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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

都響『秋のゲッツェル&ネマーニャ祭!第二段』at サントリーホール

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【公演名】東京都交響楽団第981回定期演奏会 Bシリーズ

 

【主催者言】

 ボルサン・イスタンブール・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督・首席指揮者や神奈川フィル首席客演指揮者などを歴任し、2022年9月からフランス国立ロワール管弦楽団の音楽監督を務めるサッシャ・ゲッツェルと、人気ヴァイオリニスト、ネマニャ・ラドゥロヴィチが、コロナ禍による2度のキャンセルを経て、いよいよ都響初登場です。盟友ネマニャとのベートーヴェンの協奏曲と、神童コルンゴルト(当時15歳!)が書き上げた美しい大作は、ウィーン出身のゲッツェルの面目躍如たる、聴きごたえ充分のプログラムです。

【日時】2023.9.8.(金)19:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】サッシヤ・ゲッツェル

【独奏】ネマニャ・ラドゥロヴィッチ

【曲 目】
①ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61』

(曲について)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)にとって、1806年は実り多い年であり、ピアノ協奏曲第4番ト長調op.58や、《ラズモフスキー》の愛称で知られる3曲の弦楽四重奏曲op.59、それに交響曲第4番変ロ長調op.60と、いくつもの大作が完成されている。ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.61は、同年11月から12月にかけて、非常に短い期間のうちに一気に書き上げられた。
 この作品は、アン・デア・ウィーン劇場のコンサートマスター兼指揮者として活躍していたフランツ・クレメント(1780~1842)のために書かれた。一般的なヴァイオリン協奏曲と比べてヴァイオリン独奏において高音域が目立って多く使用されているのは、クレメントが楽器の最高音域の演奏に秀でていたためである。とはいえアクロバティックな技巧をひけらかすような書法は一切見られず、独奏と管弦楽は密接に呼応し合って、壮麗な音楽を繰り広げる。
 初演は1806年12月23日にウィーンで行われた。ベートーヴェンの作曲が遅れたために、オーケストラには十分なリハーサル時間がなく、またクレメントもほとんど譜読みの時間がとれず、初見に近い状態で演奏にあたったという。独奏者が華やかな技巧を披露する協奏曲に慣れた当時の聴衆にとっては見せ場に乏しく、かつ長大なために、初演後は演奏機会に恵まれなかった。しかし、ヴァイオリンの歴史に名を残す伝説的な名手ヨーゼフ・ヨアヒム(1831~1907)が、1844年に弱冠13歳でこの作品をフェリックス・メンデルスゾーン(1809~47)の指揮下で演奏し、大成功を収めたことで再評価され、多くのヴァイオリン奏者が採り上げるようになった。

 

②コルンゴルト『シンフォニエッタ ロ長調 op.5』

(作曲家について).

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〈Profile〉

 1897年5月29日、オーストリア=ハンガリー二重帝国のブリュン(現在のチェコ・ブルノ)にて、1人の神童が生まれた。エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897~1957)である。音楽評論家の父ユリウス・レオポルト・コルンゴルト(1860~1945)から、モーツァルトの名にちなんだミドルネームを付されたエーリヒは、その名に違わずさっそく楽才を発揮する。3歳でピアノを演奏し始め、7歳になる頃には歌曲やワルツを作曲。1906年にはカンタータ《水の精、黄金》を書き上げ、ユリウスを驚かせた。翌1907年6月(10歳)にはグスタフ・マーラーと面会。エーリヒが奏でるカンタータを耳にしたマーラーは幾度も「天才だ!」と叫んだという。
 1908~09年、ツェムリンスキーに師事していた頃に書かれたバレエ音楽《雪だるま》は、1910年10月4日にフランツ・シャルク率いるウィーン・フィルによって初演され、一大センセーションを巻き起こす(13歳)。その後も快進撃は続き、1911年から翌年にかけては初期の管弦楽作品《劇的序曲》op.4と《シンフォニエッタ》op.5を作曲。1914年には最初のオペラ『ポリュクラテスの指環』op.7を完成する。そして1920年12月4日、23歳のときに傑作オペラ『死の都』op.12が初演され、コルンゴルトの名声は頂点を極めた。
 1929年、コルンゴルトはベルリンのドイツ劇場からの依頼に応じてオペレッタ『こうもり』を編曲する。このときの依頼主であった演出家マックス・ラインハルト(1873~1943)はアメリカ亡命後の1934年に作曲家をハリウッドに招き、数々の映画音楽を手掛けるきっかけをもたらした。
 1935年の映画『海賊ブラッド』で成功を収め、翌36年の『風雲児アドヴァース』ではアカデミー賞を受賞。ナチスによるオーストリア併合から逃れてきた家族を養うべく、しぶしぶ引き受けた『ロビンフッドの冒険』(1938)でもオスカーの栄誉に輝いた。絢爛豪華なオーケストレーションで緻密に紡がれたコルンゴルトの作品がハリウッドの映画音楽にもたらした影響は極めて大きく、彼が確立したシンフォニックな映画音楽の伝統は、現代の巨匠ジョン・ウィリアムズらの音楽にも確かに受け継がれている。
 戦後は再び純音楽に回帰し、ヤッシャ・ハイフェッツの愛奏曲として知られるヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35(1947年初演)や交響曲 嬰ヘ調 op.40(1952)を作曲。「映画音楽の作曲家」というレッテルも手伝って一度は忘れ去られてしまったコルンゴルトであったが、1970年代以降に再評価が進み、今日では演奏会や新譜のリリースも増えてきている。

(曲について) 

 本日演奏される《シンフォニエッタ》は、作曲家が少年時代に書き上げた最初期の管弦楽作品である。1911年に当初は「交響曲第1番」として着手され、この年の4~7月に第1楽章を作曲。《劇的序曲》作曲のための中断を挟んだ後、年末から翌年にかけて書き進められ、1912年8月末に全曲が完成した。作曲家15歳のときのことであった。
 初演は1913年11月30日にウィーン楽友協会大ホールにて、フェリックス・ワインガルトナー率いるウィーン・フィルによって行われ、大成功を収めた。1914年2月9日にはアルトゥール・ニキシュの指揮でベルリン初演もなされ、さらに翌1915年2月26日にはリヒャルト・シュトラウスも自らの指揮で演奏するなど、《シンフォニエッタ》は当時の人々に好評をもって迎えられた。作品は初演の指揮を務めたワインガルトナーに捧げられている。
 タイトルこそ「シンフォニエッタ(=小交響曲)」とされてはいるものの、本作は4楽章計1,432小節、演奏時間にして40分以上を要する大作である。全曲はスコアの扉に記された「嬰へ-ロ-嬰ト-嬰ハ-嬰へ(ファ♯-シ-ソ♯-ド♯-ファ♯)」という4度跳躍上行を組み合わせた5音モティーフ、「陽気な心の動機」によって結び付けられている。この動機は本作におけるモットー動機としての役割を果たしているのみならず、コルンゴルト作品における「音楽的なサイン」として、後の作品でも度々登場する重要な動機である。

 

【演奏の模様】

①ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 

楽器編成は、基本二管編成(Fl.1、Ob.2、Cl.2、Fg.2、Hrn.2)弦楽五部12型(12-10-8-6-5)

全三楽章構成 
第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ 

第2楽章 ラルゲット

第3楽章 ロンド/アレグロ 

 結論的には、期待に違わぬネマーニャのヴァイオリン演奏でした。繊細かつ優美な表現は、8/3のチャイコフスキーの協奏曲の時同様立ち上がりから発揮され、一楽章のカデンツア部の三重奏に聞こえる重奏演奏も堂に入ったもの。スロー過ぎると思われる程の非常にゆっくりしたテンポの独奏は、二楽章に入ると更に心を込めて、一音一音絹糸をたぐり寄せるかの様に弓で弦をかすめて、弱音を響かせています。指揮者もオケも、ネマーニャ主導の進行に、良く寄り添っている。アタッカで、突入した最終楽章では、一、二楽章では見られなかった、迫力ある力強い男性的なボウイングを披露、この様な弾き方もするのだよとい言わんばかり、最後のカデンツアなど見事なものでした。何版(誰版)のカデンツアだったのでしょうか?演奏終了後ほぼ満席のホールは盛大な拍手と歓声に包まれました。あちこちでスタンディングオーベーションの人垣も。これに応えて、アンコール演奏がありました。

アンコール曲≪ヤドランカ・ストヤコヴィッチ『あなたはどこに』≫

 8/3のアンコール曲の様なテクニックを駆使する曲ではなかったですが、しみじみと心に響いてくる演奏でした。

 

 

[参考・プロクラムノートより]

第1楽章

 ソナタ形式による。ティンパニがニ音を4回叩いて木管による第1主題を呼び出す冒頭は、2つの意味で画期的といえる。
 1つは、従来彩りに過ぎなかったリズム楽器のティンパニが重要な役割を担っている点であり、もう1つは、この単純な同音連打が楽章全体を統一する主要動機として機能する点である。
 直後に提示される第1主題と、やはり木管楽器に始まる第2主題は同じニ長調をとり、共に穏やかで抒情的な性格を持つため、通常のソナタ形式のように2つの主題が強い対比を描かず、むしろ協調して楽章の気分を決定づける。2つの主題の提示が終わるとヴァイオリン独奏が登場し、提示部の大部分をなぞるようにして音楽を進める。展開部は2つの主題とティンパニの動機を素材とする長大なもので、その後、再現部に至り、ヴァイオリンのカデンツァを経て終結を迎える。
 

第2楽章 

 変奏曲の形式を採り、冒頭、管弦楽で提示される詩情豊かな主題が、いくつかのエピソードを挿みつつ3回にわたって変奏される。独奏と管弦楽の交わす繊細な対話が美しい。終結部にはヴァイオリンのカデンツァが入り、休みなく終楽章に移行する。


第3楽章 

 強い躍動感を前面に出した主題に始まる。活気あふれる気分は楽章全体にいきわたり、ヴァイオリン独奏も大いに活躍する。2つのエピソードを挿むロンドは、ヴァイオリンのカデンツァを経て晴れやかに終わる。
(相場ひろ)

 

 

②コルンゴルト『シンフォニエッタ 』

 聴いて驚きでした。これが15才の少年が作った曲だとは。今で言えば、中学二、三年生でしょうか。プログラムノートにある様に、将にモーツァルトの再来と当時は話題になったのも宜なるかな、ですね。オーケストレーションもしっかりしているし、循環型構造にも則っているし、最終楽章のCb.奏からVc.→Va.→Vn.各アンサンブルに移り行く辺りを見るとフーガの技法にも精通していた様です。たまたま出来た曲てなく、しっかりとした基礎を身につけた上での作曲ですから凄い物です。それ程長生きでなかった事は、残念ですね。

 ただ曲全体の印象は、はっきり言って自分のタイプでないので、手放しで賞賛は出来ないのですが、各楽章に美しい弦楽の旋律が組み込まれていた処は、その良さを満喫できました。特にVa.にアンサンブルを大いに活躍させる曲だったのが印象に強く残ります。

 演奏終了後は、会場は、8/3のチャイコフスキーの5番交響曲の時に負けない程の拍手が沸き起こりました。

 今日は、台風の影響(電車が止まって帰宅出来なくなること)を恐れながらも聴きに来て、結果は吉でした。台風は弱まり上陸もしなかった模様で、風雨も大したことなく家路につけたことは、ラッキーでした。