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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ラ・フォル・ジュルネ5月5日[三日目]鑑賞

 

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【日時】2024.5.5.(日・祝)16:15〜

【会場】東京国際フォーラム、ホールA

【管弦楽】東京21世紀管弦楽団

【指揮】中田延亮

【出演】
○アンヌ・ケフェレック(Pf.)

〈Profile〉

 1948年両親とも著名な作家の家に生まれる。5歳でピアノの演奏を始め、1964年にパリ音楽院に入学。1965年にピアノで、1966年には室内楽でそれぞれプルミエ・プリ(1等賞)をとった。

 その後、パウル・バドゥラ=スコダ、イェルク・デームス、アルフレート・ブレンデルに師事し、1968年にはミュンヘン国際音楽コンクールで優勝し、翌年の1969年には、リーズ国際ピアノ・コンクールにて第5位に入賞(その年の優勝者はラドゥ・ルプーであった)。それ以後も、国際舞台の中心で演奏をつづけ、経歴を重ねている。

ソロのコンサート・ピアニストとして有名であるばかりではなく、室内楽の分野でもよく知られている。彼女と共演したのは、カトリーヌ・コラール、ピエール・アモイヤル、フレデリック・ロデオン(Fréderic Lodéon)、イモージェン・クーパーなど多数。

ヴァージン、エラート、ambroisieなどでの録音も少なくない。1990年にはヴィクトワール・ドゥ・ラ・ミュジク(フランス音楽業界賞)で年間最優秀演奏家賞を受賞した。


○オリヴィエ・シャルリエ(Vn.)

〈Profile〉

 10歳からパリ音楽院でジャン・フルニエに師事し、また、ユーディ・メニューイン、ヘンリク・シェリング、ナディア・ブーランジェに師事した。在学中からコンクールへ出場し、多くの賞を受賞している。

1981年、母校のパリ音楽院の室内楽クラスの助手となり、1992年からヴァイオリン科の教授を務め、ロン=ティボー国際コンクールなどで審査員を務めている。

世界各国の著名なオーケストラと共演し、レコーディングも数多い。日本との関係では、読売日本交響楽団、新星日本交響楽団などと共演した。

 

○川本嘉子(Va.)

 

【曲目】

①モーツァルト『ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271〈ジュナミ〉』 

(曲について)

 第6番、第7番『ロドロン』、第8番『リュッツォウ』、そして本作の4曲はそれぞれ作曲年代が近いが、4曲の中で最後にある本作は内容、形式ともに特に優れた曲として高く評価されている。本作は1777年1月にザルツブルクで作曲され、フランスの女流ピアニストである「ジュノーム嬢(mademoiselle Jeunehomme)」がザルツブルクを訪れた際に、彼女に献呈されたといわれてきたため、従来は『ジュノーム』(Jeunehomme)という愛称で呼ばれていた。この曲の新鮮さ、大胆さとこれまでにない規模の大きさは、彼女の影響によるものとされている。

〈Jeunehomme〉と〈Jenamy〉の関係について

 この曲は、「ジュノーム嬢(mademoiselle Jeunehomme)」に献呈されたので『ジュノーム(Jeunehomme』』という愛称で従来呼ばれて来たのですが、「ジュノーム嬢」が一体誰であるのかは長年の謎であり、モーツァルト研究の課題となってきた。2004年3月15日に音楽学者のミヒャエル・ローレンツ(英語版)が、モーツァルトの友人で著名なフランス人舞踏家ジャン=ジョルジュ・ノヴェールの娘でピアニストのヴィクトワール・ジュナミ(Victoire Jenamy)がそれであることあることを発見した。ローレンツによれば、「ジュノーム」なる名前は1912年に2人の著者(Téodor de Wyzewa, Georges de Saint-Foix)によって書かれたフランス語の伝記の中で初めて現れるが、単にこの人物の名前がわからなかったので、フランス語で「若者」を意味する "jeune homme" と呼んだものに過ぎず、結局のところ人の名前ではなかった訳です。そのため、近年では日本でもCDや出版物によっては『ジュノーム』ではなく『ジュナミ』と表記されることが増えてきている。

 

②モーツァル『ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364』

(曲について)

1777年から1778年にかけてパリを訪れ、マンハイム楽派の影響を受けたモーツァルトは、1778年にパリで、当時彼らの間で流行していた協奏交響曲を書いている。 その後、1779年にザルツブルクに戻ってから書かれたもう1曲の協奏交響曲がこの曲である。

協奏交響曲は、独奏楽器がオーケストラと渡り合う協奏曲とは違う性格を持ち、複数の独奏楽器がオーケストラと協調的に響きを作る性格を持つ。しかしこの協奏交響曲の独奏パートは高く評価され、今日ではヴァイオリン・ヴィオラの名手による二重協奏曲として演奏される傾向にある。

この曲では、モーツァルトは独奏ヴィオラは全ての弦を通常より半音高く調弦すること(スコルダトゥーラ)を指定している。独奏ヴィオラのパート譜は変ホ長調の半音下のニ長調で書かれている。弦の張力を上げることにより華やかな響きとなり、更にヴィオラが響きやすいニ長調と同じ運指になることで、地味な音色であるヴィオラがヴァイオリンと対等に渡り合う効果を狙ったのである。

華やかに上昇するヴァイオリン、静かに深い世界へ向かうヴィオラという2つの楽器の性格はうまく使い分けられ、華やかながらも必ずどこかに陰影を帯びたモーツァルトの芸術性がうまく表現されている。

すでに作曲された5曲のヴァイオリン協奏曲と異なり、第1楽章と第2楽章にモーツァルト自身のカデンツァが残されているほか、技術的な面においても格段に高度になっている。演奏時間31分とモーツァルトの協奏曲としては比較的長大である。

 

【演奏の模樣】

 聴こうとしたコンサートの開演時間は、初日は20:45、二日目は16:00、今回の最終日は、15:15と毎日早くなっていったのですが、最終日の開演時間等を勘違いしてしまいました。三日目ともなると、少し無理をしたせいなのか?帯状疱疹の痛みがやや強まったこともあって、開演時間等を他と取り違えてしまった、15:45開演、ホールCとばかり思っていたのです。少し早めに行ってホールCでチケット出したら、「違います、ホールAです」と言われてしまいました。急いでホールAに駆け付けたら、入り口はガラーンとして誰一人いません。まだ時間が早いからかな?と思ってチケットを出したら、もう既に開演しているとのこと。急ぎ遅刻者対応係の処に案内され、第一楽章が終わった処で、入場出来ますとの説明。入場直前には数十人は遅刻者はいたでしょうか。一楽章は、モニターで見て、音は結構大きく会場外にも流していました。いつも聴いている音楽が流れています。モニーターでは、ケフェレックが弾いていることは分かりますが、演奏の詳細、オーケストラの細部は全く分かりません。

①モーツァルト『ピアノ協奏曲第9番 〈ジュノーム〉』

楽器編成 独奏ピアノ、オーボエ2、ホルン2、弦五部8型(8-6-6-6-4 )

全三楽章構成、演奏時間は通常三十分程。

第1楽章Allegro

第2楽章Andantino

第3楽章Rondo-Presto

 ホール外で待つこと10分位、遅刻者は一階最後部に全員急ぎ案内されました。このホールは初日の記録に記した様に5000人規模の巨大ホールですから、ステージは箱庭のように小さく小さく見えます。自分のチケットはもっと前の席なのに・・・、①と②の待ち時間にも移動出来ないとのことでした。自分が悪いのだから仕方ありませんが。2、3分も待たずに第二楽章が開始、オケの弦楽が低音域の調べを短調で寂し気に暫し弾くと、おもむろにピアニストが弾き始めました。丹念に音を一音一音確認するが如くゆっくりと。音もかなり小さいppとPの間かと思われる程微妙な音で。それにしてもゆっくり、ゆっくり、ケフェレックは心を込めて弾いています。アレここってAndantinoだよね?これじゃLentoより遅い!と心で叫んでいる自分でした。

 昔、モーツァルトのピアノコンチェルトを聴くことに、かなり凝った時期がありました、アイポッドと言う機器の出始めの頃です。ウオークマンより小さくて記憶容量が大きいので、それにモーツアルトピアノコンチェルト全27曲を録音し、通勤電車の中で、大抵は満員電車で立ちながら聴いていたものです。前半の最初の方のこの9番は、当時からかなり気に入っていました。その時はケルン室内楽団とミヒャエル・シュトウーダーの組合わせ、その後ロンドン響とルドルフ・ゼルキン、ピリス、内田光子等々様々な録音を聴きましたが、それらと比しても今回のケフェレックの第二楽章は型破りのslowな演奏でした。モーツァルトが勢いのある初期に書いた初辣とした見事な一楽章も、威勢の良い三楽章も、この二楽章のあたかも息が途絶えそうな儚さにより、分断されてしまったのではなかろうか?曲全体の統合性が失われてしまったのではなかろうか?とさえ思われました。

 昨年の La Folie Journée Tokyoでは、彼女はベートーヴェンの最後の三つのソナタを弾きました。昨年のテーマが「ベートーヴェン」だったからでしょうか。(今年のテーマは「Origin」。この曲は起源をモーツァルトに求めたのです。)その時の30番のソナタ演奏を聴いて記した記録の一部に以下の様に書きました。

 ❝3楽章、この曲ではこの冒頭のゆっくりした歌うテーマ旋律が好きです。これはケフェレックでなくとも誰が弾いてもピアニストなら十分に歌って聴かせて呉れる箇所でしょう。ベートーヴェンはそのテーマの後変奏に進むのです。第一変奏から第六変奏まで次第に速い小刻みな変奏に変わり遂にはトリルに至り、最後に冒頭のテーマに戻るのです。この曲の演奏でケフェレックの高音部演奏は、表情豊かでメリハリ(即ち強弱長短の変化の絶妙な匙加減)が有り、恰もお洒落な雰囲気で街を闊歩するパリジェンヌの軽やかな足取りを感じました。録音で聴くルドルフ・ゼルキンの演奏なんかと比べると対局にある演奏でした。フランスのピアニストが皆この様な弾き方をする訳ではないでしょうが。❞

 この時の演奏を思い出すと(かなり記憶は薄れつつありますが)、今回のモーツァルトの二楽章のスローな演奏は、ふと「これはウィーン的調べをパリジャンヌがお洒落に表現するとこうなるのか」、極めてパリ的表現なのだ、という考えに至りました。

 それにしても、オーケストラの演奏もピアノ独奏も大変立派な演奏なのでが、音量が小さく感じたのは、演奏者や指揮者の責任でなく、第一目を聴いた記録に書いたように、このブラックホールの如きビッグホールから(光でなく)音が束縛されて放散されないことが大きな要因ではなかろうかと思いました。まして最後部の席ですから。この状況は次の②の演奏でも同様でした。

 

②モーツァルト『ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 』

(演奏前の合間の時間で、ピアノが片付けられ、オケの若干の変更あり)

楽器編成、独奏ヴァイオリン、独奏ヴィオラ
オーボエ2、ホルン2、第1・第2ヴァイオリン、第1・第2ヴィオラ、チェロ、コントラバス
(オーケストラのヴィオラも2部になっているのが特徴)8-6-6-4-4

 このK364の曲は一般的に、ヴァイオリンコンチェルト程様々なオーケストラでちょくちょく演奏される曲では有りません。恐らく適切なビオラ奏者の選定が簡単で無いことも理由の一つかも知れません。でも時々演奏されることもあり、最近では、例えばこの1月のソフィエフ指揮N響定演で、郷古+村上両主席奏者の演奏(都合が悪く聴きに行けなかった)がありました。

 しかし自分としてはこの曲にはなじみがあって、ちょくちょく録音で親しんで来ました。

 それは昔、ウィーン学友協会ホールでのコンサートの折にゲットしたCDです。Maniel Hernandez指揮・Wiener Mozart Ochester で Bettina Gradinger(Vn)、Esther Haffner (Va)のソロ。

 また、ネット録画では、ズビンメーター指揮でパールマンのヴァイオリン、ズーカーマンのヴィオラ演奏がいい。

 尚、上記N響定演の時のプログラムノートに、この曲が作曲された経緯が詳しく載っているので、以下に引用しておきます。これを読むと何故今回のフランス発の La Folie Journée で、この曲が演奏されたかが良く理解出来ます。

1778年の3月も終わろうという肌寒いある日、マンハイムから9日も馬車にゆられて母子がパリに降りたった。母アンナ・マリアと連れだって就職先をさがす長旅の目的地である。
「彼らはまったく粗野に近く、しかも嫌らしいほどに思いあがっています」(5月1日、父レオポルトに宛てた手紙より)。かつて「神童」を歓迎してくれた花の都は、22歳になった青年にはそっけなかったが、そんな冷遇はものともしない。名士たちに溶けこんで各都市の流行をわがものとする才覚に、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)の天才たるゆえんがある。
そのころパリでは、「協奏交響曲(サンフォニー・コンセルタント)」が公開演奏会を賑(にぎ)わせていた。複数のソロ楽器とオーケストラが歌いかわす華やかなジャンルである。さっそく懇意になった支配人ル・グロのすすめで、宮廷楽団奏者のために4つの管楽器のための作品を書く。これは、おそらくイタリアの人気作曲家の横やりでお蔵入りして消失してしまったものの、この新たなスタイルに惹(ひ)かれたモーツァルトは帰郷後、ザルツブルク宮廷のソロ奏者を念頭に、もうひとつ協奏交響曲を書いた。それが本作である。
このジャンルで現存する唯一のモーツァルト作品であり、テーマの豊かさと情感の深みの点で、彼の全作品にあってもきわだっている。ヴァイオリンの影に隠れがちなヴィオラに輝きを与えるため、がぜん弾きやすくクリアな音が出るニ長調で独奏ヴィオラが記譜されているのも大きな特徴だ。そのため奏者は半音高く調弦することになる。
第1楽章 モーツァルトがそれまでに書いたどの器楽よりも、テーマがつぎつぎと惜しみなく歌いつがれる。眩暈(めまい)がするほどに新鮮で、しかも複雑さを感じさせない。
第2楽章 作曲の前年にパリで母を亡くした経験は、音楽づくりに深い陰影をのこした。ハ短調の深い哀切は、ひるがえって前楽章のかなしい明澄さを深めてくれるだろう。本プログラム後半のベートーヴェンによる葬送行進曲(第2楽章)も同じ調だ。
第3楽章 冒頭楽章の晴れやかな雰囲気が、いちだんとシンプルに還ってくる。

 

全三楽章構成。演奏時間は約30分程。

第1楽章 アレグロ・マエストーソ 変ホ長調 4分の4拍子。協奏風ソナタ形式。(12分ー13分)
第2楽章 アンダンテ ハ短調 4分の3拍子。ソナタ形式。(11分-12分)
第3楽章 プレスト 変ホ長調 4分の2拍子。ロンド形式。(6分ー7分)

 

指揮・オーケストラは①と同様、中田延亮・東京21世紀管弦楽団

この楽団はコロナ禍の2020年に立ち上げられた新しいオーケストラで若手の演奏家が中心です。最初に出ているのを聴いたのは、2021年サントリーでの『グリゴーロ・テノールコンサー』の伴奏演奏の時、その後何回か聴きましたが、基礎力は備えているので、後は如何に経験を多く積みアンサンブルの妙を体験していくかが重要でしょう。

さて演奏の方は、

 第一楽章の立ち上がり、Vn、Va奏者ともか弱さを感じる演奏でした。特にシャルリエ氏がいま一つ調子に乗れない様子。後半になると、冒頭の時よりかなり力の籠った演奏を見せ、終盤のソリスト二人によるカデンツァの掛け合いでは、Vn.は高音部が明瞭な伸びのある旋律奏で、Va.もしっかりと答え、両者の二重奏も互いの重奏の波長をピッタリ合わせ(四重奏の箇所も有)これは本格的な上昇気流に乗って来たと思いました。

 次の第二楽章が聴いていて、全体的に一番出来が良かったと思いました。短調でスタートしたオケの序奏、Vn.ソロが入り主題奏の響きが良く聞こえます。ソロをVaと交代、川本さんはシックな旋律を如何にも入魂の演奏といった風に熱奏。その後の(Vn.+Va.)の斉奏に合の手を入れるHrn.の音も清々しい。終盤はかなり冗長感のあるこの楽章演奏でソリストも、ややだらけ気味に感じる箇所もあったが、総じてVn.ソロの高音の音色はとても美しくなってきたし、低音部での川本さんの発音も素晴らしく、流石と思うパッセジも多かったのでした。微弱音での両者の二重奏はキチンと決まっていました。

 最終楽章、オケの序奏はモツらしい旋律でハイテンポスタート、それにOb.の合いの手、Hr.の合いの手、さらにOb.へと推移。そこに入って来るVn.ソロの調べは修飾音も煌びやか⇒Hrn.⇒ここでVa.ソロが低音同主題で入るこの辺りは勢い美しさも秀麗で💮、さらに⇒ソロVn,の合いの手⇒ソロVa.の合いの手⇒両者斉奏⇒それからソリストの順番を変えたテーマ奏の繰り返し、とスピーディに駆け抜ける短い楽章でした。それでも都合30分は超えるこの手の協奏曲としては長い聴き応えのある演奏でした。


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総じて感じたことは、①のピアノ演奏も②の協奏交響曲も今一つ迫力に欠ける箇所が感じられたのは、やはりこのホールAの宿命かなとも思いました。もしこれが、観客数は減りますが、ホールCやいつものサントリーや東文だったら、同じ演奏をしても、もっと素晴らしいものに聞えたに違いありません。まーこの演奏会も相当数の観客が入っていて(多分3千〜4千人?)人気のコンサートだった様で、音楽祭の収益を考慮すれば仕方ないことなのかも知れませんが。

 でもコロナ禍以降、この音楽祭の陰りを何となく感じざるを得ない今回の有楽町詣ででした。あの五、六年前の活気よ、いずくにぞ?

 たった三日間一日一回の鑑賞でしたが、病身の身としては連日遠距離遠征は若干体に負担が大きかった模様で、今朝など起床したら痛みが強くなっていました。人によっては、その後何か月も神経痛の後遺症が残る場合があるとも聞きますので、要注意です。幾ら座学は安静に入ると言っても、相当疲れるので病身には良くないのでしょう、きっと。もっと安静にしなくては。