1922年に別宮貞俊(東京工業大学教授を務めたのち実業界に転じ、住友電気工業株式会社初代社長などを歴任)と病理学者で東京帝大医学部教授の山極勝三郎の長女梅子の息子として東京に生まれた。翻訳家の別宮貞徳は弟[。遠祖は伊予守護職河野氏出身の正岡経政の重臣で経政の叔父に当たる別宮修理太夫光貞。別宮氏は江戸時代に入ると伊予国今治藩の豪商国田屋として栄えた。
兵庫県立第一神戸中学校から成城高等学校、第一高等学校を経て東京大学理学部物理学科を1946年に卒業。さらに同大学文学部美学科に入学し1950年卒業。この間、柴田南雄らの新声会に参加し作品を発表している[。のちフランスに渡り、パリ音楽院でダリユス・ミヨー、オリヴィエ・メシアンらに師事したが、ミヨーのクラスを受験した際、シュトックハウゼンがライバルであったが、別宮が合格したため落とされている。帰国後1955年から桐朋学園大学で教鞭を執る。1961年から桐朋学園大学教授、1973年から中央大学教授を務めた。中央大学の音楽研究会吹奏楽部から作品を委嘱されてもいる。2012年1月12日、肺炎のため死去。
【独 奏】
福岡県北九州市生まれ。3歳からヴァイオリンを始め、篠崎永育、篠崎美樹に師事。現在は原田幸一郎、西和田ゆうに師事。2005年、地元の西南女学院高等学校に入学。日本フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団、フランス国立管弦楽団、サンカルロ歌劇場管弦楽団、ミラノスカラ座室内合奏団との共演するなどの演奏活動を行う。2008年、CDデビュー。桐朋学園大学入学を機に活動の場を東京に移した。2000年 第54回全日本学生音楽コンクール福岡大会小学校の部で第1位。
2000年 第10回日本クラシック音楽コンクール全国大会小学校の部1位なしの第2位。2002年 第56回全日本学生音楽コンクール福岡大会中学校の部で第1位。
2004年 第13回アルベルト・クルチ国際ヴァイオリン・コンクールで第1位。
2005年 ロン=ティボー国際コンクールで第2位、サセム賞。
2015年 ハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールで第2位。
2011年日本音楽コンクール第1位、併せて岩谷賞を含む4つの特別賞を受賞。17年エリザベート王妃国際音楽コンクール第2位。第25回新日鉄住金音楽賞フレッシュアーティスト賞、第16回齋藤秀雄メモリアル基金賞、第28回出光音楽賞、第20回ホテルオークラ音楽賞を相次いで受賞。
これまでに小林研一郎、尾高忠明、高関健、ユベール・スダーン、オーギュスタン・デュメイ、ステファヌ・ドゥネーヴらの指揮で東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、読売日本交響楽団、ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団、バート・ライヒェンハル管弦楽団、アントワープ交響楽団などと共演。19年秋には、イタリアと日本でクリスチャン・ツィメルマンとブラームスのピアノ四重奏曲で共演している。
以下、プログラムノートから引用すると、❝没後10年を経た現在も、別宮貞雄(1922~2012)をどう評するべきかは悩ましい問題であり続けている。評者の立場が変われば「古典主義者」「最後のロマンティスト」「時代遅れの懐古主義者」「ポストモダンの先駆者」といったように、まるっきり評価が変わってしまうからだ。
〇パリ音楽院留学時期
1951年には少し年下の池内門下である矢代秋雄(1929~76)と黛敏郎(1929~97)と共にパリ音楽院へ留学。主にダリウス・ミヨー(1892~74)から作曲を、オリヴィエ・メシアン(1908~92)から楽曲分析を学んだ。恩師との交流は、両者がこの世を去るまで続いており、例えば1974年に亡くなる2ヵ月前のミヨーからは「たくさんよいメロディを書きなさい」と、また、1971年に前衛音楽が理解できないと相談したメシアンからは「人は自ら愛するもの、自ら感じるものを、流行の変化を顧慮することなく書くべき」という言葉―どちらも別宮自身の信念を代弁しているかのようだ! ―を贈られている。
〇交響曲と協奏曲の創作
1954年9月に帰国。自ら「修行時代にピリオド」を打つ作品とみなした管弦楽のための《2つの祈り》(1955~56)の内実は「前奏曲とフーガ」で、アカデミズムに適合した別宮の優等生ぶりが反映されており、初期の代表作となった。一方、宿願とでもいうべきベートーヴェン的な4楽章制と向き合った交響曲第1番(1961)は「構築的形式」によってまとめ上げられてはいるのだが、取り入れられたサウンドは雑多で、ブラームスの交響曲第4番風に始まったかと思えば、その後はルーセル、ラヴェル、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、オネゲルといった留学中に惹かれた作曲家からの影響がエコーする。
1961~68年はオペラ『有間皇子』(原作:福田恆存(ふくだつねあり)〔1912~94〕)を中心とするオペラ関連の創作に時間を費やしたのち、器楽による久しぶりの大作として発表されたのがヴァイオリン協奏曲(1969)であった。1967年に完成した「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」では第3楽章の一部でバルトーク的な無調に接近していた別宮が、いよいよ自分なりに調性から逸脱しようと試みた作品で、作曲者自身も自作の中で「最もいわば非調性的」であるとみなしている。とはいえ実際のところは、和音の長短の性格を決定する3度の響きを明確にせず、調性と非調性の狭間を高度な和声と対位法の技術でもって攻めた作品とみなすべきだろう。
別宮自身が満足する仕上がりにはほど遠かった交響曲第2番だが、楽譜と録音を贈って意見を乞うたメシアンからは絶賛のコメントが返送されてきた。こうした信頼する同業者からの評価と自己評価がたびたび乖離したことは、別宮貞雄という作曲家を悩ませたに違いない。続くピアノ協奏曲(1979~81)において、彼は大きな決断を下す。同業者の顔色を無視して、徹底的にロマン派的なサウンドに振り切ることにしたのだ。その結果「私の作品で素人のお客には一番人気がある」作品になったという。
ピアノ協奏曲を作曲していた1980年2月には、別宮は作曲賞の審査において後に反現代音楽の旗手として有名になる吉松隆(1953~)を見出し、当時は編成の小さかった《朱鷺によせる哀歌》を改訂するよう勧めた。確実に時代の潮目が変わりつつあることを、別宮も感じたのではないか。次の大作、交響曲第3番(1981~84)に《春》という副題が付けられたのは3月に春スキーをしている最中に第1楽章「春の訪れ」の楽想が浮かんだからだというが、調性音楽にとっての冬の時代の終わりを告げるタイトルのように思えて仕方ない。
それでも別宮が単なる懐古主義者と言えないのは、1980年代後半に戦争交響曲である交響曲第4番《夏 1945年》(1986~89)を通していま一度、非調性的な不協和音と向き合い、調性・旋法性と見事に共存させているからだ(それでいて交響曲第1番のような雑多な印象は受けない!)。別宮自身が自らの代表作に位置づけている傑作である。
《秋》という副題は順当にいけば、交響曲第5番(1999年に完成。2001年の改訂後に副題《人間》が追加)に付けられるはずであった。しかし1994年4月に、4歳半年上の妻が脳梗塞で左半身麻痺となり、介護生活に。福祉施設への入所によって幾分生活の余裕が戻った頃に、不安から逃れるようにして作曲されたチェロ協奏曲に《秋》という副題が付けられた。作品冒頭の雰囲気からは、前述したピアノ協奏曲のようなロマン派に回帰しただけの作品だと思われてしまいがちだが、最愛の人を失うかもしれない不安に打ちひしがれる別宮の自画像のような音楽である。初演を待つことなく、妻・明子は1998年3月にこの世を去った。❞
「サウンドはまるで異なるが、ヴァイオリン協奏曲と同じく緩徐楽章代わりのカデンツァを間に挟んだ2楽章構成です。
第1楽章(アレグロ・モデラート)は独自の工夫が凝らされたソナタ形式。冒頭からリズム主題が木管楽器によって反復されるなかで、独奏チェロが物憂げな第1主題(ド・ソ/ド・ミ♭ーレ)(C・G/C・E♭―D)を歌い始める。重音で始まる独奏チェロの技巧的パッセージが落ち着くと第2主題に。イングリッシュホルンのなだらかな旋律が主に聴こえてくるが、後に再現される素材は低音金管楽器に隠されており、すぐ後に独奏チェロの背景としてもフルートがその旋律(ラ♭ー/ソード/ファー/ミ♭ー)(A♭―/G―C/F―/E♭―)を密かに吹いている。
移行の役割を果たす小結尾(コデッタ)を挟んで、弦楽がトレモロになるところから展開部へ。リズム主題と第1主題が絡んで緊張感を表出。独奏チェロの技巧的パッセージが続くなか、突如としてヴァイオリン群が奏でる透明感溢れる旋律は、なんと第2主題の再現!(展開部のなかに再現が挿入されているのだ)。徐々に展開部の緊張感が戻ってきた後、改めて小結尾部と第1主題が再現される。
カデンツァは第1楽章が終わると同時に始まり、既出の第1~2主題をもとにした無伴奏のソロが続く。
第2楽章(アレグロ・ジョコーソ・コン・グラツィア)は、再びオーケストラが加わるところから。独自の工夫が凝らされたロンド・ソナタ形式で構成されているのだが、聴く分には自由な3部形式と捉えれば充分。独奏チェロが提示する主部の主題は、(耳だけで聴き取るのは困難かもしれないが)なんと第1楽章の小結尾から取られたもの。そこにカデンツァ終盤の刺繍音や、同じリズムを繰り返す反復音形(ロンドとしては挿入部に相当)が絡みつく。オーボエがたおやかな旋律を吹き始める中間部を挟んで、再び主部が回帰。ただし単なる再現ではなく展開部を兼ねており、様々な素材を発展させていく。最後に短く第1楽章を回顧し、人生の晩秋を終える。」
この様な構造を有しているチェロ協奏曲ですが、岡本さんの演奏は、別宮の意図する脱無調の調べを良く表現できていたと思います。しかも作曲者の妻の死に向かい合っている秋風が吹き荒ぶ様な虚ろな気持ちも良く理解している演奏と見ました。ただ、耳には心地よく響く箇所が多かったのですが、オケも含めて、やや散漫に感じました。演奏に依ると言うより曲の有する特性に依るものかも知れない。岡本さんの演奏は、全体的に安定した技倆を発揮、とくにカデンツァ部の演奏が圧倒的に良かったと思いました。鼓笛隊の様な小太鼓の音が、弦楽アンサンブルを引き締めていました(次の協奏曲、最後の協奏曲中でも小太鼓が度々音を出して活躍、別宮は小太鼓が好きなのでしょうか?)。
②ヴィオラ協奏曲
「表面上は「急―緩―急」の伝統的な3楽章制で、旋律やリズムについてはバルトークからの影響が大きい。ただし独自の構造を持っており、かなり複雑だ。
第1楽章(アダージョ~アレグロ・モデラート)は自由なソナタ形式。
〔序奏:①管弦楽→②独奏ヴィオラ〕
〔提示部:第1主題→挿入句(序奏②の素材を変奏)→第2主題〕
〔展開部:序奏→第1主題〕
〔再現部:第1主題→挿入句→第2主題〕
〔結尾〕
という流れになっており、特に〔挿入句〕の存在がユニークだ。
序奏では様々な素材の断片を提示。第1主題は、独奏ヴィオラとフルートが旋律(ラ・シ♭/レ・ド♯)(A・B♭/D・C♯)を交互に奏するところからだ。その後、ヴィオラ群が5拍子の音形を繰り返すところからが挿入句で、序奏の独奏ヴィオラが弾いていた旋律がもとになっている。第2主題は、弦楽による揺らぐ伴奏の上でオーボエが提示。背景に鳴り響くチェレスタは第1主題をもとにしている。この第2主題が発展してピークを迎えると展開部へ。まず序奏冒頭のフルートの旋律、次いで序奏の独奏ヴィオラ由来の旋律、そして最後に第1主題が展開され、徐々に再現部へと移り変わってゆく。第2主題の再現後は結尾(コーダ)となり、ハイライトのように様々な素材が回顧される。
第2楽章(アダージョ・アフェトゥオーソ)は3部形式。金管楽器などによって提示されるコラール風の和音が、主部の主題。この上に独奏ヴィオラが第1楽章由来の旋律を展開していく。中間部はチェレスタとヴィブラフォンの分散和音が鳴るあたりから。その上でオーボエなどが奏でるのは、第1楽章の第2主題を変奏した旋律だ。その後、主部が簡潔に再現される。
第3楽章(アンダンテ~アレグロ・モデラート)もソナタ形式がもとになっているが、挿入される要素が第1楽章より多く、ほとんど幻想曲や狂詩曲といった様相。この楽章の軸となるのは、冒頭でテューバが提示する第1主題(ソ・ラ♭ーソー/レ・ファ〔G・A♭―G―/D・F〕=第1楽章序奏で独奏ヴィオラが提示したファ・ミ・ファ・ラ♭・ファ〔F・E・F・A♭・F〕を上下に反行させたもの)と、その少し後にクラリネットが提示する第2主題(8分の6拍子と4分の3拍子の交代が特徴)だが、前半から第1楽章の素材がどんどん重ねられていくので、形式感は明瞭ではない。律動が弱まると展開部と中間部を兼ねたセクションに入り、途中で第1楽章の第2主題がまたもや顔を出す。独奏ヴィオラのカデンツァを経て、再現部とコーダを兼ねたセクションへ突入して一気に最高潮へと達する。」
この曲を演奏した英国生まれの若手ヴィオラ奏者ティモシー・リダウトはまだ20代と見ましたが、仲々力の籠った低い重量級の音を出していて迫力がありました。第一楽章のカデンツア部も相当力強い演奏でお見事。オケもチェロ協奏曲の時より迫力がありました。第二楽章は、Hr.とFag.の調べでスタート、次いでFl.から弦楽アンサンブルが響きソロヴィオラは次第に高音も出しますが、その高音の何て綺麗な音なのでしょう、Vn.か?と紛う程美しく楽器が鳴っていました(その直後からVa.ソロの猛スピード化あり)。この楽章はオケがやや大人しいきらいがあった。
ソロVa.奏者は度々下野さんの方を見て、又指揮者もソリストの1/3くらいはソリストの方を見て合図を出していました。楽章最後のオーケストラとソロVa.のうねる様な低音のマッチングは非常に良かったと思います。
20分の休憩後は
③ヴァイオリン協奏曲です。南さんの名前は様々な演奏会のちらしに出て来るので知っていましたが、その演奏を聴くのは初めてです(②のリダウトも初めてでした)。
この曲は上記【別宮貞夫の作曲活動】にある様に別宮47歳の時の作品です。その構造は、
緩徐楽章代わりのカデンツァを間に挟んだ2楽章制は一風変わってこそいるが、ヴィオラ協奏曲に比べると形式は分かりやすい。
第1楽章(モデラート)は、提示部の後半が長いソナタ形式。冒頭から独奏ヴァイオリンが提示する断片的な旋律が主題労作されて、徐々に発展していく。第1主題の核となるのは独奏ヴァイオリンの最初の4音(シーラ♯/ラ♯・ソ)(B―A♯/A♯・G)だ。フルートとチェレスタが重なった和音が印象的な経過部を通過すると、どことなく日本風の第2主題をオーボエが提示し、独奏ヴァイオリンが引き継いでいく。3拍子になり、テンポが上がったところから第1主題の一部が変奏されるので展開部のようにも聴こえるが、実はそうではない。たっぷりと時間をかけて提示部を盛り上げて、ニ短調でピークに。その後、テンポが落ち着き、不安定な響きが戻ってくると展開部に入るのだが短く、割とすぐに経過部と第2主題あたりから明確な再現が始まっていく。第1主題は結尾で簡潔に再現される。
先ほど展開部が短かった分、緩徐楽章代わりのカデンツァでは主題が展開される。
再び管弦楽が加わると、ヴィオラ協奏曲よりもバルトークの影響が明確な第2楽章(アンダンテ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ)へ。最初は繋ぎのセクションで、フルートがリズムを刻んでテンポが速くなると3部形式(正確には自由なロンド・ソナタ形式)による本編だ。主部の核となるのは独奏ヴァイオリンが提示するシグナルのような主題(レ・ミ♭・シー)(D・E♭・B―)で、これは第1楽章の第2主題を変形したもの。他の音形も第1楽章の素材がもとになっている。テンポが落ち着く中間部の主旋律は、先ほど聴いたヴィオラ協奏曲の第1楽章第2主題とほぼ同じだ。主部が戻ってくると、クライマックスまで駆け抜けてゆく。
この曲も二楽章構成で一楽章と二楽章の間にカデンツァを配しているのはチェロ協奏曲と同じです。南さんは卒なく高度な技術を身につけていることが良く分かる又音もいい演奏でしたが、やや物足りない感じも受けました。それが何かもはっきりしないのですが、演奏会も休憩が終わり最後に近づいていたせいなのか?或いは休憩中に持参のサンドイッチを食してお腹が少し膨れて、聴いていて睡魔に何回か襲われていたそのせいなのか?も知れません。一般的に言えることは、聴いて受ける曲演奏の印象は、受け止める聴衆の気持ちの状態によってかなり異なって来るという事です。仮に同じ演奏家が同じ曲を演奏しても、聴く人が明確に聞く耳を持って受け止めないと、評価が変わってしまう事ってありませんか?自分としてはあると思うのです。
今日は同じ作曲家の三つの異なる楽器による独奏がなされた協奏曲を聴く機会に恵まれ、いい思い出になる事間違い無しです。三者の演奏を比べると、比較のしようが無いかも知れませんが、自分としては②のヴィオラ演奏が一番気に入りましたし、聴衆の反応も一番拍手が大きかった気がします。機会があればピアノ協奏曲も聴いてみたいものです。