HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

今日(1/17)は冬の『土用の入りの日』です

 雑節の一種である『土用』は夏、秋、冬、春それぞれにあり、従って年に四回あります。今日は冬の土用の入りです。以前も記しましたが、歴書には次の様な記述があります。

 ❝二十四節気の立春、立夏、立秋、立冬の前の約十八日間を「土用」と称し一年に四度あります❞

 従って冬の土用は、立春である二月四日(旧暦一月十四日)の前日まである訳です。

先の暦書によれば、❝土用の名称は五行思想で「土」は物を変化させる作用を持ち、「用」はハタラキの意を示していることを表しています。即ち冬の土用が明けて春となるのは、それぞれの万物を土用が変じ替える作用をしていることを意味します。❞

 確かに一理あるかなという気もしますね。土用の間に次の季節への変化が土の中で相当進むことは考えられます。表向きは「大寒」を三日後の一月二十日(金)に控えているので寒い日が続きますが、これは大気や気圧団と言う表面的な現象に左右されます。その一方では土壌の中の温度は徐々に上昇する時期(何故なら冬至以降は日足が伸びて、地面に当たる太陽光の日照時間も伸びているので、地中の熱保持量は上がっているのです)立春ともなれば多くの草、木が芽を出し始める頃です。古代には合理的な科学理論は無かった代わりに、経験と洞察力をベースとした各種思想が、特に中国などで発展し五行思想もその一つです。非科学的な考えも多いですが、中には合理的な考えもあるのです。冬の土用の最終日は「節分」です。節分も雑節の一つで、歴書によれば、

❝本来は気候が移り変わる立春、立夏、立秋、立冬の前日だったものが、次第に春だけに用いられるようになり、現在では立春の前日の事だけを指すようになりました。その日は豆撒きの日です。平安時代には「追儺」と呼ばれて豆をまき鬼を払う風習が有りました。❞豆をまく他、柊の枝に鰯の頭を焼いて刺し、屋根の上や戸口に飾って邪気を払う風習もありました。変わりやすい季節だからこその安息法なのでしょう。

 何れの国でも万民は平和な安定した生活を望みますが、万物は変転します。

 古代中国の古い 七言古詩に、

          ❝節物風光不相待 桑田碧海須臾改❞

と言うのが有ります。「季節の物、季節の景色は人を待たないで移り変わって行く。昨日までの桑の畑は今日になると青い海に変わってしまっている」といった意味です。

 東日本大震災からあとニヶ月で十二年、あの小高駅前の青々とした桑田(稲田)は復興もままならない今日では、土砂の海と化してしまったのでしょうか?

 我々の平和も崩れ去るのは、須臾かも知れません。