

 ゲルナーは、昨年、来日公演を行う筈だったものが、コロナ禍で公演中止になってしまい、チケット売り切れ後に、やっと手に入れた努力も無駄になってしまい、残念な思いをした記憶があります。今回は、万難を排して来日公演が実現したものと思われ、コロナ感染の今後の拡大状況によっては、あるいは、再び中止の憂き目に合わないとも限らないと思っていたので、喜ばしいことでした。

【日時】2023.1.14.14:00~

【会場】すみだトリフォニーホール

【管弦楽】新日本フィルハーモニー交響楽団

【指揮】高関健

【独奏】ネルソン・ゲルナー(Pf.)

Nelson Goerner - ネルソン・ゲルナー - KAJIMOTO

<Profile>

1969年アルゼンチン、サン・ペドロ生まれ。アルゼンチンでホルヘ・ガルッバ、ファン・カルロス・アラビアン、カルメン・スカルチオーネに師事。1986年にフランツ・リスト・コンクール(ブエノス・アイレス)で第1位となり、
さ)で第1位となり、これにより奨学金を得てジュネーブ音楽院でマリア・ティーポのもとで研鑚を積む。1990年には、ジュネーブ国際音楽コンクールで第1位となる。

欧州各地でリサイタルを行ない、ラ・ロック・ダンテロンやラ・グランジュ・デュ・ムスリー(リヒテルの代役として急遽出演)、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、ヴェルビエなどの音楽祭に出演。クラウス・ペーター・フロール指揮/フィルハーモニア管、アンドリュー・デイヴィス指揮/ベルリン・ドイツ響、エマニュエル・クリヴィヌ指揮のロンドン・フィル、ヤン・パスカル・トルトゥリエ指揮/アルスター管、ジェームズ・ジャッド指揮/BBCウェールズ・ナショナル管、ファビオ・ルイジ指揮/N響等と共演している。ヴァシリー・シナイスキー指揮/BBCフィルとのBBCプロムナード・コンサート・シーズンには2回出演。北米ではロスアンジェルス・フィル、モントリオール響と共演している。

【曲目】

①ブラームス『ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.83』

(曲について)

 初めてのイタリア旅行にインスピレーションを得て1878年に作曲が開始され、ウィーン近郊のプレスバウムに滞在中の1881年に完成された。この間にヴァイオリン協奏曲の作曲に集中していたため、2回目のイタリア旅行から帰国後一気に書き上げた。イタリアで受けた印象を基に書かれているため、ブラームスにしては明るい基調で貫かれている。楽曲構成上はピアノ・ソロが単独で自由に奏するカデンツァ的な部分は無いとも言え、ソリストの超絶技巧の見せびらかしとしての協奏曲という従来の協奏曲観からは意図的に距離をとった作品であるが、それにもかかわらず、この作品が現実に要求する桁外れの難技巧は、多くのピアノ奏者や教師をして「最も難しいピアノ曲の一つ」と呼ばせてもいる(ちなみに記録によればブラームスはこの曲を自らの独奏で初演しており、ブラームス自身のピアノ演奏の技術の高さがうかがえる)

 

②ブラームス『交響曲第3番ヘ長調Op.90』

(曲について)

第2交響曲から6年後の1883年5月、ブラームスは温泉地として知られるヴィースバーデンに滞在し、第3交響曲をこの地で作曲した。第1楽章については、1882年の夏ごろからとりかかっていたという説もあるが確証はない。ヴィースバーデンでは、友人達との親交や、とりわけ若い アルト歌手ヘルミーネ・シュピースとの恋愛感情がこの曲に影響を及ぼしたともいわれる。同年10月2日にブラームスはウィーンに戻り、イグーツ・ブリュルと2台のピアノ版による試演会を開いている。ブラームスは50歳だった。

1883年12月2日、ハンス・リヒターの指揮により、ウィーンフィルの演奏会で初演された。結果は大成功で、ブラームスは再三カーテンコールを受けた。

当時のドイツ音楽界は、ブラームス派対ワーグナー派という陣営の対立が激化していたが、1883年にワーグナーが没してまもない時期であり、ワーグナー派の強い反発のなかでの初演だった。この初演を聴いた批評家でブラームスの友人でもあったエドゥアルト・ハンスリックは、第1交響曲、第2交響曲と比べても「芸術的に完璧な作品として心を打つ。」と絶賛している。一方、ワーグナー派で反ブラームスの急先鋒でもあったフーゴ・ヴォルフは、「まったく独創性というものが欠けたできそこないの作品である」とほとんど中傷に近い批評を寄せた。

(モットーについて)

ブラームスは、第1番ではC-C#-D(ハー嬰ハ-ニ)、第2番ではD-C#-D(ニ-嬰ハ-ニ)と、過去の2つの交響曲で統一的な基本動機を用いていたが、この曲では、基本動機からさらに一歩踏み込んだ形として、「モットー」を使用している。

これは『交響曲第3番』の第1楽章冒頭で管楽器によって示される部分です。この1~3小節目のハーモニー F~Ab~F(ヘー変イ-ヘ)が第1楽章全体を支配し、他の楽章でもあちこちに顔を出す。それだけでなく、これまでの基本動機のように素材として展開されて旋律を形作ることより、交響曲全体の性格を決定づける大切な動機となっている。この和音の「動機」にブラームスは「モットー」という言葉を使った。「モットー」を日本語にすると「基準」「規範」「理念」という位の意味。つまり「モットー」とは、作品全体の「基準となるもの」「理念のようなもの」を示している。この「F~Ab~F」という音はドイツ語の”Frei aber froh”という言葉の各単語の頭文字を暗示していると謂われている。意味は「自由だが喜ばしく」という意味。この言葉は、ブラームスの友人であった伝記作者カルベックによるとブラームスが好んで使った言葉で、ブラームスの親友ヨゼフ・ヨアヒムのモットーである“Frei aber einsam”(自由だが孤独に)と対をなす合い言葉のようなものであったらしい。とはいえ、交響曲の主調がヘ長調であるなら単純にF-A-Fとなるところを、ブラームスがあえてF-A♭-F(ドイツ語ではF-As-F)というヘ短調に属する音型を用いていることは注目される。ここから生じるヘ長調とヘ短調の葛藤は、全曲の性格に決定的な影響を与えている。

 

 

【演奏の模様】

①ブラームス『ピアノ協奏曲第二番』

Billede

ゲルナーはあのアルゲリッチ、バレンボイムと同じアルゼンチンの生まれ、ブルーノ・ゲルバーもそうでした。ゲルバーも昨年とその前と来日公演が中止となり、まだ(生では)聴いていません。

 ゲルナーの生演奏も今日初めて聴きました。

楽器構成は二管編成(Trmb.3,Fg.3)弦楽五部14型(14-14-10-9-6)

1Vnと2Vnが左右対向配置、Vnの奥に左Vc 右Va、Cbは左翼Hrnの前です。

 

四楽章構成。

第1楽章 Allegro ma non troppo   

第2楽章 Allegro appassionato 

第3楽章 Andante   

第4楽章 Allegretto grazioso - un poco piu presto

高関さんと共に登場したゲルナーは思っていたよりかなり小柄なピアニスト、髪は無いですが、かなりの若さを漂わせる風貌です。

冒頭、Hrn.が鳴り出すとすぐにPfが、いかにもブラームスらしい個性的な旋律(この様な調べを個人的にはブラームス節と呼んでいます)を短く弾き始め、何れもppで弱い音です。Flが続くと今度はゲルナーはかなりの強さで、ジャジャジャラジャン、ジャジャジャラジャンと強奏旋律を立て続けに数回鳴らすやいなや高音から、これも特徴あるブラームス節の下行音をデクレッシンドで弾き下ろしブラ節の連続をほぼソロに聞こえるくらい(オケは静かな音で)の力強さで弾きました。でも気負った風は無く思ったより易々と淡々と弾いていた。

しかしゲルナーの弾く音質に力は感じるのですが、それ程の重い響きは無かった。ゲルナーは演奏中も休止中もちょくちょく指揮者を見るのですが、高関さんはオケを引っ張るのに夢中といった様子。中間で、Hrn.が入るとPf.はジャラジャラジャン、ジャラジャラジャンと強奏に転じかなりの力演、でも右手の旋律はそれ程の美しさは感じず、最終部でもHrn.ソロ後のPf.はテーマをジャンジャンジャララジャン ジャンジャンジャララジャンと強く弾きますが、矢張り同じような印象でした。最後はオケと共に猛スピードでゴールイン、ゲルナーの音がかき消されることはありませんでした。Hrn.が先導の切っ掛け役の楽章でした。

第2楽章は、三楽章構成に追加されたスケルツォで、四楽章構成にしたのは、同時期に作曲したヴァイオリン協奏曲の四楽章構成に影響されたとの説があります。   リズミカルな速いテンポでゲルナーはかなりの強奏でスタート。民族調的な異風な旋律、ブラームスは各地の舞曲なども多く知っていた様ですから何処かの舞曲でしょうか?すぐにブラームス化された変奏が静かに弾かれ、再度冒頭のテーマの繰返し、1Vn.に依るppでの変奏そしてPf.の強奏。繰返し部をゲルナーは一回目よりさらに力を入れて弾いていました。ここまでPf.とオケは交互に対話的な進行が多かったが最終部では、オケの強奏に合わせてPf.が斉奏し、Hrn.そして他の木管(Fg.の音かな?)の先導でゲルナーはテーマを速いテンポで静かに奏で、難無く弾き切った顔をしていた。結構やるなといった感じを持ちました。

第3楽章は低音弦の響きで開始。Vc.がしっとりとした旋律を奏で、他弦も合わせて合の手を取っています。ピアノは暫く休止。Vc.がOb. Fl.と掛け合って演奏、音は良かったがややこじんまりとしていました。

次いでPf.がゆっくりと美しい旋律を奏で始め、このカデンツア的な箇所はゲルナーとしてはとても良い出来だったと思います。ピアノを十分歌わせていた。背景音のオケが入ると、ゲルナーは丹念に鍵盤を追っていて、また背景音のオケは重々しさがありました。最後はCl.とPf.とのテンポの遅い二重奏からVc.のソロ音との弱いニ重奏、Pf.はトリル、トレモロをかすかに響かすのみで、Vc.のカデンツァの如し。消入る様な音の絡み合いが印象的でした。

最終楽章はPf.の軽快な高音のリズミカルな主題で開始。そのターンタタンターンタターン、ターンタタタタツタツタという旋律に何となくシューベルト的感じを受けた。後半はPf.強奏、オケもまた強奏・全奏又テーマの変奏に転じるもその主題性は大筋変わらず、最後のHrn,に合わせたPf.の淡々奏からの終了に至るまでの箇所の直前に弦楽中心で奏でられるオケの流れる様な調べが映画音楽の様な優雅なものでした。 演奏終了と共に大きな拍手、ブラボーの声も飛んだ様な気がします。

 尚、ソリストのアンコール演奏があって、演奏曲はショパンでした。

《アンコール曲》ショパン『ノックターン20番嬰ハ短調』