【主催者(NBS)イントロダクション】
宿命の女から恋する乙女まで幾多の役柄を演じ分ける多才な歌姫が “陶酔の限界”をもたらす!
アスミク・グリゴリアンの名が世界中に知れわたったのは2018年のザルツブルク音楽祭、「サロメ」の表題役での大成功によるものです。“ザルツブルクのサロメは今後もうこれ以上はない!”と評され、以来、彼女は“ザルツブルクの女王”となっただけではなく、ウィーン、ロンドン、ミュンヘン、ミラノ、バイロイトなどで活躍する“世界の新女王”となっています。「驚くべき多才さ」(タイムズ紙)という言葉は、グリゴリアンの才能を表す最適な賛辞。グリゴリアンは求められるものがまったく異なる役のすべてに、完璧なテクニックと美声、そして究極の表現力を発揮します。「私は限界に挑むことが好き」と語るグリゴリアン。日本で初めてとなるアリア・コンサートにあたり、それを証明するかのような2つのプログラムを用意しました。第1部に『ルサルカ』『エフゲニー・オネーギン』『スペードの女王』のアリア、第2部はガラリと表情をかえ、Aプロではプッチーニの名アリアを、Bプロでは『サロメ』を含むR.シュトラウスの曲を組み合わせた圧巻のプログラムです。「キャラクターに入り込むことは難しくない。難しいのは自分自身をほんの少し残しつつ自分をコントロールして歌うこと」という彼女が全身全霊をかけたコンサートは、聴衆も「陶酔の限界」を感じることでしょう。
【日時】2024,5.17.(金)19:00〜
【会場】東京文化会館
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指揮】カレン・ドゥルガリャン
<Profile>
ドゥルガリャンはアルメニア出身で、アルメニア国立オペラ・バレエ劇場の総監督
Since September 2021 Karen Durgaryan is acting as General Director of the Armenian National Opera and Ballet Theatre, with the task to reposition the historical institution as one of the most important cultural players at regional and international level. Born in Yerevan, Armenia, Karen Durgaryan has been the Principal Conductor of the theatre for 15 years, between 2001 and 2015. He graduated from the Yerevan State Conservatory in 1996 and has studied with Prof. Ilya Musin in St. Petersburg in 1997. In 1995 he was appointed an Associate Conductor of the Armenian State Philharmonic Orchestra and the following year has been the Music Director of "Britten and Armenia" International Music Festival in Yerevan.
Durgaryan’s international activity has a special focus in Italy where he has conducted most of the orchestra and opera houses: the Teatro Lirico in Cagliari – where he will conduct again in November 2022 – the Teatro Regio Torino, the Teatro Carlo Felice, Genova, the Teatro Verdi, Sassari in addition to concerts with the Orchestra di Padova e del Veneto and with the “Luigi Cherubini” Orchestra and the Toradze Piano Studio at the Ravenna Festival. He has appeared regularly with the Orchestra Sinfonica Siciliana in Palermo, with the Orchestra “I Pomeriggi Musicali”, Milan and with the Orchestra di Padova e del Veneto, where he will make his return in February 2023. Conducting an all-Prokofiev program Karen Durgaryan made a successful debut with the Israel Philharmonic Orchestra in November 2016 and in January 2017 has conducted for the first time the Brussels Philharmonic Orchestra, where he returned in January 2019 for a program in the frame of the Klara Festival. In February 2018 Durgaryan made his first appearance with the Malaysian Philharmonic Orchestra conducting two special ballet gala programs featuring the Armenian Ballet. In December 2018 he has made his debut at Teatro di San Carlo, Napoli with a production of Nutcracker, which he conducted again in December 2019.
Karen Durgaryan has regularly conducted the best opera houses in Russia: from 2008, he is regularly a guest of the Mikhailovsky Theatre in St. Petersburg and on tour. Since 2015 he is a regular guest conductor at the Novosibirsk State Opera and Ballet Theatre both at home and on tour conducting opera and ballet productions. He has also appeared often at the Mariinsky Theatre, St. Petersburg, where he has conducted the new production of “Spartacus” Ballet. He was invited at the White Nights Festival 2013, celebrating the opening of the new Mariinsky 2 and the 60th birthday of Maestro Valery Gergiev. Internationally, Durgaryan has conducted ballet productions at the Leipzig Opera, at the Opéra National de Lyon and in December 2016 made his debut at the Bayerische Staatsoper conducting a new production of Spartak by Aram Khachaturian, which he also led with the Royal Ballet of Wallonia in January 2017.
Since 2000 Karen Durgaryan has conducted major performances of Lebanese diva Fairuz, the greatest singer of Arabic world at numerous festivals and concert halls around the world. The CD “Fairuz Live at the Beiteddine 2000” produced by Ziad Rahbani with the EMI got the highest international acclaim.
Karen Durgaryan holds the title of Honored Artist of Republic of Armenia and in 2010 received the highest medal of Armenia in field of art and culture. His engagement for the musical development of his country continues as Music Director of the “Alexander Arutiunian International Wind Festival”, which takes place every year in June in Yerevan and provides a unique opportunity to local wind player to perform with the most renewed specialist worldwide.
【出演】アスミク・グリゴリアン(ソプラノ)
<Profile>
リトアニア音楽演劇アカデミーで学ぶ。オペラ・デビューは2004年ノルウェーのクリスチャンスンでジョナサン・ミラー演出『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・アンナ。2006年にはヴィリニュス市立歌劇場の創立メンバーとなり、さまざまなレパートリーを務めた。2011年以来、国際的な活動を開始。2016年に国際オペラ・アワードの若手女性歌手賞、2019年には同女性歌手賞を受賞。『蝶々夫人』タイトルロールはウィーン国立歌劇場デビュー、『ルサルカ』タイトルロールはマドリードのテアトロ・レアルへのデビューを飾ったレパートリー。2017年『ヴォツェック』でのデビュー以来、ザルツブルク音楽祭へ出演を重ねている。世界中の著名な歌劇場で活躍する、現在もっとも注目されるソプラノの一人
【曲目】
〖Bプロ〗〜ドラマティック・アリアの夕べ〜
以下🟩字部をグリゴリアンが歌いました。
《第一部》
①アントニン・ドヴォルザーク/『歌劇 ルサルカ』より
①―1序曲(管弦楽)
①―2“月に寄せる歌”
②ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
②―1『―弦楽のためのエレジー<イワン・サマーリンの思い出>』(管弦楽)
②―2『歌劇エフゲニー・オネーギン』より<タチアーナの手紙の場 “私は死んでも良いのです”>
②―3 ポロネーズ(管弦楽)
②―4『歌劇スペードの女王』より<“もうかれこれ真夜中...ああ、悲しみで疲れ切ってしまった”>
③アルメン・ティグラニアン/『歌劇 アヌッシュ』より<“かつて柳の木があった”>
《休憩》
《第二部》
④アラム・ハチャトゥリアン『スパルタクス』より<スパルタクスとフリーギアのアダージオ>(管弦楽)
⑤リヒャルト・シュトラウス作曲
⑤―1楽劇『エレクトラ』より<クリソテミスのモノローグ “私は座っていることもできないし・・・”>
⑤―2楽劇『サロメ』より<七つのヴェールの踊り>(管弦楽)
⑤―3楽劇『サロメ』より<サロメのモノローグ “ああ! ヨカナーン、お前の唇に口づけをしたわ”>
【演奏の模様】
以下主としてグリゴリアンの歌いぶりについて記します。
《第一部》
①―2“月に寄せる歌”
最初からグリゴリアンは、エンジン全開、声に張りと強さがあり、かと言って金切り声のソプラノでなく、ビブラートも気にならない自然体の声を、大ホールに響かせました。
②―2『歌劇エフゲニー・オネーギン』より<タチアーナの手紙の場 “私は死んでも良いのです”>
オケにかき消されない突き抜ける歌声、楽々と個性を発揮している感じ、余程発声法と呼吸法が、自分にぴったり合った最適解を会得しているのでしょう。確かご両親も歌が上手だった(あれ、間違った記憶かな?)そうですから、その薫陶も受けているのでしょう。そういえば、ガランチャもそうでしたね。この歌は、後半になってさらに、熱が入った歌いぶりでした。オケの合いの手、伴奏も程良い強さで、これを指揮する指揮者のオペラ演奏のキャリアを感じます。グリゴリアンにとっては、非常に歌いやすいのでしょう。
②―4『歌劇スペードの女王』より<“もうかれこれ真夜中...ああ、悲しみで疲れ切ってしまった”>
ますます安定感のある歌唱を披露していましたが、どういう訳かたまにオケの強奏に歌が飲まれるケースあり、若干の疲れがあるのでしょうか?
③アルメン・ティグラニアン/『歌劇 アヌッシュ』より<“かつて柳の木があった”>
如何にも民族音楽的色彩の歌で、しっとりとしたイメージが、グリゴリアンの別の側面を見る感じで、仲々いい印象の歌いぶりでした。
《20分の休憩》
《第二部》
⑤―1楽劇『エレクトラ』より<クリソテミスのモノローグ
「わたしは姉さんのように座ったなり、闇のなかをじっと見詰めていることは出来ないわ。
わたしは胸のなかに火が燃えているようだわ。
もうそれはしきりなしに家の中じゅう追い廻されている感じ。どの部屋にもいたたまらないの。こちらの敷居から次の敷居へと出て行かなければならない。ああ。段々の上がりおりにも絶えずわたしはうしろから呼びかけられているようで、わたしが出るその後から、がらんどうの部屋がわたしをじっと見ているようなのよ。
そんなにもわたしは苦しい思をしている。夜も昼も膝がふるえる。喉をしめられているよう。
わたしはもう体のどこもここも石になったようで、泣く事も出来ないわ。姉さん、かわいそうだと思って下さい。・・・・・・」と母と対立して、牢獄に閉じ込められている様な生活は、耐えられないと実姉のエレクトラに、嘆き訴えている妹クリソテミスの歌です。また次の最後のアリア、
⑤―3楽劇『サロメ』より<サロメのモノローグ “ああ! ヨカナーン、お前の唇に口づけをしたわ”>
では、ヨカナーンにメロメロだったサロメが、彼が首を切られて死んでしまったのに、その首に口づけをしようとする、半ば精神錯乱状態の狂った愛を歌う場面で、古来多くの画家によっても描かれて来た場面です。
今回グリゴリアンのコンサートを聴きに来た大きな動機は、このサロメのモノローグを一番聴きたくて来たと言っても過言でありません。何故なら彼女がサロメ役として歌った演奏会形式オペラを、一昨年ミューザで聴いたからでした。その時の異常なまで興奮したサロメを、一種の狂気性を帯びたソプラノで歌い切って大喝采を浴びたのが、グリゴリアンでした。その時このソプラノ歌手を初めて聞いたのでしたが、最初から存在感を示す歌いぶりで、終盤のこの圧倒的歌唱で、その非凡さを知らしめしたのでした。その後の欧米での活躍振りは、目を見張るものがあり、一躍スターダムに躍り出たのでした。(そのミューザでの上演記録を参考まで文末に再掲しておきました。)
今回の同じアリアは、二年前の記憶がやや薄くなった処もありますが、概ねサロメの狂気性は、今回も表現出来ていたと思います。ただ正面上階で聞くと、上記クリソテミス(エレクトラの妹)のアリアも含め、前半より、少ーし、声が、オケの轟音に飲まれてしまう時も散見され、ややお疲れなのかな?とも思ったのでした。予定のプログラムを終って、会場からは、大きな拍手と歓声が沸き起こりました。この観客の反応は、終演後だけでなく前半の最初の「月に」から、各歌毎に毎回同じ大きな反響がありました。
何回も舞台→袖→舞台を往復して歓声にこたえて挨拶していたグリゴリアンでしたが、期待したアンコール演奏は、遂にありませんでした。やはり余程お疲れだったのでしょう。それは、会場を出て楽屋口での出待ちの人垣に混じって自分も写真を取るつもりで待っていた処、人垣の方は一瞥もせず、黒いバンに乗込み急ぎ走り去ったことからも、推測されました。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////2022-11-19 HUKKATS Roc.(再掲)
オペラ/R.シュトラウス『サロメ』初日
【演目】オペラ(演奏会形式)R.シュトラウス『サロメ』
<演目について>
『サロメ』(ドイツ語: Salome)作品54は、リヒャルト・シュトラウスが1903年から1905年にかけて作曲した1幕のオペラ(元々の記述はオペラではなく、「1幕の劇 Drama in einem Aufzuge」であるが、ドイツオペラはむしろオペラと明記してある作品の方が少数でもあり、通常は一括してオペラと呼ばれる)。台本はオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」をもとに、ヘートヴィヒ・ラハマン(英語版)が独訳したもの。サロメの物語はもともと『新約聖書』の挿話であるが、オスカー・ワイルドの戯曲になる頃には預言者の生首に少女が接吻するという世紀末芸術に変容している。シュトラウスが交響詩の作曲を通じて培った極彩色の管弦楽法により、濃厚な官能的表現が繰り広げられる。
シュトラウスは最初、アントン・リントナーの台本による作曲を考えていたが、原文をそのまま用いる方が良い
と判断し、原作の独訳を台本としている(原文の台詞を削除している箇所もある)。
前奏なしの4場構成となっていて、第4場の「サロメの踊り(7つのヴェールの踊り)」が著名で単独の演奏や録音も存在する。ただし、劇の流れからするとこの部分はやや浮いており、前後の緊張感あふれる音楽・歌唱を弛緩させているという評価(例えばアルマ・マーラーによる批判など)も少なからず存在する。この「欠陥」は次作の『エレクトラ』でほぼ克服されている。さほど長い作品ではないが、表題役のサロメは他の出演者に比べて比重がかなり大きく、ほとんど舞台上に居続けで歌うこととなる。また少女らしい初々しさと狂気じみた淫蕩さ、可憐なか細い声と強靭で大きな声といった、両立困難な演技表現が求められる。さらに前述した第4場の「サロメの踊り」の場面では、長いソロダンスを踊らなければならない(ただし、この踊りには代理のダンサーが立てられることもある)。これらのことから、サロメの表題役はドイツ・オペラきっての難役とも言われる。
【日時】2022.11.18.(金)19:00~
【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール
【管弦楽】東京交響楽団
【指揮】ジョナサン・ノット
【出演】
サロメ:アスミック・グリゴリアン
ヘロディアス:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー(メゾソプラノ)
ヘロデ:ミカエル・ヴェイニウス(テノール)
ヨカナーン:トマス・トマソン(バスバリトン)
ナラボート:岸浪愛学*(テノール)
ヘロディアスの小姓:杉山由紀(メゾソプラノ)
兵士1:大川博*(バリトン)
兵士2:狩野賢一(バス)
ナザレ人1:大川博(バリトン)
ナザレ人2:岸浪愛学(テノール)
カッパドキア人:髙田智士(バリトン)
ユダヤ人1:升島唯博(テノール)
ユダヤ人2:吉田連(テノール)
ユダヤ人3:高柳圭(テノール)
ユダヤ人4:新津耕平*(テノール)
ユダヤ人5:松井永太郎(バスバリトン)
奴隷:渡邊仁美(ソプラノ)
〇ディアの小姓 杉山由紀 (メゾソプラノ)
*印=当初発表の出演者から上記のとおり変更になりました。
【演出監修】サー・トーマス・アレン
【管弦楽】東京交響楽団
【指揮】ジョナサン・ノット
【概要】
原作の独訳を台本としている(原文の台詞を削除している箇所もある)。
前奏なしの4場構成となっていて、第4場の「サロメの踊り(7つのヴェールの踊り)」が著名で単独の演奏や録音も存在する。ただし、劇の流れからするとこの部分はやや浮いており、前後の緊張感あふれる音楽・歌唱を弛緩させているという評価(例えばアルマ・マーラーによる批判など)も少なからず存在する。この「欠陥」は次作の『エレクトラ』でほぼ克服されている。
さほど長い作品ではないが、表題役のサロメは他の出演者に比べて比重がかなり大きく、ほとんど舞台上に居続けで歌うこととなる。また少女らしい初々しさと狂気じみた淫蕩さ、可憐なか細い声と強靭で大きな声といった、両立困難な演技表現が求められる。さらに前述した第4場の「サロメの踊り」の場面では、長いソロダンスを踊らなければならない(ただし、この踊りには代理のダンサーが立てられることもある)。これらのことから、サロメの表題役はドイツ・オペラきっての難役とも言われる。
【粗筋】
紀元30年ごろ、ガリラヤ湖に面したヘロデの宮殿の大テラス。シリア人の衛兵隊長ナラボートは、宮殿で開かれている宴を覗き見し、サロメの美しさに心を奪われるものの、ナラボートをひそかに慕うヘロディアスの小姓にたしなめられる。そこへ救世主の到来を告げる重々しい声。兵士たちによればそれは地下の空の古井戸に幽閉されている預言者ヨカナーンの声だとのこと。
そこへサロメが現れる。彼女は義父であるヘロデが自分に投げかける、情欲むき出しの視線に耐えかね、宴席を抜け出してきたのだったが、聞こえてくる声に興味を示し、ナラボートが自分に好意を抱いていることにつけこんで、ヨカナーンをここへ連れて来いという。兵士たちはヨカナーンに接触することを禁じられていたため、はじめはそれに応じないが、サロメはナラボートに媚を売り、古井戸から連れ出させる。現れたヨカナーンに圧倒されるサロメ。ヨカナーンは彼女には見向きもせず、サロメの母ヘロディアスの淫行を非難するが、サロメはなおも彼に近付こうとする。憧れのサロメの、あまりに軽薄な態度に落胆したナラボートは自決を遂げてしまう。ヨカナーンはサロメをたしなめつつ自ら古井戸に戻る。
やがてサロメを探してヘロデがヘロディアスや家臣たちとともに姿を現す。彼らはナラボートの死体から流れ出た血で足を滑らせたため、ヘロデはナラボートが自決したことを知る。不気味な前兆におびえながらも、ヘロデはサロメを自分の側に呼び寄せ、関心を惹くべく酒や果物を勧めるが、サロメはまったく興味を示さず、ヘロディアスも娘を王に近づけまいとする。
そこへヘロデ夫妻の行状を非難するヨカナーンの声。ヘロディアスは激怒し、彼を黙らせるか、ユダヤ人たちに引き渡してしまえ、と叫び、ユダヤ人とナザレ人たちは言い争いを始める。ヨカナーンの声はなおも響いてくるので、心を乱されたヘロデは気分直しにサロメに舞を所望する。サロメははじめはそれに応じようとしないが、ヘロデが褒美は何でもほしいものを与える、と持ちかけたため、サロメは裸身に7枚の薄いヴェールを身につけて踊り始める。官能的な舞が進むにつれ、ヴェールを一枚ずつ脱ぎ捨ててゆくサロメ。ヘロデは強く興奮し、やがて舞を終えたサロメに何が欲しいかと尋ねる。
サロメの答えは銀の大皿に載せたヨカナーンの生首。さすがに狼狽したヘロデは代わりのものとして宝石や白いクジャク、果ては自分の所領の半分ではどうか、と提案するものの、サロメは頑として合意しない。ヘロデはとうとう根負けし、ヘロディアスが彼の指から死の指輪を抜き取って首切り役人に渡す。役人は古井戸の中へ入ってゆき、サロメはその近くで耳を澄ましている。不気味な静寂だけが続き、サロメが苛立ちを募らせていると、騒々しい大音響が響き、首切り役人が銀の大皿に乗せたヨカナーンの生首を持って現れる。サロメは狂喜してそれを掴むと、お前は私にくちづけさせてはくれなかった、だから今こうして私が、と長いモノローグを歌った後、恍惚としてヨカナーンの生首にくちづけする。そのさまに慄然としたヘロデはサロメを殺せと兵士たちに命じ、サロメは彼らの楯に押しつぶされて死ぬ。
【上演の模様】
カラヤンは、「サロメという女は20歳になっていない。従って、若くて細身の魅力ある歌手がいて初めて成立するオぺラなのだ」と語ったそうです。
今回のサロメ役は今年で41歳になるアスミク・グリゴリアン、若手と言ってもかなりの舞台経験のある歌手の模様。確かに細身ですが、歌唱力は相当高いものが有りました。しかし初めから3/4くらいまでは声量が惚れ惚れする程のものではなかった。最後近くなってから(4場)、首を所望して手に入れ、
「Ah! Du wolltest mich nicht deinen Mund küssen lassen (私に口づけさせようとはしなかった、ヨカナーン)
と叫ぶように歌う狂気のサロメの歌唱は、絶叫調ですが、オケにも負けず会場に鋭い声が響き渡りました。
ヘロデ王は、「踊りを見せて呉れたので、何でも所望のものは与える。何が欲しい」とサロメに約束したのですが、サロメは自分の思う通りにいかなかった預言者ヨカナーンの首を欲しいと答えるのです。これには流石に参ったヘロデ王は何回も何回も拒んで、代わりに宝石とか孔雀とかそれ以外なら何でも与えると説得するのですが、サロメは「首が欲しい」の一点張り。遂には王は
❝Man soll ihr geben, was sie verlangt! Sie ist in Wahrheit ihrer Mutter Kind(王女が欲しいというものを、為方がない、渡してやれ。 ほんに母が母なら子も子だ)❞
と、自暴自棄になって許してしまうのでした。ヘロデ王役のミカエル・ヴェイニウスは、舞台に登場した時にその堂々としたかなりのビール腹(太鼓腹)の体躯から素晴らしいテノールを期待したのですが、期待外れでした。当初は歌も歌詞も本格ドイツオペラからは少し違うなと思ったら、経歴で見ると、スウェーデン出身でテノールには途中から転向したとありました。このくらいのテノールだったら日本人でも沢山いると思います。ついでに王とセットで出ていた王妃役のメゾソプラノ、バウムガルトナーの歌唱もいま一つ満足できるものでは有りませんでした。今年は、素晴らしいメゾソプラノ歌手達が来日してリサイタルを開いたのを聴いて耳に残っているので、王妃役のメッゾの声に強さが足りない感がし、声量的にもオーケストラのかなりの轟音にかき消されていたのが残念でした。
いつも外人歌手の出演がある聴くと、期待が大きく膨らみ、実際聴いてみると、期待に沿った場合が多いのですが、今回はどうかな?そうそう一人素晴らしいと思った歌手がいました。ヨカナーン役のトマス・トマソン。結構なお年の歌手と見ましたが、最初登場したのは二階席の右サイドの空間、そこに立って、
❝Siehe, der Herr ist gekommen,des Menschen Sohn ist nahe(見よ。主がお出ましになられたのを。人の子の近くまで来られたのを。)と第一声をはりあげ、さらに❝Jauchze nicht, du Land Palästina, weil der Stab dessen, der dich schlug, gebrochen ist. Denn aus dem Samen der Schlange wird ein Basilisk kommen, und seine Brut wird die Vögel verschlinge.(こりゃ。パレスチナの国。お前を打った笞が折れたといって、喜ぶなよ。なぜかというに、蛇の種からは、一睨みで殺すバシリスコスの龍が出て、その子が飛鳥を皆呑んでしまうからだ)❞
と堂々としてホール全体に広がるバリトンの歌声を響かせ、これを聴いただけでこの歌手は本物だと思いました。予想に違わず最初から最後まで、トマソンのヨカナーンは他の歌手を圧倒した歌唱を披露していました。特に見もの(聞きもの)だったのは、サロメが盛んに彼に好きだから触れらせよ、キスをさせよと迫るのを、決然と「不浄の輩、近寄るべからず」とオケの大轟音にも負けず、圧倒的な歌声でサロメをたしなめる歌声を張り上げていたのは、見事でした。大轟音と言えば、今回のノット東響は、16型(16-14-12-10-8)三管編成の舞台一杯に広がる大きな編成で、全体的に大きな音を各パートに奮い出させて、サロメの狂気性を中心に表現していたのは、力強く大変良かったと思いました。特にパーカッションの前の雛壇に8台横に並んだHrn.団や10挺中央部に固まったVc.団は特に迫力あるアンサンブルの妙技を披露していました。R.シュトラウスの音楽としてはこれまでの曲では聴いた事のない混沌と不協の調べを、大々的に響かせていたと思いますが、これも昔から有名な伝説的な不気味な狂気性を帯びた物語の「サロメ」を表現するからには必要欠くべからざる要素だったのでしょう。
最後ヘロデ王が「サロメを殺せ」と叫んで、Timp.他がババン、ババンと打ち鳴らし終焉となると、結構たくさん入っていた(階によっては空席が大きい部分も有りましたが、これは東海道線が19時前から不通になっていたせいもあるかも知れません)観客席からは大きな拍手が沸き起こり、主要歌手陣と指揮者は袖と舞台を何回も何回も往復し、全体的には演奏会方式としては十分な出来映えだったと互いに満足を確認し合っていたのでした。