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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

新日フィル『第12回すみだクラシック演奏会』(続き)

【日時】2023.1.14.14:00~

【会場】すみだトリフォニーホール

【管弦楽】新日本フィルハーモニー交響楽団

【指揮】高関健

【独奏】ネルソン・ゲルバー(Pf.)

【曲目】

①ブラームス『ピアノ協奏曲第2番』(2023,1.15.既報で記録済)

 

②ブラームス『交響曲第3番ヘ長調Op.90』

(曲について)

第2交響曲から6年後の1883年5月、ブラームスは温泉地として知られるヴィースバーデンに滞在し、第3交響曲をこの地で作曲した。第1楽章については、1882年の夏ごろからとりかかっていたという説もあるが確証はない。ヴィースバーデンでは、友人達との親交や、とりわけ若い アルト歌手ヘルミーネ・シュピースとの恋愛感情がこの曲に影響を及ぼしたともいわれる。同年10月2日にブラームスはウィーンに戻り、イグーツ・ブリュルと2台のピアノ版による試演会を開いている。ブラームスは50歳だった。

1883年12月2日、ハンス・リヒターの指揮により、ウィーンフィルの演奏会で初演された。結果は大成功で、ブラームスは再三カーテンコールを受けた。

当時のドイツ音楽界は、ブラームス派対ワーグナー派という陣営の対立が激化していたが、1883年にワーグナーが没してまもない時期であり、ワーグナー派の強い反発のなかでの初演だった。この初演を聴いた批評家でブラームスの友人でもあったエドゥアルト・ハンスリックは、第1交響曲、第2交響曲と比べても「芸術的に完璧な作品として心を打つ。」と絶賛している。一方、ワーグナー派で反ブラームスの急先鋒でもあったフーゴ・ヴォルフは、「まったく独創性というものが欠けたできそこないの作品である」とほとんど中傷に近い批評を寄せた。

 

 (モットーについて)

ブラームスは、第1番ではC-C#-D(ハー嬰ハ-ニ)、第2番ではD-C#-D(ニ-嬰ハ-ニ)と、過去の2つの交響曲で統一的な基本動機を用いていたが、この曲では、基本動機からさらに一歩踏み込んだ形として、「モットー」を使用している。

これは『交響曲第3番』の第1楽章冒頭で管楽器によって示される部分です。この1~3小節目のハーモニー F~Ab~F(ヘー変イ-ヘ)が第1楽章全体を支配し、他の楽章でもあちこちに顔を出す。それだけでなく、これまでの基本動機のように素材として展開されて旋律を形作ることより、交響曲全体の性格を決定づける大切な動機となっている。この和音の「動機」にブラームスは「モットー」という言葉を使った。「モットー」を日本語にすると「基準」「規範」「理念」という位の意味。つまり「モットー」とは、作品全体の「基準となるもの」「理念のようなもの」を示している。この「F~Ab~F」という音はドイツ語の”Frei aber froh”という言葉の各単語の頭文字を暗示していると謂われている。意味は「自由だが喜ばしく」という意味。この言葉は、ブラームスの友人であった伝記作者カルベックによるとブラームスが好んで使った言葉で、ブラームスの親友ヨゼフ・ヨアヒムのモットーである“Frei aber einsam”(自由だが孤独に)と対をなす合い言葉のようなものであったらしい。とはいえ、交響曲の主調がヘ長調であるなら単純にF-A-Fとなるところを、ブラームスがあえてF-A♭-F(ドイツ語ではF-As-F)というヘ短調に属する音型を用いていることは注目される。ここから生じるヘ長調とヘ短調の葛藤は、全曲の性格に決定的な影響を与えている。

 

②ブラームス『交響曲第3番ヘ長調Op.90』

四楽章構成。

  1. Allegro con brio
  2. Andante
  3. Poco Allegretto ∙
  4. Allegro

この曲は、上記(モットーについて)に記した様に、モットーが第一楽章の冒頭から利用されて作られています。則ちブラームスがヨアヒムの座右の銘(Frei aber einsam)に倣って、「Frei aber froh(自由にしかし喜ばしく)」を座右の銘にしていて、その三単語の頭文字等から、F(ファ)A(ラ)Be(独語で♭の意味)F(ファ)の音形を取り出し、実際にその音形をフルートに吹かせています。

管のモットーを合図としたかの様に弦楽アンサンブルが一斉に鳴り出し、最初から相当力が入っている様子。管アンサンブルも弦に重畳し、弦楽奏の流れは安定に推移していました。           Cl.が低い穏やかな旋律をソロするとすぐに弦楽が加わり美しく響かせ、再度Cl.のソロ音が繰り返された。その後の高関さんが左右のVn群.に合図した後のアンサンブルも又美しい。これ等を含めて弦楽アンサンブルの優勢さとCl.のシックな旋律が印象的でした。管と弦のやり取りも又絶妙だった。

第2楽章は冒頭からCl.の落ちついたソロ音から開始、Fg.の音も重なって深味のある響きをする。何回もCl.がソロ奏、弦は刺身のツマの様に管に細い音で寄り添っていましたが、次第に弦楽がゆっくりと力を盛り返してクレッシエンドした辺りはとても綺麗に揃ったアンサンブルで良かった。主として管優勢の弱音で終了です。

 次に低音弦の余りに有名なシックな旋律、シックと言うか物憂いメロディで開始する第3楽章は、何回聴いてもブラームスの才能を感じざるを得ません。

   ブラームスは最初にチェロにこの旋律を弾かせているのですね。それも流石だと思います。バッハでも、ベートーヴェンでもシューベルトでもショパンでも、R.シュトラウスでも、こんなに素敵な旋律がこの世にあったのか!!よくぞ発掘して呉れたものだ!と感嘆することは珍しくないですね。この3楽章はそんな気持ちです。昨夜NHKだったと思うのですが、日本の現代音楽家の曲を放送していたのをチラッと見ましたが、残念ながらそうした気持ちを抱くことはこれまで一度も有りません。

この曲を聴いて❝ブラームスはお好き❞と訊かれたら何と答えますか?

 それはそれとして、この類いまれなるブラームス節を、高関新日フィルは気持ち良さそうに流麗な動きで各種楽器に発出させていました。この旋律の力だけで成り立っている楽章と言っても過言ではないでしょう。

 最終楽章はリズムも旋律もアンサンブルのバランスも充実した演奏、高関さんはよくまとめ上げていたと思います。一階正面の比較的前の席だったので、Timp.の活躍音がバンバン顔にぶつかって来たのは気持ちが良かった