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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

五嶋みどり『入魂のコンチェルト』

 これ程までに有名で良く知られたベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトが、五嶋さんが弾くと、今まで聞いたことも無い様な曲に変貌したのです。これには驚きました。

【日時】2022.11.12.19:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】新日本フィルハーモニー交響楽団

【指揮】ライアン・バンクロフト

〈Profile〉

バンクロフトはロサンゼルス生まれの32歳。彼は、カリフォルニア芸術大学(CalArts) に入学、トランペットを専攻、エドワード ・キャロルに師事した。バンクロフトは、太鼓とガーナのダンスにも興味を持ちました。彼は 2011 年に CalArts で BFA の学位を、2013 年には MFA の学位も取得しました。

バンクロフトの最初の指揮経験は、2010 年の彼の父の追悼コンサートで、アドホック アンサンブルのモーツァルト『レクイエム』を指揮したことでした。 さらに彼はスコットランド王立音楽院(RCS) で指揮の研究を続けました。RCS での勉強中、彼はBBC スコティッシュ交響楽団(BBC SSO) でトランペットを演奏し、BBC SSO、レッド ノート、ロイヤル スコティッシュ ナショナル オーケストラを指揮しました。バンクロフトは 2015 年に RCS を卒業、 オランダでは、Nationale Master Orkestdirectieに参加しました。さらにアムステルダム音楽院とハーグ王立音楽院の経験も。彼の指揮指導者には、ケネス・モンゴメリー、エド・スパンジャード、ジャック・ヴァン・スティーンがいます。

2018年4月、バンクロフトは若手指揮者のためのマルコ・コンペティションで一等賞と聴衆賞を受賞しました。コンペティション中、彼はポール・ルーダースが作曲したコンペティション・テスト・コンポジション「サラバンド・ブルース」を、完全版で事実上の世界初演を、中断することなく指揮しました。

2018 年 11 月には、シャン チャンの緊急代役として、BBC ナショナル オーケストラ オブ ウェールズ(BBC NOW) を初めて客演指揮した。2019年5月には、ゲスト指揮者としてBBC NOWに戻った。バンクロフトは、BBC NOW の首席指揮者に指名された最初のアメリカ人指揮者です。

2019年、バンクロフトは王立ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を初めて客演指揮した。2021 年 12 月、オーケストラはバンクロフトを次期首席指揮者に任命することを発表。2021年ノーベル賞授賞式晩餐会で、王立ストックホルム・フィルの演奏を指揮した。

【独奏】五嶋みどり(Vn.)

【曲目】

①ベートーヴェン『レオノーレ序曲第三番ハ長調Op.72b』

②ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61』

(曲について)

ベートーヴェン中期を代表する傑作の1つで1806年に作曲された。『傑作の森』と呼ばれる中期の最も充実した創作期の作品である。その完成度はすばらしく、『ヴァイオリン協奏曲の王者』とも、あるいはメンデルスゾーンの作品64、ブラームスの作品77の作品とともに『三大ヴァイオリン協奏曲』とも称される。 この作品は同時期の交響曲第4番やピアノ協奏曲第4番にも通ずる叙情豊かな作品で、伸びやかな表情が印象的であるが、これにはヨゼフィーネ・フォン・ダイム伯爵未亡人との恋愛が影響しているとも言われる。

1806年12月23日 アン・デア・ウィーン劇場にて、フランツ・クレメントの独奏により演奏された。この時までベートーヴェンの作曲は完成しておらず、クレメントはほぼ初見でこの難曲を見事に演奏して、聴衆の大喝采を浴びた。

しかし、その後演奏される機会が少なくなり、存在感も薄れていった。これを再び採り上げ、『ヴァイオリン協奏曲の王者』と呼ばれるまでの知名度を与えたのは、ヨーゼフ・ヨアヒムの功績である。ヨアヒムはこの作品を最も偉大なヴァイオリン協奏曲と称し、生涯演奏し続けた。

 

③デトレフ・グラナート『ヴァイオリン協奏曲2番〈不滅の恋人へ〉』

〈作曲者Profile〉

 1960 年にハンブルグで生まれました。彼は音楽に目覚めるのが遅く、最初の楽器であるトランペットを 11 歳で学び、20 代になるまで正式な作曲の勉強を始めませんでした。そしてフランク・ミヒャエル・ベイヤー、そしてケルンのハンス・ヴェルナー・ヘンツェの下で4年間。

1972 年にハンブルグで最初のオペラ、魔笛、そして死の戦士を見て、最初の瞬間からオペラが大好きだったと言います。ヘンツェの招待により、グラナートは最初の大きな音楽劇場であるオペラ「レイラとメジュン」を上演し、1988 年にヘンツェによって設立された第 1 回ミュンヘン ビエンナーレを開いた。 1989年から1993年までモンテプルチャーノのインターナショナル・ダルテで最初にアシスタント・コーディネーターと音楽学校の校長を務め、その後2009年から2011年まで芸術監督として復帰した。

1992/93年、彼はローマのヴィラ・マッシモのスティペンディアトでした。

彼は 1995 年のオペラ『シュピーゲル デス グローセン カイザーズ』で広く注目を集め、オペラ作曲家に与えられるロルフ リーバーマン賞を受賞しました。1999 年の彼の次のオペラ、ヨーゼフ シュースの初演は、 Die Weltによると、注目に値する文化的イベントであり、次のように書いています。

2002 年、グラナートはハンブルグ自由芸術アカデミーのアカデミー会員に選出されました。

2006年、ローマ皇帝カリグラの最後の日にアルベルト・カミュが上演した後、ハンス・ウルリッヒ・トライヒェルが台本にしたグラナートのオペラ「カリグラ」が、マルクス・ステンツ指揮のフランクフルト歌劇場で初演された。この作品の録音は次のようにレビューされました。

【演奏の模様】

①『レオノーレ序曲』と③グラナート作曲『ヴァイオリン協奏曲』は、片や余りに知られ過ぎた有名曲ですし、片や余りに知らない曲なので(当然です、日本初演とのことですから)、詳細は割愛しますが、①の新日フィルの演奏を聴いて、この曲の掴みどころの難かしさを再認識しました。矢張りオペラと一緒に聴く様にベートーヴェンは作り上げているのかも知れません。またオケの弦全体に感じた何処という訳では無い不足感は何だったのでしょう?気のせいかな?

 最後の五嶋さんに献呈されたコンチェルト『不滅の恋人』は何とも評価しにくいと思いました。何せ副題『不滅の恋人』がベートーヴェンの場合なのかそれとも別な意味があるのかも分かりません。そう言えば本演奏前にプレトークがあったのですね。そこで何らかの説明があったのでしょうか。うっかりしてプレトークには間に合いませんでした。

 次に自分としては、今回の演奏会の一番の目玉演奏、ベートーヴェンのコンチェルトについてです。今回の五嶋さんのソナタ演奏は幾つか聴いて大体の特徴は掴めたのですが、オーケストラをバックに演奏するコンチェルトは、五嶋さんはどう弾くのだろうと興味津々でした。

 

②ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲』

第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポニ長調

第2楽章ラルゲット ト長調

第3楽章ロンド アレグロ ニ長調

 

管弦の楽器構成は、独奏シフトで、管楽器が縮小されました。弦は余り変わらず。

この曲は、ヴァイオリンが入るまでのオケの前奏が結構長い曲です。ティンパニによる微かに刻むリズムの序奏で始まり、オーボエが二本で牧歌的で美しい第1主題を歌い、穏やかに進むと見せかけて突然全奏で変奏した和音が現れます。しかし、すぐにシレジア民謡による第2主題がまずフルート以外の木管で演奏され、やがて弦楽器がトレモロを繰り広げて金管も加わり、盛り上がって提示部が終わりとなります。落ち着いたところでようやく独奏ヴァイオリンが登場しました。独奏提示部に入り第1主題を奏でるのですが、ここでもティンパニのモチーフが現れ強打されました。第2主題は独奏ヴァイオリンのトリルの上でクラリネットが演奏する。そして結尾主題へと導いて提示部を締めくくるのです。オーケストラが強奏する形で展開部が始まり、第2主題をフルート以外の木管で演奏しつつもすぐに全奏となりました。ここまで、新日フィルの演奏は、個別の楽器単体には問題が感じられませんが、1Vn.アンサンブルがコンマスの音優勢で、全体の一体性がどうかな?と思われた箇所もありました。Hr.の一部がバランスを崩した箇所もあり。でも全体としては大きな崩れは皆無で、慣れた曲を慣れた手つきで吹き、弾きしている感じです。

五嶋さんの弾くヴァイオリンの音には決して派手さは感じられない。むしろ立ち上がりは地味とさえ言えるかも知れません。入念に主題が演奏されます。再現部に入るとやはりオーケストラが第1主題を奏で、これに独奏ヴァイオリンが二音のオクターブによる重音で加わりました。ここからは提示部とほぼ変わらぬ調で進行するのです。でもこの辺りから五嶋さんの弾く旋律には、オヤッ、これは普通と違うぞ、と思われる点が見え隠れし出しました。どちらかと言うと弱い音量で高音演奏が続き、しかもそれは単調な響きではない、多重に響く高音と言ったらよいか、一種不思議な音が響きました。Fg.とCl.の合いの手がその高音にマッチした低音を絡ませて来ます。ソリストは力と技術で押しまくる演奏ではなく、繊細な音の変化、変化の妙の手答えを感じながら連綿と弾いている様子なのです。決して単調な響きではない。繊細な妙技と言うか何か微細構造を有した弱い高音の陰影を確かめながら全神経を先鋭化して一歩一歩慎重に先に進んでいく感じ。謂わば苦悩するベートーヴェンの一音一音を心で受け止めながら咀嚼し、音の言葉に替えて気持ちを吐露している演奏の様に思われました。何に苦悩しているかというと、自己流の考えでは、この時期に病が徐々に酷くなってきたことと、女性への愛に苦悩していたのではないかなーと思います。このあたりの五嶋さんの演奏を聴くと、これまで他のヴァイオリニストの演奏では聴いた事のない五嶋さんならではの独自の演奏技法の高味に達していると思われました。 ソロヴァイオリンは高音での演奏が続きましたが、たまに入る低音旋律を弾く際には、五嶋さんは力を込めて粗々しく強いボーイングをしていました。この辺りからカデンツァまでは、オーケストラは,Timp.がかなりの牽引力を発揮し、オケ全体のかなりの強奏や、Vc.の強いボーイングが太く重いアンサンブル音を響かせ、Vn.部門のPizzicatは心地良く響き、木管の合いの手はタイミング良いし、指揮者は新日フィルの力をうまく引き出していた様に思います。そしてオーケストラのひとしきり演奏が終わった時点で、ソロヴァイオリンの山場cadenza部に到達しました。

五嶋さんの弾くこのカデンツァの煌めく調べがまた圧巻でした。オーケストラが主和音で締め括り静まると、五嶋さんはカデンツァの演奏に入りました。重音が絡み合う低音の響きがしっかりと伝播し、くねくねとうねり上下する弓の動きに重音は複雑に交差し、三重の音が同時に別々の動きをしています。テーマの旋律も聞こえ低音は伴奏的に音を重ねている。将に高等技術の極みでした。

第二楽章も第三楽章もやはり息を呑むような、会場が一層静まり返ったのは、矢張りカデンツァ部でした。二楽章の最後の、これはベートーヴェンの手によるというカデンツァは、高音の非常に絹糸の様な透き通った綺麗な旋律を連綿と五嶋さんは人けのしない静寂のホールに静かに広げたのでした。

オケの強奏でアッタカ的に繋がる三楽章でも、軽快な独奏ヴァイオリンの行き着く先はカデンツァ、ここも後世の編曲とされますが、速いテンポのずっしりとした重音をしっかりとしたヴィブラートでキラキラさせ、短いですが最後の輝きを見せてオケと共に終焉の音を立てて一件落着でした。最後は非常に切れ味の良い、ベートーヴェンとしては未練がましくないすっきりとした〆の曲でした。

このコンチェルト演奏を聞いて、これまでの奏者からは聞いたこともない魂の叫び、心での演奏を思いがけず、五嶋さんから聴くことが出来て、一時は昨年の様なコロナ禍下の中止と払い戻しに又なると嫌だな、チケット買うのは止めようかなと一時ためらったものの結局買って、結果的に大当たりでした。良かったと大満足の演奏会でした。

五嶋さんは独自のヴァイオリン演奏の世界を築き上げつつありますね。世界に素晴らしいヴァイオリン奏者は、ゴマンといますが、誰とも違う自分だけの演奏をつくり上げて心で弾けるケースはそう多くない様に思います。演奏後に配布された、五嶋さんのエッセイ集『道程』の21Pにも記載が有りますが、アイザックスターンの指導を受け、そのやり取りで ❝「そうじゃない」「それでいいのか?「それは私が弾いて見せた弾き方じゃないか」「MIDORIの音楽が聞こえない」❞ とアイザックスターンに厳しく言われる場面があります。五嶋さんはアイザックスターンの愛弟子だと聞いていたので、スターン張りのパワフルなエネルギーに満ちた演奏をするのかと思っていたのです。それが今回聴いてみて、そうじゃなくて五嶋さん一人だけの演奏、独自の境地にあるという事を知り、これぞスターンが望んでいたことなのだと分かりました。今回の演奏会の副題「~ベートーヴェンとアイザックスターンに捧ぐ~」を名実ともに実現させている五嶋さんは立派だと思いました。