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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

映画『モリコーネ映画が恋した音楽家』鑑賞

【日時】2023.1.17.18:00~

【上映館】kino横浜みなとみらい

【作品】2021年/イタリア 157分/原題「Ennio」

【配給】ギャガ

【ABOUT THE MOVIE】

忘れない――マエストロが遺した永遠のメロディ
2020年に逝去した映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネ。唯一無二の旋律であらゆる映画に愛と命を吹き込んだ天才音楽家の真実の姿とは?

 2020年7月、世界は類稀なる存在を失った。エンニオ・モリコーネ、享年91歳。500作品以上の映画とTVの音楽を手掛け、アカデミー賞®には6度ノミネートされ『ヘイトフル・エイト』で受賞し、全功績を称える名誉賞にも輝いた。

そんな伝説のマエストロに、弟子であり友でもあるジュゼッペ・トルナトーレ監督が密着、結果的に生前の姿を捉える最後の作品となってしまったドキュメンタリー映画を完成させた。モリコーネ自らが自身の半生を回想、かつては映画音楽の芸術的地位が低かったため、幾度もやめようとしたという衝撃の事実を告白する。そして、いかにして誇りを手にしたかが、数多の傑作の名場面とワールドコンサートツアーの演奏と共に紐解かれていく。さらに、70人以上の著名人のインタビューによって、モリコーネの仕事術の秘密が明かされる。 モリコーネのメロディを聴くだけで、あの日、あの映画に胸を高鳴らせ涙した瞬間が蘇る。同じ時代を生きた私たちの人生を豊かに彩ってくれたマエストロに感謝を捧げる、愛と幸福に満ちたドキュメンタリー。

【監督】ジュゼッペ・トルナトーレ

【主演】エンニオ・モリコーネ

<Profile>

 エンニオ・モリコーネ(1928~020)は、ローマで生まれの作曲家、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院[ゴッフレド・ペトラッシに作曲技法を学んだ後、作曲家としてテレビ・ラジオ等の音楽を担当した。1950年代末から映画音楽の作曲、編曲、楽曲指揮をしている。映画音楽家デビューは1960年の『歌え!太陽』(Appuntamento a Ischia)だと言われていたが、オリジナルのスコアを使用した映画は1961年のルチアーノ・サルチェ監督の『ファシスト』(Il Federale)であり[、こちらがデビュー作だと言われるようになっている。同年、カトリーヌ・スパーク主演『太陽の下の18歳』の映画音楽を担当し、「サンライト・ツイスト(邦題)」(ゴーカート・ツイスト)で注目を浴びた。モリコーネの特集番組は、マカロニ・ウェスタンの曲から始まりことが多いが、本来は「サンライト・ツイスト」が最初の重要曲である。

1960年代半ばから70年代前半にかけては、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続夕陽のガンマン」などの「マカロニ・ウェスタン」映画のテーマでモリコーネの名声は高まった。他にも『シシリアン』、ジョーン・バエズが歌った「勝利への讃歌」(1972)なども好評だった。マカロニ・ウエスタンでは、セルジオ・レオーネ監督との名コンビでも知られた。

1986年ローランド・ジョフィ監督の歴史映画ミッション』で新境地を開拓、それ以後はイタリア国外でも評価が高まり、1987年には『アンタッチャブル』でグラミー賞を受賞1989年には『ニュー・シネマ・パラダイス』で世界的な知名度を得た。これまでに『天国の日々』(1978年)、『ミッション』(1986年)、『アンタッチャブル』(1987年)、『バグジー』(1991年)、『マレーナ』(2000年)と、合計6回アカデミー賞にノミネートされている。日本でも、2003年NHK大河ドラマ武蔵 MUSASHI』の音楽を担当している。


【出演】

ジュゼッペ・トルナトーレ、クエンティン・タランティーノ、クリント・イーストウッド、ウォン・カーウァイ、オリヴァー・ストーン、ハンス・ジマー、バリー・レヴィンソン、ジョン・ウィリアムズ、ダリオ・アルジェント、テレンス・マリック、ブルース・スプリングスティーン、ベルナルド・ベルトルッチ、ジェイムズ・ヘットフィールド、クインシー・ジョーンズ、ローランド・ジョフィ、リナ・ウェルトミューラー、フィル・ジョアノー他

 

  オスカー特別賞・モリコーネ&イーストウッド

【主な作品】

『ニュシネマパラダイス』

『海上のピアニスト』

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』

『死刑台のメロディ』

『1900年』

『天国の日々』

『荒野の用心棒』

『夕日のガンマン』

『アンタッチャブル』

『ミッション』

『ヘイトフル・エイト』

他多数

 

【感想】

 先ず驚いたことは、冒頭に流れる雄大なオーケストラの音楽、まるでワーグナーを思わせる堂々とした美しいアンサンブルでした。朝早起きで自宅の広い仕事部屋で腕立て伏せ等の朝体操をしてから仕事(作曲)に取り掛かる習慣の様です。

愛妻家だったらしい。奥さんの内助の功もあって、アカデミー賞にも手が届いたのでしょう。

 作品の殆どが映画音楽ですがその土台はクラシック音楽の基礎知識があってこそ出来たと言えます。イタリアの音楽院で作曲を学び対位法の前はフレスコバルディのリチュレカーレを勉強したらしい。最終的には音楽院の師の信頼を受け後任に推薦されるも競争相手に負け、その後ラジオ番組向けの曲を作る様になりました。映画では、ラジオ音楽でもその才能をいかんなく発揮し、様々な新機軸を曲に取り入れた様子を抉り出していました。そうしている内にRCAレコードイタリア法人の編曲者となり、ポップ音楽の編曲も担当、60年代になると、実験的即興音楽家達に参加、革新的アヴァンギャルド音楽も制作しました。それこそあらゆる身の回りの物を使って音を出し、雑音でさえ音楽に取り入れてしまったのには笑いました。ジョン・ケージの影響もあったみたい。同時にその辺りから映画音楽も手掛け始めるようになり、1960年の『歌え!太陽』がデヴュー作品と謂われてきました。その後は次々と映画音楽の依頼が舞い込み、生涯で何百もの映画音楽を作って来た貢献に対して、2007年に「アカデミー賞特別賞」を受賞したのです(作曲賞は2016年に『ヘイトフル・エイト』で受賞)。

 映画音楽と言っても録音する時には大オーケストラを自ら指揮し、時には歌手も交えた本格的な演奏で、時には沢山の聴衆の前で演奏会を開き、大きな喝采を受ける場面も放映されていました。

確かに映画音楽と言ってもその枠の中に入り切れない大きな大器を思わす才能は完全にクラシック音楽と言える作品も残しました。ピアノ曲、室内楽、交響曲まで作っている模様。そうした作品を日本のオーケストラではほとんど演奏しないのか聴いた事が無いなと思って調べたらこれが最近(昨年の11月初めに)、東京国際フォーラムで行われた様なのです(チケット会社からの情報も来なかった。でもその頃は五嶋みどり演奏会やらボストン響やらアルゲリッチ演奏会とか立て込んでいたので、知っても行けなかった可能性大ですが)。交響曲やピアノ曲が演奏されたかは分かりませんが、今となっては聴きたかった、残念と思うばかりです。その内又やらないかな?以後暫くは無いかな?いや二度とないかも知れない。